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67 ドゥーリスの谷


 そうして男に背を向けて丸まっていると、しばらく経って乱暴に掛布が剥ぎ取られた。


「なにすんですか!」


 泉実はがばと上体を起こし、掛布を取り返そうと片手を伸ばす。

 しかし相手はあっさりとそれをかわし、さも渋々といった様子で口を開いた。


「要求を呑んでやろう」

「――え?」

「とりあえず今は、おまえに付いていてやる」

「……それはつまり、僕の都合に合わせて部屋から出してくれるってことですか?」

「そう言ってんだろ」


 いや、言ってないだろう。


「分かったらさっさと飯を食え」

「…………」


 それが、相手の精一杯の譲歩らしい。


 泉実はちょっと考えてから、ベッドから降り、椅子の上の盆を手に取った。



 椅子は男に取られてしまったため、泉実はベッドのふちに腰掛けて食事を取り始めた。

 盆の上にあるのは丸いパンと、平皿によそられた色の薄いスープの二品だけだった。しかしスープにはちゃんと具が入っている。しかも結構大きめの具だ。

 この白っぽいのは芋だろうか……と考えながらスプーンですくったそれを口に入れ、泉実は小さく目を見張った。


「これ……魚ですか?」


 壁際に座る男にそう訊いた。


「不服か? それは俺たちが普段食ってるものだ」

「そうじゃありません、魚を食べるのは久しぶりで……」


 というより、こちらの世界に来て初めてではなかろうか。


 ザイルには海がなく、水不足で川も干上がっていたせいか魚料理は出なかった。アルドラは西に海があるも王都からは遠く離れており、近辺の川で魚はとれないため、同じく魚介は出たことがない。

 トラックも冷凍技術もないこの世界で、鮮魚を遠方から運んでくることは容易ではないのだ。

 泉実は肉よりも魚のほうが好きだった。なので、こんな状況だというのに久々の魚の味に感動してしまった。

 それは男にも伝わったらしく、変わったものを見るような目で泉実を眺めて言った。


「そりゃ良かったな。だがそのうち飽きるだろうよ。しばらく似たような飯が続くからな」

「別に構いませんが……。ここに来る途中で見た、あの川で魚がとれるんですか?」

「時期によるがな。何もない土地だが、川の水は腐るほどある。だから人もなんとか暮らしていける」

「ここは、アルドラの北ですか?」


 話のついでのように出た質問に、男は一瞬無言になった。


「……よく分かったな。今までのは誘導尋問か」

「そんなんじゃありません。ここは王都より涼しいし、隣の国のザイルが北部に河川が多いと聞いていたので、こっちもそうじゃないかと思っただけです。それで、ここはどこなんですか」

「それを知ってどうする? 言っとくが、たとえここを逃げ出せたとしても谷を抜けることはできないぜ。土地勘のない人間は迷って死ぬか、獣に襲われて死ぬかのどっちかだ」

「じゃあ教えてくれても損はないじゃないですか。ここはなんていう土地なんですか?」

「…………ドゥーリスの谷だ」


 マイペースかつ、しつこく食い下がる泉実に辟易(へきえき)したのか、男は不信の目を向けつつも答えた。


「ドゥーリスの谷……ナバムの領内ですか?」

「こっち側はそうだ。さっきの集落は南シーレーン領だ。あの川が領の境になっている」

「シーレーン……」


 その領の名は泉実も知っていた。

 それも、この国に来るよりも前の、ザイルで文字を習っていた頃からだ。


 エステラン語の名称の由来となったエステル王は、大陸の統一を果たしたのち、改めて領土を分割し、自身が信頼を置く者をそれぞれの首長に据えたと伝えられている。

 そして二千年という永い時間の中で大小の変遷をたどり、現在の八王国があるのだとメイゼンは語っていた。


『――実はつい百年ほど前まで、この大陸に国は九つございました』


 今はないその王国は、かつてザイルの西北に存在したという。


『その国の名はセイレン。現在はシーレーンと名称を変え、アルドラの属領となった、失われし王国でございます――』



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