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66 館


 断崖絶壁を眼下に望み、途中何度も足が(すく)みそうになりながら――といっても泉実自身は立って歩いていないのだが――到着したのはあの集落ではなく、林の中に建つ古びた館だった。

 石でできた外壁の大部分が蔦で覆われ、一見、廃墟かとも思えるその建物は、長い間手入れをされていないことがうかがえる。


 泉実は白フードの男二人に両側から腕を掴まれ、おぼつかない足取りで玄関に向かった。実は再び担がれそうになったところを、もう歩けると言って馬から降りた瞬間によろけてしまった結果である。


 ――たった数日で、信じられないくらい体力が落ちてる……。


 泉実はがっくりと首を垂れ、ずるずると引きずられていく。

 三人が館に入ったのを確認すると、残った男は二頭の馬を引き、建物の裏へと移動していった。




 館の中は異様に暗く、まだ日も落ちていないうちから壁のろうそく台に火が灯されていた。

 天井の隅には蜘蛛の巣が張っていたりと、まさに悪の根城(ねじろ)と表現するにぴったりの雰囲気だ。


 泉実は男らに持ち上げられるようにして塔の上まで連れていかれ、簡素なベッドと椅子が一つあるだけの殺風景な部屋に押し込められた。


「ここでおとなしくしてろ」


 背中をドンと押されたあと、ギィ……と重い響きで扉が閉まり、カシャンと(じょう)の掛かる音がした。


 足音が遠ざかってから、泉実はそっと部屋の入り口に歩み寄った。

 扉は鉄製で、ちょうど背の高さの位置に長方形の覗き窓がある。背伸びをして向こう側をうかがったところ、見張りなどはいなかった。

 扉は施錠され、一つしかない窓には鉄格子がはめられている。自力での脱出はまず不可能だ。それで向こうも見張りを置く必要はないと考えているのだろう。

 泉実はため息をついて扉から離れ、硬いベッドに腰を下ろした。


 それから夜になっても、誰もやってくる気配がない。

 手持ち無沙汰になった泉実はとりあえず部屋の中を調べ始め、ベッドの下の隙間に布巾(ふきん)の掛かったポットが隠れているのを発見した。

 床に頭を着けて手を伸ばし、奥にあるそれを引っぱり出してみる。するとポットだと思っていたものには注ぎ口がなく、取っ手と(ふた)の付いた、ただの陶器の瓶であることが分かった。


 ――なんだこれ。


 蓋を開けて覗いてみるも、中は(から)だ。


「??」


 目の高さまで瓶を持ち上げて首をかしげていた時、扉のほうから「何してんだ」という声が飛んできた。

 見れば覗き窓の向こう側から、あの黒フードの男がこちらにぬるい眼差しを向けていた。


 ガチャンと錠が外され、男が入ってくる。


「飯だ」


 盆を手にした相手の全身を見て、泉実は目を丸くした。

 男はもう怪しげなフード姿ではなかった。生成(きなり)のシャツにベージュのズボンという、ごく一般的な格好で、彼を年齢不詳に見せていた不精髭は綺麗に無くなっていた。

 馬車の中では少々不気味な相手に思えたのに、今は酒場にでもいそうな、言い方は変だが普通のゴロツキに見える。年はおそらく、二十五、六といったところだろう。

 髪は肩につく程度に長く、目の色よりも淡い褐色だった。


 だいぶ印象が変わった男をついまじまじと眺めていると、不愉快だといわんばかりに睨み返されてしまった。

 しかし男のほうこそ、はじめ品定めするような目つきで自分を見てはいなかったか。

 泉実は内心むっとしたが、囚われの身という己の立場をわきまえ、ふいと視線を外すに留めた。


 男は泉実の横を通り抜け、食事の載った盆を無造作に椅子の上に置いた。


「食い終わったら扉から見える場所に置いとけ」


 それだけ言って出ていこうとする相手を、泉実は「待ってください」と言って呼び止めた。


「このあとも僕は一人にされるんですか」

「なんだ、話し相手がほしいのか」

「それはいりませんが、この部屋にトイレとかないですよね? 放置されるのは困るんですけど」

「あるだろ、そこに」


 男は顎をしゃくり、泉実がいまだ手にしているものを目で指し示した。


「…………」


 泉実は再び瓶を顔の前に持ち上げ、表情を固まらせる。


「……いや、無理です」

「何わがまま言ってんだ。自分の立場が分かってないようだな」

「――勝手に誘拐しておいて、よく言いますね」

「なんだと――」

「ならもういいです、その食事は持って帰ってください。僕はおとなしく餓死します」


 別に死ぬほどのことではないのだが、あまりの理不尽さに自制を放棄した泉実は、一転して捨て鉢な態度に出た。

 とにかくこれ以上、相手の言いなりになるのが嫌だった。

 男たちの目的が何なのかは知らないが、ここまでの危険を冒して御使いである自分を誘拐したのだ。国家を転覆させようとでもしているに違いない。

 そんな奴らに、死んでも利用されてなるものか――。


 泉実は腹をくくり、持っていた瓶をゴンと床に置いてベッドに潜り込んだ。



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