V 「あんたのために」
「失礼します」
文化祭の喧騒とは離れた保健室に入ると、部屋の中央のベンチに久米と初めて見る女の子が並んで座っていた。
「やあ、平馬」
暢気に笑顔を浮かべる久米に、「捜したんだぞ」と呆れながら歩み寄る。そして、二ツ木を部屋に招き入れた。
「捜したぞ! 弥!」
「うわ、麗じゃないか! どうしてここに?」
保健室にも拘わらずがやがやと騒ぎ出すふたり。幸い患者はほかにいないようで、おれは久米と一緒にいた女の子、つまり、家入才華の妹に話しかける。
「うるさくしてごめんな」
「え? あ、はい……ええと、あなたは?」
彼女は愛想よく微笑みながらも、おれのことを不思議そうに見つめている。姉に似て好奇心旺盛なのだろうか。容姿は姉に似てこそいるが、それよりも少し子供っぽい。中学二年生らしい、相応のあどけなさがある。きっと中学校ではちやほやされているに違いない。
不要かもしれないが、自己紹介しておく。
「久米の同級生だ」
「つまり、姉の友達の友達?」
「おお、そうだ。そういうことだ。ええと……」
「わたしは麻衣華です。家入麻衣華」
「そうそう、麻衣華ちゃんだ。体調は大丈夫か?」
こくりと頷いた。それならよかった、と返す。
家入才華の妹、家入麻衣華は喘息の患者だ。しかも軽度のものではないらしい。ずっと前に穂波から又聞きしていた気もするが、まったく憶えていなかった。
おおまかに久米の行方不明をまとめるとこうだ――
麻衣華ちゃんは姉の文化祭を見に来た。たまたま時間の都合が合わず、姉より先に久米と会っていたのだろうが、これもまた偶然喘息の発作が出てしまった。強い低気圧が日本に接近するいま、きのうは雨が降りきょうも気温や気圧が安定しない。発作が出ても仕方があるまい。不調を訴える麻衣華ちゃんを、久米は保健室へ連れて行って看病していた。少し会ったらすぐ姉のところへ連れて行くつもりだったのだろうから、携帯電話も持っておらず、周囲への連絡も「用事がある」で済ませてしまっていたのだろう。
ほんのこれだけのことで、おれも桜井も二ツ木も、校内を駆け回っていたのだ。
「――それにしても、弥くんは大げさなんですね。発作用の薬は自分で持っているし、もう慣れっこなのに、『保健室で休憩したほうがいい』『安静にしていなきゃダメ』って。強い薬なので頭痛やだるさはありますが、大人しくしていればもう平気だって何度も言っているんですよ」
麻衣華ちゃんはくすくすと笑う。久米の焦りようを面白がっている話なのに、安心した様子で楽しげなふうでもある。
その笑顔と、保健室の奥でやかましくじゃれている久米と二ツ木を見ていると、自ずとため息とともに独り言が零れ落ちる。
「大山鳴動して鼠一匹、というやつか」
すると、それを聞いた久米が笑う。
「そうだね、たったこれだけのことでぼくを捜し回った麗も平馬も、まったく人が好いよ」
「む、お前には言われたくないな」
「あはは、お人好しは侮られて困っちゃうね」
そう言って笑った久米は、また二ツ木に首を絞められ頬を抓られ「痛い、痛い」と叫ぶ。ふたりは昔と変わらず無邪気に再会を喜ぶとともに、たった半年でがらりと印象が変わった互いに驚いているのだ。
久米が半年前と同じ棘のある性格だったら、あるいは二ツ木が久米の性格を無意識に受け取っていなかったら、きょう再会することは叶わなかったかもしれない。たとえ会えたとしても、それは決していまほど喜ばしいものではなかっただろう。
時計をちらりと確認する。そろそろシフトに戻る時間だ。保健室から離れることを久米に伝えようとしたとき、ふたりのやりとりが耳に入る。
「もうかんにんや、痛いってば」
「またへんてこりんな関西弁だ! 私がせっかく、あんたのために、わざわざ訛らないようにしてるのに」
「それも知っとる、知っとるから! ほんま、おおきに」
不自然なやりとり、久米はあえてわざとらしい関西弁を使っているようだった。それを聞いて、二ツ木は少しだけ、久米を苛める手を緩めたように見えた。
おれが勝手に想像するに、二ツ木は最初から最後まで、本来の久米と自分自身を知らなかったのだろう。昔の久米は人を見下すような性格であったという分析は、まったくの見当違いだ。二ツ木が標準語を意識して使う優しさに対し、久米は二ツ木の性格を見透かして、二ツ木が「あんたのために」と自信たっぷりに言い続けられるよう、関西弁の真似を始めたのではないか。一方で、久米自身が寂しさを紛らわせたい気持ちも確かに存在したからこそ、二ツ木は「あんたのために」と言いたかったのだ。久しぶりに顔を合わせたいま、半年前までの思いやりの行き場を失ったために差異を感じているのだろう。見た目の上でしか、二ツ木は久米を理解していなかったから違和感を覚えてしまったのだ。本質的には、ふたりとも何も変わっていない。
断りを入れるのを止め、保健室を出る。ひやりとした空気が顔を撫でる。その風がおれを反省させたのかもしれない。「いいや」とおれは呟いていた。
おれが久米の何を知っているだろうか、二ツ木の何を知っているだろうか。
たとえ「知っている」と思ってふたりのことを語っても、本人たちは受け入れないし、他の誰からも共感を得られないだろう。お人好しが侮られるという一文を気にしていた久米だったが、確かに、人が好いと評されている時点で、それは評する側の傲慢が見えている。だから、侮られていると感じるのだ。
案外、相手を知らないほうが面白いのかもしれない。
おまけ・タイトル、名前の由来
・弥はどこだ:米澤穂信『犬はどこだ』より
・二ツ木麗:ハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』ニッキー・ウェルトより




