V 「可能性」
「おおよそ、ああいう話だったのかな、と思うんだ」
ゴミ箱の片づけも終わり、しばし休憩時間をもらった。食堂へ移動して、吉川先輩と桜井さんのおごりで缶ジュースを飲む。そのふたりはもう少し働いてから、ぼくたちと合流すると言っていた。
才華がそういうことだった、と話すことを、ぼくなりにまとめて確認する。
「要するに、藤宮先輩は自分でライトを消したと思うんだね? 暗いあの場所で後ろから誰かが手を伸ばすのは非現実的。なおかつ動機もあって、それは足立先輩にフラれたことへの小さな復讐と、足立先輩の隣にいるのは自分であるべきだ、というメッセージを見せつけるため」
完璧には言い切れないだろうけどね、と才華は缶を手の中で回しながら小声で言う。それから、天井の火災報知器でも探すように斜め上を見ながら、別の推論を展開しはじめた。
「可能性としては、そのメッセージを見せつけること自体が必要だったのかもしれない。見せたいんじゃなくて、見せつけたい」
「それって?」
「……実は、愛莉先輩に別れを提案したのは藤宮さんのほうなんじゃないかって」
「え? それだと矛盾するよね?」
「いや、むしろ矛盾しているのはわたしたちかもしれない。愛莉先輩は確かに、後夜祭の邪魔をされて怒っていたけれど、それ以前から、フラれたことに怒っていた可能性を感じるの。だから、藤宮さんは自分がまだ愛莉先輩のことを想っていると思わせるような行動を取った。……この理屈は無理な話かな、わたし自身変な考えだと思う。でも愛莉先輩がそういう人に思えたし、それに、藤宮さんはわたしの提案を断ったけれど『潔白を証明すること』自体にはやぶさかじゃなかったみたいだった」
あまり論理的とも思いにくいが、藤宮先輩は「妙なところにこだわる」人だと吉川先輩が言っていた。学校中が夢中になる足立先輩と自分から別れたと知れれば、確かに、針の筵に座らされる心地になるかもしれない。
才華はふう、と息を吐いた。正直、才華が人の心に突っ込んだ推理をするとは思ってもみなかったし、それで才華自身も疲れてしまったのかもしれない。おまけに、謎を解いてみても釈然としないという体験は、好奇心に従順な才華にとって満たされない思いをもたらすことだろう。
先刻までの興奮を失った才華だったが、いつものはきはきとして無邪気に謎を追う才華とは違うその姿に、ぼくはなぜか、普段ないはずの気持ちを抱いていた。
そこに、吉川先輩と桜井さんが戻って来た。無線で新しい指示を出されたので、会議室に戻ってそのための道具を用意するのだという。その話を聞いたぼくは、咄嗟に生徒手帳の白紙のページを一枚破った。
会議室は人が少なかった。片づけが進んだことで、後回しにされた時間のかかる作業に手を焼く実行委員が増え、会議室の出入りも減ったのだろう。足立先輩は退屈そうに頬杖をついて座っていた。
道具を準備して会議室を出た直後、ぼくは忘れ物に気が付いたと言って会議室に引き返す。三人は先に行くように言って、ぼくは意を決した。
部屋に戻ると、足立先輩が顔を上げる。ぼくを訝しがるふうがなく、少々怯んだが、会議室にぼくと足立先輩しかいないことを確認、実行に移る。
努めて明るい声を出した。
「すみません、先輩。ぼくの友達が先輩の大ファンでしてね、実行委員の手伝ったことを話したら、どうかこれを渡してほしいって」
生徒手帳の切れ端を渡す。そこにはぼくが普段あまり使わないオンラインのメールサービスのアドレスがメモされている。
「時間があったら、連絡してやってもらえませんか?」
足立先輩はそのメモをまじまじと見つめてから、ごめんね、と笑った。
「こういうの、いまはそういう気になれないんだよね。そう伝えてくれる?」
「あ、はい……」
計画の失敗に肩を落とす。ぼくは踵を返し、せめてとぼとぼと歩くのを見せつけて会議室を出ようと思った。
「ねえ」
引き留められる。ぼくはまだ振り返らない。
「きみ、結構演技できるほうだね。まあ、演劇部ぶるのも恰好つけているみたいで嫌だけれど。……こういう手口で自分のアドレスを渡す人、ひとりかふたり見たことがあるんだよね」
そう言いつつ、紙切れを自分の制服のポケットに入れた。そして、また頬杖をつくと、にやにや笑いはじめた。
「ああ、そこで表情を隠せないとダメだね。本当の目的は、これでもない。ただ話したかっただけでしょ?」
ぼくは頷いた。かなりからかわれてしまったが、結果的に計画は成功だ。
「すみません、変なことをして。失礼なことを訊こうと思っていたので、それをしてもいい相手かどうか、ちょっと先輩を試そうと思いまして」
試されてるじゃない、と足立先輩は妖艶に肩を竦めた。ぼくの言葉を待つ仕草だと勝手に捉えて、その無礼な質問をずばりと訊く。
「足立先輩と藤宮先輩、どちらが別れを切り出したんですか?」
もちろん、ぼくに話す筋合いはないだろう。けれども、足立先輩はおそらく、この質問をされることまで予想していたはずだ。予想していたから、ぼくが演技をしていると指摘したはずだ。だとしたら、答えられない場合演劇部の技で避けてくれると期待した。
足立先輩は、ああ、と大きく息を吐いた。
「私だよ」
ぼくは返事をしない。先輩も自分で話を続ける。
「どういう人が好きなのか、最近わからなくなってきてね。嫌いだったわけじゃないし、むしろどちらかと言えば好きだったんだけど……付き合ってて何か不思議に思う気持ちが抜けなくて。こんな恋愛なんて、ごくありふれた陳腐な話でしょ? よくある話、隠すまでもない。みんな気を遣ってか訊いてこないから、話してすっきりしているよ」
一呼吸置く。
「それで? お決まりだから一応訊いておこうか? どうしてそんなことを?」
ぼくは足立先輩のペースにならないよう留意しながら応じる。
「……ぼくと一緒に来た女子、見たでしょう? あの子、かなり鋭いんですよ。だから、照明の件から先輩たちのことについて勘付きはじめているんですよ。まあ、あんまり人の心を考えない子なので、ぼくが先に訊いてしまおうかと」
「はあ、やっぱりね。やっぱり照明の件だ」
うんざりしたように足立先輩は机に突っ伏した。
「あんなアピールしなくたって、別に言いふらしたりなんてしないのに。私が悪いの。私のせいなの。言いふらされて困るのは、私なの」
突っ伏した顔を上げると、いままでぼくをからかうような笑顔だったのに、今度は心の底から湧いて出てくるような笑顔をしているように見えた。
「そうだ、あの子、すっごく可愛かった。私好みの女の子。そのうち紹介してよ」
いつでも連絡ください、とぼくは先輩のポケットを指差した。
ぼくは忘れない。
文化祭の気配がすっかり消えてしまった廊下を、才華たちを追って歩きながらそう思った。
真実を見つけてみても大したことはないことがほとんどだということ。誰かの心を推し量っても、すべてを理解することは不可能だということ。けれども、だからといって好奇心を抱くことを忘れてはならないということ。
そうしたことを忘れられなくなったからこそ、考えずにはいられないことがある。
枕草子をわざわざ伝本から読み取ろうとしたこと。自分には全く関係のない人の心に探りを入れようとしたこと。普段上級生には「さん」を付けて呼んでいるのに、足立先輩だけは「愛莉先輩」と呼んだこと。
そして、愛莉先輩の最後の言葉。
ぶつりと舞台最前の灯りが落とされた事件とともに、ぼくはきっと、忘れない。
おまけ・タイトル、名前の由来
・最前の灯り:テレビ朝日『相棒sason1』第十話、『最後の灯り』より
・足立愛莉:コナン・ドイル『ボヘミアの醜聞』アイリーン・アドラーより
・藤宮:同前、ボヘミア王より




