III 「どうしてそんなこと」
体育館は後夜祭のときのじっとりとした空気が秋晴れに吹く風にかき回され、正直居心地の悪い、これからの作業を悲観させるような空間になっていた。
履物を替えると、さっそく桜井さんに気が付いた二年生の男子生徒が、あっちを頼むと指示を出す。
「あれが藤宮先輩だよ」
桜井さんは振り返ってそう言った。その藤宮先輩は、なかなかの高身長で体躯も良く、角ばった眼鏡も相まって威厳のある雰囲気を漂わせる人だ。体育館履きの色を見なければ三年生だと思っただろう。
実行委員が体育館で分担された作業は、主に舞台上に並べられた雛壇の片づけであった。体育館を使用した団体の協力があったとはいえ、大きなそれを動かし、しかも舞台下の収納に押し込むには、尽くせる限りの人海戦術を用いても重労働であった。あっちこっちへ振り回されるクラスの片づけよりは、目標がはっきりした共同作業という点で気分は楽だったが、筋肉痛は避けられないものと想像できる。
作業が残り三分の一程度になったころ、才華が舞台袖に入って行くところを見た。手伝いで来ているぼくや才華が、文化祭期間中実行委員の主戦場であった舞台袖に用事があるとは思えず、気になって作業を放り投げた。
才華が上のフロアに向かったのを見て、ぼくも階段を上る。そこには、照明を操作するコントローラー、調光卓が臨時に置かれている。パソコンも繫がれていて、どうやらそれで舞台の様子を知ることができるらしい。
舞台照明の頭脳たるそこで、才華は立ち止まっていた。
「才華、サボっちゃいけないよ」
ふと思いついた言葉で窘めると、才華が振り返った。
「ああ、弥。ちょっと、あの話が気になってね」
「桜井さんが話していた、藤宮先輩の話かい?」
才華は頷いた。しかし、ぼくには正直、その疑問を才華が疑問に思うこと自体不思議だった。
「どうしてそんなことが気になるの?」
「……だって気になるんだもん」
そのひとことは、才華の口癖のようなもので、自分の好奇心のために多少の自分勝手をしてしまったときなどに口走ることが多いものである。その言葉を使うということは、才華の行動に具体的な理由や根拠がないということでもある。しかし、今回は正直、変なことを言うものだと思ってしまった。
才華は上を向いた。
「ここ、蛍光灯は一本しかないんだね」
つまり、ぼくたちのいるフロアは、後夜祭の最中ずっと薄暗かったに違いない。昼間のいまでさえ、蛍光灯が消されたこの空間は足下が見えにくい。
今度は、斜め下を指差した。
「そして、暗い環境でここに座っていた、と」
数歩進んで、仮設の調光卓の前に置かれたパイプ椅子に座った。すぐ脇の机には、台本と操作の簡易マニュアルが置かれている。実行委員やそのほか照明に造詣のある生徒などが分担してこの場にいたことがよくわかる。
マニュアルをぱらぱらとめくった才華は、手を伸ばして、照明の調節をするときに取るのであろう姿勢を模倣する。そして、照明全体の大元となるつまみを睨みつけた。その位置は才華の右側で、机が置かれている近くだ。
「これを動かせば一度に電源を落とせるから、後夜祭と同じ状況になるはず。暗くて、机もあって、右手はよく動くし、このつまみを動かす状況なんてまずないから、注意はそこまでしないだろうけれど……」
「流石に誰かが手をつければ勘付きそうだ、ってことだね?」
探偵少女は首肯した。
試しにぼくが才華の背後に回ってそのつまみに手を伸ばしてみる。すると、机や才華の右腕が案外に邪魔で、いまより暗い中でできるとはとても思えなかった。
才華は立ち上がる。
「少なくとも、素人には邪魔できないだろうね。まあ、操作していた人がよほど熱中していたら、また別の話になるのだろうけれど」
そのとき、背後の階段を上るかんかんという音が響き、背筋が一瞬ぞっと震えた。振り返ると、あの長身の先輩、藤宮先輩だ。
「こんなところで何してるんだ?」
不思議そうな、かつ呆れたような顔で言う。すみません、と平謝りして調光卓から一歩離れた。
「ふたりはそういえば、一年の女子か誰かが連れてきたんだよな?」藤宮先輩は嘆息を吐くように言った。「下手に触って壊すなよ、俺でさえ操作が覚束ないんだから」
「すみません、すぐ下に戻ります」才華は愛想よく謝ったが、すぐに自分の興味を追及する言葉をぶつけてしまう。「でも、先輩も慣れていないから、間違って照明を落としてしまったんですよね?」
そのとき、藤宮先輩はすでに踵を返して階段を降りようというところだった。しかし、才華の言葉を受け、口を尖らせ振り返る。
「俺のせいなんかじゃないし、ミスでもないって」
笑って否定する素振りであったが、ぼくたちにとっては苛立った様子が見て取れる。思い込みを含めて考えても、それは疑いようのないことだと思う。
「じゃあ、潔白を証明しません?」
思いもよらぬ才華からの提案であった。
わたしも、気になっているので――と才華は口角を上げた。




