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63 焦燥


 夜が明けて、今日も見張り台に立つ兵から『空に異変なし』と伝えられると、城の者たちは一様に胸を撫で下ろした。

 文献には、リザリエルが女神のもとに還る時――すなわち、その命が尽きた時、(あかつき)の空に白い一つ星が昇ると記述されている。

 つまり、泉実は生きている。


 だからといって不安が消えた訳ではない。

 リザリエルは不老だが、怪我もすれば病気にもなる。それが元で死に至る場合があるのも、この世界の人間と変わらないのだ。

 今回の誘拐事件を知る者たちは、泉実が無事でいることをただ女神に祈るしかなかった。


 そのうちの一人、シドは、犯人に対しての怒りに打ち震えながら、泉実を守り切れなかったことへの自責の念に駆られていた。

 非常事態を叫ぶ声が館内に響き渡ったのは、別棟に用意された個室で就寝の準備をしていた時だった。私服のまま急いで泉実のもとに駆けつけると、辺りは異様な残り香が漂い、そこかしこに兵が倒れ、だが泉実の姿はどこにもなかった。


 その後屋敷をくまなく調べた結果、食糧庫の中の酒や保存食に手を付けられた跡が見つかり、何者かが長時間そこに潜んでいた可能性が明らかになった。

 賊は、おそらく自分たちが離宮に来る前から、すでに侵入を果たしていたのだ。


 たとえ専属の護衛であろうと、四六時中(あるじ)のそばにいるのは無理だ。それでも、泉実が拉致された時、近くにいながら異変に気づけなかった自分に憤りを感じずにはいられなかった。

 もし最悪の結果を迎えた時には、どんな処分も受ける覚悟はできている。しかし今は、後悔するよりも泉実を救い出すことに専念するのが先だった。

 シドは現地の調査隊に加わり、昼夜を問わず奔走した。



 ◇◇◇



 離宮を離れてから、どれくらいの時間が経っているのか――。

 走る荷馬車の床に横たわり、泉実はぼんやりと考えていた。


 少し前に再び目を覚ました時、相変わらず車内にあのフード姿の男がいた。「やっとお目覚めか」と嫌味のように言われるも、自分が死んでなかったのだと分かり、内心ほっとしたのだ。


「食え」


 床の上に、布に包まれた丸いパンが置かれた。

 だが泉実は食欲がないのと体が重いのとで起き上がる気になれず、目の高さにあるそれに焦点を合わせただけだった。


「フラムの酒が効き過ぎたか。――まあいい。それならそれでこっちも手がかからずに済む」

「…………」

「あと二日、そうやっておとなしく寝てるんだな」


 動こうともしゃべろうともしない泉実を見て、男はくっと笑った。


 ――あと二日……。


 泉実は(うつ)ろな表情の下で、キリエから受けた地理の授業の記憶を引き出していた。

 拉致されてから今の時点で丸一日、多く見積もって二日が過ぎたと仮定して、残り二日の移動距離でこの国を出ることはないはずだ。

 離宮から馬車で三、四日かかる場所――どこだろう。

 アルドラには王都を含め三十七の領がある。それら全ての場所と名称を覚えている訳ではないが、王都周辺であればだいたい言える。

 王都の北が、離宮のあるハサル。さらに北はマリシーク大公のいるナバム。ナバムの東は岩砂漠のあるカナン。ナバムの西は、カザリヤ……ではなかった気がする。


 考えているうちに頭が痛くなってきた。

 心なしか吐き気もする。


 これまでそうであったように、泉実は意外にも二日酔いや乗り物酔いはしない(たち)であったが、今回はやはりあの量のフラムの酒が影響しているらしく、意識がはっきりするにつれ具合の悪さを自覚することになった。


 あとを引かない分、当て身で昏倒(こんとう)させられたほうが、まだましだったかもしれない。


 泉実は失敗したと思いながら、とにかく今の苦痛をやり過ごそうと、揺れる床の上で体を丸め、まぶたを閉じた。



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