84 兄弟
そうして泉実たちは昼に軍施設を出立し、日が落ちた頃、ナバム第一の都市にあるナイジェルの屋敷に到着した。
一団を出迎えたナイジェルは、泉実が無事救出されたことへの喜びの言葉を述べ、ハディスと泉実、その側付きの者たちを客室棟に招き入れた。ハディスはナイジェルと話があるとのことで、泉実は先に客間に通され、夕食も部屋に提供された。
その後、ハディスとの話を終えたナイジェルに家族を紹介したいと言われ、泉実はやってきた彼の母と妻、そして三歳になる一人娘の公女と対面した。
泉実を前にして感涙にむせぶ母親と祖母をよそに、幼い公女がすっとドレスの両端を摘まみ上げ、「はじめましてみつかいさま。たいこうけそくじょ、シャロンともうします」と立派な貴婦人の挨拶をする姿は、見る側の頬を緩ませた。
女性陣が退室したあと、泉実はナイジェルに改めて礼を言った。
「救援の兵を出していただいて、ありがとうございました」
「そのようなこと。王の臣下として、当然の務めを果たしたまでです」
「はい…………」
そこでまだ何か言いたげにしている泉実を見て、ナイジェルは少し考えてから、セネガとシドが見守る中でこう言った。
「今夜は心地良い風が吹いています。テラスに出て、我が屋敷の夜の庭園をご覧になりませんか」
すると泉実は分かりやすい笑顔で頷き返し、セネガとシドの二人に声をかけた。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
つまりは『ついてこなくていい』と言っているのであり、泉実がナイジェルと連れだって出ていくのを、残された二人は黙って見送るより他なかった。
「私に、何かお話が?」
人気のない夜の庭で、ナイジェルが穏やかな口調で水を向ける。
「はい。実は、この機会にお尋ねしたいことがあるんです」
「イヅミ様が、私にですか? ――何でしょう」
「ちょっと嫌なことを思い出させてしまうかもしれないんですが、その……七年前の、王位争いに関することで」
ナイジェルの口元から笑みが消える。
泉実は決意が揺らぎそうになりながらも、真剣な表情で切り出した。
「争乱の最中、大公のご一家を城から脱出させたのは、陛下だと聞きました」
「……ええ、その通りです」
「その際、陛下が大公に王位継承権の放棄を迫ったという話は、本当なんですか」
ナイジェルはしばしの沈黙のあと、軽く目を伏せて口を開いた。
「城でそのような噂があるのですね……。女神のご使者であるイヅミ様に隠し立てなどできませんから、正直に申し上げましょう――――あの日、助けを受けるにあたり、陛下の部下を通じて条件を提示されたのは事実です」
だがその条件とは、王位がどうという内容ではなかったのだと続け、ナイジェルは真相を話して聞かせた。
次兄ウィレムの急襲を受け、母と妹をかばいながら敵と対峙していたナイジェルの前に現れた、ハディスの部下。その部下は敵を次々と剣で倒していくと、ナイジェルを振り返り主の言葉を伝えた。
――将来敵となる人間を、私は助けるつもりはない。兄上が今後も私に刃を向けないと誓うのなら、家族三人、無事にここを脱出できるよう手を貸そう――。
「私は一も二もなく頷きました。争乱の収束後、王位を継ぐことを辞退したのは私自身の意志によるものです」
「……辞退の理由を、お訊きしてもいいですか」
「もともと私は王になりたいという願望が希薄でした。優秀な長兄と有能な弟がいましたので、自分が国を統治するという未来像を持っていなかったのです。そして即位を辞退した私の判断は、やはり正しかった」
「え……」
「もし私が王になっていたとしたら、イヅミ様がこの国に降臨されることはなかったでしょう」
御使いは危機にある国に現れる救世主のように捉えられがちだが、そうではない。
セイレンのように、荒廃し滅んでいった王国はこれまでにいくつもある。それは、過去にリザリエルが降臨した国であっても例外ではなかった。
リザリエルは国にではなく、女神に選ばれた王、もしくは王となる者に遣わされるのである。
「今回のような危険な目にお遭いになって、イヅミ様はこの国に対し、良くない感情をお持ちになったかもしれません。ですが私は王族の一員として、イヅミ様には、どうか幾久しく陛下のもとに留まり、このアルドラを正しい方向にお導きいただきたい……そう、願わずにはいられないのです」
独白のようなナイジェルの言葉に、泉実はじっと聞き入っていた。
―― この人も、この国のことをきちんと考えてるんだ……。
一見、王室とは距離を置いているかのような彼もまた、ハディスを認め、アルドラの将来について心を砕いているのだ。
柔らかな風が、スゥ……と二人の間を通り抜ける。
泉実はナイジェルをひたと見つめ、この夜、自分の中の答えを一つ出した。




