26 妃と王子
それよりも、他人の宮で自由にくつろいでいたことが申し訳なかった。
しかも夜遅くに一個中隊で押しかけたのだ。
泉実はヴァーリを説得し、こちらから挨拶に出向くと伝えてもらうことにした。
ヴァーリとセネガの二人を伴い、妃の待つ部屋を訪れる。
玄関ホールに程近いその部屋には、妃と幼い王子、そして数人の使用人がいた。
彼らは泉実の姿をみとめると同時に、揃って腰を落とし、頭を垂れた。
「ようこそお立ち寄りくださいました。わたくしはこの宮に居住を許されております、シェラネイアと申します」
「ユインともうします」
妃に次いで王子が名乗る。王子は五歳くらいと思われるが、話し方はしっかりしていた。
「昨夜はご挨拶ができる状況ではないと伺っておりましたので、お出迎えを差し控えました。非礼のほど、どうかお許しください」
シェラネイアの説明を聞き、離宮の住人が姿を見せなかったのはそういう理由だったのかと泉実は納得した。
確かに、あの状態で初対面の挨拶をされても、まともな受け答えはできなかっただろう。
「どうぞ顔をお上げください、シェラネイア妃。皆さんもお立ちになってください」
泉実の応えを受け、礼をとっていた者たちが静かに立ち上がる。
王の妃であるシェラネイアは、泉実が見ても美しいと思う女性だった。目元が若干きつめだが、全体の雰囲気にはどこか憂いがある――そんな不思議な印象を同時に受けた。
「お心遣い、ありがとうございます。こちらこそ突然お邪魔して、色々とご迷惑をおかけしました」
「いいえ……! わたくしどもは、リザリエルにお目見えが叶いましたことを女神に感謝しております」
それは本心のようで、シェラネイアは眩しいものを前にしたような眼差しで言った。
隣に並ぶユインも、きらきらと瞳を輝かせてこちらを見上げている。
――かわいいな。
泉実は目を細めて、弟の伊織と同じ年頃のユインを眺めた。
話し方といい表情といい、利発そうな子だ。
顔立ちは両親のどちらにも似ている。瞳も髪も琥珀色なのは、母親譲りだ。
シェラネイアも愛おしそうに我が子を見つめたあと、泉実に気遣わしげな視線を向けた。
「ところで、お体のほうはもうよろしいのですか?」
「はい。こちらに立ち寄ったおかげで、この通り元気になりました」
「ああ……本当に安心いたしました。やはりお疲れでいらっしゃったのでしょう。どうぞ何日でも、こちらにいらしてくださいませ」
「ええと……」
泉実はヴァーリを振り返り、判断を仰ぐ。
ヴァーリはそんな泉実に代わり、幾分かしこまって口を開いた。
「恐れながら妃殿下、陛下がリザリエルのおいでをお待ちでいらっしゃいますので……」
シェラネイアはさっと顔色を変えた。
「……そうでしたわね。差し出がましいことを申し上げました」
シェラネイアはドレスの両端を持ち上げ、泉実に対し「申し訳ございません」と頭を下げた。
何やら気まずい雰囲気になったと泉実は内心うろたえるも、意を決してヴァーリに尋ねた。
「このあとの予定は、どうなってますか」
「昼頃に出立し、今夜遅く、城に到着する予定でおります」
「――もう一日、予定を延ばすことはできませんか?」
シェラネイアが目を見張るそばで、ヴァーリは泉実のたっての願い出に、どうしたものかと思案顔になった。
当初の予定からは、すでに半日以上遅れている。
しかし昨夜の時点で、泉実がある程度動けるようになるまで離宮に滞在するつもりでいたのだ。ならばこの際、たいした問題ではない。
そう結論付け、ヴァーリは一つ頷いた。
「承知いたしました。そのように取り計らいましょう」
泉実は表情を綻ばせる。
「ありがとうございます、ヴァーリ副将軍」
「いえ。妃殿下もよろしゅうございますか」
「ええ、もちろんですわ。でも、陛下のご機嫌を損ねてしまうのでは……」
心配するシェラネイアを見て、泉実が口を挟んだ。
「僕が身勝手なのは、王様はもうご存知ですし」
するとシェラネイアの瞳が驚いたように見開かれた。
――あれ。
もしや、アルドラ王が城に乗り込んできた日のことは伝わっていないのだろうか。
見ればヴァーリとセネガは微妙な表情でだんまりを決め込んでいる。泉実は慌てて「そういうことで、改めてお世話になります」と挨拶をして、自らの発言についてお茶を濁した。