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上映作品-1 "サイレントスニーカー" #4

 ガスが後10リム(m)まで迫ってきていたが、先頭を走るアーガイルからは出入口の報告はまだ来ない。

 もう間に合わないかもと皆が思い始めた時、先頭のアーガイルから10リムほど先のカーブになっている坑道の壁に突然穴が開き、防護服のようなものを着た何者かが顔を出した。

「おい! あんた達、早くこっちに来るんだ!!」

 声のした方へ反射的に飛び込むアーガイル、メイベル、ロックハマーの3人、しかしあと一人が続けて入って来ないことで後ろを振り向いた3人の顔に驚愕の色が走る。

『カール!!』

 石に躓いたのか、穴まで3リムのところでカールが倒れていた。

 起き上がろうとしているところを見ると意識はあるようだったが、頭を打ったのか動きが非常に緩慢で、このままではとてもガスの到達前に穴へ飛び込むことは不可能だった。


「くそっ!」

 ひとつ悪態をついてロックハマーが飛び出すが、ガスはすでにカールの後方およそ3リムのところまで来ていた。

 すんでのところでカールを抱え上げ、穴に向かって走り出すロックハマー。しかしいかに怪力を持つロックハマーでも、人一人を抱えては先程のスピードは出ない。

「すまない、ロックハマー……」

「いいから黙ってろ。ぐあっ!」

『ロックハマー!!!』

 ロックハマーの呻きに穴で待っている仲間の叫びが坑道に響く。

 

 穴まであと1リムのところまで到達した時、ガスはすでにロックハマーから1リムを切るところまで近づいてきていた。

「ロックハマー! 早く!!」

 穴の際でアーガイルが叫ぶ。

「うおおおおおおおおおおおっ!!!」

「おーーーーーーー!」

 ロックハマーがカールを抱えながら渾身の力を振り絞り穴へ飛び込み、その叫びに呼応するかのごとく、アーガイルが持てる精一杯の力で扉を引っ張る。


 果たして、ガスが穴に入るか入らないかギリギリのところで扉が閉まった。

 実のところ少し入ってしまったようだが、すぐに空気中へ拡散してしまったのか誰にも影響はないようだ。


 とりあえず危機を逃れた事に安堵し"梟の目(アウルアイ)"を外すメンバー達。が、しかし……。

『ロックハマー!』

 ロックハマーは飛び込んだ状態のままピクリとも動かなかった。さらにその背中は火であぶられた様に広い範囲でただれていた。とっさにカールが脈を取ると、まだ生きてはいるようだったが。

「おい、ロックハマー! 起きろって! アーガイル、さっきの人に頼んで水を桶に一杯もらってきてくれ!」

 カールは背中の傷に触らぬよう気をつけて揺り起こしつつ、アーガイルに指示を出す。

 しかしアーガイルが走り出した矢先、通路に光が差し込んだ。


「おい、大丈夫か」

 光の中から男の声がする、どうやら先程彼らを誘導した人物のようだ。

「あ、あの、すみませんけど、水をもらえませんか? 仲間が外のガスで背中がやけどしたみたいになっちゃってて……」

 光の中の男に走り寄り、慌てた様子で説明するアーガイル。

 その男も"やけど"のあたりまで聞くと分かったとばかりに手振りでアーガイルの話を止め、奥へ声を掛ける。

「おい、ガスでやられたのか? それなら水よりもいい物がある、そいつを中まで連れて来てくれ」

「わ、わかった! すぐに連れていくよ!」

 男の言葉にすぐさま奥に引き返すアーガイル、その顔にはロックハマーが助かるという安堵感が広がっていた。男の方もアーガイルが奥に取って返したのを見て、きびすを返す。




 アーガイルとカールが両側からロックハマーを支え、通路を歩いていく。通路は幅3リム、高さが2リムになっていて男3人が並んで通ってもなんとか通る事ができた。

 通路を抜けるとそこは化学の実験室のようで、中央には幅60セラ(cm)、長さ2リムほどの台が(しつら)えてあり、右の壁際には薬棚、左の壁際には様々な実験器具が置かれていた。

「おお、来たか。それじゃそこの台に寝かせてくれ」

 先に帰ってきて部屋を片付けていた男は、カールたち4人を見るとロックハマーを台の上に寝かすよう指示する。

 アーガイルとカールが二人がかりでロックハマーを台にうつ伏せで寝かせると、男は薬棚から霧吹きの様な物を取り出し先程かぶっていた防護マスクを着けた。

「今から背中を消毒するんだが、こいつは強力な分、飛沫や揮発した気体が目にでも入ろうものなら30ミニ(分)は痛みにのたうち回らなきゃならない事になるんでな。だからあんたらもマスクを被って少し離れていてくれ」

 男の言う事が嘘でも冗談でもないと悟った3人は"梟の目"を装着し、入ってきた入口まで下がる。

 3人が下がった事を確認した男は、ロックハマーの背中にムラなく消毒剤をかけていった。


 それから1ミニ後。


「ぐおおおおおおおっ!」

 いきなりロックハマーが大きく呻き声を上げ、背骨が折れんばかりに海老反り、そしてまた倒れた。

「おおっ、生きてた!」

「よかったぁ~」

「……あんた達、もしかして遊んでるんじゃない?」

 アーガイル、カールの反応に対して冷静にツッコむメイベル、そのメイベルもロックハマーが生きている事が確認できて安堵したのかその声も少し(やわ)らいでいた。

 そして彼らを少し離れたところで見ている男のマスクが小刻みに上下しているのは、もしかすると笑っているのかもしれない。


 それから2ミニほどしてから男がマスクを外した。

 マスクを取った顔は、少し縦長な四角で精悍な顔立ちだった。しかし、ところどころ生えている無精ひげがその精悍さを緩めていたが。

「よし、もうマスクを取ってもいいぞ。さて、次はっと。おい、そこの背の高い兄さん、悪いが隣にある棚から紙袋に入ったガーゼと幅広のテープがあるから持ってきてくれ。ガーゼは袋ごとでいいぞ。ついでに鋏も出しておいてくれ」

 男はカールを指すと、薬棚からどろりとした深緑の液体が入ったビンを取り出す。

 取り出したビンから掌に液体を取ると、それをロックハマーの背中に塗りつける。

「こいつはな、火や酸でできたただれにはちょうどいいんだ。ちょっと沁みるから2、3ダイ(日)はじっとしていた方がいいがな。まぁ沁みるといっても、さっきのよりはましだがよ」

 塗りつけたそれを丁寧に延ばし、傷口全体が緑で埋められるとカールに取りに行かせたガーゼを出させた。

「兄さん、悪いがそのガーゼを広げてな、こっちで寝てる兄さんの背中に合わせて切ってくれ」

 広げたガーゼは縦横どちらも1.5リムはある大きな物で、ここにある鋏では小さくて切りにくいが何とか切っていく。


 カールがガーゼと悪戦苦闘している間、男は彼らが入ってきたのと違う入り口のそばにある手洗い桶で手を洗い、ガーゼの上に乗せる綿のシートと包帯を持ってきた。

「おい兄さん、ガーゼを張り終えたらこのシートを乗せてテープで固定するんだ」

「わかりました」

 なんとかガーゼを張り終えたカールは、男からシートを受け取りガーゼの上に乗せテープで固定する。




「うぅ、ここは何処だ? なんだか背中がえらくヒリヒリするぞ……」

 台の端のほうから呻き声がする、どうやらロックハマーが意識を取り戻したようだ。

 しかし気が付いて早々にこの場を確認するためか、急に体を起こそうとしたので慌ててカールが止める。

「おい、急に起きるな! せっかく貼ったガーゼが剥がれる! 今起こすから、ちょっと待っててくれ」

「ああ、そうなのか? すまん」 

 カールは男と一緒に傷に触らないよう気を付けながら、ゆっくりとロックハマーを起した。

「ところでここは何処で、俺はどうして寝てた? 確かあの坑道でガスが発生してお前抱えて通路に飛び込んで……」

 ロックハマーはカールに包帯を巻いてもらいながら、気絶してから起き上がるまでの顛末を聞く。

「それは……」

「それは俺から説明しよう、お前さんはそこの兄さんを抱えて通路に飛び込んだ後、背中をガスに焼かれた痛みで気絶してたんだよ。んで、ここは俺の実験室。といっても、やるのは主に鉱物の精錬だがね」

 男がカールが言おうとしたのを横から遮る形で話す。

 一瞬ムッとするカールだったが、彼の話を聞いた途端、目の前の人物が誰であるかということに思い当たる。そして他のメンバーも同様だったらしく、カールと似た表情をしていた。


「あなたはもしかして、ジェームズ・マインスミスさんではありませんか?」

 カールがおそらくメンバー全員が感じていたであろうことを男に聞いてみた。

「ん、なんだ、俺の事知っているのか? 俺もえらく有名になったものだな。ところでその俺を知っているあんたらは何者だい?」

「俺達は王国軍から派遣された調査チームで、最近この鉱山で起こっている鉱夫の失踪事件を調べにきました」

「それでその調査命令書の中に俺の名前もあったってわけか」

「いえ、俺達が調査命令を受けたときはまだ誰が消えたのか分からない段階で、マインスミスさんの名前が出てきたのは、今ここにはいませんが偶然うちのチームリーダーが誘拐されかかったあなたの娘さんを助けてからです」

 一瞬前まで興味本位で話を聞いていたマインスミスだったが、娘の話が出て切羽詰った顔に変わった。


「なに!? それで娘は、エレナはどうなったんだ!? まだ無事なのか!?」

 噛み付かんばかりに詰め寄るマインスミスに苦笑しつつ、カールが答える。

「はい、現在は俺達の信頼できる人間のところで匿ってもらっています」

「そうか……」

 ほっとした表情でカールから離れるマインスミス、今度はカールの方から質問した。


「助けてもらった事は大変ありがたいのですが、二つほど聞きたいことがあります。なぜ俺達がここに入ってきた事が分かったのと、なぜ俺達を助けたのですか?」

 マインスミスは一瞬つまらなそうな顔をしたが、すぐに答えた。

「ああ、何だそんなことか。そこの坑道への入り口の傍には魔導式を組み込んだ魔石を置いていて、その近くを誰かが通れば反応するようになっている」


「もしかして、これの事?」

 アーガイルが先程坑内で拾った石をマインスミスに見せる。

「ああ、それだ。あんたらが入ってきた入口の上にも赤いのが点いているだろう、その石が反応した時点で点くようになっているんだ。そして石が反応してから10ミニ以上過ぎるか、この坑道の真ん中にも置いてある石にも反応させると鉱山側にある入口の方からガスが発生する仕組みだ。このトラップを回避するには、この石の魔導式を抑える式を組み込んだ物が必要になる。これについては式が組み込めりゃなんでもいいんだがな」

「なるほど、何も知らず調査に来た俺達はマヌケにもそのトラップに引っ掛かったというわけですね」

 自嘲気味に話すカールに、マインスミスは、まぁそういうことだな、と頷いた。


「もう一つは、あんた達を助けた理由についてだったな? 簡単な話だ、トラップに引っ掛かる人間、つまり奴らとは関係の無い人間だから、もしかしたらここから俺を救出しにきたんじゃないかと思ったんだよ」

 カールはマインスミスがここに連れてこられた経緯を聞いた。

「それでは、マインスミスさんはここに無理やり連れてこられたと?」

「いや、1マース(月)程前か、この鉱山を経営している会社に製錬所の技師として呼ばれて来たんだ。前の仕事がちょうど終わった事もあったが、若い時分にここの前オーナーには世話になっていた、ってのもあったしな。あれは2ウィン(週間)くらい前だったかな、若い男が来て精錬した金属のさらに純度を上げる実験を手伝ってほしいということでここに連れてこられたんだ。来たら来たでこの部屋に閉じ込められるわ、扱うものが魔鉱石やらでさすがに参ったよ。いくら俺でも無申請で魔鉱石を扱ったらどうなるかくらいは知っているからな」

「それでずっと救出を待ってたわけですか。ならばこれから俺達と一緒にここから出ますか?」

 マインスミスの話に合点がいったとばかりに頷きながら、カールはここから出る意思があるか確認する。


「いや、悪いが俺はまだここを出るわけにはいかないんだ」

 さっきまでは救出を求める発言をしていたのに、いきなり前言を翻すマインスミスの発言にカールたちは耳を疑った。

「何故です? あなたは救出を求めていたのではないのですか?」

 先程のマインスミスの発言から来る動揺を、できるだけ表に出さないようにカールが聞く。

「ん、まぁ、ここから出たいというのも本音ではあるし、扱う物を知って逃げようとしたのも事実ではあるがね。だが……」

 ここでマインスミスは一旦言葉を切り、一息ついてからまた話し始めた。


「知っているか? 魔薬は純度が高ければ高いほど薬効が上がり、連続摂取による中毒症にもなり難くなるんだ。もっとも、薬効が上がっているだけに用法・用量をより厳密に守らなければ死に至りかねないがね。それに魔鉱石は一般での流通が制限されているから、普通の実験よりもグル(g)あたりの試料代が2桁は跳ね上がるしな。国や民間の施設ではそんなモノの実験なんて余程成果に確信が持てるか、大口の出資先でもいなければやらせてもらえんよ」

 言うだけ言って肩をすくめるマインスミス、それに苦笑しつつも真面目な顔になってカールが返す。


「なるほど、確かに国や民間の研究機関ではモノがモノだけに、金は掛かるわおおっぴらにできないわで尻込みするケースが多そうですね。だからここに残るというわけですか」

「それも理由の一つではあるが、一番の理由は自分でどれだけ純度を上げられるかやってみたかったってぇとこだな。さっきも言ったように中々実験などがしにくい材料だから、75~85%までいけばよしとされているのが現状だ。だから俺はこの機会に自分の二つ名とまではいかなくとも、90~95%まではもっていきたいと思っている」

「二つ名って、えっと確か"セブンナイン"でしたかね……」

「そうだ、って面と向かって言われると自分から言い始めたことじゃないんで、結構恥ずかしいものがあるがね。まぁそういったわけで、思うだけの成果が出るまで俺はここに残る。娘には悪いがあんたたちからそう言っておいてくんねぇか」

「わかりました、娘さんにはそう伝えておきましょう。しかし次に我々が来たときには誘拐同然だと言われようとも連れ帰りますので、それまでに目処を付けておかれると助かります」

 マインスミスの言い分に納得し切れず微かな苛立ちを覚えるカールだったが、これ以上時間をかけることで自分達だけでなくマインスミスにまで危機に陥る可能性を考え今回は救出を諦めた。

「ああ。それとすまねぇが、娘の方はよろしく頼む」

 自分の我侭を通したことで多少の引け目を感じているのか、マインスミスは深々と頭を下げた。


「ところでマインスミスさん、この部屋の出入り口は坑道側と反対側にあるだけですか?」

「多分そうだ、というもの実はこの部屋に入るまでは目隠しをされていたから、あまりよく分からないんだ。まぁ馬車を降ろされて建物に入ってからしばらく歩かされたから、ここは長い廊下があって部屋に着くまでに階段を下りていったから地下にあるんじゃないかくらいは分かるんだが……」

 カールはマインスミスにこの部屋の出入り口について確認を取ると次にアーガイルを呼び、入ってきた時と違うドアを指して言った。

「アーガイル、そこのドアの鍵は開けられそうか?」

「ん~、どれどれ。ああ、ここのは前に開けた事がある型だから問題ないよ」

 アーガイルからの報告に一つ頷くと、カールは脱出を宣言する。

「これよりこの場から離脱する。メイベル、鍵が開いたら先行して様子を見てきてくれ。動けるか、ロックハマー?」

「わかったわ」

「ああ、立ち回りは辛いが、走るくらいならなんとか」

 カールが他のメンバーに指示を与えていると、鍵を開けに行ったアーガイルから声が掛かる。

「カール、鍵が開いたよ」

 アーガイルの声を合図にするかのように音も無くメイベルが部屋から出て行く。

 続いてロックハマーとアーガイルも音も無く出て行くが、特にロックハマーの動きは背中のほぼ全面に怪我を負っているとは思えないものだった。

「それではマインスミスさん、俺達は戻ります。それと、できれば俺達のことは言わないでもらえると助かります」

「分かってるさ、あんたたちのことは黙っておくよ。それじゃ、気をつけてな」

 カールは無言で一礼すると部屋から出て行きドアを閉める、それからすぐにドアからカチリと鍵が掛かる音がした。




 カールが部屋から出るとそこは幅が1リムほどの廊下になっていて、そこから2リムほど先が階段になっていた。

「カール、そっちはもういいのかい?」

 カールが声のした方へ目を向けると、壁際にアーガイルとロックハマーが"梟の目"を装着して立っていた。

「ああ、今のところあれ以上どうもできないしな。ところでメイベルは?」

「メイベルは、階段を上がりきる手前で見張りをしてるよ」

「そうか。ああ、悪いがドアの鍵をまた掛けなおしてくれ」

「わかった」

 アーガイルが作業にとりかかると同時くらいにメイベルが戻ってきた。


「あらカール、そっちはもういいの?」

「って君もかい……。まぁいいや、それで上の警備はどうなっている?」

「だいたい15ミニ(ごと)に2人組みで巡回しているみたいね。さっき上の廊下を通っていった連中がそう言っていたのが聞こえたわ。それと窓は開くけど、カールやロックハマーが通り抜けるにはちょっと狭いわね。それから、じっくり見たわけじゃないからおそらくだけど、ここはオラクルのアイマン支社の建物ね」

「やはりそうか。となると、出口は正面ホールか左右の端にある非常口しかないってことか……」

 カールは暇を見つけてはこの辺りを見て回っていたため、この建物のことは見知っていた。

「正面ホールはだめ。ホールには詰所があるしドア周りには魔石感知器があるから、気付かれずに出るのは難しいわ」

「それじゃ、非常口だって似たようなものじゃないのか?」

「あの辺りは廊下に人がいたら反応するタイプの感知器があるだけで、非常口そのものには付いていないわ。まぁ、非常口は中からでも外からでも開けるには鍵がいるから、アレだけでいけると思っているんじゃない?」

「そうか、それじゃ次の巡回をやり過ごしたらアーガイルを窓から出して、外側から非常口を開けてもらおうか」


「ん~、外に出て鍵を開ける分にはいいんだけど、どうやって開いたのを知らせるの? 開いたからってドアを開け放つわけにもいかないし、ドアを叩いて知らせるわけにもいかないしさ……」

 ドアの施錠が終わったのか、いつの間にかアーガイルがカールの後ろに立って話を聞いていた。

「アーガイルならあの程度の鍵、その次に警備員が巡回してくるまでに十分開けられるだろ? 鍵を開けたらその場に待機、俺達はその次からの巡回の後について一人づつ出ていくから"梟の目"を使って彼らが脇の階段を上がっていく音が聞こえたらドアを開けてくれ」

「はぁ、なんとまぁ、カールにしては大雑把というか……。まぁ他に案があるわけじゃないししょうがないね。んじゃちょっと行ってくるから、そっちもいつでも行けるようにしといてよ」

 アーガイルはカールの脱出案に半ば呆れるものの、すぐに了承し階段の中ほどに移動した。


 位置に付いたアーガイルが上を見ると、廊下には月明かりが差し込んでいた。

しかしそれは明暗がはっきりするほど明るくはなく、わずかに光と影の境界がうっすらとわかる程度で階段までは届いてはいなかった。


 アーガイルが階段に陣取ってからどれくらい経ったのか、ランタンの光と共に巡回の足音が聞こえてきた。

 警備員が階段の降り口へ着くと一度足を止め、何かを感じたかのように階段へランタンの光を当て始める。

 普段は緊張のきの字も表に出さないアーガイルの顔にも、舐めるように当てられる光には緊張を隠し得ず、もし見つかった際には即制圧できるよう投げナイフを胸元で構えていた。


 1セト(秒)、5セト、30セト、1ミニ、現況でのアーガイルにとって無限に等しい時間が過ぎていく。


「ふいぃ……」

 光と足音が去った後、アーガイルは思わず安堵のため息をついてしまう。しかし向こうにそれを聞き取られた様子はなく、足音がこちらに戻ってくることはなかった。

「さて、行きますか……」

 アーガイルは足音が十分離れた事を確認して動き出す。

 その動きはまるで猫のように身を伏せた状態で待機位置から窓枠まで一気に駆け、壊れ物でも扱うようにそっと自分がギリギリ通れるくらいに窓を開け、蛇のようにスルリと窓の隙間を抜けていった。

 そして最後に窓が閉まるまでの間およそ10セト、その動きには一切の音がなかった。

「なんとか抜けられたなぁ、いつもこううまくいくといいんだけどねぇ。ま、後はカール達がうまくやれることを祈るのみっと……」

 窓を閉めた後、誰にも聞こえないような声でポツリと呟くと次の仕事を片付けるべく移動した。




「う~む、さすがにこういう系統(つまり泥棒)の技をさせると、メイベルよりもうまいんじゃない?」

「そうねぇ、気配を消すのは私のほうが上だけど、人に見付からないように動くという点ではアーガイルのほうが上かもしれないわね。やはり窃盗と斥候の技術は似て非なるものなのかもね」

「確かに奴の動きは俺も見事だと思うが……。っておい、そろそろ次の巡回が回ってくるんじゃないのか? どうするんだカール、誰から行くんだ? 呑気に雑談している暇があるなら指示を出せ」

 傍から見ても呑気に先ほどのアーガイルの動きを賞賛するカールとメイベル、それにロックハマーが軽く乗りつつ突っ込みを入れる。

「ああ、ごめんごめん。それじゃロックハマー、俺、メイベルの順で行く、異論がなければ行動開始だ」

「わかった」わ」

 カールの言葉にそれぞれが脱出の準備をする。


 ロックハマーが階段の中ほどまで進み巡回が来るのを待つ。

 体が大きいため、闇に紛れるには下のほうに位置しなければならないが、一度紛れると感覚が一番鋭いメイベルですら感知するのが困難なほど気配を消していた。

 そしてまた巡回がやってくるが、今度は階段の降り口で立ち止まらずにそのまま通り過ぎていく。

 その3リム後をロックハマーがついて行くがその動きは背中の怪我を全く感じさせないもので、結局一度も気付かれる事もなく脱出に成功した。


「いよいよ、俺の番か……。でも気配を消しながら移動するのって、どちらかっていうと苦手なんだよなぁ……」

 カールは周りに聞こえない程度の声で愚痴とも弱音ともつかないことを呟いていると、巡回の足音が聞こえ、緊張に顔がこわばる。

 しかし、降り口まで来た足音はそこで一瞬止まったものの、何事もなかったかのように遠ざかって行った。

 足音が遠ざかってから数セト後、目から上だけを廊下に出し前後5リムに人がいないことを確認すると、這いずるような低い姿勢で階段の陰から廊下の闇へと移動する。

 さっきよりも月が沈んだのか廊下はほとんど暗闇という状態ではあったが、カールはなるべく闇の濃いところを縫うように進んでいく。


 出口まで後5リム、ちょうど巡回が出口側の階段を上っていったところでスッと出口の扉が開いた。

 あと3リム、2リム、1リムとなんとか順調にきたが、扉から出る寸前で緊張が切れてしまったのか、扉の枠に足を躓かせてしまい思わず声を上げてしまう。

「うゎ……」

 一瞬の出来事に外で待っている二人の顔に焦りの色が走り、ロックハマーがフォローのために駆け寄ろうとする。

 しかし最後まで声が上がることはなく、ロックハマーもその足を止めた。 


 カールが躓いた瞬間、彼の背後から影が現れ、彼の口を押さえつつ腰を抱えて飛び出したからだ。

 その影はカールを抱えたまま音もなく着地する、まるでカールなぞ抱えていないかのように。


「大丈夫? 危なかったわねカール」

「ああ、すまない、メイベル」

 カールを助けた影はメイベルだった。

 カールはメイベルの腕から降りるとアーガイルの方を向き、照れ隠しのためかいつもより少しきつい口調で言った。無論音量は落としているが。

「アーガイル、扉はもう閉めたか! 鍵も掛けておくんだぞ!」

 アーガイルも今のカールの心境が手に取るように分かるので、ことさら明るく答える。

「だいじょうぶ、どっちもやったよ~。それに巡回も気が付かなかったのか降りてこなかったしね~」

「わかった、ご苦労さん。それじゃみんな、町に戻ろう」

 アーガイルからの報告を受けてさっきよりも落ち着いたのか、いつもの調子に戻って町への帰還を宣言した。


 それを受けて町へと降りていくメンバーたち、しかし途中にカールだけが立ち止まりメイベルを呼び止める。

「ちょっといい? メイベル。助けてもらったんだからあまり文句は言いたくないけど、後ろから来るなら来るで一言あってもいいんじゃないのか?」

「ん~? まぁうまくいったからいいじゃない。でもあえて言うなら回ってきた巡回が隙だらけで、あとカールがさっきみたいに蹴躓(けつまず)いた時でもフォローできると思ったからよ」

 メイベルからの答えにカールは"絶対に嘘だ"と思ったが、先程の失態を引き合いに出され絶句してしまう。

 メイベルはそんなカールを見てクスリと笑うと、彼を置いて先に行っている2人を追いかけた。


 カールたち4人が町へ帰り着くとすで月が西へと沈み、代わりに太陽が東から昇るべく山の稜線を白く染めつつあった。

「それじゃ今晩にまたいつもの時間にユーゴーの部屋に集合してくれ、たぶんアイツもその頃には帰っているだろうから」

『わかった』

 カールからの指示にあとの3人が了承の返事を返す。それが合図となって4人はそれぞれの場所へと戻っていった。




 カールたちが帰って少し経った後、アイマン支社の一室にて。

「ただいまクライン、今戻ったよ。残念ながら、賊は逃しちゃったし彼らも全員倒されちゃったけどね」

「お帰りなさいませ、シャリア様。あなた様がご無事であるなら、それがなによりです。それはそうと昨晩第3坑道に何者かが侵入し、トラップが起動したとの報告が来ておりますが」

 シャリアが無事に帰還したことに喜ぶクラインだったが、彼の留守中に起こった出来事を報告するときにはその表情も曇っていた。


「あぁそう、まぁあのガスに巻かれたらまず助からないけどねぇ、一応確認はしておいて。ん? あぁそうだった、あのガスは一度放出されると3ダイ(日)は効果が持続するんだっけか……。まぁいいや、とりあえず彼の所へ行って、人の出入りがなかったか見ておいて。それくらいならできるでしょ」

「ああそれでしたら、既に警備の者に見に行かせました。その者によるとドアには鍵がかかっていましたし、覗き窓から中を覗いても彼しか居なかったそうです。まぁあの部屋には入るにも出るにも鍵が要りますので、ひとまずはそれで十分かと。あとこれは関係ないかもしれませんが、地下への階段近くの窓の鍵が開いていたと。おそらく、昼間に換気のために開けたのを閉め忘れたのでしょう」

 シャリアはクラインからの報告をいつもの笑顔で聞いていたが、窓の鍵の辺りで何かに思い当たったのか眉をひそめ考え込むようなそぶりをする。


 しかしそれも束の間、すぐに先程の顔に戻りクラインに向き直った。

「ふむ、じゃあここは放棄して彼を本社に移そう。実験器具はあっちにもあるから、必要最低限の物だけ持っていけばいい。おそらく1、2日中には"彼"が来るだろうから、悪いけどすぐに動いてくれ」

「はっ、直ちに」

 シャリアからの命令に部屋を出て行こうとするクラインだったが、ふと何かを思いついたように立ち止まる。

「……あの、不躾ながら一つお聞きしたいのですが、"彼"とは一体?」

「ん? ああ、5イーズ(年)前に死んだ"亡霊"さ。さ、早くしないと昼から出るかもしれないぞ」

 "亡霊"の一言に何かが思い当たったのか、クラインはシャリアに一礼すると無言で出て行った。




 カール達が帰還した日の昼間、カールはステイに呼ばれて"鉄龍亭"に来ていた。

「カールか、ほれ、ユーゴーから預かり物だ」

 と言いながらステイは、カウンターの下から持ち手の付いた木箱を取り出しカールに渡す。

「え? 帰ってきてたの?」

 箱を受け取り返事をするカールだが、目は既に箱の中身へと移っていた。

「ああ、夜明けくらいだったか、儂にこれを預けるとさっさと301号室に戻っていって、それから3アズ(時間)ほどしてから鉱山に行ったよ」

「そうなんだ。んじゃ悪いけど、また後でここに来て調剤するから、これはまた預かっていて下さいよ」

「ん、わかった」

 箱の中身を確認し終えたカールは、一つ頷いて箱を閉めステイに渡すと"虎鉄屋"に戻っていった。




 日付が変わる頃、"鉄龍亭"301号室にはユーゴーとカールを除くメンバーとステイ、それに不安げな顔をしたエレナがいた。

 本来は民間人であるエレナを参加させてはいけないのだが、今回は彼女の父親の件でもあるし、あまり放っておくと無理やり外へ探しに出かねないのでステイが特別に参加させたのだった。


 部屋では一応人数分の椅子は在ったのだが、それぞれが壁に背を預けるなりベッドに腰掛けるなりして、思い思いに彼らを待っている。座っているのはエレナだけだった。

 しかしその中は沈黙に支配され、誰も口を開かないどころか誰も部屋に居ないような雰囲気だった。そんな状態に耐えかねたエレナが口を開こうとしたとき、ドアが開く音がした。

 皆がドアに目を向けると、細長い木箱を抱えたユーゴーと手に一抱えもある木箱を提げたカールが入ってくる。入ってきたユーゴーを見たエレナは、顔は同じでも昨日までと全く違う彼の雰囲気に目を見開いていた。


「待たせたな、ではミーティングを始めよう。まずは第3坑道の調査、ごくろうだった。それからエレナさん、今回あなたに来ていただいたのは、あなたのお父上について伝えなくてはならない事があるからです」

「ナナシさん、あなたは一体……。それに、伝えなければならない話って、まさか……」

 エレナはユーゴーの言葉に、自分の父親が何らかの事件に巻き込まれているのを感じた。

 そしてこの部屋に来てから抱いていた不安が、"なぜ自分はここに居るの?"というものから"父がもしや……"というものに変わっていた。

「実はナナシというのは仮の姿で、詳しくは言えませんが私達は、ある所から鉱山を調査する任務を負った者です。それからお父上の事ですが、エレナさんが思うようなことにはなっていないようです。その辺については実際に調査を行った彼に話してもらいましょう」

 ユーゴーはエレナの顔色など見ていないかのように淡々と話しつつ、事の説明をカールに振る。


「まず結果から言うと、エレナさんのお父上であるジェームズさんは生きています。我々は坑道の調査中不覚にもトラップに引っ掛かってしまい、あわやトラップで発生したガスに巻かれるところをある人物に助けられました。それがジェームズさんでした」

「父は……、父は元気でしたか?」

 カールもまたユーゴーと同じように淡々と話していたが、父親が生きていると分かったせいかエレナの顔が少し和らいでいた。

「はい、病気も怪我もしておらずお元気そうでした。ジェームズさんは鉱山の関係者らしき人物にある鉱石の精錬を依頼されてある場所に連れて行かれ、そこで軟禁状態になり錬度を上げる実験をさせられていました」

「そんなことになっているのなら、なぜ父を連れ帰ってくれなかったのですか!」

 カールからの説明を聞いているうちにこれまで溜め込んできた不安や不満が爆発したのか、エレナはいきなり立ち上がりユーゴーやカールに食って掛かかる。

 エレナに食って掛かられたことにさすがに驚いて軽く目を見開くカールだったが、すぐに元の表情に戻り彼女が落ち着くのを待って再び話し始めた。


「我々としても彼を見つけたのは偶然ではありましたが、見つけた以上は救出するつもりでした……」

「だったらなぜ!?」

 再びエレナが食って掛かるが、今度は表情一つ変えず話を続ける。

「ジェームズさんが拒んだからです。最初は彼も逃げようとしていたようです、相手はおそらくそれを抑えるためにあなたを拉致しようとしていたのでしょう。ですが、この成果が今後医療などに役に立つと思われたのか、思った成果が出るまで帰らないと言われました。それからあなたに"すまない"とも」

「そ、そんな……」

「エレナさん、気休めにもならないかもしれませんが、次は首に縄を掛けてでも連れ帰りますよ」

 父親が言ったであろう一言に肩を落とし椅子に座るエレナ、そんな彼女にカールはほんの少し柔らかい顔をして慰めるように言った。

「……わかりました、父を、父をよろしくお願いします」

 気落ちした表情で頷くエレナをちらりと見たユーゴーは、彼女を見守るように傍に立っているステイに声を掛ける。

「ステイ、後はお願いします」

「ん、わかった。さ、エレナさん、部屋に戻って彼らが無事にお父さんを連れてくるのを待ちましょう」

ステイに促されるまま立ち上がり部屋を出て行こうとするエレナ、しかし扉のところで立ち止まりユーゴー達に向かってくれぐれも頼むと言わんばかりに深く頭を下げた。


 エレナが退出するまで出口の方を見続けていたユーゴーだったが、ドアが閉じると同時にメンバーに向きミーティングを続ける。

「さて、これからだが、この件に関して全てはオラクル・アイマン支社にあることは間違いないだろう。それに相手にもこちらの存在が既に知られているだろう事も考慮し、正面からの強行突入によるマインスミス氏および行方不明の鉱夫の救出を行う」

 ユーゴーからの行動方針に"薬物投与者(ジャンキー)"達との交戦を思い起し息を呑むメンバー達。

 しかしそんなのは一瞬で、既に彼らの目にはこれから戦場に赴こうとするような強い意志が宿っていた。


 そんな彼らの目を見たユーゴーは、一つ頷くと先程部屋に入る際に抱えていた細長い箱を開け、メンバーに見せる。中には刃渡り5セラ程のナイフが10本入っていて、その刀身には根元から切っ先辺りまで何本かの筋が入っていた。

「これが今回の秘密兵器になるかも、だ。このナイフは柄の中が瓶のようになっていて、液体を仕込むことができる。そしてこれを相手に突き刺すと、中の液体が刀身の溝を通り相手に流し込まれるという仕組みだ。そして溝の周りにはパッと見には分からないほど細かい返りが付いているから、一旦刺さると中々抜けないんだ」

 メンバーそれぞれがナイフを手に取って興味津々と眺めている中、アーガイルがユーゴーに尋ねる。

「でもさぁ、柄が下向いてたりしたらどうなんのさ、中身が動かないんじゃない?」

「実のところ俺も詳しいことは分からないが、一度刺されば向きに関係なく流れ出るようだ。王都でこれを小さくしたヤツを実験用のネズミに刺して確認していたから、その辺は間違いないと思う。それから溝が掘られている分、強度がないからこれで剣戟などするなよ。すぐに折れるぞ」

「ん、わかった」

 ユーゴーはアーガイルの返事に頷くと、今度はカールに声を掛けた。


「カール、薬の方はどうなった。もう調合は終わっているのか?」

「ああ、なんとか10人分はできた。でもまぁ、こちらで確認できている行方不明者は8人、そのうち4人は亡くなっているから後4人ってことでなんとかなるんじゃないか? あ、それから皆に言っておくけど、奴らにナイフを刺しても薬が巡って薬効が切れるまで最低3ミニはかかると思っておいてくれ。でないと刺した瞬間に安心して首根っこへし折られるぞ」

「わかった。じゃメイベルはカールを手伝って、ナイフの柄に薬を詰めていってくれ。後の者は装備品の準備だ。遅くとも30ミニ後には出るぞ」

『了解』

 ユーゴーの言葉にメンバーそれぞれが動き出した。




 部屋には紫のもやの様なものが立ち込めていた。

 その部屋は縦横4リムの正方形で壁の一面に両開きの扉があるだけで窓は無く、あとは白い壁に囲まれていた。

 部屋の中央には巨大な香炉のような物が設置されていて、その周りを8つの椅子が囲み、椅子にはそれぞれ男達が座っている。

 男達の目は前を見ているのか見ていないのかように虚ろで、香炉から吐き出されている"もや"を吸った時だけ目に光が戻るのだが、その時ですら恍惚とした表情でもはやまともな人間には見えなかった。

 そして部屋に何処からともなく声が響いてくる。


「お前達、気分はどうだ? いい気分だろう? 楽園にいるような心地だろう? だが今、その楽園を壊そうとする者たちがやってくる」

 流れてくる声に何の反応も示さなかった男達だったが、"楽園を壊そうとする者たち"のくだりで彼らの目に先程とは全く違う光が点っていく。

「さあ立て。立ち上がって、部屋を出て外に行くんだ。そこでお前達の前に立つ奴らこそ、この楽園を壊そうとしている者達だ」

 男達がゆっくりと立ち上がると同時に扉が勝手に外へと開き、彼らは虚ろな目をしたまま一人一人部屋を出て行った。


「さて、歓迎の準備は整ったっと」

 アイマン支社の2階、正面入口の真上にある部屋の窓から、ぞろぞろと外に出て行く"元"鉱夫たちを見て満足そうに一人呟くシャリア。その後姿にクラインは、声に幾ばくかの不満を乗せて話しかける。

「ですがシャリア様、よろしいのですか? あの者達に例の薬を大量に使ってしまって。いくら彼の者が従来よりも高純度の精錬に成功したとはいえ、ここを放棄すれば魔鉱石の入手量も格段に減り、薬の生産にも影響がでると思われますが……」

「いいんだよ、クライン。彼らのおかげで少しは鉱石を掘れたし、実験も進んだ。まぁあれは、言ってみれば彼らへの退職金みたいなもんさ。あとは彼らの遺族たちにそこそこ暮らせるだけのお金を渡せば文句も言ってこないでしょ。それにこの辺りは僕らのものなんだ、だからほとぼりが冷めた頃に戻ってくればいいよ。もう一つ言えば、採掘場はここだけでもないしね」

「はぁ、シャリア様がそう仰られるのなら……」

 シャリアの言い分に不承不承頷くクライン、その声音に苦笑しつつシャリアが話を別方向に向けようとする。


「そんな声出さないでよ、クライン。それより、彼の移送と手の者の撤収はどうなったのかな?」

「はい、彼の者は既に例の場所へと移送しました。あとの者は先ほど全て撤収させましたから、残っているのはシャリア様と私の二人だけになります」

「そうか。それじゃ、彼らが外で暴れている間に逃げるとするか。でもその前に"彼"に挨拶していこうかな」

「おやめ下さいシャリア様! いかにシャリア様の技が卓越したものであっても、戦場に絶対はありません。そんな場所でシャリア様に何かあったらと思うと……。どうかこの場は私めの言うことを聞いて、お引き下さいませ!」

「……ふう、やはりクラインには敵わないな。わかったよ、さっさと逃げることにするよ」

 老僕の諫言にシャリアは、降参のポーズを見せてここから逃げることを了承する。

「差し出がましいことを申しました事、お許しください……」

 部屋を出て行こうとするシャリアにクラインは、主が自分の意見を受け入れてくれた事に深く頭を下げ、彼を見送った。


「あ、そうだ」

「は? なんでござい……うっ! な、なに、を、なさ、れ、ま……」

 シャリアがクラインの脇を通り過ぎようとしたとき不意に声を掛ける。

 こんな時に何事かとクラインが顔を上げた瞬間、その目から焦点を失いその場に倒れてしまう。シャリアが声を掛けてクラインの気を逸らし、当身を当てたのだ。

「すまねぇな、クライン。お( め )ぇの気持ちは嬉しいが、あの男はこれから先何度でも俺達の前に立ち塞がるだろう、だから今のうちに倒しておかなけりゃならん。それに何より、俺自身が奴と戦いたがっているしな」

 気絶したクラインを抱き上げポツリと呟くシャリア。その口調と表情がいつの間にか、いつもの超然としたものから飢えた獣のような獰猛なものに変わっていた。

2016/12/24 エレナが301号室に入ってからの、彼女の情動の描写を少し追加しました。これによる話の流れの変化などはありません。

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