25 離宮
その白亜の宮殿に一行が到着したのは、夜も遅い時刻だった。
門まで出迎えた管理人の案内のもと、足をふらつかせる泉実を両側から兵が支え、時間をかけて建物の中を移動する。
一階に用意された客間に着いてすぐ、泉実は奥の寝室のベッドに寝かせられた。
「交代で待機し、異変があればただちに報告せよ」
続きの居間でセネガは部下たちに命じ、いったんその場をあとにして、ヴァーリのいる別室へと向かっていった。
不安な夜が、静かに更けていく――。
◇◇◇
――小鳥のさえずりが聞こえる。
目を覚ました泉実はしばらく天井を見つめ、それからゆっくりと体を起こし、室内を見回した。
ここが離宮であることは分かっていた。昨日ヴァーリから、予定を変更し宿泊地を変えると説明されたのも覚えている。
泉実はそっとベッドから降りた。
久しぶりに、体が軽い。
カーテン越しに陽光の漏れるテラス窓に歩み寄り、片側の窓を押し開ける。目の前には、花と緑に囲まれた庭園が広がっていた。
そのままテラスに一歩踏み出した直後、背後で素早いノックに続き、ガチャッと扉が開く音がした。
振り向いた先に現れたのは、あの短い黒髪の兵士だった。こちらを見て驚いた顔をしている。
泉実もびっくりして固まっていると、相手ははっと我に返った様子で頭を下げた。
「失礼いたしました。居間に控えておりましたところ、物音が聞こえたものですから……もう、起き上がられてよろしいのですか」
「あ……はい。おかげさまで、だいぶ良くなりました」
まだ本調子ではないものの、昨夜まで感じていただるさが嘘のように消えている。
滑らかな口調で話す泉実の様子に、兵士は心底ほっとしたように息を吐き出し、しかしすぐに表情を引き締めた。
そして「隊長を呼んでまいります」と言って一礼し、部屋を出ていった。
――目も黒いんだ。
馬車の中で見た時には分からなかったが、兵士は髪色同様、瞳の色も黒かった。
あのマンガのキャラと同じだ……と、泉実がぼんやり思っていると、その後すぐにヴァーリとセネガが部屋に駆けつけた。
リザリエルが立って話ができるまでに回復した――その報告に隊の間には安堵感が広がり、ヴァーリとセネガは、旅程を変更した今回の判断が正しかったことに胸を撫で下ろした。
部屋での軽い朝食のあと、泉実はヴァーリに湯浴みを勧められた。
この離宮の敷地内に、温泉があるというのだ。
「ここは元々、兵の傷を癒やすための湯治場だったのです」
そう説明しながら、ヴァーリは泉実を離れの浴場まで案内する。
建物の裏手、木々に囲まれた一角にあったのは、石で縁取られた丸い形の温泉風呂だった。湯はほのかに乳白色をしており、日本にいるような光景に泉実は懐かしさを覚えた。
ザイルの王城でも、湯を張るタイプの浴場を何度か利用したことはあった。だが水不足の話を聞いてからは、水を絞った手拭いで体を拭くに留めていた。
なので久々に風呂に入れるのは嬉しかった。泉実はゆっくりと湯につかり、旅の疲れを流した。
部屋に戻ると、グラスに注いだ水がテーブルの上に用意されていた。
血色も良くなり、すっかり生気を取り戻した泉実が半分ほどそれを飲み干したところで、ヴァーリが告げた。
「このあと、シェラネイア妃がご挨拶にみえられます」
「シェラネイア妃……?」
「はい。この離宮にお住まいの、陛下のお妃でいらっしゃいます」
お住まいの、と聞いて泉実は驚いた。
管理人以外に住人の姿がなかったことから、この離宮は別荘か何かで、普段は使われていないと思い込んでいたのだ。
「王妃様が、こちらにお住まいなんですか?」
「ザイルでいうところの王妃にはあたられません。妃のお一人でいらっしゃいます」
「……ご側室ですか?」
「いえ、ご妾妃ではなく正式な妃殿下となられますが、事情があって六年ほど前から王宮より遠ざかっておいでです。この離宮でお生まれになった、ユイン王子と共にお住まいでいらっしゃいます」
ヴァーリはあえて詳しい説明を避けているようだ。
とりあえず、その事情とやらには触れないほうが良さそうだと、泉実は膨らみかけた疑問を頭から追いやる。




