第三十五話 僕に出来るプレゼント
「それじゃ、妾は自室に戻るのじゃ。」
「あぁ。……"もうひとつの悩み"は大丈夫そうか?」
宿に戻り、部屋の前で別れを告げるグリムに、俺は問い掛ける。
グリムの"もうひとつの悩み"……。
ブランカ会長との会話からその凡そを察している俺は、その悩みが近く解決するであろうことを知っている。
だが訳あって、その事を俺の口からグリムに伝える事は出来ない。
……正直もどかしい気分だけどな。
「うむ。もうひとつは妾自身の問題じゃからな。自分で解決してみせるのじゃ。」
そう言って微笑むグリムは、いつもよりちょっとだけ大人っぽく見えた。
うん。
これなら大丈夫そうだな。
「わかった。それじゃ、おやすみ。」
「うむ。おやすみなのじゃ!」
そうして俺は自室へと戻り、ベッドに入った。
***
(あ、まただ……。)
深夜――。
ベッドで眠っていた俺は、布団に入り込もうとする小さな気配に気付き、目を覚ました。
「……やっぱりグリムか。」
目を開けて布団を捲ると、そこにはグリムが居た。
「れてぃーな……。」
不安そうに俺を見つめる顔は、やはり酒を飲んだように朱を帯びている。
たぶん、ロロやミリィと同じだ。
酔ってないのに酔ってるような状態になる、謎の現象。
だが微少な可能性として、夜中に例の"もうひとつの悩み"が膨れ上がって不安になってしまったって事もあるかもしれない。
「どした? 眠れなかったか?」
俺はグリムに優しく問う。
「…………じゃろうか?」
「ん?」
小声過ぎて聞き取れなかったグリムの言葉を、よく聞こうと耳を近づけた俺に……
「妾は……可愛くないのじゃろうか?」
グリムはそう、囁くように問い掛けた。
「え? いやいや! そんな事ないぞ!? 可愛いって!」
何故グリムがそんな事を問うのかは分からないが……
だが不安な表情で問うグリムに、俺は全力でフォローする。
「しかし……妾はいつもレティーナに無愛想にしてしまう……。シャルやロロやミリィのように、素直になれぬのじゃ……。」
涙目になるグリムに、俺が逆に慌てる。
あーもー!
「ほら! 大丈夫だ!」
そう言いながら、俺はグリムをぎゅっと抱く。
胸に抱かれたグリムは、しばらくすんすんと鼻を啜っていたが……
「あったかい……のじゃ……。」
しばらくすると、安心したのか落ち着いてくれた。
ほっ。
とりあえず大丈夫そうだ。
「のう。レティーナ……。」
俺が心の中で胸を撫で下ろしていると、グリムが口を開く。
「今夜は……このまま一緒にいてもよいか?」
潤んだ瞳でそう問うグリムを、もはや俺は拒絶出来なかった。
そうして俺たちは、同じベッドの中で……
***
(全く……どーなってんだろうな……。)
翌朝――
目を覚ました俺は、隣で眠るグリムの可愛い寝顔を眺めながら心の中で呟く。
ロロとミリィはまだ理解出来ないことも無いんだが……
"こーゆー事"に一番抵抗を持ってそうなグリムまでもがこの有様だ。
何者かの陰謀……とも考え辛い。
ハニートラップにしても、俺に全く"損"が無いのだ。
……つーか"得"しかしてないぞ。マジで。
(まぁ害が無いならほっといてもいいんだろうけど……なんか引っ掛かるんだよなぁ……。)
原因が分かれば安心できるんだけどなぁ。
と、そんな事をベッドの中で考えていた俺の耳に――
「レティーナさまぁっ!!」
廊下からシュレムの声が響いた。
……うん。
これももはやパターンだな。
「お、おぉ。どした?」
ドアを開けると、相変わらずの焦り顔を浮かべたシュレムが居た。
また馬車に何かあったのだろうか?
……ってあれ?
馬車はまだ修理から戻ってないよな……?
「それがっ……! 今回は馬車じゃなくてっ……!!」
「?」
焦るシュレムに伴われて、俺は部屋を出た。
***
「うわーお……。」
宿の外へと連れ出された俺は、宿入り口側の壁を見て呆れ混じりの驚きの声を上げる。
そこには赤い塗料で大きな"落書き"がされていた。
曰く――
『魔王の娘よ 今すぐ引き返せ』
と。
「こりゃまた……熱烈な嫌がらせだな……。」
昨日まで無かった事を考えれば、夜の間に書いたのだろう。
暗い中がんばったんだろーなぁ。
その苦労を思えば、ショックよりも同情してしまう。
「さて、どうすっかな……。」
「そうですよね……。ここまでされたら、もう王都に向かうのは諦めるしか……」
「ん? あぁ、その話じゃないぞ?」
シュレムが「えっ?」と驚いている間に、俺は右手を握る。
「よっ、と。」
そうして俺の手元に現れたのは……"高圧洗浄機"だ。
――ブシュァアアアアアアアアア……!!
「こんなん残しといたら、宿に迷惑掛かっちまうからな。」
俺がトリガーを握ると、ノズルの先端から猛烈な勢いで洗浄剤が噴射される。
壁にベッタリと貼り付いていた塗料も、現代科学の力の前にはなすすべなく屈していく。
低騒音を謳っている商品だけあって、音は控えめだ。
この時間に使っても周囲に迷惑は掛からないだろう。
「ん。こんなモンか。」
落書きもすっかり消え、なんなら元々壁に付いていた汚れも綺麗にしてしまった。
「こいつは必要なかったな。」
念のため一緒に出した"伸長用ノズル"を俺は仕舞う。
落書きが低い位置に書かれていた為、元々の長さで事足りたのだ。
「さて、そろそろ皆も起きる頃だ。朝ご飯食べよーぜ?」
「えっ!? で、でもっ……!」
まだ何か言いたげなシュレムに、俺は微笑んで告げる。
「安心しろ。何かあったら……俺が守ってやっからさ。」
***
「「「「いただきまーす。」」」」
起きてきた幼女たちと共に食べる朝食――。
その途中で、隣に座るグリムが俺にこそこそと耳打ちする。
「の、のう。レティーナ。妾は、その……昨晩お散歩の後、きちんと部屋に戻ったかの……?」
少し顔を染めて問うグリム。
あぁ。
起きたのが俺の部屋だもんな。
「あぁ。でもその後……グリムが自分から俺の部屋に来たんだぞ?」
おそらくロロたちと同じで記憶にないのだろう。
俺が小声でそう伝えると、グリムは顔を真っ赤にした。
「う、嘘じゃ……! 妾がそんな事をするはずなかろう……!!」
そう言われてもなぁ……。
「嘘じゃないって。なんならグリムがその時なんて言ったか、教えてやろうか?」
俺がそう返すと、グリムは更に顔を染めた。
何を言ったかは覚えてなくとも、何か言ってしまった事は察したのだろう。
「忘れろっ! 今すぐ忘れるのじゃぁっ!!」
羞恥に顔を染めながら、俺をポカポカと叩くグリム。
ちょ! やめっ!!
コーヒー零れっから!
「あぁもう! ゴメンって! お詫びに……グリムにはちょっとしたプレゼント用意してっから。」
「……プレゼント?」
まだ顔の赤いグリムは、俺の言葉にポカポカを止める。
「ん。まぁ俺からっつーか……みんなからだけどな。」
俺がそう言って朝食の席を見回すと、幼女たちはグリムにニコッと笑う。
さて。
そんじゃグリムの好きな……"サプライズ"をプレゼントしてやるか。




