36 西の後宮
居住区本館の両端に位置する、東西二つの翼棟。東翼は現在、泉実専用の居住棟であり、西翼は先代の妃たちが暮らす後宮である。
並んで建つこれら三つの棟は渡り廊下で繋がっている。が、今回キリエと共に東翼を出た泉実は、外の回廊を渡って西翼に赴くことにした。本館は王専用の居住棟と聞いて、中を通って行くことに何となく気が引けたからだ。
泉実たちが西翼の玄関前に着くと、連絡を受けていた守衛二人は揃って一礼し、両側から大扉を開けた。
「どうぞ、イヅミ様」
キリエに声をかけられ、泉実は建物の中に足を踏み入れた。
ホールにいた警備兵たちが一斉に敬礼する前を通り、キリエのあとに続いて奥へと進む。この西翼は、自分がいる東翼と左右対称の造りをしているようだと、建物内を観察しながら次の階段を上がっていった。
最上階の三階、その奥にある部屋の前に到着し、キリエは扉をノックした。
「失礼いたします。リザリエルをご案内いたしました」
中から扉が開き、侍女が頭を下げて出迎える。その後ろで、後宮の女主人であるマデイラが物腰柔らかく身を屈めた。
「おいでをお待ちしておりました。亡き王太子の妃、マデイラと申します」
「初めまして、イヅミと申します。お会いできて光栄です」
マデイラは顔を上げ、泉実の前で嬉しげに目を輝かせた。
「イヅミ様――。よろしければ、どうぞあちらにお掛けください」
泉実に奥の長椅子を勧め、マデイラは早速侍女に温かい飲み物を用意するよう告げる。
顔合わせの挨拶だけで済むのだろうと軽く考えていたが、どうやら違ったらしい。
女性と差し向かいで会話することに慣れていない泉実は、一瞬躊躇したものの、覚悟を決めてその場所へ腰を下ろした。
いざ話をしてみると、マデイラは気取ったところのない温和な人柄で、泉実の緊張はすぐに和らいだ。
彼女は前王の妹の息女であり、少女の頃からこの城に遊びに来ていたのだという。
「――じゃあマデイラ様は、王様のいとこなんですか?」
「はい。陛下のお小さい頃も、よく存じておりますわ」
当時を思い出しているのか、ふふといたずらっぽく笑うマデイラの顔立ちは、言われてみればハディスやユインに似通ったところがある。
そこで泉実は思った。
彼女の亡き夫である王太子には、当初シュリの姉が嫁ぐはずだったのだ。それがアルドラの申し入れにより破談になったというが、もしかすると王太子はマデイラのことが好きで、最終的にその想いを貫いたのではないだろうか。
あるいは、二人は元々恋人同士だったのかもしれない。
子供の頃から付き合いがあったというなら、ありえない話ではない。
「ところでイヅミ様」
「あ。はい」
「陛下とはお話しされました?」
「話……? なんのでしょう」
泉実がきょとんとして問い返すと、マデイラも不思議そうに小首をかしげた。
「なんの、と申しますか、陛下が色々とお話を聞きたがりますでしょう?」
「それが、こちらに来てまだ一回しか会ってなくて」
「まあ……」
わずかに表情を曇らせるマデイラを前に、泉実はいたたまれない気持ちになる。
いくら忙しいとはいえ、王が今日まで一度しか顔を見せないのは、初対面の一件が尾を引いているせいだと今はさすがに分かっていた。
「お話し中のところを失礼いたします。イヅミ様、そろそろおいとまいたしませんと……」
助け舟を出すかのように、キリエが控えめに声をかけてきた。
「あ、うん。そうだね。申し訳ありませんがマデイラ様、今日はこれで……」
泉実はいそいそと立ち上がる。
「わたくしも、つい時間を忘れて話し込んでしまいましたわ。長くお引き止めして申し訳ございませんでした」
「いえ、お話しできて楽しかったです。マデイラ様も、来週の宴には出席されるんですよね?」
「そのつもりでおります」
「じゃあ、またその時に」
「はい、それではまた」
ご機嫌ようと、ドレスの両端をつまんで優雅に礼をするマデイラに、泉実も軽く会釈をしてキリエと共に部屋を出た。




