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どうぞお手柔らかに。

 来た道を辿れば、例のコンビニに着いた。明るい未来を担えそうにない若者達がたむろしていた。揃いも揃って円を描きしゃがみ込んでいる。蟻の観察でもしているのだろうか。踏まないであげてほしいものである。

 蟻といえば、また今度蟻の巣を砂で埋めたくなった。いや、巣ごと無くす方がいいだろうか。どちらにしろ、その蟻にしてみれば同じことだろうが。砂に埋まった蟻は、無酸素に喘ぎながら死ぬのだろうか。そういえばそもそも、蟻の巣は複雑に折れ曲がりいくつかの部屋を構成しているらしいし、巣全体を砂で埋めるのは難しいだろう。どうせ蟻がその部屋に逃げ込んでしまうのなら、丸ごと無くしてしまう方がよさそうだ。

 閑話休題。私は本日二度目の入店を果たした。蒼は、一般人には視ることはおろか、気配を感じることもできないらしく、その辺りはさすが神様、という感想を抱く。

 店内全体を見渡せる入り口付近で立ち止まり、客の人数とその位置を確認する。雑誌売り場に二人、惣菜コーナーに三人、レジに一人、店の前に六人。蟻観察の専門家達がいなければ、今回の実験の労力も半減になったろうが、それはもう仕方ないだろう。目を瞑り集中する。脳内で、彼らの姿と位置関係をそれぞれ明細に想起して、できるだけ現実に近付ける。ただし私と蒼と店員達を除いてだ。そこから、無くなるイメージを、実に呆気なく無くなる様を思い浮かべながら、蝋燭の灯火を吹き消すように、儚く消えゆくように。いつもは、それだけで無くなる。虚無感が胸を満たす。だが今回は違った。いつまでも、喉元で何かがつかえるような気持ち悪い感覚が続くのだ。それは時間の経過と共に増し、私の意識を圧迫する。やはり人を無くすのは骨が折れると、無くなりそうになる意識の中で思う。かかずらいが多い人間は、抱え込む因果の量が違う。しかし、やり遂げてみせる。己の限界を突破し、新なる真の境地に達するのだ。すると、気持ち悪さが段々と軽減していく気配を見せた。無くなった気持ち悪さの分、求めていた空虚な感覚が満ちていく。そして、その空虚な感じが、私の内側の全てを満たしたその時、無くなった。

 目を開くと、遮断されていた現実の情報が返ってきた。私の精神統一もなかなかの域に辿り着いたらしい。ぼんやりと、写真を現像するように世界が私の網膜に灼きつく。客は、その姿もその痕跡も、諸共無くなっていた。これでまた、世界の質量が減った。ここは歓喜に酔いしれたいところだが、まずは退店する。店の前にも誰もいなかった。蒼はこのコンビニに着てからまだ一言も発していなかった。私を睨むようなこともせず、ただ何の感情も映さない瞳をどこかに向けている。一緒に喜んでくれるとは露ほどにも思いはしなかったが、ここまで無反応だとどうにも調子が狂う。

 ともかく、まずはここから離れることだ。そう断じ、踵を返す。方向転換をした、その次に、足から力が抜けて無くなった。更に、身体の操縦桿を離してしまったかのように、全身の制御を無くした。その上、意識をも手放す破目になった。



 寝起きの気分は最悪だった。頭蓋骨の内側でハンマーが直接大脳をぶっ叩き、四〇〇キロの重りをぶら下げているかのように身体が重い。おまけに発熱と発汗が酷く、全身がびしょびしょだった。更におまけに、意識が朦朧とする。更に更に寒い。

 それでも無理矢理に身体を起こすと、なんとまだ件のコンビニの駐車場だった。轢死を懸念してか、蒼が隅の方に移動させてくれていたようだが。

「ようやく目覚めおったか」

「おはようのチューはしてくれないのかよ」

「抜かせ、たわけが」

 相変わらず膠も無い。コンビニを瞥見すると、店内に疎らながらも客が見受けられた。どうやら客を無くしてから再び別の客が入る程度の時間は経っているらしい。

「なぁ、どれくらい経った?」

「七三時間と四二分」

「マジかよ……よく見つかんなかったな私」

「貴様を認識の外側に位置した。余の匙加減一つで、貴様は一生誰にも知覚されんようにもできる」

「そいつぁいいや。誰にもバレないなんて、至上に素敵じゃん」

 言葉を交わす間も、実の所身体の不調は絶えず続いていた。それでも常の如くへらへらと軽口を叩けるのは、生来の根性が為せる業か。それでこそ私だ、と口の端を上げる。

「でもまぁそいつはまた今度の機会に頼むわ。それよりもだ蒼ちゃん、身体が尋常でなくヤベェ。インフルエンザとか重い生理よりもだ。どういうことか分かんねぇか? おっぱいかパンツ見せてやっから教えてくれよ」

「下劣な女狐の肢体になぞ誰が催すか」

「あっはっは、言うねぇ蒼ちゃん。狐はそっちだろうよ。お稲荷様のお稲荷様を揉みしだいてやろうか?」

「不愉快だ。口を閉じろ」

 蒼がそう言った途端、私の唇がチャックのように閉じられた。初体験だ。そのようなことができるとは知りもしなかった。狐につままれた気分だ。

「貴様の怪力乱神は、最早余の中でも常軌を逸しつつある。余の神威を以てしてもその端倪は能わんようになってきている。よってここに問う、貴様は何者か。何を以て何を為す者ぞ」

 訊かれて、心には我が崇高なる野望を語りこそしたものの、この反抗期真っ盛りのお稲荷様にはそれを話したことがなかったのを思い出した。唇が自由になったのを感じた私は、巧言令色仁に近しとばかりに腹心をぶち撒けてやった。私が言葉を連ねても、蒼は僅かに眉を顰める程度の反応しか示さなかったが、その内心では形容し難き嫌悪感が渦巻いているのが手に取るように分かった。神をも嫌忌させうる我が希求、叶えずして何としようか。この空蝉に虚ろな喜悦が満ちるのを歓として味わうもまた一興かな。

「……ふむ」

 私が語りを終えても、蒼は殆ど表情を変えなかった。胡坐で腕を組み、ふっと瞼を閉じる。すると、どっと得体の知れない何かが蒼の身体から湧出するような感覚があった。それと時を同じくして、蒼のお尻で揺れる尻尾が九つに増えた。私が少し目を瞠っていると、針のような藍色の眼光がこちらを射止め、その神威を強くさせる。

 私も、蒼のこんな姿を目の当たりにするのは初めてのことであった。美しくも妖艶な、九尾の稲荷のご登場である。

「わーお、馬子にも衣装って感じだな。よく似合ってて可愛らしい限りだぜ」

 ぱちぱちと適当に拍手を贈ると、変身した蒼が不愉快げに私を睨んだ。

「今までは」

 蒼が口を開くと、私の身体は否応なしに正座の姿勢を取らされ、体調は更に悪化の一途を辿った。どちらもネオ蒼の神業ということだろうか。霊験としては、呪いの域に近い気もするが。いやはや、いつもからかっていた相手が急に強くなるのはどうにも面白くなかった。

「お主の真意が計り難く、故に排除するのは保留にしておった。しかし、かような謀を心底より企み実行せんとしておるのなら、儂はお主をこの場で殺す」

 冗談でないというのは、目を見れば分かった。神の殺意というのはなかなかどうして侮り難く、嫌な汗が背筋を伝う。

 しかし真剣な話を剣呑な雰囲気でされても、それを躊躇わず無くすのが私の十八番であり真骨頂である。

「えーやだなぁ私まだ死にたくないよぉ。まだまだやり残してることがこの世にあるのに、そんなんじゃ未練たらたら化けて出ちゃうぞ?」

 瞬間、私を途轍もない重圧が苛んだ。巨大な重石を背中に受けたような感覚だが、実際には何も無い。おそらく、私にかかる重力を倍加させているのだろう。かつては直接私に危害を及ぼすことはできなかったが、どうやら九尾の身となった今、それは造作もないことらしい。

「たわ言を、戯れ言を、虚言を、妄言を、狂言を、大法螺を、お巫山戯を、上っ面を、嘘吐きを、偽りを、詐欺を、道化を、これら全てを儂は黙殺してきた。お主との対話以上に苦痛じゃったものは、今生においてもそう容易に見つかりはしまいて」

「根性が足んねぇんじゃねぇの?『こんじょう』だけにさ」

「黙れ。儂が話しておる」

 再び口が念力によって縫い付けられた。下顎を吹っ飛ばされなかっただけまだ僥倖かもしれない。私は重圧と身体の不調に耐えながらも、口端を持ち上げた。

「腐っても根性、ってね。刈っても抜いても生えてくる雑草魂舐めんなよ。子供騙しだぜ、そんなのは」

 どうやら私の力は神通力をも無くせるらしい。また新しい自分の限界を垣間見、陶酔感に溺れそうになる。恍惚に耽るのも楽しそうだが、今は蒼を虚仮にする方がもっと楽しそうだ。

「お主……! 然様か。死に急ぐがお主の本懐か」

 静かに怒気が迸る。空気は冬空のように冷たく鋭く張り詰め、皮膚を切り裂かん勢いである。ここまで荒ぶる蒼をお目にかかれるのはまたとないだろう。殺気の矛先は私のみを捉え、虎視眈々と狙う。

「はっ、生きるも死ぬも所詮は泡沫、命なんてのは鴻毛より軽いもんさ。生は寄なり死は帰なり。或いは死に世の中の本質を見出すことだってあるんだぜ」

 生だけが全てではない。そして死も。対極なのは、生と死ではなく、生死と虚無である。人々が生死に依存しているから、逆に私は虚無に執着する。大衆と違うことをして自らを差異化し、そこにアイデンティティを見出したくなるのをスノッブ効果だとかなんとか言うらしいが、それは些末なことだ。私は私自身が私たり得る為に、心底からの希求に従順であるだけである。余計な名称や野暮な定義づけの介在を許さず、己の欲すところを為すのが、私、信濃咲である。

 強制された正座を無くし、胡坐をかく。

「生死がお主を捕えられぬと言うのなら、儂の殺しも免れてくれようなぁ!」

 蒼は掌中に何か見えない物を握るような仕種を見せた。殺気が増大する。蒼がそれを両手で槍のように構え、大きく振り翳した。それと同時、私は蒼の方を横目で睨みながら重い身体を引き摺るようにして横に転がる。左足の踝から先の感覚が、熱を伴って消えた。アスファルトで肘や膝を擦り剥きつつも獣のように這い蹲り、蒼に向かって睨み続ける。ついさっきまで私がいた場所は、まるで豆腐のように一直線切り裂かれていた。およそ十メートルにも及ぶ断裂のその向こうに、切り落とされた私の左足が見える。自らの足の断面からびちゃびちゃと血の滴る音が囂しいが、気にかけてはいられない。三本足の獣は屹立する狐の方向を睨め上げ、朗々と笑った。

「はは、だから死にたくねぇって言ってんじゃねぇかよ。急いては事を仕損ずるって言うし、一旦落ち着いてお茶でも飲もうや。またあのコンビニの人を無くせば、飲み放題だぜ? な、話せば分かるさ」

「問答無用」

 犬養毅かよ、と言う暇も無かった。蒼は槍(のような何か)を引き、刺突の構えを取った。そして、瞬時にして不可視の殺意を繰り出した。私はその動作の一点を、最後まで睨んでいた。

「……」

「……?」

 互いに沈黙した。一方は獰猛に、他方は怪訝に。

 蒼が握る透明な槍を無くすその瞬間まで、私は睨むのをやめなかった。見えない槍は、私の額の皮を数枚破っただけで、無くなった。

 額から流れる一筋の血を舐め取り、私は快哉を叫んだ。

「ひゃっはははははははは! ざまぁねぇぜ蒼ちゃんよぉ! 言ったろ、全部無くすって! 暢気におねんねなんかしてられっかよ!」

 最高に気分が良かった。神の力を以てしても私は殺せない。私は神をも超えたというわけだ。これならすぐに、全て、そう、文字通り全てを無くすのに着手してもいいかもしれない。恍惚に浸りつつ、手始めに、餞別に、まず愛しの蒼から無くそうと意識を向けて、蒼が棒立ちの恰好で固まっているのに気付いた。

「お主は、認識の外側にある状態で命を落とせば、どうなるか知っておるか」

「あぁ? 知らねぇよ、天国に召されるんじゃねぇの? アーメンってさ」

 下らない。ここまできて説法とは、興が削がれそうだった。聞きたいのは説教でなしに、今生の暇乞いなのだというのに。

「お主のような虚無主義の権化が、人並みの最期を迎えられる道理が無かろう、うつけ者めが」

「ご高説は承ったから、去になよ、もう」

 問答無用はこちらの方だとばかりに蒼の言葉を唾棄する。

 さっさとこの稲荷神を無くしてしまおう。少し神経を研ぎ澄ませば、跡形も無く、空虚な満足感だけを引き連れて、無くなるのだ。

「生き方を選ばん輩は死に方も選べん」

 蒼が私の眼を覗き込む。

「誰にも気付かれず、お主は永遠に無くなる」

 憐れむような眼をしていた。

「可哀想に、お主はどこにもい無くなり、いつにもい無くなり、誰でも無くなる」

 私の嫌いな、大嫌いな眼だった。

「何も無くなるんじゃ」

 見るな。

「お主は何もかもを無くす」

 私を見るな。

「本望か? 全てを無くすのは」

 そんな眼で私を見るな。

「お主は常に願っておったな」

 私の大嫌いな、人を心から憐れむような、そんな眼で私を見るな。

「何もかもが無くなることを」

 私の大嫌い無、人を心から憐れ無よう無、そん無眼で私を見る無。

「……これが、お主の求めていた終わりじゃ」

 無無無。

 無無無無無。

 無無無無無無無無無無。

 無無無無無無、無無無無無無無無無無無、無無無無無無無無無無。

「無無無無無、無」

 無無、無無無無無。


これらの話、書くのにどれくらいかかったと思う?

詳しくは憶えてないけど多分2年くらい。

そうさ全ては俺の怠慢の為せる業さ!

今回は書きたいことが思い浮かばないのでこれにて御免。

ご読了頂き、恐悦至極にございます。

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