II 「誰かに消されたんだ」
文化祭片づけ日:久米弥
翌日、華やかな看板やテントが崩されていく。雨が降ったり蒸し暑かったりと浮かない空模様だったのが嘘のような青空の下、こんな天気が二日前にあればよかったのにとぼやきながら、生徒たちは制服を汚して作業を進める。また天気が急変して、麻衣華ちゃんは元気だろうか。
ぼくたちのクラスは存外に早く片づけが一段落し、あとは正午から予定されているゴミの回収や机の搬入を待つくらいになった。椅子に座ったり立ったりを繰り返して過ごすばかりだった。
クラスメイトの多くが部活動や委員会の仕事へちりぢりになっていくのを見て、ぼくも捲ったワイシャツの袖を戻しながら廊下に出る。将棋部のほうは片づけるものがほとんどないからぼくが手伝うまでもないので、同じフロア、才華が空き缶アートを片づけている教室へと向かった。
廊下を歩いているだけでアルミ缶が暴れる音が聞こえる。正直少し物臭に思ったとき、才華が教室と教室の間、消火栓に寄りかかって桜井さんと話しているのに気がついた。ふたりは同じクラスだから作業のことで話しているのかと思えば、どうやらそうではないらしい。
話に加わってみる。
「やあ、才華、桜井さん」
ふたりが振り返る。おお、とふたりは声を漏らした。
何の話をしているんだい、と尋ねれば、桜井さんが「それがね」と愚痴っぽく話しはじめた。
「又聞きなんだけど、実行委員の藤宮先輩が犯人だって話なんだよ」
はてな、と思って、何のことなのかと正直に尋ねる。
「きのうの後夜祭の照明を落とした犯人だよ」
ああ、と思い出す。ばたりと灯りが落ちたそのときには確かに驚いた。しかし、後夜祭の進行に問題があったわけではなかったから、犯人の噂があること自体正直不思議である。
「どうしてそんな話が? そもそも藤宮先輩って?」
桜井さんがまた答える。桜井さんは人に説明するときやや舌足らずのきらいがある。
「藤宮先輩っていうのは、あのとき照明の担当をしていた先輩なの。でも、もちろん本人は否定しているんだよ、『誰かに消されたんだ』って」
「それって重要なの?」
「足立先輩がもうかんかんでね。『犯人を見つけて一発引っぱたいてやる』って。委員の控え室が居心地悪いのなんの、あたし逃げて来ちゃった」
ミス天保は文化祭実行委員長、しかもその役割に対して特に熱心であったことは疑いない。ご立腹なのも納得だ。
才華を横目でちらりと見る。些細な疑問に目を輝かせるのが常の才華だが、今回はどうやらそれほど魅力を感じていないらしい。平然と黙って桜井さんの愚痴を聞いている。
それでね、と桜井さんは饒舌だ。
「藤宮先輩が犯人呼ばわりされるのも理由があるんだよ」
「はあ」
「藤宮先輩、昔、足立先輩と付き合っていたらしいの。これはあたしの先輩で、藤宮先輩と同じクラスの吉川先輩から聞いた話なんだけれど、藤宮先輩は足立先輩から随分ひどい振られ方をしちゃったんだって。だから、後夜祭で復讐っていうの?」
桜井さんも噂が好きである。反対に才華は噂話、特に色気のある話にはてんで興味がないのだ。
だからというわけではないけれど、ぼくは桜井さんの話に疑問をぶつける。
「復讐っていうのは正直違和感があるね」
「どうして? それなら、本人が否定するのも納得じゃない?」
「だって、照明を落とすタイミングが妙じゃないか。そうするんだったら、足立先輩がミスに選ばれた瞬間にライトを落としてしまえばいいんだ。正直、ぼくならそうしたいところだね」
「ううん……確かに。じゃあ、犯人が違うのかな?」
そのとき、また教室の中からがらがらと空き缶の山が崩れる音がぼくたちの耳を襲った。同時に桜井さんのトランシーバーも騒ぎ出す。
こうしてはいられない、と焦りだした桜井さんは、ぼくと才華に手を合わせる。
「ごめん、よりにもよって委員長から呼び出し。一緒に来て手伝ってくれると嬉しいな。いま実行委員みんなピリピリしてて気まずいから。空き缶よりは絶対マシだよ」
ぼくと才華は顔を合わせ、頷いた。
実行委員の控え室は生徒会室脇の会議室だ。教室ふたつ分を占める広いその部屋は、何の委員会にも所属していないぼくにとっていつも閉ざされている未知の部屋である。あまり人が来ない場所にあるから、普段は廊下の証明が切れ、ドアの隙間や天井近くの窓から光がちらちらと漏れるところを見慣れている。
ところがきょうは実行委員の総本山となり、絶えず人が出入りし、蛍光灯もすべて点灯されている。
そして、その出入りする人々はみな、困ったような顔をしている。誰かと話していてもぎこちない様子だ。桜井さんの言う通り、いらいらした委員長がこの部屋を仕切っているのならこのような雰囲気も仕方がないだろう。
どきどきしながら桜井さんに連れだって部屋に入ると、広い部屋にはたくさんの段ボールとビニール袋、そのほか様々な用具が散乱している。もともと埃臭そうな部屋で、土曜日の雨もあってか、あらゆるものがカビの臭いを発している。
その部屋の奥、唯一使われている長机に、委員長はいた。
「ああ、桜井さん? 体育館の手伝い、お願いね」
足立愛莉、ミス天保は、実行委員の名簿と作業の工程表を睨みつけていた。
後夜祭ではっきりとわからなかった彼女の容姿は、確かに、見蕩れてしまいそうなものだった。厳しく吊り上った目は、それでいて真円の如くぱっちりとしている。眉は細く整えられているが、ごくごく自然で手を加えていないようでもある。口元も、鼻筋も、頬の色も、すべて人間離れしていると言いたい。束ねられた黒髪は、ほどけばきっと美しく艶のあるストレートの黒髪だ。そう、彼女の外見は良くも悪くも人形のようで、見る角度によってふたつよりずっと多いまったく異なる性格を持っている。
「桜井さん、そのふたりは手伝い?」
軍手やビニール袋を段ボールから取り出した桜井さんが顔を上げる。
「あ、はい。ここに入れないほうがよかったですね、すみません」
「いや、いいの」
にっこりと微笑む。舞台で見たときの、はしゃいでいる感じとはやや印象が違う。もちろん常ににぎやかな人はそう多くないだろう、いまも明るい為人を感じられるのは変わりない。とはいえ正直、照明のことで気が立っているせいだろうかと思ってしまう。
その足立先がぼくに目を向けた。少しどきりとしてしまう。
「肉体労働っぽい作業もあるから、頑張って」
はい、と返事に力がこもる。次いで先輩は才華の瞳を覗き込む。
「お手伝いありがと」
まじまじと目を合わせられ、才華は戸惑いながら小刻みに数回、頷いた。
お願いね、と手を振る先輩に見送られ、ぼくたちは体育館へ向かって会議室を出た。その足取りが重いのは、手伝いがいまになって億劫になったのではなく、明らかにひとり、ゆっくりと考え事をしながらあるいているからであった。
「気になる」




