22 別離
泉実がザイルを離れることが決定し、またアルドラからの申し入れもあり、ザイル国民へのリザリエルに関する公示は見送られることになった。
そして今回の件で皮肉にも当面の問題から解放されたシュリは、ほとんど毎日を泉実と共に過ごした。今日はかねてからの約束通り、お忍びで泉実を街に連れて来ていた。
シュリと泉実の後ろにルークが付き従い、さらに離れた後方にも数人の護衛がいる。格好は全員、周囲と同じくフード姿だ。
休日の午後ということもあり、賑わいを見せる王都の中心部を二人で話しながら歩いていると、少し先から香ばしい匂いが漂ってきた。
見れば、通りの屋台で男が煎餅のようなものを焼いている。
「あれはパルテという菓子だ。食べてみる?」
店の様子を興味深く眺めている泉実に、シュリが水を向けた。
「うん。僕が買うよ」
その返事にシュリは小さく驚いた。
泉実に小遣いは渡していない。金銭はルークに預けており、支払いの際はそこから出すつもりでいた。
しかし泉実は屋台の前まで行き、店主との短いやりとりのあと、ちゃんと品物を受け取ってきた。
「三つ買ってきたから一つずつどうぞ」
そう言ってシュリとルークにパルテの乗った小皿を差し出す。
庶民にとって紙は貴重なため、露店などでは紙に包むのではなく、使い回しの皿で渡すのだ。
「ああ、ありがとう……」
シュリと泉実がそれぞれを手に取ってから、ルークも丁寧に礼を述べて最後の一つを取り、泉実の手から空になった皿を引き取った。
泉実はまだ温かいパルテを一口かじる。
「甘くないんだ。でも美味しい」
それはサクサクとした食感で、塩と胡椒のきいた厚切りのポテトチップスに似た味だった。
「イヅミ、さっきの銀貨はどうしたの」
シュリは、泉実が腰のあたりから銀貨を取り出して店主に払うのを見ていた。
「メイゼン先生がくれた」
泉実はフードの前をめくり、腰布にくくりつけていた巾着袋を見せた。
メイゼンは泉実に、今は文字だけでなく生活に必要な上での一般知識も教えている。
ある日の授業のあと、メイゼンは教材として使用したザイルの貨幣を、小遣いと称して泉実に受け取らせていたのだった。
「お金は先生のだから問題ないって言われたんだけど、もらったりしてまずかった?」
「いや、まったく問題ないよ」
ザイルの貨幣はアルドラでも通用するが、今後泉実が使うことはないだろうと思い、シュリは「残りは記念に取っておくといい」と言った。
◇◇◇
約束の期限が来た。
昼を過ぎて、アルドラから荷馬車に積まれた大量の食糧と、泉実の迎えの騎馬隊が到着した。
敷地の一角では家臣らが総出で荷の積み下ろし作業にあたり、城の正面玄関には国王夫妻とシュリ、そして東の宮の者たちが泉実の見送りに集まっていた。
「王様、王妃様。色々とお世話になりました。この城で過ごした思い出は一生忘れません」
そばにアルドラ兵が控える中、泉実の別れの挨拶に王は無念の表情を浮かべ、王妃は袖で目元を拭う。
夫妻は改めて、ザイルの危機を救ってくれたことへの礼を言い、知らぬ土地へ渡る泉実に労りの言葉をかけた。
「……シュリ」
泉実は、沈痛な面持ちで佇むシュリの前に歩み寄った。
「シュリは将来、きっと立派な王になる。僕はこの国を離れるけど、これからもずっと、ザイルの平和を祈ってる」
泉実の表情は穏やかだ。
シュリはそんな泉実を痛みをこらえるような顔で見つめていたが、ふっと目を伏せると、いつもの優しい眼差しに戻って言った。
「ありがとう……アルドラに行ってもきみが幸福でいられるよう願っている。きみがどこにいようと、私たちの心はきみと共にある」
シュリは泉実を抱きしめた。
「どうか元気で……」
「――シュリも、身体に気をつけて」
別れの抱擁を交わし、泉実は涙の浮かんだ目で玄関前に整列する人々を見た。
「皆さん、お世話になりました」
ルークやメイゼン、そして泉実の世話をしてきた使用人たちは、その言葉に無言で頭を下げる。
そこまでを見届け、アルドラ兵の一人が泉実の前に進み出た。
「では、どうぞこちらへ」
案内されるまま馬車に乗り、次いで二人のアルドラ兵が車内に乗り込んだあと、外から扉が閉まった。
泉実は窓を覆うカーテンをほんの少し引き、そっと外に目をやった。
隊列が動き出し、先頭の馬に続いて馬車はゆるやかに方向を変える。窓越しに見送る人々の姿は流れるように見えなくなり、やがて景色は、城の敷地から城壁の外へと移り変わった。
こうして泉実は、六週間滞在したザイルの城と、親しい人々に別れを告げたのだった。




