第十三話 キレイな花に釣り針を
――コンコン。
ミサキさんの診療所から宿へと戻った俺は、その控え目なノックの音に、ドアを開けずとも相手が誰であるかを察した。
「ロロだろ? 入っていいぞ。」
遠慮がちに開かれたドアの向こうには――予想通り、ロロが立っていた。
「あの……レティ殿……。今日の夕ご飯の当番なのですが……ちょっとサボらせて頂けませんでしょうか?」
旅の間のご飯は、いつもロロが作ってくれていた。
別に俺が命じてそうしているわけでは無いが、ロロが楽しげに作ってくれるのでそれに任せていた。
そんなロロが『サボりたい』と口にしたのだ。
いつもの俺であれば、『ん。いつもロロにばっか作らせちゃ悪いもんな。』と快諾しただろう。
だが、今日は――
「あの貴族の……"レゴル"のとこに行く気か?」
俺の言葉に、ロロは驚いた顔を見せる。
そりゃ分かるさ。
診療所から宿に戻るまで、ずっと思い詰めた顔してたんだから。
俺に考えを看破され、誤魔化せないと悟ったロロは、床に頭が付くのではないかと思う程に頭を下げる。
「お願いでありますっ……! ミサキ殿を、あのまま放ってはおけないでありますっ……!!」
顔は見えないが――それでもロロが、必死の思いで頭を下げているのは分かる。
だが――
「あの貴族……いくら必死に頼んだって、子供じゃ相手にされないぞ?」
そう。
これまでしつこくミサキさんを狙ってきた野郎だ。
そう簡単に諦めてはくれないだろう。
「それでもっ……!! それでも……何とかしたいでありますっ……!!!」
そう言って顔を上げたロロは、今にも泣きそうな顔をしていた。
俺はそんなロロに歩み寄り――
「……ふぇっ?」
優しく頭を抱いた。
「大丈夫だ。ロロが泣く程悩んでるんだぞ? 俺が何も考えてないと思ったか?」
そうだ。
このままこの街を離れたら、ロロは旅の間ずっと……いや、帰ってからも暗い表情のままだ。
俺たちの楽しいお出掛けを、あんな野郎に壊されてたまるか。
――コンコン。
再度ドアがノックされる。
「お! 準備出来たみたいだな。そんじゃ、行くか!」
「"準備"……?? 何のでありますか……?」
俺はロロにニヤリと笑って告げる。
「"釣り"だよ。」
「……??? "釣り"……?」
困惑顔のロロの頭を撫でながら、俺は微笑んで言った。
「"子供じゃ相手にされない"なら、"相手にされる奴"で"釣る"だけだ。」
***
夕暮れ時――。
街を行き交う人々。
その中には一日の仕事を終え、家路に着く者も多く居ることだろう。
だがこの通りにはそうでない者も多数存在する。
飲み屋街のあるこの通りには、友と、同僚と、或いは恋人と共に"酔い"を楽しもうとする人々が多く行き交っていた。
もちろん一人で飲む者もいる。
貴族である彼――"レゴル"も、今日は行き付けのバーで一人で飲もうかとその通りを歩いていた。
そこへ――
「あのー……少々よろしいですの?」
背後からかけられた声に振り向いたレゴルは、瞬間目を疑った。
(うぉ!? なんだ!? この美人……!?)
彼の視界に映ったのは、この街では見ない顔の黒髪の女性――。
それも、とびきりの美女であった。
「あの、この街の方ですか?」
「あ、あぁ。 そうだけど……?」
突然美女から声を掛けられ、しどろもどろになりつつも返答するレゴル。
レゴルの返答に、女性はぱあっ!と明るい顔になる。
「よかったですわぁ! 実はわたくし、今日この街に来たばかりでして……。」
「そ、そうなんだ。」
商人なのだろうか?
彼女の服装は、そこらの貴族よりも余程上等であった。
そして――
(なにより……スタイルが抜群じゃねぇか!)
その豊満な胸元を強調した服装は、道行く男どもすら視線を奪われずにはいられない程だ。
「あの……不躾なお願いですけれど……よろしければ、美味しいお酒を飲めるお店を教えて頂けませんか?」
うるうると潤んだこの瞳を、拒める者などこの世にいるのだろうか――?
そう思わせる程に蠱惑的なその問い掛けに、レゴルは半ば無意識に返答していた。
「あ、あぁ! もちろん!!」
***
(やった!! 今日は最高にツイてるぜ!!)
彼女を先導しつつ歩くレゴルは、内心ガッツポーズを決めていた。
これ程の美女とお近付きになる事など、貴族の社交パーティでもそうそう無い。
そんな美女が――『美味しいお酒の飲めるお店を教えてください』と――?
まさに鴨葱だ!
(飲ませてしまえば……こっちのものだ……!!)
そう内心笑う彼は、自身の行き付けのバーへと彼女を案内する。
「どうぞ。足元に気を付けて。」
「まぁ! 素敵な雰囲気のお店ですわぁ!」
地下にあるその店は、多様な種類の酒を揃えた旅行者向けの店だ。
その分少々値が張る為、地元の者はほとんど利用しない。
(ここなら間違っても見つかる事は無い筈だ。)
レゴルはこの街の診療所に勤める女性――ミサキに激しくアプローチをかけている最中だ。
他の女性と飲んでいる所など見られれば大問題だ。
特にミサキの知り合いの憲兵長二人――トーブとウェノーには間違っても見られるわけにはいかない。
(だがここなら……)
この店のすぐ上は宿になっている。
酔いつぶれた女を連れ込むのに、これ以上都合の良い店は無い。
レゴルは顔なじみのマスターに目配せしつつ、注文する。
「俺のお勧めのカクテルなんだ。飲んでみてくれない?」
「あら。楽しみですわ♪」
程無くして、グラスに注がれたカクテルが提供される。
「まぁ~~♪♪ 素敵ですわぁ♪」
透き通ったピンク色の液体の中には、星を降らせたような泡が踊り、店内照明を反射してキラキラと輝いている。
「今日はキミとの出会いに感謝して、全て僕が奢らせてもらうよ。さぁ、乾杯。」
「かんぱ~い♪ ウフフ。」
グラスを合わせると女性はカクテルをクイッと飲み干す。
「ん~~♪♪ 美味しいですわぁ♪」
「だろ? 好きなだけ飲んでくれ。」
そう言って、レゴルは内心で邪悪な笑みを浮かべる。
先程のカクテルは見た目の可愛らしさとは裏腹に、酒の強さを甘さで誤魔化した特製"悪酔い"カクテルだ。
甘さが後を引かない為、つい"次の一杯"を注文してしまうが……
ブレーキのかけ所を見失わせるこのカクテルを飲みすぎれば、晴れて"お持ち帰り"だ。
レゴルは隣で楽しげにグラスを傾ける女性のボディラインを盗み見つつ、心の中で舌なめずりするのであった。
***
「ところで~、レゴルさぁん?」
バーに入って小一時間程経っただろうか。
女性はすっかり出来上がっていた。
あと少しで酔い潰れる事だろう。
「なんだい? "エリ"ちゃん。」
彼女は"エリ"と名乗った。
本名かは分からないが……なぁに、ベッドに入れば関係の無い話だ。
エリと名乗った彼女は、少し不機嫌な表情でレゴルに問う。
「今日のお昼にぃ~、診療所からアナタが出てくるのを見たんですの~。中に居た女医さんに親しげに手を振りながら~。あの方って~……"本命さん"ですの~??」
その言葉に、レゴルは焦る。
あの場面を見られていたとはツイてない。
エリの表情は『わたくしは遊びですの?』とレゴルに問うていた。
「……。」
レゴルにしてみれば、正直どちらも"遊び"だ。
だが――ここでエリを怒らせて、帰られでもしたら泣くに泣けない。
あとほんの少しで、その身体を戴けるというのに――!!
「そ、それは……」
レゴルは店内を見回す。
念には念を入れ、この街の人間が居ない事を確認する為だ。
店内には自分たちが入店した時から長居している壮年の細身の男二人と――
自分たちの後に入店してきた女二人男一人の、冒険者らしきパーティが一組だ。
女二人といっても、体格的には二人ともまるっきり"男"だ。
この世界では筋肉質な女冒険者は珍しくなく、"オーガ女"などというスラングもあるくらいだ。
だが女なのは間違い無いだろう。
その体格には勿体ないと思う程の美しい金髪と水色のロングヘア―だ。
それに引き換え、男は茶髪のチビだ。
恐らく女二人が前衛職で、男がサポートなのだろう。
まるっきり男女逆転のパーティだ。
レゴルは店内に、この街の人間が居ない事を確認すると――笑顔でエリに向き直った。
「い、いやいや! 無いって!! ナイナイ!! あの女医さんは"遊び"!! 俺、エリちゃんみたいな子がマジでタイプだから!!」
そうキッパリと答えた。
そうだ。
多少強引でも、この場さえ乗り切れれば後はこっちのものなのだ。
だがその返答を聞いたエリは――
「へー……そうなんですのねー。」
既に――"演技"を止めていた。
(……?)
目元がまるで笑っていないエリの様子をレゴルが疑問に思ったその時――
「あらぁ~~!! お兄さん、随分モテるのね~~♪♪」
「私たちもお相手頂きたいわぁ~~!!」
背後から掛かった妙に野太い声に振り向いたレゴルは――
「いっ……!?!?」
硬直した。
そこに立っていたのは、紛れもなくこの街の"憲兵長"――
怒りでその形相を修羅へと変貌させた――トーブとウェノーであった。
「お兄さん~~♪ ちょっと……面貸せやコラ。」




