第五話 アナタがいなくちゃダメなんです
「あ、あのっ……! さっ、さっきはすみませんでしたっ……!」
冬の日の朝――。
イナガウ・アッシュの街をフラフラと一人で歩いていた幼女は、今は俺の部屋でホットココアを飲んでいる。
マグカップを小さな両手で包むように抱えながら、頭を下げる幼女は――
「そのっ……! "ボク"、レティーナさまにお逢い出来たのが嬉しくて、つい……!」
――"ボクっ娘"だった。
黒髪ツインテボクっ娘幼女。
うん、素晴らしいね!
「あー、うん。抱き着いてきた件は全然構わない。気にしないでくれ。」
むしろ朝からご馳走様いつでもどんどんウェルカムだ。
……ではなくて。
「まずはその……名前、教えてもらってもいいかな?」
ハッ! とする幼女。
どうやら名乗っていなかったことに、俺に言われて初めて気が付いたようだ。
幼女はマグカップを慌てた様子で机に置き、座っていたソファから立ち上がって深々と頭を下げながら名乗った。
「す、すみませんっ! ボク、シュレムって言いますっ! 悪魔種【リリス】の魔族ですっ! レティーナさまにお会いしたくて、魔族領から来ましたっ!」
シュレムの自己紹介を聞き、俺は納得する。
(あぁ。やっぱ魔族だよな……。)
俺の事を『レティーナさま』って呼んでた事から凡そ察してはいたが……。
戦争が終結して数年が経過しているとはいえ、人間と魔族の確執は未だに深い。
俺らは訳あって人間領で生活してはいるが……俺ら以外の魔族は基本、魔族領で生活している筈だ。
にも関わらず、俺に会いに来た、と――?
「シュレム。わざわざ会いに来てくれたってことは、なんか理由があるんだよね?」
可愛い幼女が訪ねてくるのは大歓迎だが、面倒な事情があるなら早めに知っておきたい。
シュレムはソファに座り直すと「えっと……突然なんですけど……」と前置きして、告げた。
「ボクと一緒に……魔族領の王都まで来てほしいんですっ!」
熱の籠った視線で訴えるシュレムに、俺は一瞬たじろぐ。
お、おぅ……。なんかすげー必死さを感じる……。
かわいいけど。
「魔族領の王都……? なんで?」
まさかデートのお誘いって訳でもあるまい。
俺が理由を尋ねると、シュレムは一呼吸置いてから話し始めた。
「魔族領王都では今……"次期魔王の選定選挙"が行われているんですっ!」
――シュレムの話を要約するとこうだ。
先代魔王――つまり俺の父ちゃんが死んで数年。
戦争が終結してからの国政については、それまでの官僚がなんとか回していたらしいのだが――
ここにきて今後の魔族の在り方――
人間側との外交を行う上での、魔族としての意思統一が必要になってきたのだそうだ。
官僚に政治は出来ても、意思の統一には別の資質――要は"カリスマ的な指導者"が必要なのだ。
そこで、"代表者"――つまり"次期魔王"を選出しようというのが、今回の"選定選挙"の始まりとのことだ。
……うん。まぁ話はわかった。
が、俺の感想はぶっちゃけ『ほーん。割とどーでもいいなー。』だ。
魔族の意思統一?
おーけーおーけー。
どーぞお好きになさって下さい。
先代魔王の娘っつっても別に俺に権利は無いし。
人間領で幼女たちと平穏に暮らしてる俺は、魔族の政治的なニュースに興味も無い。
「なぁシュレム。わざわざ来てくれたのは嬉しいんだけどさ。これって俺に関係のある話なのかな?」
遠路はるばる訪ねてきたシュレムには申し訳ないが、俺はこの件に首を突っ込むつもりは微塵も無い。
つかぶっちゃけ無関係じゃない?
「それが無関係じゃないんですっ!」
俺の問いを、シュレムは力強く否定する。
「確かに先日までは、レティーナさまをお呼びするなんて話はありませんでした。でも……ある一件をきっかけに、事情が変わってしまったのですっ!」
「……? "ある一件"?」
俺が首を傾げると、シュレムは真剣な目で語った。
「……先日、魔族領にて、"魔族復権推進派"を名乗る団体が摘発されました。」
聞き覚えのあるその名に、俺は思わず眉を寄せる。
――"魔族復権推進派"。
戦争に敗れ、敗戦種族となった魔族の、復権を目的としたテロリストども。
その連中に襲撃を受けたのは、未だ記憶に新しい。
「当事者であるレティーナさまはご存知だとは思いますが……首謀者のテノンは現在、率いていた精鋭部隊と共にこの国で投獄されています。」
……あぁ。知ってるさ。
元・勇者と俺で返り討ちにしたからな。
「そして残った構成員も、魔族領で摘発……。実質、組織は壊滅しました。」
ふむ。
そりゃ良かった。
「このニュースはあっという間に魔族領全土に伝わりました。曰く……『魔王の娘が、テロリストの精鋭を返り討ちにし、組織を壊滅に追い込んだ』と。」
ちょっ!?
「ま、待て!? なにその誤解生む気満々の誇大宣伝!? 」
確かに首謀者のテノンを倒したのは俺だけど……これじゃ俺が一人で組織壊滅させた出鱈目級のバケモンみてぇじゃねーか!?
狼狽える俺に、シュレムは申し訳無さそうな表情で告げる。
「え、えと……大衆の好むように誇張して発表するのは広報の常でして……。勿論、レティーナさま一人でやったわけじゃないのはわかってるんですけど……。」
くそぅ。どこの世界もマスコミってのは同じか……。
「ですがっ! このニュースが広まっちゃった事で、魔族の間では"亡き魔王様の再来だ!"との声が広まっているのも事実なのです。『そんな方を蔑ろにして、魔王選定選挙を進めていいのか?』『この方にこそ魔王の座に着き、魔族の命運を背負って頂くべきでは?』との声も大きくなってきているのです。」
いやいやいやいやいや!
冷静に! 常識的によく考えろよ大衆!?
こちとらかわいいかわいい幼女だぞ!?
なにちっちゃな背中に大きな荷物背負わそうとしてくれてんの!?
魔族の命運なんぞ背負えませんけど!?
ランドセルが精一杯ですけどー!?
「いやいやムリムリ! 無理だって! 断る!」
俺は全力で首を横に振って断る。
そうだ。魔王なんぞ出来るわけない。
よしんば出来たとしても、俺は今の幼女たちとの生活を捨てる気なんぞさらさら無い。
故に断る以外の選択肢なんてありえない。
俺の返答を聞き、だがシュレムはそれでも引き下がらなかった。
「出馬されないのならそれでもいいんです。ただ……レティーナさまご本人の意思を、選定選挙の前に公表して頂きたいのです。魔族全体が曖昧な気持ちのままでは、選定選挙に支障がありますので……。」
そうは言ってもなぁ……。
「……魔族領まで往復っつーとかなり時間も掛かるんだろ?」
その間幼女たちと会えなくなるわけだけど……
あぁ! ダメだ! 耐えられる訳が無い!
会いたくて会いたくて震えてしまうに決まっている!
「え、えっと。魔族領の最高級の馬車をご用意してますので、スムーズに行けば片道一週間くらいかと思います。」
あ、思ったよりは掛からないな。
でもなー。
特に魔族領を観光したいわけでも用事があるわけでもないのに……
……。
……。
………あ!
「あのさっ! シュレム!」
「は、はいっ!」
急に身を乗り出した俺にシュレムが驚くのを他所に、俺は問い掛けた。
「その馬車ってさ……何人乗れる?」




