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最前の灯り  作者: 大和麻也
将棋の駒五つ
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V 「好奇心に素直に」

「この謎の大きな疑問は、ふたつあった」

 あれはどこだ、そっちはどうした、これをそこに置け――などと騒がしい廊下を歩きながら、杉内先輩が確認するように話しはじめた。

「ひとつは、黒と白の駒がなぜ混ざっていて、かつ、ひとつの箱だけ五枚の駒が消えていたのか。もうひとつは、誰がそれをしたのか」

「誰かが駒箱をひっくり返した、というので説明はつきますよね」

「ええ、そして、その人物は将棋に詳しくない可能性が高い」

 おや、と思った。これまで、駒を紛失した人物の素性についてはほとんど考えていなかったのだから。そもそも国語科資料室に入って駒を触る人物は、ゲームばかりしている先輩たちを含めたって、久保先生と部員だけのはず。

 そこで、その素性について掘り下げて訊いてみる。

「詳しくないというのは、どの程度?」

「おそらく、どんな駒があるのかも知らないくらい」

「はあ……つまり、国語科の先生のひとりですね?」

「そう、そのとおり。そして、きのう国語科資料室に入ったのはひとりではない――清掃員が入っています」

 ということは、つまり――

「じゃあ、国語科の先生が国語科資料室に入って駒をぶちまけ、まさかそこに掃除に現れた清掃員さんが掃除機で吸い取ってしまったと?」

「そういうことだよ」

 唖然とした。

 この単純な結末に驚かされたというのではない。むしろ反対で、結末があまりにも単純だったことに驚かされていたのだ。

 それなのに、杉内先輩は大事件を解決したかのように語る。


「きのうのできごとを、順を追って検めよう。まず、授業が終わったすぐあとに、ゲーム好きたちが部屋に入る。この時点では、何もことは起こらない。ただただ、将棋盤の置かれた棚を動かしただけ。

 ゲーム好きたちがゲームに飽き、ゲームを片づけて帰ると、次に現れるのは真犯人。国語科資料室に資料を返しに来たのだが、ここで、棚が少しばかり動いていたために、肩なり肘なりを――ぶつけてしまう!

 そう、このとき白い駒の入っていた箱と、黒い駒の入っていた箱が床に落ち、駒が散らばった。そうそう、中間の色の駒は、対局時計と一緒にもう一段上に片づけられているから、落ちることはなかった。だから、最初から一式綺麗に揃っていた。

 さて、こぼしてしまった犯人は焦る。何せ、自分は将棋に造詣がないから、元通りにしないと部員に迷惑がかかる。そこで、一番上の無事だった駒たち――中くらいの色のもの――を机の上に並べ、それを参考に床から拾いながら箱に入れていく。二組落とした駒から一組を集めることで、自然ともう一組も揃ってくれるから、最も効率的な方法だろうねえ……しかし、やはり将棋に関して素人。一式揃うと、残りは揃っているだろうと決めつけて、確認もせず適当に箱に戻してしまった。結果、飛車、金将、香車、歩兵二枚、合わせて五枚の駒が国語科資料室の床のどこかに転がったままになっていた。

 そこに不運、清掃員がやって来る。普段は施錠されていて清掃には来ないけれど、その犯人の先生が鍵を開けていたから、きのうばかりは掃除機がかけられる。そうして、駒が吸い込まれてしまったというわけさ」


 人差し指を立てながら、身振り手振りを加えつつ熱弁していた。

 正直さして驚くべき内容ではないと思う。ぼくは「ははあ」と気持ちよく思いながらも、同時に「なあんだ」と苦笑する思いを抱いていた。

 杉内先輩がその推理を披露しているうちに、賑やかなトンネルを抜け、職員室に辿り着いていた。部屋に入る前に、ぼくは尋ねる。

「それで、結局どの先生なんですか?」

「それも大きな問題ではないよ」こともなげに杉内先輩は続ける。「三冊しかなかったことを考えれば、ひとりに絞られる」

「え?」

「一冊少なかったのだよ、『枕草子』が!」

 はっとした。

「粟原先生か!」

「そうだよ、久米くんが話してくれた粟原先生。粟原先生は、枕草子の伝本について生徒に教えていた。それというのは、代表的な四種類がある――『三巻本』『能因本』『堺本』そして、『前田本』これらは学校に当然あるはずだ。出版社がそれらしい紙にそれらしい装丁で、伝本を再現したものを一般に売り出しているからね。粟原先生は五種類紹介していたというから、学校所蔵の四冊と、もう一冊自分の持っているまた別のものを用いたということだろう。

 となれば、学校の四冊は返さなくてはならない。久米くんたちが伝本について教わったのは、ついきのうのことだろう? なら、文化祭という授業の中断の時期でもあるのだから、きのうのうちに返しに来るはずだ。このとき、自分の一冊があったことからつい、二冊持って帰り、三冊だけ返してしまった。とすれば、きょうにはもう一冊を返そうとしているんじゃないかな」

 ああ、粟原先生らしいと思った。うっかり屋さんなのだ。

 職員室に入ると、国語科の先生がいるところまで一直線に向かった。すると、都合よく粟原先生がいた。

「粟原先生」

 杉内先輩が呼びかけた。若々しい声が返ってくる。

「はい?」

「国語科資料室を使っている将棋部なんですけど」

「ど、どうしたの?」

 露骨に焦った先生に、ぼくは失笑を堪えた。杉内先輩は、自分の推理が正しいかどうかを確かめるべく、それでいて先生が駒をばら撒いたことを知らない素振りをするべく、ハッタリをかました。

「すみません、それが、文化祭の準備中に机を動かしていたら、誤って資料の棚に机をぶつけてしまいまして。資料が散らかってしまったものですから、一応元通りと思われるように直したのですが……時間があれば、念のため確認してもらえませんか?」

「あらら……でも、壊れたり折れたりはしてないんだよね?」

「ええ」

「なら、いいわよ。ものが減ってなければそれで」

「ああ、ありがとうございます。すみませんでした」

 杉内先輩が頭を下げるのに倣い、ぼくも申し訳ない顔を作って会釈した。

 すると、粟原先生が「あ」と声を上げ、ぼくたちを待たせつつ鞄を漁ると、一冊の本を渡してきた。

「国語科資料室でしょ? 私、これを戻すのを忘れちゃってて。片づけておいてもらえないかな?」

「ああ、はい。しっかりと」

 それは、紛うことなく枕草子だった。



 職員室を出ると、先輩が呟いた。

「『ものが減っていなければ』だって」

 失礼ながら、ふたりで失笑した。ものを減らしてしまったのは粟原先生のほうだ。

「それにしても、簡単な話でしたね」

「そうだね。期待外れ?」

「正直、ちょっと」

 苦笑いすると、杉内先輩はふふん、と鼻で笑った。口角もぐにゃりと曲がる。でも、眼鏡の奥だけは笑っていない。

「そういう、余計な期待というか、常に大きなものを求める性格が、久米くんが受験に失敗した要因さ」

「え?」

「何事も小さなことから。簡単だからと決めつけず、好奇心に素直にならないといけないよ」

 正直痛いことを言われてしまった。

 確かに、ぼくは中学生のころ応用問題、要するに受験に役に立つ勉強ばかり進めていたように思う。高校に入ってから勉強が思い通りにならないのは、初歩的なところができていないせいなのだと思い知らされたことがたくさんある。

 先輩は、粟原先生から受け取った写本をひらひらと示しながら話す。

「これもまた枕草子に、こんな部分がある。『うれしきもの』に挙げられたものに、『まだ見ぬ物語の一を見て、いみじうゆかしとのみ思ふが、残り見いでたる』『人の破り捨てたる文を継ぎて見るに、同じ続きをあまたくだり見続けたる』といったことがある。要するに、面白いと思っていた本の続きが見たくてそれを見つけたときや、破り捨ててしまった手紙をつなぎ合わせて読めたときに喜びを感じているんだ」

「へえ、謎解きの心は変わらないんですね」

「そういうこと。そして、本を見つけたときには続きがある――『さて、心劣りするやうもありかし』」

「ええと……『面白くないこともある』ということですか?」

 杉内先輩は頷いた。

 日曜日の才華の気持ちがようやく解った。まずは解き明かしてみたい心があるから、謎に挑戦するのだ。その先にある結末が、どんなにか小さくたってそれは結果でしかない。結果が出るまでは楽しんだほうがいいに決まっている。些細なことだからといって、最初からつまらないと思ってはならないのだ。

 そんなとき、携帯電話にメールが二件届いていることに気がついた。そのうち一件はクラスからの呼び出しで、ぼくは杉内先輩に断わりすぐにクラスの準備に戻った。そしてもう一件は、才華からだ。内容は、たったの二文字。


『ひま』


 才華のクラスは文化祭の準備が終わっており、才華ももう帰って家にいるはずだ。夕飯の支度なども終わってしまったのだろう。

 常々才華が、有り余る好奇心を爆発させながら欲しているのは、文化祭のような心躍るビッグイベントではなく、「暇潰し」に相応しい些細な気がかりである。何か小さな物事に対して考えることそれだけで、とても楽しいことなのだ。

 ぼくはクラスへと急ぎながら、『帰ったらとっておきの話があるよ』と返信した。


おまけ・タイトルの由来

 ・将棋の駒五つ:コナン・ドイル『オレンジの種五つ』より


 枕草子からの抜粋は、三巻本を参考にしている

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