第十五話 夜のお店でナイショの話
――夜更け。
教会にほど近い民家の裏口。
その扉を慎重に開け、一人の男が家を出た。
男の名はバチェラー。
この街の教会で司祭を務めている初老の男だ。
バチェラーは辺りに人の目が無いことを十分に確認して歩き出す。
つまるところ、"他人に知られたくない用事"だった。
もっとも深夜の裏通りともなれば、人の往来などほぼ無い。
にもかかわらず、バチェラーはローブを目深に被り、その素性を一切漏らさぬよう細心の注意を払っていることを伺わせた。
バチェラーの足はそのまま街の中心地へと向かう。
表通りから少し外れたそこは、俗に歓楽街と呼ばれる場所だ。
夜だというのに……いやむしろこれからが稼ぎ時だと言わんばかりに、
店の周りには客引きが立ち、煌々と光を漏らす建物は誘蛾灯の如く道行く人々を誘っていた。
バチェラーはそのうちの一つの建物に入る。
馴染みの店なのであろう、その足取りに迷いは無い。
その店は現代日本で言うところの"キャバクラ"に近いものであった。
露出の多い衣装を纏った女性スタッフに接待されながら酒を楽しむ店。
ただひとつ異なる点としては、客は全員"マスケラ"と呼ばれる"仮面"を被って接待を受けているという点だ。
貴族、王族、政治家……。
"表の顔"を知られたく無い者が、素性を隠して接待を受けられる。
それがこの店の提供するサービスであった。
バチェラーは他の客と同じく、仮面を被って店に入ると席に着く。
すぐに馴染みの女性スタッフが対応に当たり、バチェラーは気分良くグラスを傾けた。
***
店に入って小一時間ほど経った頃――。
バチェラーの座る席に、でっぷりと腹の出た小男が現れた。
小男はフード付きのコートで身体をすっぽりと覆っており、その表情を伺うことは出来なかった。
だがフードの隙間から覗く顔立ちは、間違いなく男のそれだった。
「隣、よろしいですかな?」
野太い声で問う小男に、
「えぇ、どうぞ。」
と、バチェラーは事も無げに了承した。
たまにあることだ。
素性を隠している客同士の絡み。
もっとも、金の匂いに釣られて擦り寄って来る下らん勧誘なんかも少なくないが。
なぁに。おべっかを並べてくるようなら自慢話のひとつもくれてやればいい。
反対に、鬱陶しいと感じたなら店のスタッフに摘み出してもらえばいい。
「ずいぶん景気がよろしいようですな。いやはや羨ましい。」
小男が言う。
ほらきた。わかりやすいゴマすりだ。
「ハハハ。本職の他に、少しばかり都合の良い金蔓を持ってるだけですよ。」
バチェラーは答える。
「ほほう。都合の良い金蔓ですか。羨ましい限りですな。一体どんな?」
「小娘を一人拾って面倒見てやっとるんですが……コイツが魔族でしてな。」
「なんと! しかし魔族とは……危険は無いんですかな?」
「いやいや、まだ幼い小娘なんでね。危険なんてありませんよ。」
酒が入り、口も軽くなっていたのだろう。
また、小男の驚きぶりに気分が良くなったのもあった。
バチェラーは続けた。
「本人は隠せとるつもりなんでね。その小娘の前で時々言ってやるんですわ。"魔族は我ら人間を数多殺した罪深き種族、その罪は生涯を通じて償わねばなりません"っと。そうすると、その小娘、必死になって働きよるんですわ。もちろん、稼ぎは丸々儂の懐へ、っとこんな感じです。」
「なんと聡明な! 素晴らしいですな!」
小男はなおもヨイショする。
「ところでその魔族の娘……容姿は如何なもので?」
「ん? あぁ、もう何年かしたら美人になるかもしれませんな。」
「それはいい!」
小男はそう言うと、懐から一枚の紙切れを取り出す。
「こちら、私のやってる店でして。その娘をこちらで働かせてみては如何ですかな?」
やはり勧誘だったか、と思いながら、バチェラーは小男から渡された紙切れを見る。
それは明らかに如何わしい、性的サービスをする店のチラシであった。
「週に二、三日程お借りできれば結構です。もちろん、十分な"礼"は用意しますよ?」
バチェラーは考える。
悪くない話だ。
あの小娘なら、自分の言いつけを断ることは無いだろう。
その身を以って罪を償うことこそ、赦しへの道である…とか適当言っとけばいい。
そもそも、いくら眠らず働くといっても、身体は少女だ。
肉体労働としての稼ぎはそれほどではないのだ。
しかし"性的な方面"での仕事なら…逆に"幼い少女"であることが商品価値になる。
「よろしい。後日その娘を連れて伺いましょう。」
「おぉ! ありがとうございます! ではまた後日!」
そう言って小男は店を出て行った。
店に残ったバチェラーは、これで自身の収入が更に増すだろうと、司祭らしからぬ邪悪な笑みを浮かべるのだった。
***
でっぷりと腹の出た小男は、店を出た後、ふらふらとした足取りで歓楽街の喧騒を離れた。
そのまま街の中心、今は人のいない広場の噴水の脇に腰を下ろしたところでフードをがばっと捲り、
「あっついですわー!」
と言っておもむろに自分の 顔 を 剥 が し た 。
剥がした顔の下に表れたのは、美しい黒髪の女性。
悪魔種 【サキュバス】であり、魔王の娘の侍女を務める女性――エリノアであった。
「もう! あの司祭、話が長すぎですわ!!」
手のひらを団扇のようにして汗ばんだ顔をぱたぱたと扇ぐ。
すると今度はエリノアの着ている黒いコートの"腹"から、
「まぁでも上手くいったな。」
と野太い声がする。
「……その声、やめて頂けません?」
エリノアが言いながらコートを捲り上げると、エリノアの腹に"おんぶ紐"で固定された少女が顔を出した。
銀色の髪に、翡翠のような深い碧色の瞳。
悪魔種 【アークデーモン】であり、先代魔王の長女、レティーナ=ランドルト。
すなわち――俺である。
***
「しかし貴方の世界ってどうなってますの?」
先ほどまで被っていたものを、エリノアが両手でぐにーっと引っ張って言う。
エリノアの手にしたそれは【既視の魔眼】で出した"ラバーマスク"。
アゴの長い"某プロレスラー"を模したそのマスクは、余興とかで使われるパーティーグッズだ。
「フードと仮面でほぼ顔は隠れてたからあんま意味なかったかもだけどなー。」
また野太い声で言うと、エリノアが本気で嫌そうな顔をするので、俺は手に持ったオモチャの"ボイスチェンジャー"をぽいっと放る。
さて。
ここらでネタばらししとこうか。
俺らは今夜、街の歓楽街を巡っていた。
あのクソ司祭……バチェラーが、シャルに稼がせた金を自分の為に使っているのは明白。
しかし表向きは街の信者から信頼される司祭。
ならいつ、どこで自分の為に金を使う?
当然、人から見られない時間、場所で使うだろう。
そう思って夜の歓楽街を一軒一軒虱潰しに入って回った。
司祭が変装しているのも想定内だ。
というかどんな変装だろうと、エリノアの"魂を見る眼"ならお見通しだ。
数件回ったところで司祭を発見した俺は、エリノアの腹に抱きかかえられる形でコートを被った。
"ラバーマスク"で顔を隠し、"ボイスチェンジャー"で声を変えれば、腹の出た小男の出来上がりだ。
後は二人場織の要領で司祭の相手をすればいい。
……エリノアにはきつかったみたいだけどな。
「まぁこれであの司祭がロクデナシなのは確定したわけだ。」
「そうですわね。……あ! でもシャルさんに直接聞かせないと意味なかったんじゃ…!?」
まさか無駄骨ですの!? と焦るエリノア。
そんなエリノアに、俺は答える。
「大丈夫だ。ちゃんと聞かせるから。」




