III 「お手柔らかに」
「久米だって?」
「弥くん!」
おれと桜井の驚きの声が重なった。
二ツ木が頷くので、おれは念のために訊く。
「久米弥というと、あの関西弁を喋る背の低いタイガーズファンのことか?」
「そうだよ、間違いない。まあ、あいつの関西弁は滅茶苦茶だけどさ」
まったく想像もつかない人物だった。久米弥といえば非常におとなしく人の好いタイプだ、二ツ木のように刺々しくてかしましい女子高生と知り合いだとは思えなかった。どちらかといえば積極的な性格の桜井が、夏休みに久米と知り合ったという話を聞いたときにも、おれは驚いたものだ。
さらに尋ねる。
「それで、久米とはどういう……」
「どういうも何も、大阪のマンションで家が隣なの。小中学校も同じだし、四度同じクラスになったわ」
要するに幼馴染にあたるのだろうか。二ツ木は妙に自信満々にそれを明かし、桜井はそれを見てやや口を尖らせた。
とにかく、久米を探すなら難しくない。最初にすべきは携帯電話で呼び出すことだ。ところが、
「繫がらないか」
携帯電話は延々と呼び出しを続けている。二ツ木の電話も繫がらず、桜井は久米の連絡先を知らない。
電話がないなら足で探すことになる。久米は家入ちゃんや友人と遊びまわっていない時間帯なら、クラスか将棋部にいるはずだ。
「二ツ木、ここからなら将棋部が近い。行ってみるぞ」
おれが国語科資料室の方向へ踵を返すと、二ツ木はぶつくさと呟きながら素直についてきた。
「へえ、部活に入ったんだ。それに将棋も好きだったけど、部活にするくらいとは思わなかった」
どうやら、二ツ木といると久米の昔話を聞けるようだ。
将棋部にはしかし、眼鏡をかけた二年生しかいなかった。確か杉内先輩と久米が呼んでいただろうか。
「久米くんならいまは来ていませんねえ。それに、この時間帯はもともとここにはいない予定でしたよ」
国語科資料室は「触らないでください」という張り紙がそこかしこの棚に貼られている。部屋の中央にふたつの机が並べられて、その上には将棋盤。歓迎をする雰囲気はあまりなく、おそらく久米や杉内先輩も来客はそう多くはないと思っていたのだろう。
「弥くんがどこにいるか知りませんか?」
桜井が尋ねると、杉内先輩は椅子に座りながら答える。
「いえ、残念ながら知りませんねえ。幸い来客は多くありませんから、僕としても久米くんが何をしているか知らなくても、それほど困らない状況です。ところで、一局どうでしょう? 二面指しでも構いませんよ」
「じゃあ、お願いします!」
手を挙げたのは二ツ木だった。
桜井とおれも誘われたが、下手だからと辞退。二ツ木の気まぐれな久米捜し中断に呆れながら、将棋部に久米がたまたま戻る可能性を考慮して、黙ってふたりの対局を見守ることにした。
「中学生のころよく弥と指したわね」二ツ木は興奮気味だ。「自信ありますよ」
「おやおや」杉内先輩も指したくてたまらなかったのだろう、ふふん、と笑いながら駒を並べていく。一方でその手つきは決して急いだふうではなく、もはや威厳までも感じさせる。「お手柔らかにお願いします」
きっちりと整列した杉内先輩の駒たちと、いささか乱雑に整列した二ツ木の駒たちが向かい合うのを見ただけで、勝敗ははっきりしているような気がした。
序盤の杉内先輩は静かなもので、これといった攻撃をしない。落ち着きのない二ツ木の攻め手をあしらっているばかりだったが、それでも着々と自陣を整えていき、決着をつける準備ができた。そのころ、長考に疲れたのか二ツ木は顔を上げる。
「弥は部活でどんな感じ? 強い?」
失礼な口ぶりにも、杉内先輩は微笑を浮かべ余裕を見せる。
「なかなか手強いですねえ。どんどん成長しています」
「へえ、趣味程度かと思ってたら、ちゃんとやってるのね」
二ツ木の次の一手は、素人のおれが見ても悪手だった。杉内先輩の表情は変わらない。
「久米くんが最近腕を上げたのには、いくつか理由が考えられます」
「理由?」
杉内先輩の一手。穏やかな手に見えるが、それは間もなく襲い掛かる猛攻の伏線だ。
「はい。久米くんには癖がありました。ところがいまでは改善され、序盤は様子を窺い、自分の周囲を整える」
二ツ木が攻めの一手を繰り出す。おれはふと、違和感を覚えた。
「しかし、状況が動き始めたと見るや否や、攻撃的になる」
杉内先輩はそう言うと、これまで気づかれないよう仕掛けてきた罠を作動させた。たちまち二ツ木陣に先鋒が討ち入り、その背後では後続が睨みを利かせる。一瞬にして不利に追い込まれた二ツ木は明らかに顔色を悪くした。
それでも二ツ木は投降しない。攻めの手を続けた。
「おや、続けますか」
と、追い立てる杉内先輩に容赦はない。やがてほんの数手で二ツ木の王の首は取られた。
「僕なりに久米くんの棋風を真似してみました」杉内先輩ははにかむ。「いかがでしたか?」
「え? いまのが?」二ツ木は目を見開いている。「噓でしょ、弥って本当に上手くなったのね」
驚いたわ、と言って二ツ木は立ち上がると、荷物をまとめはじめる。「参りました」の言葉もなしに、だ。楽しかった、とだけ残してすたすたと部屋を出て行ってしまった二ツ木を追って、桜井も出て行ってしまう。
ため息が出た。
「すみませんね、先輩。どうやらああいう奴みたいで」
「いえいえ、きみが謝ることはありませんよ」
ふたりを追いかけようと思ったが、その前にひとつ尋ねたかった。
「本当に久米の手に似せたんですか?」
「できていたでしょうか?」
「いや、おれは知りません。そもそも、できるものなのですか?」
「簡単ではありませんよ」
「じゃあ、どうしてわざわざ?」
先輩はふふん、と笑った。
「あの元気な彼女、どうやら昔は久米くんより強かった、というような口ぶりでした。僕が久米くんに苦戦していると聞くと喜んでいたように。何より、彼女の指し方は、悪癖があったころの久米くんを倒すのにふさわしい手だったように思います」
「昔の久米とは?」
「おそらく、いまよりもずっと、攻撃的だったのでしょう」
「…………」
「彼女は厳密にいうと、久米くんに会いたがっているわけではないのかもしれませんねえ」
杉内先輩はくるりと踵を返し、国語科資料室へ戻って行った。
おれも杉内先輩とまったく同意見だ。
二ツ木は、昔の久米を探している。




