51 約束
それにしても、今の後宮にハディスが通うような相手がいただろうか。
マデイラとミリシナはまだ若いほうで、先代の妾妃たちはハディスよりもだいぶ年上だ。中には、自分の母親世代の女性もいる。
ひょっとしてお気に入りの女官でもいるのか……とそこまで想像を巡らせ、泉実は軽く頭を振って思考を断った。
他人のプライベートな事情をあれこれ詮索するのは、良くない。
そんな泉実の様子を正面から眺めていたハディスは、口の端をわずかに持ち上げた。
「しかし、意外であったな」
「……何がです?」
「いいや。近いうちに、そなたを城下の南に連れていってやろう」
「城下の南? 何があるんですか?」
「女が大勢いる」
どういうことかと泉実は首をかしげ、それからすぐにハディスの言う女というのが、娼館に身を置く女性たちを指しているのだと理解する。
この世界で最初に出会った相手、エルマが、かつてそうであったように。
「いえ……それは遠慮しておきます」
「今さら、余に遠慮する必要もあるまい」
「そうじゃありません。陛下は僕のこと、誤解してませんか」
「どういった誤解だ」
「ですからその……後宮の人たちは、身内みたいなものじゃないですか。彼女たちは宮を出られないから、僕が出向くしかないですし、みんないい人だし、それに行商人や楽師の人とも話ができるし……」
なんだか言い訳がましい気もしてきたが、それが後宮に行く偽りのない理由なのだから仕方がない。
「そなたの言い分は分かった。それほどまでに今の場所がよいと申すのであれば、部屋替えは見送ろう」
「え? あ。ありがとうございます」
突然話が元に戻った。
たまに不意打ちというか、思考が追いつかないことを言い出す人だ……などと泉実は思いながら、とりあえず引っ越さないで済んだことにほっとする。
「ご厚意を無駄にして申し訳ありません。館の改築までしていただいたのに」
「構わぬ。兵舎の修繕工事があったゆえ、ついでにしたことだ」
さしたる手間でもなかったように言うと、ハディスはそれまでの寛いだ雰囲気を収め、いつものように王者然と構えて告げた。
「明日、ザイルに最後の食糧輸送隊を派遣する」
泉実もはっとしてハディスを見た。
「これでそなたとの約束は果たした」
泉実がアルドラに渡る条件として出した、ザイルへの食糧支援。それが、三回目となる明日の出立をもって終了となる。
「……はい。ありがとうございます」
「話はそれだけだ。戻ってよい」
しかし泉実はその場を動こうとはせず、どこか思いつめた顔でハディスを見つめたまま口を開いた。
「陛下にお願いがあります」
「……なんだ」
「シュリに、手紙を書きたいんです」
ハディスの目がかすかに細められる。
「僕が元気でやってることを、ザイルのみんなに伝えたいんです。なのでどうか、手紙も一緒に持っていってもらえませんか」
泉実は立ち上がり、お願いしますと言って頭を下げた。
対するハディスは一切の表情を消し、少しの間無言を貫いていたが、泉実がそっと顔を上げたところで、不承不承といった風情で応えを返した。
「――いいだろう」
「ありがとうございます……!」
「ただし、渡すだけだ。向こうの返事は持ち帰らぬ」
「はい。それで構いません」
「それと、封をする前に書かれた内容を確認させてもらう」
「それも構いません。手紙は、今日中にお渡しします。それでは――」
挨拶もそこそこに出ていこうとして、泉実は扉の前で「あ」と声を上げ、ハディスを振り返った。
「陛下も何か伝言があれば書いておきますが」
「ないな」
「分かりました。そう書いておきます」
「――――」
むすりと黙り込んだハディスとは対照的に、泉実は嬉しさを隠しきれない様子で部屋を出ると、扉の外に待たせていたシドを伴い、自宮へ戻っていったのだった。




