28 デルファの都
出立の時間を迎え、離宮の正門に人々が揃う。
泉実との別れに、シェラネイアとユインをはじめ、集まった使用人たちもが目に涙を浮かべている。泉実も名残惜しくあったが、シェラネイアと丁寧な挨拶の言葉を交わすと、ユインの前では屈んで言った。
「本、ありがとう。今度会いに来る時には、お土産を持ってくるからね」
「ほんとうですか? ほんとうにまた会いにきてくださいますか?」
「必ずまた来るよ。約束する」
ユインの顔がぱあっと明るくなる。
泉実も優しく微笑み返し、そばでシェラネイアがそっと涙を拭った。
泉実に続いてヴァーリとセネガが馬車に乗り込み、出発の号令がかかる。
旅の最後となるこの日、王都への帰還を目指す一行は、離宮の全員に見送られながら白亜の建物をあとにした。
再び車中の人となり、離宮で過ごした穏やかな時間の余韻に浸っていた泉実は、ある小さな疑問を抱いた。
今回離宮に立ち寄ったのは予定外のことであり、元々の旅程にはなかった。
それは、なぜなのか。
シェラネイアもユインも自分の訪問を心から歓迎してくれていた。あの場所は元は湯治場であったというが、見た限りでは、二人とも病気がちという訳でもなさそうだった。
単に移動の最短ルートから外れていたからなのか。しかし気になったのは、王の名前が出た時のシェラネイアの態度だ。
どこかよそよそしい、あるいは王を恐れているような印象を受けた。
――ひょっとして、夫婦仲が良くないんだろうか……。
妃の一人ということは、王の妃は他にもいるのだ。もしかするとそのあたりの事情が絡んでいるのかもしれない。
泉実はぼんやりとした表情で、そんなことをつらつらと考えていた。
車内ではヴァーリもまた、離宮を出立する前に家令から告げられた言葉を思い返していた。
――シェラネイア様の、あのような弾んだ笑顔を目にしたのは数年ぶりにございます――。
この地に移り住んで以来、彼女が王子の前以外で明るい表情を見せることは、ほとんどなかったと言っていた。
そして使用人一同、リザリエルに感謝していると伝えてほしいとも。
だがヴァーリは今それを泉実に伝えることはせず、この場は自らの胸の内に留め置いた。
◇◇◇
月明かりが照らす中、隊列は人もまばらになった大通りをゆっくりと進んでいく。
近くの教会で夜の十時を告げる鐘が鳴らされる。それは一日の最後の時鐘だ。この先の小高い丘の上に建つ王宮は、もう目の前に見えてきていた。
ここ王都デルファの中心部に位置する広大な王宮、通称赤の城は、ザイルの王城とはまったく趣を異にする。
ザイルの城がヨーロッパの瀟洒な古城を思わせるのに対し、アルドラの城は、中東の遺跡に見る堅牢な要塞を彷彿とさせる様式で、どこか威圧的でさえある。
そう泉実なら感想を抱くところだが、馬車の中で寝息を立てている当人が、その全景を目にするのはまた後日の話であった。
隊の帰還を受け、王宮内は一気に慌ただしさを見せる。
アルドラ王ハディスはリザリエル到着の知らせに謁見の間へと向かっていたが、途中で出くわした帰還兵の報告に足を止めた。
「リザリエルは馬車の中で眠っておられます。いかがいたしますか」
「起こせばよかろう」
「しかしながら、お元気になられたとはいえ病み上がりでいらっしゃいますので……」
腰を折り曲げてかしこまりつつ、王にやんわりと異議を唱えるのはセネガである。
いかがいたしますかなどと言いながら、起こすのは忍びないのでそのまま部屋に運んでいいかと訊いているのだ。
「……ローエンを呼べ」
「ローエン軍団長、でございますか」
「奴に部屋まで運ばせろ。大柄で厳ついあの男なら容易いことだろう」
今ここにはいない泉実への意趣返しとも取れる命を下すと、ハディスは踵を返して元来た道を戻っていく。
セネガはそんな主君に内心ため息をつくも、神妙な面持ちで「御意」と頭を下げ、その後ろ姿を見送った。




