スルガニャン物語2(4)
第二章 大事件が起こる
1 取引停止メール
俺が管理人のブログ、『駿可屋がマジで最高!』にたびたびコメントを書いてくれる人がいる。
ハンドルネームは『ふりかけ』さん。
今日もコメントが書いてあった。どれどれ……。
『サイコー君。こんにちは。前に買ったCD箱なんだけど、ベックオフで千五百四十二円で売れたよ。四百八十円で買ったから千六十二円の利益だ。こんな素晴らしいものを売ってくれて本当に感謝しているよ。いつもありがとう。スルガニャンにも言っておいてねw』
こんな温かい言葉をもらっている。
元気そうだな、ふりかけさん。
彼は対人恐怖症というやつで、外へ出ることに強い不快感を持っている。だからもっぱら過ごす場所は家の中だ。
収入はアフィリエイトやコピーライターをして月収約六万円だという。
しかし一人暮らしをしているため、それだけでは家賃と光熱費でほとんどが飛んでしまう。
彼は駿可屋の福袋を転売することで食費を得ていた。
ブログに書かれるコメントは、すべて駿可屋への感謝のメッセージだった。
「――サイコー君、なに見てるんだにゃん?」
おっと、事務室で休憩しているところにスルガニャンが部屋に入ってきた。彼はそのままノートパソコンを置いているテーブルの上に乗った。
「ブログのコメントを読んでいるんだよ。ほら、見てごらん。駿可屋でお買い物したのが嬉しいってさ」
「うにゃ~、こういうコメントを読んだらおいらたちも幸せな気分になるんだにゃ~。嬉しいにゃ」
「だよね、スルガニャン」
――ある日、事件が起きた。
ふりかけさんがブログに書いた内容が信じられない内容だった。
『サイコー君、こんにちは。……やられたぜ。今回もベックオフに駿可屋で買ったCD箱を送ったんだ。そしたらよぉ……取引停止メール? こんなのが届いたんだよ。メールは一方的な内容だった。もう俺とは取引しないんだってよ。その理由が、同じ商品を何度も送ってくるからだって。そんなことでよぉ、取引停止なんてさせられるのかよ? こっちはお客なんだぞ。駿可屋はお客を大事にしてくれる……そうだろ? それは俺もよく知っているさ。でもベックオフは違う! 見下してるんだよ、俺たち客をよぉ。悔しいぜ、サイコー君。俺は一体どうすりゃいいんだ? このままじっと指を咥えているだけなのかよ? ベックオフの言いなりになるしかねぇのかよ? 駿可屋の足元にも及ばないくせに! ……あぁ、腹が減った。俺の食費は転売で稼いだ金だ。その資金源が絶たれてしまった。腹が減って死にそうだよ』
……なんてことだ。
こんな……こんな悲劇がっ! 現実に起こるとは。
とても信じられなかった。ふりかけさんはただ買取の品を送っただけだ。それなのに取引停止メール? ……信じられない。もしかしてふりかけさんの妄想話か?
いや、そうじゃない。彼がそんなことをしてなんのメリットがある? だからこの話は事実。
「とにかく、腹が減っているようだ。すぐに駿可屋の食品を彼に送ろう! お菓子や缶詰、ラーメンもあったはずだ!」
翌日には食料が届くはずだった。常連のお客さんだったから住所は駿可屋に登録してある。
……しかし、一日が過ぎてもブログにふりかけさんからのコメントはなかった。
「ふりかけさん、ちゃんと食べてるかなぁ」
念のために俺はもう一度、彼に食品の詰め合わせを送ろうとした。――が、その最中に運送業者から電話が入った。
「はい、涼野ですが。……はい。え? それは本当ですか?」
自分の耳を疑った。宅配便はふりかけさんに届いていなかった。
正確に言えば、彼は受け取ることができなかったのだ。……もうすでに死んでいたから。
ダンボール箱は駿可屋に戻ってきてしまった。
もう二、三日早く、ふりかけさんがブログに書いていてくれたら。
宅配便に任せるのではなく、電車に乗って直接食料を渡していたら。
彼が餓えて死ぬことはなかったかもしれない。
俺はブログを確認した。すると、まだ読んでいないコメントがいくつかあった。読んでみよう。
『サイコー君……見ているか? 俺ぁ、もう限界だ。腹が減って……キーボードを打つこともままならない。おそらくこれが最後のコメントになるはずだ。俺は特に社会になにか貢献したわけじゃねぇ。でも俺の人生は最悪ではなかった。それは駿可屋に出会えたからだ。駿可屋で買い物してるとき、俺は幸せだった。少ない金で大量に物を買える。小さな頃からずっと貧乏だったんだ。でも駿可屋だったら少ないお金で大人買いができる。ジャンルいろいろ! 実用書 三百冊セットを買ったときは驚いたぜ。ダンボール箱が三十箱ぐらい届くんだ。駿可屋、頭おかしいんじゃねぇか? って思ったよ。ドライバーの人も、こいつなに買ったんだ? って首を傾げてよぉ。それでも俺は楽しかった。福袋セールでは必ずと言っていいほど、サーバーダウンしたよなぁ。買いたいのに買わせてくれない。このときも駿可屋は頭がイッちまってると思ったよ。どれも楽しい思い出ばかりだ。……死んだらよぉ、もう駿河で買い物ができなくなるなぁ。それが唯一心残りでよぉ。まだ死にたくねぇなぁ。あのクソ、ベックオフ! あそこが取引停止なんかしなかったら俺はまだ……そ、そろそろ限界だ。腹が減りすぎると意識が朦朧としてくるんだなぁ。初めて知ったよ。最後にサイコー君、あんたに頼みがある。俺はたぶん死ぬ。死んだらカタキを取ってほしいんだ。天下を取ってほしい。駿可屋ならそれができる。俺を死に追いやったベックオフに言ってやれ。お客をぞんざいに扱う企業は……いつか滅ぶってな! ……眠くなってきた。いつか、あの世で会おうぜ、サイコー君……』
このコメントはふりかけさんの死ぬ間際に書かれたものだろう。
その内容からベックオフに対する悔しさ、憎さが痛々しいほど伝わった。
「サイコー君……」
一緒にブログを見ていたスルガニャンも悲しんでいた。俺はスルガニャンの背中をゆっくりと撫でてやった。
「残念だったね、スルガニャン。駿可屋のファンが一人、命を落としたんだ……」
「うにゃ……うにゃーん……」
スルガニャンはとうとう泣いてしまった。俺もまだ顔さえ見ていないふりかけさん。
彼の人生。彼がどうやって駿可屋に出会ったのか。彼はどんな顔して笑うのか……なにもわからないまま死んでしまった。
もうそれらを知る方法はない。いつか機会があれば直接会おうって約束していたのに。
ふりかけさんは殺されたんだ。ベックオフに。
「くそっ! ベックオフッ!!」
俺は机を思いきり叩いてしまった。その反動でスルガニャンがテーブルから落ちそうになる。
「スルガニャンっ?」
スルガニャンは猫らしく華麗に着地。……ふうっ、猫でよかった。もし犬だったら頭から落ちていたかもしれない。
「うにゃー、サイコー君。ものに当たるなにゃ」
「ごめん、スルガニャン」
スルガニャンは俺の膝の上に乗った。
「サイコー君、ベックオフとはなんにゃ?」
「え? スルガニャン、ベックオフを知らないのかい? 同じ業界なのに?」
「うにゃあー……?」
ちょうどいい。スルガニャンにライバル会社の情報を伝えておくか。
そういうことを知らない無邪気なスルガニャンもかわいいんだけど。
『ベックオフ』
事業内容:中古書店「ベックオフ」の展開。新規中古業態の開発や運営など。
資本金:約三十六億円
従業員数:正社員千名。パート・アルバイトが約八千名。
いっちょまえに東証一部に上場してやがる。
『古木市場』
事業内容:古本、家庭用ゲームソフト・ハード、トレーディングカード、CD、DVDなどの販売および買取。インターネットサイトの運営。
資本金:十一億六千万円
従業員数:正社員三百名。パート・アルバイト約千名。
『ネットエフ』
事業内容:インターネットサイトによる中古の本、CD、DVD、ゲームソフト、その他の商品の買取と販売。
資本金:四億円
従業員数:三百名。
ちなみに駿可屋だと……。
『駿可屋』
事業内容:メディアリサイクルサイトの運営。
資本金:四千万円
従業員数:正社員五十名。パート・アルバイト約百名。
「――おいらのところは資本金四千万円かにゃ。けっこうあるにゃ」
「貴殿野郎がFXをしなければプラス六百五十万円だったんだけどね。まあ、あの人のことはもういい。今度やったらマジで警察に突き出そう」
古本屋業界――本だけの取り扱いじゃないけど。しかし、いずれも最初は本のリサイクルをメインに始まった会社だ。
その大手であるベックオフ。資本金はウチの八十倍以上だ。
ベックオフの取り扱う商品は主に本。本だけでなぜここまで大きく成長することができたか? それは千店舗近いチェーン店があるからだ。
仮に一つの店舗で毎月百万円の利益を出したとする。全店舗合わせれば十億円も利益だ。
実際は採算の取れない店舗もあるはずだから、こんな単純な計算ではない。
えっと……あ! あった。
ベックオフの四季報を確認する。第1四半期決算の経常利益三億円。大したものだ。
ふりかけさんはこのベックオフに、駿可屋なら勝てると言った。
果たして勝てるのか? 相手はとんでもなく巨大だ。
しかし、勝つ見込みがまったくないとは限らない。ベックオフは必ずしも安く商品を売っているわけではない。駿可屋と比べればずいぶん高い。
俺が駿可屋に入社する前のことだ。同じ商品なのにベックオフと駿可屋の価格差に驚いたよ。
俺は駿可屋でデスノートを三円で買ったことがある。
そんなこと今言っても誰も信じてくれないだろうけどね。でも本当なんだ。思わず詐欺サイトかと思ったぐらい。
今となっては落ち着いた値段の設定となっているが、それでもベックオフよりはるかに安い。
さらに駿可屋にはタイムセールやまとめうりもある。扱っている商品数、ジャンル、価格。それらで駿可屋が負ける要素は一つもなかった。
ではなぜ多くの人がベックオフで本やゲームを買うのか? ……その答えは単純。ただ、知らないだけだ。
買取価格もクソ安い。わざわざ車で店舗に行って数百冊のマンガを買い取ってもらったが千円にも到達しなかった、なんていうのはよく聞く話。
駿可屋のあんしん買取か、かんたん買取に出しておけばその数倍になったものを。
俺も駿可屋の良さをブログで発信しているが、そこにたどり着く人なんてごく一部だ。
ベックオフは長年の歴史があるし、テレビコマーシャルもしている。つまり認知度の違いだった。
それだけでお客様は駿可屋ではなく、ベックオフに足を運ぶ。
俺からしてみれば、その行為は愚かでしかない。もったいない! お金をドブに捨てるようなものだった。
駿可屋は業界で唯一、高く買って安く売ることを実践している。
大概のショップはその逆。安く買って高く売っている。
同人誌を買うにはどこがいい? とらのあな? まんだらけ?
送料はいくらかかるんだ? 中古の扱いはあるか?
ヤフオクで買うのもありだ。でも欲しい商品がないときは? あり得ないほどの価格を設定されていたらどうしようか?
エロゲーはどこで買う? コムショップか? それともソフマップ? はたまたヤフオクか?
じゃあ同人誌とエロゲーをまとめて買いたいときは? ……そんなすべての悩みを解決できるのが駿可屋だ。
駿可屋ほど必要とされ、愛されているショップはないだろう。
そしてなによりも駿可屋にはスルガニャンがいる。こんなかわいい猫がベックオフにいるか? ……いない。
「スルガニャン!」
「ん? ……なんにゃ?」
「スルガニャン!」
「だから、なんにゃ?」
「スルガニャン!」
「お前、うっとうしいにゃ。黙っとくにゃ」
会話のできる猫だ。サングラスがこんなに似合う猫なんていない。とにかくラブリー。
駿可屋は業界ナンバーワンだ!
「ごめんね、スルガニャン。君の声が聞きたかったから、つい何度も呼んでしまったよ」
とうとうスルガニャンは俺を無視した。こういうところもかわいいんだ。
さて、そろそろ真面目に考えるか。どうやったらベックオフに勝てるか。
サービス面ではまったく負けていない。負けているのは知名度だけ。……とりあえず敵のネットショップでも見てみるか。
ベックオフのネットショップ。その名はベックオフ・オンライン。
ここにふりかけさんは買取の依頼を出したのだろう。でも拒否された。
その理由は同じ商品をたくさん送るから。……おかしくないか? たったそれだけで取引を停止なんてするだろうか。
どこかにヒントがあるはずだ。俺はブログで過去のコメントをさかのぼって調べてみた。すると気になるところがいくつかあった。
『CD箱をベックオフに売ったんだけどな。わざわざダンボールを変える必要なんてねぇ。すでにピッタリのサイズなんだからよ。送料もベックオフにとっては最小に抑えられていいんじゃねぇかな。ってなわけで、駿可屋のダンボールで送るぜ』
『へへ、十箱まとめて送ったら一万五千円にもなった! ベックオフやるじゃん! CD箱は一つ四百八十円だからかなりの儲けだな。ありがとう、駿可屋とベックオフ』
『一円買取もあるけど、千円買取なんてのもあるな。十パーセント買い取り増しのクーポンはホントありがたいぜ。一円買い取りの商品は二円になる。百パーセントアップだ』
『ネットエフにも売ったがこっちは安かった。Tポイント目当てで一箱ずつ売ればまあまあの利益になるが、まとめてベックオフに送ったほうが効率がいいぜ』
ふりかけさんのコメントをまとめてみると、ベックオフは駿可屋の存在をたぶん知っている。
駿可屋のダンボールで送ってきたことが気に障ったのではないだろうか。
CD箱は駿可屋の福袋の中でも一番コスパのいい商品だ。
ヤフオクに出すのもよし。ベックオフやネットエフに送ってもよし。簡単に転売できて、利益が出るサービス品。お客様に現金を渡しているようなものである。
CDの仕入れは同業者からの業者買い取りがほとんどだ。この時代、CDなんて高い値段だとそう簡単には売れないからな。だから中古CDが軒並み潰れている。
その倒産時の在庫を駿可屋が買い取っている。大量のCDは廃棄するだけでお金がかかるからな。業者にしてみれば引き取ってもらうだけでもありがたいはずだ。
駿可屋はそれらを、ほとんど送料の負担だけで販売している。儲けなんてない。お客様の笑顔が俺たちの報酬になる。
値段を設定したのはスルガニャンだった。これは画期的だった。
CD箱のコスパの良さが、いい宣伝になった。これだけで駿可屋利用者が二割も増えた。
「この安さにベックオフは恐怖したんじゃないかな? 数々送られてくる駿可屋のダンボール。自分とこの倉庫が駿可屋のダンボールだらけになる。同業者からのダンボールで埋められてんだ。向こうにしてみたら、いつの日か業界の首位を奪われる危機感があったのかもしれない」
「でもベックオフは、元々はウチの商品だったCD箱の中身を高くして売っているんだにゃ? だったらベックオフにもメリットはあるように思うんにゃけど……」
「もちろんさ。それで利益も出してるはず。……となると原因はこれだな。ベックオフはスルガイヤーを嫌っている。これしかない!」
「スルガイヤー……つまり駿可屋でお買い物をしてくれる人たちのことにゃ?」
「そうだよ。たぶんこう思ってるんだ。『お前はスルガイヤーだろ。だったらベックオフで買い取り申し込みなんてするんじゃねー。なんでライバル店で買った商品をウチで買い取らなくちゃいけないんだ。スルガイヤーなんて客じゃない。よし、取引停止メールを送って、今後一切関わらないようにしよう』……これが真相だろう」
「にゃに? お客様を差別する気かにゃん? 駿可屋は駿可屋。ベックオフはベックオフ。お客様がどこのショップを利用しようと関係ないにゃん。それを駿可屋を利用しているからって……あんまりにゃ! ベックオフはあんまりにゃ!」
お客様を大事にするスルガニャンが怒るのも当然だ。俺も怒っている。
スルガイヤーの痛みは駿可屋の痛み。俺の痛みだ。
マジで攻略してやるぜ、ベックオフ……。