第十六話 月明かりと灯火と
『一緒に"お散歩"して頂けませんでしょうか。』
そうロロに誘われて連れて行かれた先は、アナ・ゴーイの街の外――
背の高い針葉樹の生い茂る森の中だった。
森の中といっても、俺たちが歩く道には煉瓦が並べられ、歩き易く舗装されていた。
ロロによれば、昔は木こりさんの通り道だったとのことだ。
空を見上げればまん丸の満月が昇っている。
これなら明かりを出す必要もないだろう。
「こちらであります。」
しばらく行くと、前方を歩いていたロロが道を逸れて茂みの中に入る。
首を傾げつつも、俺はロロの背を追って茂みへと足を踏み入れる。
獣道と言ってもいいような、小さなトンネル。
幼女の身体じゃなきゃ、通れなかったかもな。
やがて茂みのトンネルを抜けると、一気に視界が開ける。
月明りに照らされたそこには――
「お……おぉ。すっげ……。」
まるで童話の世界のような、美しい"泉"が広がっていた。
水面は月光を反射してキラキラと輝き――
泉の畔には、白い蕾を付けた植物が点々と生えている。
「すごいな……。」
思わず口から零れた言葉に、しかしロロは小さく笑って返す。
「フフ。これから"もっとすごく"なるでありますよ♪」
もっとすごくなる……?
俺がロロに問おうとした、ちょうどその時――
「ほら。始まったであります。」
泉をじっと見るロロに合わせて、俺も視線をそちらに向ける。
「ほ、ほぉぉ……!!」
泉の周りに生えていた白い蕾が――
一斉に花弁を開かせた。
白だったはずの蕾は、花開くと共に様々な色に淡く――輝いた。
「"月鳴花"という花であります。満月の光が真上から差す時にだけ花びらを開かせる花で……綺麗な水の元でしか育たないので、こうしてご足労願ったのであります。」
美しさに見惚れていた俺に、ロロが隣に並んで説明する。
「そっか。これを見せたかったんだな……。」
確かにこの光景は、見ておいて損は無い。
とびっきりの絶景だ。
俺はロロに感謝を伝えようと、首を横に向ける。
が、ロロは少し微妙な表情をしている。
困ったような、照れているような、何とも言い難い顔だ。
「い、いえっ! あのっ! それだけではなくてっ……!」
「? なんだ?」
俺が首を傾げると、ロロは小さく呟くように告げる。
「じ、実はこの場所は……その……"大事な気持ちを伝える場所"と言われていまして……。この泉の畔で思いを伝えると、その思いが叶うとの言い伝えがあるのであります……。」
頬を赤く染めながら言い淀むロロに――俺は察してしまう。
お……おいおい……。
これって……完璧"フラグ"立ってるよな?
夜に二人っきり――。
誰も居ない森の中――。
そして今、二人で見たロマンチックを体現するかのような絶景――。
これ"告白ルート"入ったか!?
ロロの好感度ゲージMAXになっちゃったか!?!?
ヤバい……!!
いや、メチャクチャ嬉しいけど……!!
でもまだ心の準備が……!!!
「レティどの……。」
潤んだ瞳で俺を見つめるロロ。
「ずっと……ずっと前から……この気持ちを伝えたいと思っていました……。」
ロロは小さな手をぎゅっと握りしめる。
まるで――"小さな勇気"を振り絞るように――。
「ミサキ殿の件で……自分の心は決まりました……。どうか自分をレティ殿の……」
ぎゅっと目を閉じるロロ。
そして――
「レティ殿の……"奴隷"にして頂けないでしょうかっ!?」
…………え?
(……え?)
「え?」
あ、あっれ~……?
聞き間違いかな~?
「ろ、ロロ……? 今"奴隷"とか言わなかった……?」
「はいっ! 自分をレティ殿の奴隷にして頂きたいのでありますっ!!」
聞き返してもロロの言葉は変わらなかった。
ん、ん~……??
いや待て。
待て待てマテ。
「え、えっと……、なんでいきなり奴隷なんて……?」
ロロがそういう趣味なら否定はしないけど……それにしたって急すぎる。
「いきなりじゃないであります……。ずっと前からお願いしようと思っていたであります。」
そう言って、ロロは過去を思うように遠い目をする。
「レティ殿に助けて頂いたあの日から、自分はレティ殿に恩を返そうと思って努めて参りました。」
そしてロロは表情を曇らせる。
「ですがレティ殿からのご恩は増える一方……。ミサキ殿の件にしても、自分一人では到底解決出来ない事でありました。」
そこまで告げると、ロロはまた真剣な顔で俺を見る。
「このままでは、自分は一生掛かってもレティ殿に恩返しを果たせないままであります!! ならばせめて!! 奴隷になってレティ殿に尽くしたいのでありますっ!!」
悲しげな顔でロロは俺に詰め寄る。
「レティ殿が椅子になれと言うのなら、この場で四つん這いになるであります! 足を舐めろと仰るのであれば喜んで舐めるであります!! ですから! どうか自分に恩を返させて下さい……!!」
ロロの表情は、既に泣きそうな程であった。
……なるほどな。
"奴隷"っつー非日常的な言葉に引っ張られてピンと来なかったが……要は俺への恩を返したいってことか。
前にエリノアに聞いたが、獣種の魔族は忠義を大事にするらしい。
ロロは俺に助けられた恩を、何とか返そうと必死だったのだ。
だが……
「ロロ。」
「はい……ひゃっ!?」
俺は泣きそうなロロの顔を胸に抱いて、ぽんぽんと頭を撫でる。
「あのな……俺はロロが、"友達"で居てくれるのが一番嬉しい。"奴隷"になんかしたくないんだ。」
「で、でも……!」
腕の中で反論しようとするロロを、更にぎゅっとする。
「いい。ロロの気持ちは、ちゃんと伝わったから。」
「レティどの……。」
納得出来ないのか、ロロはまだ悲しげな顔のままだ。
「それにな、"恩を返す"っていうけど、俺はロロに何も貸してなんかないんだぞ?」
「ふぇ……?」
胸に抱いたロロの顔が、その言葉の意味を受け止めかねるといったように俺を見る。
「ん~……例えばさ。」
俺は胸に抱いていたロロを解放すると、右手を握って火の付いた"蝋燭"を取り出す。
その蝋燭を左手に持ち替えると、再度右手を握って今度は火の付いていない蝋燭を取り出す。
「こんな感じだ。」
火の付いた蝋燭を傾けると、その火がもう一本にも灯る。
二本の蝋燭は、どちらも火を灯されてゆらゆらと柔らかな明かりを揺らす。
「俺がしたのは、こーゆー事だ。別に俺が何かを失ったワケじゃない。」
揺れる火を見つめていたロロは、その言葉でようやく意味を汲んでくれたようだ。
そうだ。
俺がロロを助けたのも同じ。
"優しさ"ってのは買い物でも無けりゃ投資でも無い。
ただ"分け与える"もの――。
だから減ったりしない。
人が増えれば、土地も資源も取り合いになるが……"優しさ"は人と同じ分だけ生み出すことが出来る。
言ってみりゃ"無限の資源"だ。
「だからな。もし俺のした事で、ロロが何かを受け取ったと思ったなら、それは"別の誰か"に返してやればいい。」
「"別の誰か"……でありますか?」
蝋燭の明かりに照らされたロロが、俺を見つめる。
「あぁ。弟くんたちでも、シャルたちでも……ロロのお店に来るお客さんたちでもいい。"優しさ"って、そーゆーモンだ。」
俺がそう言って笑うと、ロロもようやく笑顔を見せてくれた。
「そう……でありますね。こんな気持ちを、もっと、もっとたくさんの人に広げていけたら……それはきっと、素敵な世界になるでありますね。」
そうして俺たちは、しばらく並んで二本の蝋燭が揺れるのを眺めていた。




