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70 衝撃


 今の泉実は何も身に着けていなかった。川の中で服を脱いでよこせと言われ、着替えを持ってきてもらうためには従うしかなかったのだ。

 さすがに全裸で逃げ出すなどという芸当はできない。男も当然分かっていて、泉実の着ているもの全てを取り上げたのだった。


 泉実はタオル代わりの布を拾い上げ、濡れた頭と体を拭き、用意された服に手早く着替えた。


「なんか小さいんですけど……」


 きっとぶかぶかなんだろうとの予想に反し、用意されたシャツとズボンは、手首や膝下がはみ出る小ささであった。

 泉実の着替えが済んだのを知り、男がくるりと向き直る。


「おまえのようなチビに合う服はない。だからわざわざガキがいる家まで行って借りてきたんだ、文句言うんじゃねえ」

「えっ、この短い時間にですか」

「そんな訳あるか。昨日の話だ」

「ああ、そうでしたか…………あの集落に、子供がいるんですね」

「あそこにいるのは、外に働きに出れない女子供と老人ばかりだ。――戻るぞ」

「待ってください、靴は……」

「向こうに転がってんだろ」


 履いていた靴は、片方ずつ離れた場所にひっくり返っていた。

 そのありさまを見ただけで、川に落ちた時のみっともない姿が想像できるというものだ。泉実は恥ずかしいやら腹が立つやらで、黙ってそれらを拾いにいった。


 身支度を整えた泉実の背後に男が回り、揃って玄関に向かう。


「あなたは……」

「前を向いてろ」


 ぴしゃりと遮られ、泉実は首を(すく)めたが、口は閉じずにいた。


「じゃあ前を向いたまま話します。僕を離宮で拉致したのは、あなたですよね? どうやって屋敷に忍び込んだんですか」

「それをおまえに話す必要はない」

「なら質問を変えます。あなたがたは離宮に出入りの業者か何かですか?」

「質問があまり変わってない気もするが、まあ答えてやろう。俺たちは王室とは無関係だ。今回、金で雇われてやっただけだからな」

「ええ!?」


 思わず足を止めて振り返り、次の瞬間はっと息を呑んだ。

 男は光る短剣をこちらに向けていた。


「……前を向いていろと言ったはずだ」


 幾分低くなった声に、慌てて泉実は前を向いて歩行を再開した。


 それにしても、先ほどの男の言葉は信じがたいものだった。

 何かの信念のためでなく、自分たちはただ金で雇われて動いているのだと、そう言ったのだ。

 男たちのしていることは王家に対する反逆であり、この国では最も重い罪となる。もし捕まれば極刑は(まぬが)れない。

 たとえ信仰の心や、失って困る大事なものがないにしても、報酬のためにそこまでできるものだろうか。


 彼らを雇った人物とは、何者なのか。


 自分がフラムの酒に倒れることも、離宮を訪ねる予定だったことも、その人物は知っている。そんな人間は限られている。

 まさか、自分の知っている人間なのか。

 身近な誰かが関わっているかもしれないとは、実を言えば移動の荷馬車の中でも思った。しかしそんなはずはないと、すぐに考えを打ち消したのだ。

 なぜなら自分の周りにいるのは、ハディスにも近しい者たちだからだ。その彼らが、ハディスを裏切るような真似をするはずがない。

 きっと何かの不注意で、情報が漏れてしまったに違いない、と――。


 つと歩みを止め、男のほうに首を巡らす。


「おい」


 相手が(いら)ついた声を出すのも構わず、泉実は再度口を開いた。


「王は、御使いのために国を犠牲にするなんて本末転倒な真似はしないでしょう。いざとなったら僕は見捨てられる」

「ここにきて、急に命が惜しくなったのか」

「あなたがたの思い通りにはならないということです」


 泉実は挑むような口調で言い放つ。

 すると男は面白がる目つきで含み笑いを漏らした。



「覚えておこう――」



 それから塔の上に戻るまで、二人は無言だった。


 そんなことがあった次の日から、男はしばらく、泉実の前に姿を現さなくなった。



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