第十六話 ゆびきりしましょ
――朝。
司祭 バチェラーが教会に赴くと、受付嬢が挨拶と共に告げた。
「今日も告解の信者さんがいらしてます。」
……またか。
全く、昨日の酒もまだ抜けてないというのに朝から告解とは。
まぁいい。これも仕事だ。適当に話を聞き流しておこう。
バチェラーは懺悔室に入り、カーテンを閉める。
「あー、迷える子羊よ。神に代わり貴方の罪を聞きましょう。」
バチェラーが二日酔いの気だるさを隠してそう問いかける。
すると、薄暗い小窓の向こう側から声が返ってくる。
しかしその声を聞いた瞬間、バチェラーは二日酔いも忘れるほどに青ざめることとなる。
『ハハハ。本職の他に、少しばかり都合の良い金蔓を持ってるだけですよ。』
「なッ!?」
懺悔室の向こうから返ってきたのは、紛れもなくバチェラー自身の声。
しかも、昨夜身分を隠して飲んでいた際の声ではないか!
「な、何者だ貴様ッ!?」
動揺するバチェラーは、懺悔室の向こう側に問う。
『本人は隠せとるつもりなんでね。その小娘の前で時々言ってやるんですわ。"魔族は我ら人間を数多殺した罪深き種族、その罪は生涯を通じて償わねばなりません"っと。そうすると、その小娘、必死になって働きよるんですわ。もちろん、稼ぎは丸々儂の懐へ、っとこんな感じです。』
バチェラーは狼狽える。
マズい! マズいマズいマズい!!!
昨夜の自身の声が何故ここで聞こえるのかは分からない。
が、少なくとも自分の話していた内容を知っている者がいる!
バチェラーは足を縺れさせながら懺悔室を転がるように出て、信者側の小部屋を確認しようとした。
そこで――目が合った。
懺悔室の外。
そこで自分を見つめる魔族の少女――シャルピー=ロックウェルと。
***
「シャ、シャル……!?」
「……司祭さま。」
バチェラーは混乱する頭でなんとか言い訳を考える。
「こ、これは本心ではない! そう! お前をより救いの道へと進める為の試練、試練なのだ!」
「シャル。まぁ言うまでも無いが……ソイツ、嘘ついてっからな?」
懺悔室の中から掛けられた声に目線をやる。
黒髪の若い女性と、銀髪の幼い少女が小部屋から出てバチェラーを見下ろす。
声は昨日、懺悔室を訪れたものと同じ。
つまりシャルの友人を名乗った者だ。
「"ICレコーダー"……もうちょい音質イイやつにしとけばよかったかな?」
「十分ですわよ。そんな小さなモノで音声を記録出来るなんて驚きですわ。」
バチェラーには何を言っているか分からないが、
少女は銀色の棒状のモノを右手でくるくると弄んでいた。
「で? シャル。あとはお前次第だ。どうする?」
銀髪の少女が問う。
言外に、「報復するなら手を貸すぞ?」と匂わせつつ。
シャルは、その無垢な瞳でバチェラーを見据える。
コツ……コツ……。
教会の石造りの床を、シャルの足音が、司祭に向かって近づく。
懺悔室を転がり出て、床に尻餅をついた状態のバチェラーは、怯えながらもその視線を避けられずにいた。
「ち、違うんだ! シャル! ま、待ってくれ!」
必死に懇願するバチェラーに、しかしシャルは何も告げずに更に近づく。
コツ。
シャルがバチェラーの前に立つ。
そして、目線をバチェラーに合わせるように屈むと、すぅっと小さく息を吸ってから、口を開いた。
「……司祭さま、……あなたを、赦します。」
「…………へ?」
バチェラーは思わぬ言葉に耳を疑う。
シャルは続ける。
「……司祭さまから与えられた仕事は、……大変だったけど、……仕事をしてる間は、……少しだけ、……気持ちが楽だったんです。」
シャルは過去の自分を見つめるように目を伏せる。
「……わたしは、……仕事をすることで、……逃げてました。……悲しい過去からも、……不安な未来からも。」
でも、とシャルはしっかりと告げた。
「……わたしは、……もう逃げません。……これからは、……自分の道を、……自分で決めて歩きます。」
そう言って最後にぺこりと頭を下げ、
「……今まで、……お世話になりました。……どうかお元気で。」
そう告げると、シャルはくるりと背を向け、教会を後にした。
残されたバチェラーは、半ば呆然としていた。
***
(……が、ここで釘を刺すのは俺の役目なんだろうな。)
「ねー、司祭さん。」
「ふぉっ!?」
唐突に声を掛けられた司祭は驚いて俺を見る。
俺はとびきり可愛い声を作って続ける。
「これからはもう、自分の拾った子に強制労働じみた真似、しないよねー?」
「し、しない! あぁ、しないとも!」
司祭は必死に首を縦に振る。
「じゃあ指切りね!」
俺はニコっと笑い、司祭の右手をとり、司祭の小指と自分の小指を絡める。
まぁこの世界に"指切り"があるのかは知らんが。
「ゆーびきーりげんまん、うそついたら針千本のーます! ……物理的に!」
「ぶっ!?」
司祭が噴出したのは俺の言葉に、ではない。
小指を離した後、俺の右手から零れ落ちた 無 数 の " 裁 縫 針 " に だ。
石畳の上にバラバラと音を立てて針が落ちる。
「次 は 無 ぇ 。マ ジ で 飲 ま す ぞ 。」
「ひ、ヒィィィ!!」
司祭は蒼白の表情で首肯した。
***
「よかったのか?」
教会を出てシャルに追いついた俺は、横に並んで歩いた。
シャルは頷く。
「……いいの。」
シャルはいつもの大人しい口調で、しかししっかりと答えた。
これまでシャルが稼いだ金も、不当に課された労働も、奪われた時間も……。
シャルは何一つ、返せとは言わなかった。
結果としては泣き寝入りとさして変わらないのかも知れない。
司祭は裁かれず、シャルは救われない。
それでも、俺の隣を歩くシャルの顔は、昨日までよりも明るく見えた。
「ん。シャルがいいなら、いい。」
「……うん。」
俺たちはしばらく並んで歩いた。
ふと、シャルが立ち止まる。
俺はシャルが目線を向けた建物を見る。
そこはこの街の中央図書館だった。
「本、好きなのか?」
「……うん。……お仕事の休憩時間に、……よく読んでた。」
俺はふと思い付き、シャルに一冊の本を渡す。
「これ、読むか?」
「……これ、本?」
それは俺が荷馬車の中で暇つぶしに出した"ライトノベル"だ。
「……すごくきれいな紙。……それにすごくきれいな絵。」
シャルは本を見て驚いている。
そしてぺらりと表紙を捲ったところで難しい顔をする。
そこで俺は気づく。
「あ! そっか! この文字読めないよな?」
しまった。
いくら本が好きでも異世界の文字じゃ読めないよな。
俺が本を返してもらおうとシャルに手を出す。
しかしシャルはふるふると首を振った。
そしてギュッと両手で本を抱いて、
「……ううん。……読んでみたい。……時間はかかるかもだけど、……最後までちゃんと読むから。」
少し顔を赤らめて、俯きながら告げた。
そんなシャルに、俺は笑顔で答えた。
「そっか。……じゃあ貸しとく。」
「……うん。……借りとく。」
そんなやり取りをしながら、俺たちはまたしばらく無言で街を歩いた。




