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29 新生活


 この世界に来て、そろそろ二か月が経とうとしている。

 何の前触れもなく異世界に飛ばされ、初日から人買いなどというものに捕まり、城に呼ばれて王子と出会い、自分が女神の使いだと告げられた。

 そこへ突然乗り込んできた隣国の王。自分は今、その王の城にいる。

 この先はどんな展開が待ち受けていることか――。


 朝日が射し込む部屋の中で、泉実は家族と過ごした最後の晩から今日までの、非現実的な出来事を回想していた。


 寝ている間に城に着いたらしく、目覚めた時にはベッドの上だった。

 ベッドを降りて扉を開けると、この居間があった。そのまた先にある扉を開けると、そこは廊下で、すぐ脇に立つ見張りの兵士と至近距離で目が合ってしまった。

 そして「どうぞ室内でお待ちください」と慇懃(いんぎん)に押し戻され、目の前でパタンと扉を閉められた。


 かくして泉実は言われた通りに、椅子に座ってこのあと訪れるであろう人物を待っていた。

 パジャマ姿という心許(こころもと)ない格好であったが、旅の間に着ていた服は、見回した限り部屋の中になかった。

 衣装箪笥(たんす)には何着か見慣れぬ服が掛けてあったものの、今ひとつ着方が分からなかったため、着替えを断念したのだ。


 ちなみに今身に着けているパジャマは、こちらの世界に降り立った時に着ていたものだ。

 手荷物の中にあったそれに、誰かが着替えさせてくれたらしい。

 そう知った時は赤面し、そもそも自分でこの部屋に来た記憶がないと気づいた時には、思わず手で顔を覆った。

 もし誰かに抱えられて運ばれたのなら恥ずかしすぎる。担架のようなものに乗せられたのだとしたら、それはそれで恥ずかしい。

 なぜ起こしてくれなかったのだという憤りが込み上げそうになるも、それは相手方の配慮だと分かっているので、泉実はもはや考えまいと必死に無心を保とうとした。


 そうして己と闘っていると、コンコンと扉がノックされ、「失礼いたします」という男性の声がかかった。 

 やってきたのは一組の男女だった。彼らは立ち上がった泉実の前まで歩み寄り、(ひざまず)いて礼をとる。


「リザリエルにはお初にお目にかかります。陛下のおそば近くにお仕えしております、キリエと申します」

「イルゼと申します。本日より、御身(おんみ)のお世話をさせていただきます」


 男女の順で挨拶を述べた二人を、泉実は自然と見下ろす形で眺めた。

 キリエは二十代なかばで、イルゼはもう少し上だろうか。

 イルゼは侍女と分かる格好をしているが、王の側近だというキリエは神官のようなローブを着て、銀色の真っ直ぐな長い髪を背に流している。

 アルドラの王宮に神官はいないはずなので、ルークと似たような立場の文官なのだろう。

 ただし硬質な雰囲気を持つルークとは対照的に、こちらは柔和な印象だ。


「……イヅミといいます。よろしくお願いします」


 泉実はこの世界での呼び名を名乗った。

 そのほうがスムーズに事が運ぶのを、今や学習したからだ。


 泉実が挨拶を返すと、キリエとイルゼは静かに姿勢を元に戻した。


「アルドラにお越しくださいましたこと、国民に代わり心よりお礼申し上げます。城でお過ごしいただくにあたり、この先不自由をおかけすることのないよう、皆で努めさせていただきます」


 穏やかに歓迎の意を伝えるキリエの隣で、イルゼも口元に微笑みを(たた)えている。

 泉実もそんな二人の前で表情を和らげた。


「ありがとうございます。でも、そんなに気を遣わないでください。そのほうが僕も気楽なので」


 それは意外な返事であったのか、彼らはかすかに目を見張ったが、キリエはすぐに心得たように「かしこまりました」と応じ、イルゼもまた控えめに頭を下げた。



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