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88 奇跡(エピローグ)


 物心ついた頃から、あたしの人生は不運続きだった。

 母親は奔放な女だった。一番古い記憶にある、同じ家に住んでいた男は酒と博打(ばくち)に明け暮れるような奴で、そいつが実の父親じゃないと知ったのは四歳の時。

 そして母親とその何度目かのオトコに、厄介払いにあたしが娼館に売られたのは、十三歳の時だった。


 あたしは娼館で十一年を過ごした。年季を終えて、客だった男と一緒になって、丸二年が過ぎた頃のことだ。

 借金を作って行方をくらました亭主のせいで、あたしは再び売られる身となった。しかもこれまた、たちの悪い連中に。

 そいつらに乗せられた荷馬車の中には、三人の若い娘がいた。全員ぐったりしていて、普通じゃない様子からその手の(こう)を使われたんだと分かった。

 可哀想に、この娘たちは無理やり攫われてきたんだろう。

 あたしは今さらながら世の中に悲観した。

 女神サマなんて、居やしないんだと。




「今拾った新入りだ。悪さするんじゃねぇぞ」


 首領の男はあたしにそんなことを言って、意識のない一人の少年を車内に押し込めてきた。

 暗い視界の中で、あたしは転がされた少年をまじまじと見下ろした。ひと目で異邦の民と知れる容貌だ。年の頃は十五、六だろうか。

 さっき開いた扉の外に見えたのは、明け方の岩砂漠の光景だった。何だってこんな場所に、こんな子供が――。


 少年が目を覚ましてからがまた驚きだった。自分がどこから来たのか、まったく分かっていない様子だった。しかも、あなたが話してるのはどこの言葉ですか、なんて訊いてくる始末だ。

 あたしはいよいよ戸惑った。そんなふうには見えないが、ちょっと頭の弱い子なのかもしれない。

 可哀想に……。


「あたしはエルマ。坊やは?」


 そこで返ってきたのは不思議な響きの言葉で、あたしは「変わった名前だねえ」とか何とか言って、聞き取れなかったことをごまかした。代わりに少年には色々と教えてやった。話の流れで、なんら面白くもない自分の身の上まで。

 少年は、痛ましげな目であたしを見つめて黙っていた。

 ああ。可哀想なのは、母親に似て男を見る目がないあたしもだった。

 自分で自分を嘲笑(わら)うしかなかった。



 そこから事態は急展開して、ザイルの軍に保護されたあたしたちは、何日か後、男らとは別にアルドラに送還された。

 王都デルファでも聴取を受けて、その時あたしたちは別行動になったあの少年の話をした。途端に周囲がバタバタしだしたかと思うと、「各自で帰郷するように」と路銀を渡され、とっくに日も落ちたというのに建物から出されてしまった。

 故郷(くに)に帰ろうかどうしようか、あたしは迷った。とりあえず賑やかそうな大通りへ足を運んでみると、賑やかを通り越して、街中がお祭り騒ぎだった。

 豊穣祭は、確か二か月も先じゃないのかい。あたしは酒場の前で声をかけてきた男に、食事を奢ってもらいながら、そう訊いてみた。


「おいおい(ねえ)さん、まさか、リザリエルが現れたのを知らないのか? 国中がその話題で持ちきりじゃないか!」


 興奮気味の相手を前に、あたしは驚きで言葉も出なかった。

 リザリエルなんてのは、ただのおとぎ話なんじゃあ……。


「俺もそう思ってたさ。けど十日前の夜、カナンの方角に言い伝えの流星が降ったんだ。俺は酒を飲んで寝ちまってたんで見れなかったんだがよ、一瞬、窓のほうが白く光ったように思ったんだよ。ああ、あん時外の様子を見ていりゃなあ……。とにかく、今軍が必死にリザリエルを探してるって話だ。――それにしても、この騒ぎを知らないたあ驚きだ」


 洞窟にでも籠もってたのかいと豪快に笑い、男は上機嫌で二杯目の酒を注文した。




 それからは、あっという間の日々だった。



「エルマ! ああもう午後の仕込みなんていいから、早く広場に行く支度をおし!」

「でもおかみさん。場所はもうラズが取ってくれているんでしょう」

「そのラズを探し出すのが大変なんじゃないか。見てごらん、こっちの通りまで凄い人だよ」


 店の窓から外をうかがい、普段からせっかちなおかみさんが急かしてくる。


 あたしは酒場で知り合った男、ラズのつてで、今は城下にある小さな料理屋の手伝いをさせてもらっている。

 一年に一度、豊穣祭の初日に、王は城の広場に集まる国民の前に姿を見せる。去年は同時にリザリエルの披露目も行われた。

 当日は人混みに揉まれながら、あたしも遠くから塔の上の二人を見た。彼らの姿は小指程度に小さくしか見えなかったが、小柄なほうの人物が、あの少年であることはすぐに分かった。

 あたしが出会ったのは、天から降り立ったばかりのリザリエルだった――そうはっきり知った時の感動を、なんと言い表せばいいのだろう。

 長年身の内に根を張っていた、重く濁った何かが浄化されていく感覚だった。


 そして一年後の今日。今年も彼は、あのバルコニーに王と並んで姿を見せてくれるだろうか――……。


「なに物思いにふけってんだい、早くおし!」

「すみません、今行きます」


 じれたおかみさんに慌てて返事をして、あたしは前掛けを外すと、急ぎ足で戸口に向かった。



<エピローグ 完>



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