第三十四話 星空と螺旋階段と
コロネの宿題の発表会を終えた後、幼女たちはそれぞれの部屋に戻った。
……グリム以外は。
「グリム~。こたつで寝たら風邪引くぞ~?」
グリムの大好きなトーヴァ商会の布団(今はこたつ布団だが)に包まれている為か――
それともこたつ自体の快適さ故か――
グリムはこたつでうたた寝を始めてしまっていた。
「まぁ……グリムも気ぃ張ってただろーしな。」
ブランカ会長との商談の行方を、一番気に掛けていたのはグリムだ。
宿で待つ間、ずっと張り詰めた気持ちだったであろうことは想像に難くない。
「お疲れ……。グリムもがんばったな……。」
小さく呟きながら、そっとグリムの背に毛布を掛ける。
今日はこのまま寝かせてやるか。
そんな事を思って、こたつを離れようとした俺の背に……
「のぅ……レティーナ……。」
グリムの、呟くような声が掛かった。
「なんだ。起きてたのか。」
俺が振り返ると、グリムは背に掛けられた毛布をぎゅっと握りしめながら……こう口にした。
「少しだけ……時間を貰ってもよいか?」
***
……さて。
グリムにお願いされて、俺は今、夜のアーミセイジの街をグリムと共に歩いている。
うん。
それ自体はいい。
いいんだけど……
「な、なぁ、グリム? "これ"……外しちゃダメか?」
「ダメじゃ!」
俺は今、"力"で出した"アイマスク"を装着している。
要は目隠しだ。
目隠しされた幼女が、夜の街を連れ回されている状態だ。
なんというか……犯罪的なニオイがする……。
まぁ連れ回してる側のグリムも幼女だから憲兵さんは来ないだろーけど……
つか単純に前が見えなくて怖い。
「大丈夫じゃ。妾が手を引いてやる。」
そう言って俺の手を取ってリードするグリムは、戸惑いながら歩く俺の歩調に合わせ、ゆっくりと俺の前を進む。
そうしてしばらく歩く。
耳に頼るしかないから確証は無いが……だいぶ街の中心からは離れたようだ。
周りから人の気配が無くなる。
「ここからは階段じゃ。足元に気を付けてくれ。」
「階段……?」
グリムに促され、足を高めの位置に降ろすと……確かに、一段分の高さの位置に足場があった。
「ほれ。次は左足じゃ。」
そうして、ゆっくりと俺たちは階段を上る。
螺旋階段なのだろう。
ぐるぐると、ぐるぐると……
俺は目隠しをされたまま、その階段を上る。
(……いや、流石におかしくないか?)
どれくらい上っただろうか?
俺は疑問を感じ始める。
この街に、これほど高い建物なんてあっただろうか?
木造建築が主流のこの世界に、こんなに高い建物など存在するのか?
だが現に、踏みしめる足の裏側には、しっかりとした足場の感触が返ってくる。
俺がそんな疑問を胸の内に抱いた頃……
「……そろそろいいかの。」
グリムが、俺の手を引くのを止める。
「ん? 上り切ったのか?」
「うむ。そのまま腰掛けてくれ。」
俺は言われるがままに腰を下ろす。
「それじゃ、目隠しを外すが……驚いて"落ちる"のではないぞ?」
「??? ……"落ちる"?」
俺の問いには答えず、代わりにグリムは俺の目隠しを外す。
そしてそこには――
「んっ……ぅうぉぉおぉおおおおぉおおおおおおおおッ!?」
何も――"無かった"。
建物も、屋根も、壁も、天井も、そして――"地面"すら、無かった。
「なっ!? ぇええええ!?」
下を見れば、遥か下方に地面が見えるが――肝心の足元には何も存在しない。
瞬間的に『落ちる!!』と思ってしまい、隣にいるグリムに抱きついてしまう。
するとグリムは、
「にっひひひ! ようやくお主の驚いた顔が見られたのじゃ~!」
と、悪戯っぽく笑った。
え、ナニコレ?
ドッキリに引っかかったみたいで恥ずかしいんだけど……
グリムの余裕のある様子に、俺の頭も冷静さを取り戻す。
あ、そっか……。
「これ……グリムの"力"か。」
ようやく俺は、その答えに思い至る。
グリムの"力"――
狭い範囲に"見えない障壁"を張る力だ。
いつもは文字通り"壁"として用いていたその"力"を、今回は地面に水平に――つまり"足場"として利用したのだろう。
一度に出せる"壁"は二枚が限度とも聞いていたから、ここまで上る為には一段上って一段消し、次の一段を出すって作業を繰り返したようだ。
「それでも、苦労した価値はある景色じゃろ?」
グリムに言われ、そこで俺は初めて気付く。
「お……おぉ……!」
俺たちの周りには、何も無い。
そこにはただ、"星空"だけが在った。
満天の星空……などという言葉でさえ足りない。
視界の全てが、星の瞬きで満たされていた。
俺がその光景に言葉を無くして見惚れていると、グリムが躊躇いがちに口を開いた。
「ホントはな……今回の"商談"をお主が成立させてくれた時、妾は少し悔しかったのじゃ……。」
「? ……"悔しい"?」
俺の問いに、グリムは頷く。
「妾がひとりで商談を成立させたら、お主に近づけるかと思ってな……。」
「"近づく"って……俺は今のグリムも、十分すげーと思ってるよ?」
今回の商談だって、そもそもはグリムが思いついた事だ。
俺はそれに乗っかったに過ぎない。
だがグリムは、首を横に振る。
「のうレティーナ……妾がお洋服のお店をやっていて、一番嬉しい瞬間とは、いつだか分かるか?」
グリムに問われ、俺は考える。
「ん~……お客さんが気に入ったお洋服を買って喜んでる時とか?」
「うむ。それも嬉しいが……一番は違うな。」
そう言うと、グリムは遠くを見て、目を細める。
「一番は……新商品を並べたお店に、お客さんが一歩足を踏み入れた瞬間じゃ。」
愛おしい物を見るような目で、グリムは語る。
「まるで宝箱を開けたように、驚きと喜びの入り混じった表情……。妾はそれを見るのが大好きじゃ。」
そしてグリムは、過去を思うように目を閉じる。
「知っての通り、妾はお主と出会うまで、家に籠っておった。退屈じゃったが……それでいいと思っておった。昨日と同じ今日が続けばいい。嫌な事が起こるくらいなら、明日なんて来なくていい。そんな事さえ考えていた。」
だが、とグリムは俺を見て、微笑んで言う。
「お主が妾を連れ出してくれて……たくさんの驚きと喜びをくれた。お主は……妾の憧れる姿なのじゃ。」
そこまで言うと、グリムは――そっと俺に身を寄せる。
「だからの、レティーナ……。妾はお主と……ずっと一緒に居たい。」
その熱の籠った表情に、俺の胸がドキッと高鳴る。
おいおい……!
ついに今度こそ……!?
「妾はお主と、この先の人生を、ずっと隣で歩みたい……。だから……」
決意を込めた潤んだ瞳は、俺の目を真っ直ぐに見て、そして――
「だから妾の……好敵手になって欲しいのじゃ!」
…………お、おぉぅ。
ま た か 。
ま た な の か 。
三度の告白キャンセル……。
しかもライバルって……。
「え、えと……グリム? なんでライバル?」
ガックリと肩を落としながら、俺はグリムに問う。
「そんなもの決まっておろう! 同じ年頃のお主が、妾に出来ぬことをドンドンこなしていくのじゃ! 悔しがらぬ方がおかしかろう!」
ぷくっと頬を膨らませて抗議するグリム。
「妾がまだまだ未熟なのは承知しておる。それでも……妾もお主を驚かせられるほどの、一人前の淑女になりたいのじゃ……。」
そう言って、グリムは顔を伏せた。
告白じゃなかったのは……まぁ仕方ないとして。
これもグリムの真剣な想いだ。
真摯に受け止めてやらなきゃいけないだろう。
「ん~……じゃあさ! こうしよーぜ?」
俺はグリムに、ニッと笑って告げる。
「好敵手ってのは、お互いを高め合うモンだ。グリムは俺を驚かせられるようになりたいだろうけど、俺が一方的に驚かされるだけじゃ好敵手とは呼べない。だから……俺とグリム、"かわりばんこ"にしよう!」
「? ……"かわりばんこ"?」
グリムはその意味が理解出来ず、首を傾げる。
「そうだ。グリムが俺を驚かせたら、今度は俺がグリムを驚かす。そしたらまたグリムが俺を驚かす。そうすれば、ほら!」
そこまで聞いて、その意味を理解したグリムが、ぱぁっと明るい表情を見せる。
「毎日がサプライズだ! 次はどんなサプライズをしよう? 次はどんなサプライズをしてくれるだろう? 毎日ワクワクして、退屈なんてするヒマ無いだろ?」
そう。
ちょうど今俺たちが上った、螺旋階段と同じだ。
右足、左足、右足、左足……
交互に繰り返されるサプライズは、日常をとびっきりの楽しい"アトラクション"に変えてくれる。
ワクワクして、ドキドキして、どこまでも楽しい日々へと上って行ける。
「それは……ステキじゃ……!!」
そんな日々を思ったのだろう。
グリムはうっとりとした目で、そう呟いた。
「その為には……妾はもっと頑張らねばな。」
「焦らなくていいさ。ちゃんと待っててやる。」
「……うん。」
そうして俺たちは、煌めく星々に囲まれながら、しばらく二人の時間を過ごした。
時折吹く夜風が、隣に座る"小さな好敵手"との間を、優しく通り過ぎていった。




