85 帰還
「それでは、色々とお世話になりました」
見送りの大公一家とナバムの領兵に向け、泉実は礼儀正しく挨拶をする。
「私どもこそ、期せずしてイヅミ様を屋敷にお迎えできましたことは僥倖でした。次は是非、余暇などをお過ごしにいらしてください。歓待の宴を開いておもてなしさせていただきます」
「はい。ありがとうございます、大公」
泉実は笑顔で返し、隣にいるハディスに視線を向けた。
「世話になった。皆に心からの礼を申す」
そう告げたハディスに、ナイジェルが少し驚いた顔をして、それから忠実な臣下のように頭を下げたのが、泉実には深く印象に残った。
軍の施設を泊まり継ぎ、三日後、一団は王都デルファの城に帰還した。
――やっと、戻ってきた……。
泉実はハディスや側近たちと共に、居住区本館の玄関に入る。ホールにはキリエとイルゼのほか、閉鎖が解除された東翼の任務に復帰した者たちが揃っていた。
泉実は皆に心配をかけたことを一同の前で詫び、イルゼに歩み寄った。
「ただいま、イルゼ。――二週間も留守にしちゃってごめん」
イルゼは両手で顔を覆い、あとは涙、涙であった。
◇◇◇
聞けば後宮では、泉実の身を案じるばかりに臥せった者まで出たという。
泉実は部屋で人心地ついたあと、イルゼも落ち着いてきたことであり、早速マデイラたちに顔を見せにいこうとした。
「ですがイヅミ様、その前に――」
イルゼの言葉に重なり、入り口の扉が控えめにノックされた。
「お二人がいらっしゃったようです」
「お二人?」
ってどの二人、と問うより早く、開いた扉の間から小さな影が飛び出してきた。
「イヅミさま……!」
「ユイン王子!?」
ユインは驚く泉実に抱きつき、年相応の子供らしさで声を上げて泣き出した。
続いてシェラネイアが姿を見せ、泉実の前で深く身を屈めた。
「イヅミ様……ご無事のお戻りをお祈りしておりました」
「シェラネイア様――お二人とも、城にいらしたんですね」
「はい。わたくしとユインはあのあとすぐ、ここより奥の館に移ってまいったのです」
離宮に賊が侵入したことを受け、彼女たちは身の安全を図り、ハディスの指示に従う形で王城に退避してきたのだった。
「そうでしたか……二人に怪我がなくて良かった……」
泉実はしゃくり上げるユインを優しく見下ろす。
イルゼとシェラネイアはそれぞれに目元を押さえ、ようやく笑顔になったユインと、その背中をそっと撫でる泉実を静かに見守った。
それから後宮に出向いた泉実は、妃たちに泣かれ、女官たちにも泣かれ、警備兵からも潤んだ瞳で目礼された。
そして次の日。
「あああイヅミ様、イヅミ様のご無事をこのレスター、誰よりも誰よりも女神にお祈り申し上げておりました……!」
訪ねていった工房で、ハンカチを両目に当てておいおいと声を上げるレスターは、わりと元気そうだった。
戸口に立つシドが白けた顔をしているのが見え、泉実は苦笑を浮かべながら、これまでと変わらぬ日常が戻ってきたことを実感する。
「ご心配をおかけしてすみませんでした。この通り、無事に帰ってこれたのもレスターさんのお陰です」
「――今、なんと」
「あ、前にレスターさんからいただいたカザリヤの布が、凄く役に立って……」
なんか今、レスターが怖いくらいの真顔になったような……と思いつつ、泉実は囚われていた館からの脱出劇を話した。
「おお! そういうことでしたか。私の差し上げた品が、イヅミ様のお命を救うに貢献したとは……!」
「でもそのあと、訳あって、あの腰布は人にあげてしまったんです……すみません」
「それでしたら、すぐまた新しいものをご用意いたしましょう」
レスターは得意満面になって申し出る。
そこへ、工房に新たな来訪者があった。
「イヅミ様、こちらにおいででしたか」
「キリエさん。どうかしました?」
「ウルド医師が先ほど私のもとに来られたのです。東翼を訪ねたところ、イヅミ様はご不在でいらしたと」
「そうだ! 念の為に診察を受けることになっていたんでした――じゃあ今から僕が医局に行きます」
「では、ご案内いたします」
そうして泉実はキリエのあとについていってしまい、取り残されたシドは、レスターを横目でちらりと見た。
「なんだい、そのひとを小馬鹿にしたような目は」
「……こんなことがあった後だというのに、貴殿は相変わらずなことだと思っただけですよ」
他の誰もいない今、シドが遠慮もなしに言い捨てて部屋を出ようとした、その時。
「――たいした思い上がりだ。王家の有事に自分たちだけが力を尽くしている気でいるのかい」
背後に聞こえた低い声に、シドは扉に伸ばしかけた手を止めてレスターを振り返る。
レスターは仄暗さを感じさせる眼差しで、うっすらと笑っていた。
「おっと失礼。今のは、しがない仕立て屋のちょっとしたやっかみさ。――皆の覚えもめでたい、近衛の騎士殿?」
「…………」
シドは無言を返し、もはや相手をするのも厭わしいといったようにレスターから顔をそむけ、工房を出たのだった。




