04 西の大陸
泉実は心を落ち着かせ、女性にはひとまず、気がついたらここにいて何も知らないのだと説明した。
女性は目を丸くしながらも、訳ありと察したのか細かい点には触れず、「すでにどっかで攫われて、あそこに捨てられたのかねぇ」と不思議そうに言った。
ほぼその通りなのだが、別の世界から飛ばされてきた、という発想が相手にないのを見て取った泉実は、真実を伏せておくことにした。
「あたしはエルマ。坊やは?」
「……深谷、泉実です」
少し迷ったあと、フルネームを名乗る。
「変わった名前だねぇ」
エルマはそう返すと、今の状況を泉実に教えた。
ここは『西の大陸』と呼ばれる地で、エステラン語は全土の共通語ということだった。
大陸には現在八つの王国があり、エルマはそのうちの一つ、アルドラ王国で人買いの一味に売り渡されたのだという。
その時彼女が耳にした一味の会話によれば、馬車は大陸中央のザイル王国を抜け、東のソーマ王国へ向かう予定らしかった。
「人買いってのはほとんど人攫いみたいなもんさ。アルドラじゃ重い罪になる。だから遠くに売り払うんだ」
とりあえずの状況を理解した泉実は、壁にもたれてぐったりしている三人のほうに目をやった。
「この人たちは、大丈夫なんですか」
「この娘らはあたしより先に馬車の中にいたんだけど、闇品の香を使われたんだろう。丸一日は意識が朦朧としてこんなふうになるんだ。まあ、命に関わることはないよ」
そう話すエルマは随分と落ち着いており、いささか場慣れしているかにも見え、泉実は内心首をかしげた。
「あたしは昔娼館にいてね。こういう子が連れてこられるのは何度もあったよ」
泉実の疑問を感じ取ったらしいエルマが、理由を明かすように身の上を語り出した。
「年季が明けて男と一緒になったのはいいが、甲斐性のない相手でねぇ。結局また身売りされることになってさ」
つくづく運が悪いよと、エルマは床に目を落として自嘲する。
その横顔を、泉実は言葉もなく見つめるしかなかった。
程なくして馬車が停まった。
数分後、がやがやとした音と共に後方の扉が開き、頭に布を巻いた数人の男が姿を見せた。
「全員、生きてるな」
光の射し込んだ車内をじろりと見回し、首領らしき髭づらの男が野太い声を放った。
男は手下の一人から籠を受け取ると、無造作に泉実の前に置く。
中には、木の水筒といくつかの硬そうなパンがあった。
「小僧、おまえは運がいいぞ。なんであんな岩砂漠にいたかは知らねぇが、俺らに拾われて命が助かったんだからなあ」
下卑た笑みを浮かべ、髭づら男が泉実を見下ろす。
「この辺りじゃ見ない風貌の異邦人だ。おまえは珍しいもの好きの金持ち連中に高値で売れるだろうよ。――目的地まではあと四日かかる。その間せいぜいおとなしくしてろよ。でないと、後ろの女どもみたいになるぞ?」
奥にいる娘たちを顎で示して、ニヤリと口の端を上げる。
そして背後で同じようにニヤついている男たちを促し、扉を閉めさせると閂を掛けた。
馬車は動き出さない。ここで休憩を取るのだろう。
とても食事が喉を通る状態ではなかったが、先は長いから食べたほうがいいとエルマに言われ、彼女と共にパンを一つ手に取った。
――これから、どうなるんだろう……。
口にしたパンは、味がしなかった。
その後二人は馬車の中で、ほとんど黙ったままでいた。
日が高くなるにつれ車内は明るさを増し、室温も上がっていく。ただし空気が乾燥しているため、ほぼ密室の状態でも何とか耐えることができた。
そうして半日が過ぎた頃、事態は急変した。
泉実たちを運ぶ馬車の前にはもう一台、一味が乗った荷馬車が走っていたが、そちらから「お頭!」という声が上がった。
にわかに外が騒がしくなる。
泉実が耳をそばだてると、気づかれたとか、何でこんな所にいるんだといった怒号が飛び交っていた。
――何が起こってるんだ。
思わず腰を浮かせたその瞬間、突然馬車が大きく方向転換し、泉実はあやうく床に倒れ込みそうになる。