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53 伝記


 こちらの(こよみ)の体系は、元の世界とほとんど変わりがない。

 一年は十二か月、一か月は三十日だ。

 そして一年の最後の月を迎え、アルドラでも季節は冬に入り、泉実は以前にも増して部屋の中で過ごすことが多くなった。

 ここアルドラは年間を通して気温が高めであるものの、今の時期、太陽の出ない日は昼間でもそれなりに冷える。この日は居間の暖炉に弱い火を入れ、ユインから譲り受けたリザリエルの伝記を久しぶりに読み返していた。

 そこへ、珍しくハディスが訪れた。


「陛下。どうしたんですか、お一人で」


 窓際のテーブル席にいた泉実は本を置き、椅子から立って出迎えた。


「最近そなたの姿を見かけぬゆえ、様子を見に寄っただけだ。そなたも一人か」

「はい。あ、よろしければそちらにどうぞ」


 泉実は暖炉のそばの長椅子を手で示し、茶器のしまってある戸棚に目をやった。

 今日はイルゼはこの宮にいない。泉実が城に来てから初めての暇を取らせているのだ。

 よってここは、自分がお茶でも出すべきかと一応気を回してみる。ただし湯は、誰かに頼んで持ってきてもらうしかない。

 そもそも彼は、お茶とか飲むのだろうか。

 本人に聞いてみるか――と相手を振り返ったところ、ハディスは泉実が読んでいた伝記を手に取り、立ったまま中をぱらぱらとめくっていた。


「その本は、ユイン王子からもらったんです」

「知っている。これは余があれにやったものだ」

「ええ!?」


 思わず声を上げてしまった。

 他の人にはあげられないとユインは言っていたが、まさか、滅多に会えない父王から贈られたものだったとは。

 そんな大事なものを……。


「……すみません、僕がもらってしまいました」

「本人が良いと言ったのだろう? ならば問題ない」


 ハディスは本を閉じ、テーブルの上に戻す。

 しかし次に、彼はすっと泉実に背を向けたかと思うと、「邪魔をしたな」とひと言告げて扉のほうへ歩き出した。

 一瞬、状況が飲み込めなかった泉実はきょとんとするが、ハディスが出ていこうとするのを見て、慌てて声をかけた。


「あの」


 その呼びかけにハディスは歩みを止めて軽く振り向くも、泉実が二の句が継げずにいると、結局そのまま出ていってしまった。


「…………」


 再び一人になった部屋の中で、泉実は呆気にとられたまま、閉まった扉を見つめて立ち尽くした。



 ◇◇◇



「――という訳で、突然来たかと思ったら、突然帰ってしまったんです」


 夕食後、泉実はマデイラに昼間あったことを話した。

 普段よりも遅い時間に、それこそ突然一人でやってきた泉実を、マデイラは驚きながらも快く迎え入れてくれたのだった。


「やっぱり、陛下が王子に贈ったものを僕がもらったのがまずかったんでしょうか」

「陛下がそのようなことで気を悪くなさるとは思えませんが……。陛下も、問題ないとおっしゃったのでしょう?」

「それはそうなんですが……」

「イヅミ様。その伝記というのは、もしや紺色の装丁(そうてい)の本ではありませんか」

「そうです、ご覧になったことがあるんですか?」

「ええ。もう二十年近く前になりますが、陛下がわたくしに、子供向けに書かれたリザリエルの伝記を見せてくださったことがあるのです。書庫にあったのを、お父上に頼んで自分がもらったのだとおっしゃって」


 二十年前と聞いて泉実は目を見張った。

 それ以前から書庫にあったというなら、あの本は結構な年代物だ。


「ユイン王子がお生まれになってから、陛下も離宮には何度か足を運ばれていますので、その折に王子に贈られたのだと思います」


 色々と知らなかった事実に、泉実はただ驚くばかりだ。


 しかし、気を悪くしたのでないなら、どうしてあんなふうに素っ気なく出ていってしまったのか……。


「きっと、子供の頃の宝物を見られて気恥ずかしく思われたのでしょう。しかもイヅミ様は、題材の御使い様ご本人ですもの」

「宝物……? あの本がですか」

「さようですわ」


 マデイラはにっこりと微笑んだ。



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