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恋愛不適合

作者: 本宮愁

 僕には恋愛感情というものがよくわからない。よくわからないものを向けてくる相手の気が知れない。よくわからないものを受け取って喜ぶ人間の気が知れない。よくわからないものに振り回されて泣く人間の気が知れない。よくわからないものをよくわからないと言う僕が、よくわからないものを見る目を向けられる意味がよくわからない。よくわからないという言葉の意味すらよくわからなくなってきた。よくもなにもわからないのだ。まったく。おそらく。僕以外の多くの人にとってはわからないことがわからないようなことが、わからない。


 僕にとって、恋愛感情を含有した好意を向けられることは、わけがわからないまま銃口を向けられるようなものなのに。ただそこにあるだけで恐ろしくてたまらなくて気持ち悪くて、なにをどうしたらいいのかもわからなくなるくらいなのに。現実は御礼を言った上で丁重に受け取るか謹んで辞退することを求められる。跳ね除ける気力すらなく逃げ出せば、どこまでも追いかけてきて僕の首を締める。まったくの無自覚に。底なしの善意と好意とで、僕は何度でも殺される。


 わからないんだ。どうして恋愛感情なんて厄介なものが存在するのか。どうして恋愛感情なんて厄介なものを、皆が皆、有り難がって抱きしめるのか。それに殺されかける人間がいるということを、どうして想像しないんだろうか。


「いいじゃん、付き合っちゃえば」


 ――想像したことがあるのなら、こんなにも無責任で残酷な提言をしたりするはずがないだろう。


「他人事だと思いやがって」

「だって他人事だもん」


 しれっと答えたアツシは、退屈そうに頬杖をついたまま、背もたれと向き合うように姿勢悪く座った椅子の両脇から足を伸ばした。ちゃっかり僕の領域を侵そうとしてきたので、それ以上の侵犯は断固拒否して脛を蹴る。アツシの顔が歪んだ。


「ってて……。そりゃあさ、ハクトにとって死活問題らしいってのは一応わかってるよ。羨ましい悩み抱えやがってイケメン死ねとしか思わねーけど」

「わかってねーじゃねぇか糞野郎」

「わかってるわかってる。少なくとも、ハクトの悪評を知った上で告ってくる馬鹿女よりは」


 ニコニコ笑いながら言う台詞か。つねづね糞だ糞だと思いつづけてきた親友の糞野郎警戒レベルを一段引き上げながら、これ見よがしに溜息を吐きだす。


「あれ、勇者って呼んだ方がよかった? 魔王ハクトの鉄壁城塞へ果敢に挑む女勇者様御一行とか」

「人のこと言えた口かよ」

「まあなんだ、お前も俺も恋愛不適合。独り身同士さみしく肩を寄せ合って、この冬空を仰ごうじゃないか」

「うるせえ。アツシこそ、ふらふら遊び歩いてないで相手絞ったらどうだ」

「え? なに言ってんの。女の子はいくらいても足りないくらいだよ」


 だって飽きちゃうもん。満面の笑みで爽やかに言い放つアツシは、ゲスの中のゲスだと思う。常に愛情に飢え、いくら愛されても足りないと言い、与えられた愛情に満足できずに次から次へと女の元を渡り歩く。無尽蔵に愛を求めて、誰かと繋がってなければ生きてる気がしないと公言してすらいるのに、自分から愛そうとはしない。こいつに比べれば、押しつけがましい愛情を嫌って拒絶しまくる僕の我儘なんて可愛いものじゃないか。なのに女の子は、僕に対しては泣いても、アツシに対しては笑っている。僕の仕打ちは最低だと罵っても、アツシのやることなすこと簡単に許すのだ。まったく、わけがわからない。


「受け入れちゃえばいいんだよ。馬鹿正直に受け止めようとするから苦しいんだ。テキトーに受け入れたフリだけして、テキトーに捨てちゃえばいいのに。ハクトって優しいのか酷いのかわかんないね」


 そりゃわからないだろうさ。僕が死ぬ気で拒絶する、理解不能な代物を、酸素のように絶え間なく求めつづけるような人間に、わかるはずがない。僕から見えるアツシの生き方は、通りがかりの人間に媚びる金魚のように滑稽だ。狭い水槽の中で、そうしていれば餌を与えられると頑なに信じて、はくはくと口を動かすアツシの間抜けな姿を思い浮かべ、ひそかに溜飲を下げる。


「ハぁクぅトぉくん? ノーコメントですか。無視ですか。放置プレイですか。構ってくれなきゃ死んじゃうヨ、俺。酷いナア。ハクトくんは薄情だナア」

「うぜえ……」


 女の子に歓声を上げられるのが趣味と豪語する男の、首を傾げるあざとい仕草を胡乱な目で一瞥しながら、僕は捨て鉢な気持ちになって呟いた。


「だからわかんねーんだよ」


 わからないから。わからないなりに僕は筋を通そうとしているつもりだ。わからないからこそ尊重するし、わからないからこそ慎重になる。僕は僕なりの優しさ、なけなしの誠意を見せているつもりなのに、そうは受け取ってもらえない。誠意の欠片もないアツシの対応が許されて、僕の対応が許されない理由はなんだ。不条理すぎる。


「なになに、真剣にお悩み?」

「僕はいつでも真剣だ」


 お前と一緒にするなと言外に告げれば、アツシはゲラゲラと大口を開けて笑った。この野郎、ベッドの上で女に首絞められて死ね。口から溢れた暴言に「それ最高!」とアツシは手を叩く。糞野郎はやはり糞野郎だった。脳内回路イカれてんじゃねーの。寝込み襲われて刺されて死ね。やっぱムカつくから街角で馬に蹴られて死ね。


「正直さあ」

「なんだよ」


 苦々しい気持ちを隠しもせず、アツシの発言に耳を傾ける。僕も丸くなったものだ。


「なんでもいいと思うんだよね、俺は。今が楽しけりゃそれでいーじゃん、って。俺も楽しい。相手も楽しい。まさにwin-winの関係、誰も損しないし傷つかない。俺とハクトみたいな。最高じゃん」

「お前それ適当に言ってんだろ」

「だぁからテキトーでいいんだって何事も」


 馬鹿馬鹿しい。返事をする気力も削がれて溜息を落とす。こうも適当なやつといると、忍耐と寛容が自然と身についていく。こっちも適当にならなくては付き合いきれなくなるのだ。世の大半の物事はそう単純に片付かないということを、誰かこいつに教えてやってくれ。


「たまに僕はなんでお前と親友やれてんのか不思議に思うことがある」

「奇遇だね、俺も」


 間髪入れずに答えてきたアツシには僕をイラつかせている自覚があると考えていいのだろうか。殴りたい。


「ハクトって単純なことを難しく考える天才だよな。溜息ばっかついてさ。そろそろ幸せタンクすっからかんになってんじゃねーの」

「どうせ僕から逃げた幸せはアツシが捕まえてんだろ」

「人を疫病神みたいに言うなって。福の神の間違いだろ?」

「どのツラ下げて」


 百歩譲って僕にとっては――面倒ごとからの解放という意味で――福を運んでいると言えなくもないが、アツシの毒牙にかかる女の子にとっては――俄かには信じがたいことに彼女たちは望んで受け入れているようでもある――間違いなく疫病神だろう。


 僕はアツシのことを糞だと思うが金魚の糞だとは思っていない。僕自身は金魚という柄ではないし、どちらかといえばアツシこそが金魚だ。飛び出そうな大きく丸っこい目をした出目金など、よく似ている。飛び抜けて器量が良いわけではないが、なんとなく人を惹きつける愛嬌があるのだ。


 整えられた水槽の中で鮮やかな尾を揺らし、絶え間なく餌を求める金魚は、自ら満たされることを知らない。華やかな姿を愛でられる他に存在する意義を持たない観賞魚は、野に放たれては生きていけない。カルキ抜きされた真水の中を悠々と泳ぎ回るだけ。不自由な自由を謳歌して、外界のどこにも存在しない人工的に作り上げられた理想的な環境の中で、為されるがまま与えられるまま生き、そして死ぬ。


 羨ましくは、ない。同じものが欲しいとは思わない。だけど時たま、どうにも眩しく思う一瞬があるという、ただそれだけだ。ぼんやりとアツシを見つめていると、不意に丸っこい瞳と視線がぶつかった。


「なんだよ嫉妬してんのかあ?」

「いや微塵も」

「もぉハクトくんったら冷たァい。アッくん泣いちゃう」

「意味わかんねーよ」


 くだらない会話をする間も、ひっきりなしに震えるスマートフォンを慣れた手つきで操作しつづけるアツシの横顔を眺めながら、やはり僕には恋愛感情というものがよくわからないと思った。


 アツシの訴える、24時間365日絶えず誰かと繋がっていたいという飢餓に基づく恐怖は、僕の理解を超えている。僕の恐怖をアツシが理解できないように、僕にはアツシの恐怖が理解できない。そういうことなのだろう。


 アツシは金魚だ。水槽どころか狭い鉢の中に収まっても、それを当然のこととして、あるいは無上の幸せとして受け入れることができる、愛されるために生まれた魚だ。アツシの世界は僕には狭すぎる。あまりにも窮屈で、長居するには身がもたないし、餌の味を知る前に僕はきっと窒息してしまう。その場所に留まること、たったそれだけで僕は死ねる。どんなに深い愛情の形だとしても、あるいは一過性の熱に過ぎないとしても、僕を殺すには十分な猛毒なのだ。


 だから僕は拒絶する。死に物狂いで心を拒む。愛情を抱くのは結構、ただし遠くでやってくれ。僕を巻き込まずに、惚れた腫れたは知らぬところで終わらせて欲しい。


 僕に向けられたウェットな感情をドライな関係に昇華させてくれる特別製の乾燥機――そう考えれば、この共生関係は中々どうして悪くない。アツシの言うところのwin-winの関係というやつだ。ただしそれを誰も傷つかない最高の関係などと言えるほど、僕は他人の痛みに鈍感ではないつもりだし、だからこそこうして悩みもするのである。面倒くさいと言われようが、不器用だねと笑われようが、どうしようもない。これが僕の性分だ。


「はーくん明日暇だよね」

「気色悪い呼び方やめろ。……誰とお楽しみの予定か知らないけど、僕は行かないからな」

「ごめんもうハクト連れてくって言っちゃった」

「っとになにもわかってねーなお前は!」


 まあまあ黙って座っててくれりゃいいから、と僕が参加する大前提でコンパの予定を立て、なんの慰みにもならない台詞を吐くアツシを、明日あたり全力でブン殴ろうと決めた。


「千歩譲って僕はいいとして、可哀想だろうが」

「は、なにが?」

「お前の毒牙にかかる女の子がだよ」

「ひゅー、いっけめぇーん」

「うぜえ……」

「お口が悪いですよハクトくん」

「誰のせいだと思ってんだ」

「え、俺? 俺ったらそんな影響力もってたん? やべー俺すげー流石すぎるわマジで」

「いつになったら死んでくれんのお前まじで」


 ヒッデェの、と笑いながら、アツシの視線は手のひらサイズの画面に釘付けだ。


「お前のどこがいいのか僕にはまったく理解できない」

「あんさー、俺、優しいよ? 俺を好いてくれる子には超優しくすんの。もらった愛情のぶんだけ優しさ返してんのよ、わかる?」

「だとしてもそれは本物の優しさじゃねーよ」

「真面目だねぇ」


 呆れたように息を吐いたアツシは、せわしなく動かしていた手を止めて顔を上げる。めずらしく真面目な雰囲気を気取って僕を見つめてきたものだから、つい気が削がれ、反駁するタイミングを逃した。


「つまりさ、きっと、ハクトは酷いけど優しくて、俺は優しいけど酷いんだ。ちょっとした見え方の問題で、本当のところは、俺もハクトも大差ないんだよ。真逆だけど、根本的には一緒っていうか」


 ほんのすこし言葉に迷う素ぶりを見せて、誤魔化すようにアツシは肩をすくめた。


「結局なにが言いたいかっていうと、今後ともよろしく?」

「……意味がわからん」

「俺もわからん」


 即答したアツシに、言いたいことはもう無いらしい。

 付き合いきれないとため息を吐いて、僕は席を立つ。


「ちょ、待って待って」


 振り向きざまに、軽やかな爆発音が響いた。


「メリークリスマス」

「死ね」


 火薬臭い銀テープを頭から被りながら、今夜も予約済に違いない糞野郎にむけて机を蹴り飛ばした。やはりゲラゲラと笑って避けるアツシは、明日の昼過ぎ迎え行くから、と言い捨てて反対側の出口へと逃げていった。悩みの欠片もなさそうな背中に特大のため息を投げかけて、僕は天井を仰ぐ。


 ――付き合いきれない、と思いながら縁を切る気は更々ない自分に呆れる。本気で関わりを断とうと思えば不可能ではないのに、こうして補習にまで付き合ってやる僕は馬鹿なんだろうか。


 騒がしいのがいなくなればなったで落ちつかない。僕もアツシも恋愛不適合、それはたぶん間違いない。だけど僕とアツシとは根本的に違うのだ。僕自身は理解しているその違いを、おそらくアツシは理解できない。だから説明しようとも思わない。


 僕には恋愛感情というものがよくわからないけれど、恋愛感情というものを忌み嫌っていたり、憎んでいたり、軽んじていたりするわけでは、決してない。熱に浮かされることもない、彩りに欠けた僕の灰色の世界は、アツシが持ち込んでくる極彩色の恋模様でもなければ、あまりに飾り気がなくてつまらないものだ。僕自身が面倒ごとに巻き込まれるのは金輪際御免だけど――。


 一説によれば、恋愛状態とは強迫性神経症に近いものらしい。それも快感を伴う。この段階で僕の脳は処理を諦める。できることなら、世知辛い人生の楽しみを恋愛という不治の病に見出してきた偉大なる先人に問うてみたい。


「……Aromanticな人間には、どうしたらその快感を理解できますかね?」


 理解できるものならしてみたいとは思うんだ、と、思わず零れ落ちた言葉は、アツシの前では絶対に漏らせない本音なのだろう。


 羨ましいとは思う。疑似でも本物でも、恋愛状態を楽しめる感性まで含めたら。羨ましくはない。同じものを手に入れたいとか体験したいとか、そういう感情を持つことを「羨む」とするのなら、僕には羨むことができない。ああそうか、僕はたぶん。


「羨んでみたいだけなのかもしれないな」


 どれだけ考えても、僕にはよくわからないことばかりだ。

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