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最前の灯り  作者: 大和麻也
将棋の駒五つ
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IV 「奇遇なことがあるものだねえ」

 国語科資料室を出ると、清掃員さんが掃除機をかけていた。

 天保高校には掃除の時間もあるのだが、平日の放課後には清掃員さんが来て校内をぴかぴかにしてくれる。生徒の掃除に一任したら荒れ放題になって、勉強に身が入らないのかもしれない。

「文化祭の準備日なのに、清掃員さんは大変ですね」

 清掃員さんを見送り、職員室へと廊下を歩きながら杉内先輩にそう話しかけた。

「準備日でも、平日に変わりはないからねえ。こんな日だからこそ欠かせない存在とも言える」

「そうですね」

「でも、見方を変えれば、『清掃員がいるから散らかしたって構わない』」

「あ」

「『あまりにこころよしとひとにしられぬるひと』といったところ――仕事で掃除をしている人にそういうことを考えるのも久米くんらしい」

「はあ……」

 さっきも言っていた、よく解らない一文だ。

 思い返せば、その一文の意味だけでなく、「ぼくが受験に失敗した理由」ということも話しかけてやめている。才華ではないけれど、どちらも気になって仕方がない。

 とはいえ、目下の疑問は将棋の駒。

 職員室に着くと、さっそく鍵の貸し出しを担当する日直の先生のいる席へ行く。きょうの日直の先生は、浅黒く日焼けした若い男の先生で、ぼくは教わっていないけれど、確か体育の先生でサッカー部の顧問だ。

 その先生に、さっそく声をかけられる。

「どうした、もう鍵の返却?」

「いえ、ちょっと名簿を調べたくて」

 杉内先輩はそういうと、確認できる最も古い記録である三日前から調べはじめた。

 三日前は国語科資料室の鍵の貸し出しはなく、おとといにはぼくが鍵を借りている。きのうはゲーム好きの先輩が借りていた。きょうは杉内先輩の署名がある。

「これでひとつ確認ができたね」

 杉内先輩はそう呟くと、人差し指を立てて日直の先生に尋ねた。

「ひとつ、訊いてもいいですか?」

「はあ、何だ?」

「国語科資料室の鍵、きのう使った先生はわかりますか?」

「え? いや、俺は縁がないからなあ……それに、先生に貸し出しも何もないしな。わからないな」

「妙なことを訊いてすみません。ありがとうございます」

 それから国語科の先生に話を聞くかと思えば、すぐに職員室を出てしまった。

 手を後ろに組みながらかつかつと警戒に歩いて行く杉内先輩を追いながら、ぼくは急いで尋ねる。

「国語科の先生には訊かないんですか?」

「そうだねえ。でも、文化祭の準備で忙しいだろうから。そこで、久米くん。国語科資料室をよく出入りする先生は?」

「え、ええと……国語科の先生」

「それは当然。ほかに、忘れてはいけない先生がいる」

「ええと……」

「ひとりだけ、英語教師が出入りするよ」

「ああ、久保(くぼ)先生!」

 杉内先輩は頷いた。

 久保先生は英語科の男の先生で、将棋部の顧問である。はじめて久保先生が顧問と知ったとき、日本文化と外国語の二刀流はちょっと意外だったものだ。お茶目な性格のある人で、ぼくと杉内先輩が将棋を指しているところにしばしば颯爽と現れ、どちらの手番かわかると、突如横から手を出して最善の一手を指し、そのままくすくすと笑いながら去っていく。これがぼくの手番なら杉内先輩でも少し表情が変わるのだが、杉内先輩の手助けをしたなら迷惑でしかないから正直やめてほしい。最近、白髪と駄洒落が増えた。

「久保先生が駒を失くすようなことを?」

「さあ、どうだろう。可能性があるということだけだよ、きのう来たかも調べがつかないからね」

「じゃあ、職員室で――」

「久保先生ならきょうはいないよ」

「あ」

 天保では、生徒が週に六日登校する。教員は週休二日でなくてはならないから、一週間のうち日曜日と、それぞれにもう一日休む曜日を決めている。久保先生は、その休みの日が金曜日だった。

「でも、隣のクラスの先生は、きょうが休みなのに来ていましたよ。久保先生だって来ているかも」

「その可能性は低い。久保先生は副担任だから。実際、職員室にはいなかった」

 いないとわかっていながら、いない理屈を話していたのか。正直この人はよくわからない。

「じゃあ、国語科の先生の誰かということですか?」

「ええ、おそらく。でも、その前に。久米くん、いまの時間は?」

「へ? ええと……十七時を過ぎたところです」

「なるほど」

 自分で確認しておきながら、もうこんな時間かと驚いた。将棋部の準備はほとんど終わっているから、謎解きが終わったらすぐにクラスの出し物に協力しよう。

 杉内先輩は突然時間を確認したかと思うと、国語科資料室の前まで戻ったところで急に、清掃員さんに歩み寄った。おばさんはぼくたちが部屋を出たときよりも作業を進め、国語科資料室のほぼ正面に掃除機をかけていた。

「すみません」

「はい?」

 いきなり声をかけられ、面食らったようにおばさんが応じた。

「少々いいですか?」

「あ、部屋の掃除?」

 杉内先輩は相好を崩し、わざとらしく上機嫌に話す。

「ああ、それも嬉しいのですが、その前に質問を……きのう、この部屋を掃除しましたか?」

「ええ、いつもは施錠されているからしないんだけど」

「いつごろ?」

「このくらいの時間だったよ。それが何か?」

「ああ、そうでしたか。いえ、今朝来たとき、いつも掃除されていない部屋が綺麗だったものだから、ちょっと気になっただけです。では、きょうもお願いしていいですか?」

 はいはい、と快く引き受けてくれた清掃員さんに続いて、杉内先輩が資料室に入る。ぼくがそれに続こうとすると、

「久米くんは待っていて構わないよ。ここにいるのは少しだけ、また部屋を離れる」

 と言って、先輩は将棋部の棚ではなく、触ってはいけない国語科の資料が置かれた棚を覗きはじめた。舐め回すように見回すと、掃除機をかけるおばさんにいくつか言葉を残して部屋を出て来た。

「久米くん、最後に確認したいのだけれど」

「何でしょう」

「きのう鍵が貸し出された時間は憶えているかい?」

 貸出表を映像のように思い浮かべた。その時間の欄に焦点を合わせる。

「ああ、三時ごろから五時ごろでした」

 つまり、授業終了直後から二時間ということになる。

 それを聞くと杉内先輩は満足そうに頷いて、踵を返した。これもまた唐突だったから、ぼくは一瞬追いかけるのを忘れてしまった。

「先輩、ちょっと待ってくださいよ。国語科資料室で何がわかったんですか?」

「三冊しかなかった」

「え?」

「なるほど、これで謎が解けた。奇遇なことがあるものだねえ」


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