スルガニャン物語2(2)
2 暴走貴殿野郎
俺とスルガニャンは静岡駅に到着すると、すぐにタクシーに乗り駿可屋を目指す。
駿可屋で一体なにがあったのだろうか。
よく考えてみると俺はスルガニャル子さんの性格をよく知らない。てっきり真面目に仕事をしてくれるものだと思っていた。
スルガニャル子さんが駿可屋に来て半年がたつ。その間、俺たちスタッフがひと通りの業務を教えたつもりだ。
もしわからないことがあれば通販と買取チーフを兼ねる貴殿野郎に聞けばいい。
塔子さんと由宇君が駿可屋を離れてから貴殿野郎の役職のランクも上がった。これを機に、より励んでくれることを期待した。しかし今俺の中で、ある懸念が生まれる。
あいつ、そういや変な奴だったよな……。
自分のことを吾輩とか言う奴だ。今まで当たり前のように接してきたが、よく考えればまともな人間が「吾輩は……」などとは言わない。
「大丈夫かにゃあ? サイコー君」
「あぁ、大丈夫だよ。なにかが起こっていたとしても俺たちで修正したらいい」
俺も駿可屋のサイトをまめにチェックするべきだった。スルガニャンとの旅行は楽しかったし、スルガニャル子さんと貴殿野郎を信用しすぎていた。塔子さんと由宇君のいない今、俺がもっとしっかりするべきだった。
タクシーが駿可屋に到着すると俺は言葉を失ってしまった。……なんだこりゃ?
建物の外までダンボール箱が溢れていた。駿可屋のロゴがついていないダンボールが多い。ということは買取で送られてきた荷物か?
「サイコー君、これって?」
「買取の荷物だな……一体どうなってるんだよ」
タクシーから出ると俺たちは建物の中に入った。受付には女性職員がいる。
「涼野です。社長も今戻りました。外の荷物、あれってなんですか?」
息を切らしたまま俺は早口で言った。
いきなりのことだったので女性職員は少し驚いた感じだったが、スルガニャンのラブリーな鳴き声を聞いて、落ち着きを取り戻す。
「おかえりなさいませ。社長、(涼野)部長。外に置いてある荷物ですが……あれ、全部お客様から買取で届けられた品物です」
やっぱりそうだったか。倉庫に入りきらないほどのダンボール箱。もしかして同業者から大量に届いた品物か?
「なぜ外に置いてあるんです? って、あ……」
辺りを見渡すとその光景に驚愕する。この受付口でさえ、床にはダンボール箱がたくさん積まれている。
右に顔を向けると普段は奥が見えないほどの長い通路のはずが、すべてダンボール箱で埋め尽くされていた。
「なんじゃ、この量は……? 副社長(スルガニャル子)とチーフ(貴殿野郎)は?」
「副社長はお出かけです。チーフは地下にいると思いますが」
スルガニャル子さん、こんなときにいないのか。
地下は通販部(商品置き場)だろ。なぜ忙しい買取部にいない? もしかして販売部のほうもめちゃくちゃ忙しいとか?
「ここ最近の売上はどうなっていますか?」
「そうですね、社長たちがここを離れてから売れ行きは右肩下がりです」
売上、下がってるのかよ。じゃあ尚更チーフは買取部にいなくちゃいけないだろ。
「わかった、ありがとう! ……スルガニャン、地下に行くよ」
「うにゃんっ!」
地下へはエレベーターで行くことになる。ちなみに地底人はいない。
――地下へ到着。
スタッフはまばらだった。見た感じ、それほど忙しそうには思えない。
俺は近くにいたスタッフを呼び止め、貴殿野郎がどこにいるのか聞いた。
「チーフですか? 奥にいらっしゃいます。一人で」
「通販部ってあんまり忙しそうに見えないんですけど、買取部のあの状況、どういうことですか?」
「人員を極力減らしているんです。チーフの指示で……」
人員削減? 俺はそんなこと一言も聞いていないぞ。
「わかった、ありがとう……」
くそっ、むしゃくしゃしてきた。なんでこんなに忙しいってのに人員減らしてんだよ。なに考えてんだ、あのバッハは。
貴殿野郎は本当に奥のほうにいた。なんだ? 仕事してんのかよ?
ちょっと物とか置いたりするための机の上に、ノートパソコンを置いてなにかやっている。
アダルト動画とか観ていやがったら、ぶっ飛ばしてやる!
「貴殿野郎っ! おいっ!」
「む? ……あ、わわわわっ!!」
向かってくる俺たちに気がついた貴殿野郎は、すぐに見ていたサイトを閉じようとした。
貴殿野郎がマウスに触れた瞬間、スルガニャンがジャンプし、貴殿野郎の手の甲を爪で引っ掻く。
「痛あぁぁ――っっ!!」
「痛ぁ、じゃないにゃん。お前、仕事中になに見てるんだにゃん?」
それが仕事の内容だったらいい。売上とか在庫の数をデータにしてまとめている、そういうのだったらいい。でも、今回は明らかにそうではなかった。
仕事の内容ならスタッフが見ている前で堂々としたらいいのだ。こんな奥でこそこそやっているからには、必ず人には言えない理由がある。
「スルガニャン、ナイス!」
モニター画面を見てみると、そこには……。
「貴殿野郎……お前、なにFXやってんだよ?」
「んにゃ? FX? な、なんだにゃ、それは?」
「そっか、スルガニャン知らないか……。これは二か国の通貨を取引することによって、為替差益を得ようとするものなんだよ」
「ふーん、貴殿野郎はそれをやっていたのかにゃん」
「いや、スルガニャン。たぶんきっと君の思っているほど甘いものじゃない。資産運用なんて言えば聞こえはいいが、実際にやっていることはただのギャンブルなんだ。それも四六時中、相場は動く。やっている本人は気になって気になってしょうがないだろう。とても仕事なんて手がつかない。貴殿野郎……てめぇ、FXをやっていて仕事をさぼったな?」
ここで貴殿野郎が反論。
「ち、違うでござるよ、サイコー殿。わたしは駿可屋のためを思って、資産を増やそうとしただけでおじゃる!」
ござるとか、おじゃるとか……相変わらずワケのわからんしゃべり方だな。
待てよ。今、こいつなんて言った?
「貴殿野郎、あんた駿可屋の資産を増やそうと……? なんて言った?」
「ぎょ、御意!」
「ふざけてんのか! はい、いいえで答えろ! 面倒くせぇ!」
「はィィ――――ッ!!」
もしかして……いや、もしかしてじゃねぇ。今、この状況! 俺の想像した最悪のシナリオになってるんじゃあ……。
だとしたら相当ヤバイ。確かめるのが怖ぇよ。
「貴殿野郎、本当のことを話してほしい。調べればわかることだからな。もしかして会社のお金を使ってFXをやっているんじゃないよな?」
「……は、はい」
聞きたくなかった! この言葉は聞きたくなかった、マジで。
「サイコー君? さっきからなにを言ってるんだにゃ?」
きょとん、とした顔をしているスルガニャン。……恐ろしいことが起きてるんだよ。
貴殿野郎は会社の金を使ってFX――ギャンブルをした。そしてさっき聞いた人員削減の件。
それらから連想すると、もう答えは出ていた。
貴殿野郎はFXで負けた。まだトレード画面が出ていたことから考えて、負け続けていると言ったほうがいい。問題はその損失額だ。
「負けたな、貴殿野郎」
「な、なんでわかるですか?」
「わかんだよ! 俺もフリーターのときは散々FXで損したからよぉ! 個人はFXで勝つことはできねぇ。金持ちやファンドに養分とされるのがオチだ。そんなこともわかんねぇのかよ」
ちなみに俺はFXでトータル八十万円前後は負けていた。
「いくらだよ? いくら負けた?」
「ご……五百、万」
気を失いそうになった。後ろに倒れそうになったのを堪え、俺は貴殿野郎の顔面を殴った。
「――ぐはっ!」
椅子から転げ落ちる貴殿野郎。こういう奴は口で言ってもわからねぇ。同じ仕事仲間だからといって許されるものと許されないものがあるだろ。こいつはそれを踏み越えてしまったんだ。
「なにするんだにゃ、サイコー君? 社内で暴力沙汰はやめるんだにゃ!」
スルガニャンは貴殿野郎をかばろうとした。でも俺の話を聞けば、かばおうとする気持ちもなくなるはずだ。
「スルガニャン、よく聞いて。貴殿野郎はね、会社のお金を使ってギャンブルして負けたんだ。それも……五百万円」
「にゃ、にゃにっ?」
コミックスや同人誌を売買して五百万円利益を上げようと思ったら、どれだけ売ったらいいんだ?
売るだけじゃない。お客様からの買取もある。そんな多くの手間をかけてやっと手にすることができる大事な大事なお金だ。
それを五百万……! 貴殿野郎が勝手にっ!
「すまぬ……サイコー殿」
「サイコー殿じゃねぇ。あんた、その五百万の損失をカバーするために買取部の人件費を削ったのか――――ッッ!!??」
「ふ、不覚……」
不覚じゃねぇよ。いちいち言うことが気に障って仕方がねぇ。
「今もまだ現在進行形でやってるんだろ、FX……」
「すまぬ。さらに五百万円を賭けて、ただ今百五十万のマイナス中でござる」
俺はマウスを操作して、勝手に今のポジョションを決済した。
「――あ、サイコー殿? なにを?」
「こんなのやってるからダメなんだよ。いいか? FXは絶対勝てねぇ! 勝てねぇんだよ!!」
「FXは上がるか、下がるか……それを当てるゲーム。ならば勝率も五十パーセントでは?」
「為替の動きっていうのはよ、なんでも一方向に動くんじゃんねぇ。下に動いたと思えば上に行く。そのまま上に行くのかと思えば今度は下に行く。いつかまた戻ってくると思ったらもう戻っては来ない。そんな感じで上下の動きが激しいんだ。その動きに大抵の人間はやられるんだよ!」
「そうか……やはり個人だと勝てないのか。もっと、早く気づくべきだった」
貴殿野郎は、つい魔が差したらしい。塔子さんと由宇君が駿可屋を離れ、俺とスルガニャンも離れた。
そしてスルガニャル子さんも、なぜかたびたび駿可屋を離れるようになる。
初めは二、三時間だった。しかし、日に日に外へ出る時間が長くなった。現に今もスルガニャル子さんはいない。本当にどこに行ったのだろう?
もしかして富山が恋しくなったのだろうか。
スルガニャル子さんは長い間、富山に住んでいる、あるお婆さんに世話をしてもらっていた。でも、もうお婆さんはいない。だとしたらお墓参りかな。
しかしそうであったとしても、受付や旦那であるスルガニャンに一言連絡すべきだろう。
まさか誘拐でもされたのか? ……それも違う。スルガニャル子さんは朝早くに出かけ、夜になると帰ってくるみたいだ。
今夜、どこに行っているのか聞いてみよう。
さて、貴殿野郎の処分について考えなければならない。会社に六百五十万円もの損失を出したのだから、なにもお咎めがないというのは皆に示しがつかない。
かと言って、警察に突き出すのはスルガニャンとしても辛いところだろう。
実際、スルガニャンも俺も貴殿野郎の仕事ぶりは認めている。……今回だけだ。
今回だけ給料十パーセントカットと今後三年間の賞与なしで手を打とう。
「……それでいいよね、貴殿野郎」
「はっ、はは――っ!!」
貴殿野郎は時代劇に出てくるような土下座をした。彼は本気で反省した、そう信じたい。
貴殿野郎はハピタスでDMMFXの口座開設をしたらしい。
確かにハピタス経由での口座開設はお得だ。もらえるポイントが一万五千円相当なんだから。
俺もまったく同じことをしている。ハピタスでDMMFXの口座を開設して……ダメだ。やめよう。
FXは中毒性があり、それはギャンブル中毒。パチンコやパチスロと同じようなもの。
抜けようと思ってもなかなか抜け出すことができない。一種の病気だった。
俺とスルガニャンは貴殿野郎が辞めさせたスタッフに事情を説明した。
幸い、辞めていった全員が駿可屋に戻ってきた。皆、駿可屋を愛している人たちばかりだ。
辞職を勧告されて、その場で泣きだした女性スタッフもいたようだ。
貴殿野郎をチーフからサブチーフに降格させた。そしてお辞儀君を新たなチーフとして迎えることにした。
ちなみにお辞儀はひたすら買取作業をしていたという。通常、買取スタッフはお辞儀君を入れて十名ほどのいるのだが、この時点で買取スタッフはお辞儀君だけという衝撃事実!
一か月近くお辞儀君が一人で買取業務をしていたのだ。朝から深夜までずっと……。
貴殿野郎が買取スタッフを辞めさせても、お辞儀君はなにも言わなかった。
誰に対しても頭を下げる物腰の柔らかさは、ときには弱点となってしまう。誰か貴殿野郎の暴走を止める者が必要だったんだ。
俺もスルガニャンも買取作業を手伝う。そこで俺はようやく思い出した。買取金額〇円の件だ。
高いものはそのまま高く買い取り、安いものは軒並み〇円。今の駿可屋はそういう買取設定になっていた。
「お辞儀君、これも貴殿野郎の指示なの?」
お辞儀君は作業の手を止める。
「この指示は貴殿野郎ではありません。副社長の指示です」
「スルガニャル子さんが?」
買取遅延の件、そして買取金額〇円の件。同じようで原因がまったく違うのか?
スルガニャル子さん……あんた、今どこでなにをしてるんだよ?