54 天意
「数百年に一度、天から降臨するリザリエルの伝説に、少年だった陛下はとても興味を惹かれておいででしたのよ」
「……あの陛下が、伝説や神話に興味を示す子供だったんですか?」
人知を超えた力が確かに存在するこの世界で、民が総じて信心深いのは頷ける。だがハディスはそれほど信仰心が篤いようにも、ロマンチストにも見えない。
「まあ、イヅミ様。王族であればこそ、リザリエルに対して特別な思いを抱くのですわ」
「御使いが手に入れば、政治に有利だからですか」
「それは否定できませんが、御使い様の降臨は、その国の王が女神に認められたことを意味します。一族にとって、これほどの栄誉はございません」
マデイラの説明にも、泉実はまだ腑に落ちないといった顔をした。
「英明な王のもとに、必ずしも御使いが降臨する訳ではありませんよね? キリエさんからこの国の歴史を習いましたが、ラハト王の時代にリザリエルは現れなかった」
ラハト王とは、アルドラの領土を現在の形に広げた四代前の国王だ。歴代君主の中でもとくに賢王の誉れ高く、彼が没して七十年経った今なお、国の英雄として民衆に崇められている。
エステル統一王の再来とまで言われたラハト王の治世に、リザリエルが出現したという記録はない。
「ええ……。それは天の配剤、としか申し上げられません。ですが愚鈍な王のもとに、リザリエルが遣わされることはありません」
それは歴史が証明していると続け、マデイラは居住まいを正した。
「陛下は王となってから今日まで、時に強硬な姿勢を貫いてこられました。それゆえ他者の恨みを買い、謗りを受けることもございました……。ですがこうしてイヅミ様がいらしてくださったおかげで、陛下のされてきたことは、天に仇なすものでなかったと人々に示されたのです。わたくしたちは、イヅミ様に深く感謝しております」
「そんな、僕は……」
自分は、何もしていない。
この世界に来たのは自分の意思とは関係なく、この国に来たのも彼の為を思ってのことではない。いわば、結果論だ。
しかし今それを主張しては、彼女の気持ちを無下にしてしまう。泉実はさりげなく話題を変えることにした。
「……陛下は、この城の人たちに慕われてるんですね」
「城の者だけではございません。陛下は国民からもその手腕を支持されておいでです。そういった噂は、宮の中にいても自然と耳に届くものです」
ハディスを語る彼女はどこか誇らしげで、その様子を見た泉実はあることに思い至った。
「マデイラ様は、陛下のことがお好きなんですか?」
つい口に出してから、瞳を見開いたマデイラの前で、慌てて両手を左右に振った。
「いえ、違うんです。そういう意味じゃなくて……」
本当はそういう意味で訊いたのだが、さすがにデリカシーに欠けていたと気づき、あわあわと言い繕う。
するとマデイラは、可笑しそうにくすりと笑った。
「もちろん、陛下のことは敬愛しておりますわ。実を申しますと、わたくしはサリム様に嫁ぐ前、陛下の妃候補だったことがあるのです」
「え」
「当時、サリム様はザイルの姫君と婚約されておいででした。サリム様はかねてより、妻は一人のみとすると周りにおっしゃっていましたので、次に陛下とわたくしの縁談が持ち上がったのです」
マデイラも一時は、その話を受けるつもりでいたという。
だが彼女が少女の頃より心を寄せていたのは、ハディスの兄であるサリムであった。いつしか両想いになった二人は、国のため、一度は互いにその想いを断ち切ったものの、最終的にサリムが周囲を説得し、マデイラを妃に迎えたのだった。
シュリの姉との縁談が白紙になった理由について、泉実はやはりそうだったのかと思いながら、話に耳を傾けていた。
「……ザイルの姫君には、申し訳ないことをしたと思っております」
マデイラの表情に影が差す。
泉実は、静かに口を開いた。
「王女様は、その後ソーマの王様に嫁ぎ、つつがなく暮らしておいでだそうですよ。ザイルの国王夫妻から、そうお聞きしました」
「さようですのね………」
安心いたしましたとマデイラがつぶやき、それからしばしの間、二人は静寂に包まれた。
――もしも王太子が、ザイルに婚約の解消を申し入れていなかったとしたら。
今こうして目の前にいるのは、夫を亡くしたシュリの姉で、マデイラはハディスの妃として、別の幸せを掴んでいたのかもしれない。
運命とは、皮肉なものだ。
これもまた天の意志なのだろうかと、泉実は複雑な気持ちを胸に、睫毛を伏せるマデイラをそっと目に映していた。




