第七話 眠くなるまで傍にいて
――イナガウ・アッシュを発って三日。
俺たちの魔族領王都を目指した旅はすこぶる順調だ。
なんせ――たった三日でもう既に人間領の最西端まで至ってしまったのだ。
今はこの"ソキア"という小さな街で宿を取っている。
これ程までに早く人間領を踏破出来たのも、シュレムの用意した"最高級馬車"のお陰だ。
俺も初めて耳にしたのだが、コイツには"呪装"とやらが使われているらしい。
"呪装"――。
魔族の扱う"呪術"を道具に込め、その特性を付与したもの――。
要するに"魔道具"の呪術版なのだが……これが物や人を運ぶのに大変都合が良いとか。
荷の重量を軽減したり、摩擦や振動を低減したり……。
軽く物理学に喧嘩売ってるレベルの便利特性が付与されている。
もっとも、魔族領の馬車でもそんな仕様になってるのは一部の高級品だけらしいけどな。
そのお陰で本当に風のように人間領を駆け抜けることが出来た。
途中で何度か荷馬車を追い越したが……追い越された荷馬車の御者は、みな一様に目を丸くしていたっけ。
まぁなんにせよ目的地までの移動時間が短縮出来るなら助かる。
速さは大事だ。
「ん……? コロネ……?」
宿のロビーでくつろいでいた俺の目に、だいぶ前に布団に入ったはずのコロネがパジャマ姿で階段を降りてくるのが映った。
「どーした、コロネ? 眠れないのか?」
コロネは少し恥ずかしそうに、俺を上目遣いに見た。
「れてぃねぇ、ねむくなるまでご本よんでほしいの。」
お気に入りのウサギ(らしき生き物)のぬいぐるみをぎゅっと抱いて、俺にお願いするコロネ。
……かわいい。
「ん、わかった。何がいいかな。」
コロネは時々こうして俺に絵本の読み聞かせをお願いしてくる。
俺の"力"を使って元の世界の絵本を出してやるのがいつものパターンだ。
あちらの世界の文字で書かれていても、読み聞かせなら別段問題は無い。
"桃太郎"でも"かぐや姫"でも、コロネは絵を見ながら楽しそうに聞いてくれていた。
が……そのストックもあまり無くなってきた。
「お……。」
ちょうどロビーの本棚にこちらの世界の絵本が置かれているのに気付いた俺は、そのうちの一冊を手に取る。
(たまにはこっちの世界の絵本もいいかな。)
最初は読めなかったこの世界の文字も、シャルに教わったりして少しはわかるようになってきた。
絵本程度なら俺でも読める。
「これでいいか?」
俺が絵本の表紙を見せて問うと、コロネはこくんと頷く。
俺はコロネを伴って部屋へと向かった。
***
「えーと……『ふたりの商人さん』、か。」
ベッドに入ったコロネの横に寝転ぶと、俺は絵本のページを捲り、読み始める。
絵本の内容は少々変わっていた。
あるところに人間の商人と、魔族の商人がいた。
荷運びを生業としていた二人の商人は、それぞれの方法で荷物を運んでいた。
人間の商人は馬の引く力を強める"魔法"を使って――。
魔族の商人は荷物を軽くする"呪術"を使って――。
が、あるとき――いつもより沢山の荷物を運ばなければならなくなった。
魔族の商人は呪術を最大に使って、なんとか荷を運ぶことが出来た。
人間の商人が同じように魔法を最大に使うと――運んだ荷は、箱の中でバラバラに壊れてしまった。
絵本の最後には『力任せに物事を解決しようとしてはいけない』みたいな事が書かれていたが……
(う~ん……。)
正直、俺にはイマイチ納得いかない話だった。
大抵の絵本ってのは、勇敢な者や正直者が報われるとか――
あるいは自分勝手な者や嘘つきが懲らしめられたり、ひどい目に遭うとか――
そういう因果応報的な教訓が多いのだが……この本の"人間の商人"に、そういった面があるとは書かれていないのだ。
「れてぃねぇ……ころね、このおはなし、なんだかモヤモヤするの……。」
納得いかない気持ちなのはコロネも一緒らしい。
布団を被ったまま、助けを求めるように俺を見る。
うーむ。口直し的に別な絵本を読んでやるのもいいけど……
……あ、じゃあこうしよう。
「じゃあコロネは、この絵本がどうなったら良かったと思う?」
「ふぇ……?」
俺の質問に、コロネが布団の中で首を傾げる。
「この『ふたりの商人さん』が、どんな風に終わったら納得できる話になると思う? それをこの旅が終わるまでの宿題にしよう!」
そう提案すると、コロネは目をキラキラさせて頷いた。
「わかったの! おうちにかえるまでに、れてぃねぇにはっぴょうするの!」
「うん。そん時はアイリスやシャル達にも聞いてもらおうな!」
そう言って、俺はコロネの頭を撫でる。
「さ、考えるのは明日にして、今日はもう寝ような。」
「わかったの。れてぃねぇ、おやすみなさいなの……。」
「あぁ、おやすみ。」
目を閉じたコロネに背を向け、俺は部屋を後にした。
***
――翌日。
俺たちはいよいよ魔族領へと足を踏み入れようとしていた。
陸路で魔族領と人間領を行き来する方法は、現在ひとつだけ――。
領地の堺に流れる、川幅一キロにもなる大きな川に掛かる橋のみだ。
「おじさん、ばいばーい!」
「くだもの、ありがとーなのー!」
その橋の袂で、妹たちが同じく魔族領に向かう予定だったおじさんに別れを告げる。
ソキアの街で農家を営んでいるらしく、みかん(に似た果物)を紙袋いっぱいに譲ってくれた。
「魔族さん方はまだまだ人間と距離を取っておられるが、中には受け入れてくれる方もおるでなぁ。こうやって少しずつでも歩み寄らんといかんよ。」
そんな考えで、魔族領まで野菜や果物を売りに行っているらしい。
こういう人もいるんだなぁ……と、なんかちょっと嬉しくなった。
橋幅は十分に広いが、俺たちの馬車が大きい事もあって先に行くよう勧めてくれた。
ホントに……優しいおじさんだ。
そうして、俺たちの馬車がちょうど橋の中程に差し掛かった頃――
――事は起こった。
「れっ! れれ、レティーナさまぁああっ!!!?」
車内に居た俺に、御者であるシュレムの悲鳴にも似た声が届いた。
「な、何!? どした!?」
御者席へと顔を出した俺の視界に飛び込んできたのは、前方を見て硬直するシュレムの後ろ姿と――
「……!?」
川面から生える――巨大な二本の"水の腕"であった。




