56 外泊願い
年が明けた一月一日。
王都デルファの丘に建つ王宮、通称赤の城は、いつになくひっそりとしていた。
アルドラにも正月休みがあり、元日と二日は城の政務区における活動が休止となる。
使用人も交代で休みを取るこの時期は一年のうちで最も人の出入りが少なく、居住区はまだ人がいるものの、泉実はイルゼたちの仕事を増やさぬよう自宮でおとなしく過ごしていた。
かつては大晦日の夜から元旦にかけて、王宮神殿で女神に祈りを捧げる儀式が執り行われていたのだという。それを知った泉実も一応御使いらしく、部屋で一人静かに人々の平和を祈願した。
そんな、王宮がさながら閉館後の美術館のようであったのもわずかの間で、三日の朝からは平常に戻り、昼過ぎになると一気に外から人が押し寄せた。
この日、ハディスは午前に大広間で家臣に向けた年頭の訓示を行い、午後は謁見の間で訪れた大勢の客から新年の挨拶を受けた。今回の訪問客は王都とその周辺に住む名士といった層で、夜は豊穣祭の時よりも小規模であったが、宴が催された。
泉実も午前の訓示式と宴にはハディスと並んで臨席し、滅多に人前に姿を見せないリザリエルの登場は出席者たちを大いに沸かせた。
しかし次の日からは再び宮に引きこもってしまい、泉実以外の者だけが、しばらく慌ただしい日々に追われた。
月が替わった二月なかばのある日、泉実はキリエに繋ぎを頼み、ハディスの部屋を訪れていた。
「そなたのほうから余を訪ねてくるとは。今夜あたり雪になるやもしれんな」
「すみません。この時期は陛下のお仕事がひと段落つくと聞いたんですが、お忙しかったですか?」
この国でも、珍しいことがあると雪が降るとか言うんだ……と思いながら、泉実は向かいに座るハディスの機嫌をうかがった。
「忙しいというほどではない。それで折り入っての話というのは、余に何か頼みごとか」
「――よくお分かりですね」
「そなたが訪ねてくる理由など他になかろう」
面会を希望していると聞いた時点で察しがついていたと、ハディスは軽く喉で笑う。
「して、リザリエルは何をご所望か」
聞き覚えのある台詞を口にするハディスは、どこか余裕ありげである。対して泉実は、やや神妙な面持ちで切り出した。
「……北の離宮に行きたいんです」
「離宮に行きたいとは、突然いかがした」
「必ずまた会いに行くと、ユイン王子と約束しました。あれからもうすぐ半年になりますし……もちろん、今すぐでなくていいんです」
「馬車で離宮に行くとなれば、その日のうちには帰ってこれまい」
「はい。なので外泊するのも含めて、陛下のお許しをいただきたいんです」
「致し方あるまい――許可しよう」
拍子抜けするほどあっさり認められ、泉実は惚けたようにハディスを見た。
「……え、行っていいんですか?」
「とくに却下する理由もない。あまりに頻繁に行き来するのは考えものだが」
「ありがとうございます……!」
「行くのであれば来月以降にいたせ。今はまだ遠出をする気候ではない」
「はい」
泉実は晴れやかな顔で素直に頷いた。
「その時は、陛下も一緒に行きませんか」
「せっかくの誘いであるが、遠慮しておこう」
「どうしてですか。陛下も離宮には何度か行かれてるんですよね?」
「余はいつも馬を駆って行く。それに日帰りだ」
「……そうなんですか?」
それでは単に様子を見に行くだけではないか。
やはり、出ていった妻の家には長居をしたくないということか。
そもそもあちらにユインがいなければ、ハディスは離宮に足を運ぶことさえしないのかもしれない。
たとえ夫婦仲は冷え切っていても、子に対する愛情はまた別だ。自身が大切にしていた本を与えるぐらいなのだから、ハディスもユインのことは、憎からず思っているのは間違いないだろう。
泉実の中で、いつかの疑問が頭をもたげる。
訊くなら、今しかない。
「一つ、お伺いしてもいいですか」
ハディスは『なんだ』という視線を泉実に向ける。
それを許しと取った泉実は、真剣な表情で切り込んだ質問をした。
「ユイン王子がいるのに、陛下が王太子を決めないでいるのはどうしてなんですか」




