08 雨
晩餐はなごやかに進み、シュリはこれからも、できるだけ時間を作って泉実と一緒にいることを約束してくれた。
自室に戻った泉実は、バルコニーの椅子に腰掛け外を眺めていた。
敷地内のどこからか、夜の十時を告げる鐘の音が聞こえてくる。
この国では朝の六時から夜の十時まで、二時間ごとに鐘を鳴らし刻を知らせるのだとシュリから聞いた。
ちなみ時刻は、日時計と水時計を用いて計るという。
こちらの一日の時間の長さは、以前とほとんど変わらないように感じられる。
しかし文明は地球ほど発達しておらず、電気のない人々の暮らしぶりは大時代的と言ってもいい。
泉実は元の世界にいる家族や友人を思い出す。
自分がいなくなったと知り、みんな心配しているだろう。
いつかは、家に帰れるのだろうか。
沈みそうになる気分を払うように軽く頭を振り、椅子から立って室内に戻る。
寝るには早いがすることもないため、衣装箪笥にあった寝巻きに着替え、ベッドに潜り込んだ。
その後しばらくまんじりともせずにいたが、数時間が経過し徐々に意識が薄らいできた頃、ポツポツと雨が窓を叩く音が聞こえてきた。
――雨が降ってきた……。
目を閉じたまま泉実はぼんやりと思い、やがて眠りに引き込まれていった。
朝一番の鐘の音で目を覚ますと、外はまだ雨が降っていた。
侍女が起床の支度のために部屋を訪れ、続いて朝食が運ばれてくる。
泉実は一人で食事を取ったあと、部屋で何をする訳でもなく過ごしていた。
ここにはテレビもゲームもない。
本でもあればと思ったが、こちらの文字が読めなかったのだと思い直す。
国境で軍の聴取を受けた際、目にした書類や掲示に書かれていた文字を理解できなかったのだ。
――今度王子に、何か裏方の仕事がないか訊いてみよう。
そしてできれば、文字を習いたい。
いつまで城に居させてもらえるかは分からないが、泉実はシュリにそう頼んでみようと思った。
鐘が長めに鳴り、正午を知らせる。
程なくシュリが様子を見に訪れ、泉実の部屋で昼食を共にする流れとなった。
今日のメニューは、パンケーキだ。
やはりこの国では、昼は軽食を取るのが習慣らしい。
「今朝は一人にしてすまなかったね。何か困ったことはなかった?」
パンケーキにナイフを入れながら、シュリが穏やかに尋ねてくる。
「とても良くしてもらっています。ただ、二つほどお願いがあるんですが」
泉実は現状を説明し、仕事と学習の両方に関して率直に希望を伝えた。
「馬の世話とか、厨房の皿洗いとかなら僕にもできると思うんです。読み書きについては、どなたか時間の空いた時で構いませんので」
「……文字の学習については、すぐに対処する。仕事に関しては、もう少し待ってほしい」
「はい、もちろん……。すみません、色々とお手数をおかけします」
そう恐縮する泉実に、シュリは何か言いかけようとして、しかし思い直したように口を引き結び窓のほうを見た。
泉実も同じ方向に目をやると、雨は相変わらず降り続いている。
「雨、止みませんね。この時期は結構降るんですか?」
「降らない」
「え……」
「ザイルの雨季は七月。先月だった。――だが今年も前の年も、雨季を含めて雨らしい雨はほとんど降らなかった。我が国はこの一年、水不足に悩まされていたんだ」
そこで泉実は、城に来るまでに見た風景を頭に浮かべた。
夏の気候であるにもかかわらず、確かに緑は少なかったように思う。
「じゃあこの雨で、少しは水不足が解消するかもしれない」
良かったですねと、泉実は自然と表情を綻ばせて言った。
だがシュリは真顔を崩さない。泉実が『あれ?』と思った時、深い声音で応えがあった。
「ありがとう――」
その感謝の言葉が真に指すところに、この時の泉実が気づくことはなかった。