III 「どこかで」
部屋中の視線は、密かにその客に集まった。
二人組のもう片方が、「どこかで」と呟かれた感想の真意を問う。
「どこかで……ってどういうこと? 同じような話を読んだことがあるの?」
感想を述べた中学生は、ううん、と唸ったかと思うと、
「どうだろう、どこだったかなあ」
と誤魔化して笑った。
お茶を濁されて気になるのは部員たちである。ユリちゃんは立ち上がり、一年生らしいふたりに歩み寄ると、二言三言文芸部に知り合いがいるだとか興味があるだとか尋ねた。もちろん本当に聞きたいのは物騒な感想についてだというのは双方が解っていたので、自然とその話になる。
ぱらぱらと冊子を捲り、見たことがあるというその漫画のページをユリちゃんが確認すると、ああ、とため息のような声を漏らした。
「これ、美弦の漫画だよ」
すると、驚くのは穂波である。
「美弦の漫画? どれどれ?」
穂波とおれも冊子を確認してみる。「あ、これだな」と穂波が呟いたページにおれも辿り着くと、「九里儚」というペンネームで描かれた作品である。そのペンネームが「くりむ」と当て字で読むのかそれとも何かキラキラした別の読みなのかと疑問ではあったが、作品そのものを見た印象は、絵が上手であるということ、そして、
「タイトルがないな」
ということだった。応じたのはユリちゃん。
「美弦、急いでいたからだと思います。さっきも話した通り、もちろん美術部への出品もありましたから。それに嘆いていました、『行きたくもない夏期講習を親に申し込まれた』って夏休み前に」
話からすれば、主な製作期間は夏休みということになる。まあ、自然だろう。
「でも、無題であることと忙しいことに関係があるのか?」
「あ、いや……」
後輩を戸惑わせてしまった。呆れたのか思い出したのか、穂波が「ああ」と声を漏らし、ユリちゃんに代わっておれの疑問に答える。
「美弦、結構な完璧主義だからかも。そうだよね?」と穂波が漫研のほかの会員たちに問うと、みな頷く。それを見て穂波が続ける。「だから、タイトルをつける余裕がなかったのと、急いで描いた短編にタイトルなんか要らないと思ったのと、そういう理由じゃないかな?」
納得がいくような、いかないような。
浅村美弦、ペンネーム九里儚作の漫画を斜め読みする。要するにベタな恋愛ものとでもいうべきなのか、幼馴染への恋愛感情に苦悩する少女の物語であった。久米と家入ちゃんを見ているようだと思いつつ読めば、結局はくっついてしまうという結末で、おれの心が捻くれているせいかため息が出てしまう。それにしても作画は大層なもので、中学生の誰でもできるというような穂波の言葉や時間がなかったのではないかという話が当てはまるのかと疑問に思えた。物語さえ良ければ楽しかったろうに、というのが読んでみて一番の感想だ。面白くない。
そして、もうひとつ感想が思い浮かんだ。
しかし、そのもうひとつの感想は言葉にしがたい。何かが足りない、何かがそぐわない、そういうことを考えはするのだが、何のことかはわからない。
さて、話題を元に戻そうと、部屋の視線は最初に不穏な感想を述べた中学生に再度集まる。中学生のふたりは顔を合わせ、苦笑しながら首を傾ぐ。「どこで見たのか思い出せない」というようなサインを見せているらしい。
あいにく、そんなサインではおれを誤魔化せない。
「ネットで見たんじゃないか? 恥ずかしがることはない」
すると、少女は「たぶん」と小さく言って頷いた。あれほど甘ったるくてしつこい物語といえば、携帯小説をはじめとするネット世界にありそうなものだ。おれも幾度か穂波に誘われてネット小説を読んだが、ほとんど気に入らなかった。
しかし、ネットで見たとしたならば、仕方のない話なのではないか。膨大な創作物が溢れかえるということになるのだから。実際に浅村美弦がネット小説からアイデアを拝借してしまったのかもしれない。
もちろん、不安なのはその「拝借してしまった」場合だ。可能性は稀薄かもしれないが、顧問に見つかったらさぞ怒られることだろう。ネットの作品も部誌の作品もアマによるものではあっても盗作であることに違いはないし、昨今の中学、高校では論文や作文を書ける人間を育てようとする傾向があるから、盗作に対する警戒心も高まっている。
穂波と会員たちは不安そうな顔だ。既視感を訴えた少女も、気の毒そうに記憶違いかもしれないと言って取り消そうと必死になっている。「内容が似ていても仕方がないんじゃないか? 気になるならネットで検索してみればいい」と切り出そうとしたが、そのときふと勘付く。ちょうど、穂波もおれにそのことを訴えようとしていたらしく、歩み寄って来て険しい表情で言う。
「気がついた? タイトルがないから探しようがないんだよ」
――これはひょっとすると、本当に盗作かもしれないぞ。
他人のネット小説を勝手に漫画にする。確かにそれならば、急いでいたという事情にも都合がいい。さらに意図的にタイトルを削除することで、その追跡を回避する。何より本人がこの漫研にいないことがその疑いを強くする。
穂波は、疑惑を口にした女子中学生に尋ねる。
「ねえ、そのネット小説のサイトって心当たりはある?」
「ええと……結構有名なところですよ」
と言ってサイト名を続けると、穂波は「確かに有名だ」と頷く。そういえば、おれが穂波から勧められた小説の中には、そのサイトのものがあったと記憶している。
穂波は携帯電話を取り出す。何をする気かと尋ねれば、美弦の潔白を証明するため、盗作された作品を探してみようと言うのだ。何でもそのサイトにはランキング機能があり、キーワード検索もできるから、通い慣れている穂波にしてみれば簡単に美弦やその二年生の女の子が見る作品くらいわかると言うのだ。
潔白を証明するには非効率だと思った。まるで最初から疑ってかかっているようだ。
これでは仕方がないから、おれは穂波と漫研会員に「とりあえず本人と会ったらどうなんだ?」と訊いてみた。ついでに「おれが捜してもいい」と加えると、検索に夢中な穂波と会員にとってはいい提案だったらしく、申し訳ないがそうしてほしいとのことだった。
浅村美弦のクラスを聞いて、おれは雑踏の中に突入した。