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#3 幻夜行 -Midnight Run away-

 杵真(きねま)市、粒羅屋(つぶらや)町、午後11時。


 男が一人、明かりを避けて影から影へと渡るように歩いていた。

 その足取りは重く、当人としてはさっさと歩いているつもりだったが、傍から見ると酔っ払いが千鳥足で歩いているのとさして変わらなかった。


 影から影へ移動する際に、街灯の光がチラッと男の顔を照らす。

 年齢は30代前半くらい、身長は170cmくらいだろうか。黒のジャンパーに色褪せた紺のジーンズ、使い古したジョギングシューズを着けていた。

 顔立ちは瓜実顔で目も大きく快活そうなのだが、今はどこか痛むのか顔をしかめていてそんな雰囲気は微塵も無かった。


「うっ」

 次の影に入った途端、男はうめき声を上げて左わき腹を押さえしゃがみこむ。

 しばらくその場で痛みが治まるのを待ち、周りを気にしつつ町外れの方へ歩いていく。


「もう少しだ、もう少しで港に着く……」

 男はいつ倒れてもおかしくない痛みに耐えながら、己を鼓舞するように呟いた。


 この町は南の方に港があり、主にここで作られた工業製品を運び出すためのものとして機能していて、周りにはそれらを一時的に保管する倉庫群もある。

 男は工業製品を運ぶ船に潜り込んで県外へ脱出するか、それが叶わなくとも倉庫の内のどれかに潜り込んでほとぼりを冷まそうと考えていた。

 しかしセキュリティが進歩した昨今、どちらへ入り込むにせよそこへ入るための鍵が必要で、昔みたく物理的に鍵を壊して中に入っても即座に警報が鳴り警備員や警察を呼び寄せることになることは分かっているはずなのだが、わき腹の痛みが思考を麻痺させていた。


 町外れに来ると、少し先にそれほど大きくない劇場のような建物が見えた。

 その建物のすぐ隣には喫茶店かバーのような店が有り、そこから漏れ出る光に誘われるように近付いていく。

「あそこはバーなのか、んじゃ最後の一杯としゃれ込むか……」

 痛みで朦朧とする意識を虚勢で鼓舞しつつ男は店の前まで来ると、ドアから漏れ出る光で財布の中身を確認し、ドアを開けた。




「ふぁ~あ。さて、今日はこれで閉めるか」

 "バー O.S.T"のカウンターの中で、オーナー兼バーテンダーである水瀬 一登(みなせ かずと)が伸びを一つしつつ呟く。今日は常連客も早く帰り、店には彼1人がいるだけだった。

 時計を見ると午後11時半を過ぎていたので閉店作業に取り掛かろうとカウンターから出た時、ドアのベルがからんと鳴った。

「いらっしゃいませ……」

 水瀬は客が入ってきたのを見て笑顔で挨拶をするが、客の形相に驚き笑顔が凍りつく。

 しかしそこは客商売、すぐに笑顔を取り繕うとカウンターに入りおしぼりを用意する。


 入ってきた客は男で、左わき腹に怪我でもしているのか左手でそこを押さえていた。そしてその顔は、そこから来るであろう痛みに歪ませていた。

「マスター、閉めかけのところ悪いけど、これで何か飲ませてくんねぇか?」

 男は一番近い椅子に辛そうに腰掛けると、財布から1万円札を取り出しカウンターに置いた。

 

 水瀬は男におしぼりを渡すと、心配そうに問いかける。

「それは構いませんがお客様、どうやら怪我をされている様子、先に応急処置をした方がいいのではないですか? それとも救急車を呼びましょうか?」

 男にそう言い置くと、水瀬は応急処置のため奥へ救急箱を取りに行こうとした。

「どっちもいらねぇよ! とにかく酒だ! 酒を出せ!」

 その途端、男は急に激昂して椅子から立ち上がり、ジャンパーの右ポケットから短銃身のリボルバーを取り出し水瀬に突きつける。

「俺はさっきこれで人を撃ってきたんだ、お前も撃たれたくなかったら言うとおりにしろ!」

 水瀬は銃を突きつけながらまた椅子に座る男をほんの一瞬冷ややかな目で見るが、すぐに営業用の顔に戻り困ったような顔で両手を上げ答えた。

「わかりました。わかりましたから、そんな物騒なものは仕舞ってくださいませんか?」


 "なるほど、こいつか"、水瀬は心の内で呟く。

 実は30分ほど前に、駅前の方で発砲事件が発生したとかで警官が聞き込みに来ていた。

 犯人は何かの用事でこの町に来ていた暴力団の組長を襲うつもりだったらしいが、襲撃は失敗し逆に撃たれて逃げたとの事だった。


「ではお客様、酒を出せとは言われましたが、何をお出しいたしましょうか? まがりなりにもここはバーです、色々なお酒がございますので……」

 水瀬が穏やかに言うと、男はさらに苛立った様子で椅子から立ち上がり水瀬に拳銃を突き付けた。

「ぐっと酔えるヤツなら何でもいいよっ! だから早く出せ! それとも何か? ここでしか飲めないヤツでもあるってのか!?」

「はい、当店にはオリジナルのカクテルがございまして、オリジナルだけにここでしか飲めません。ああ、それからですね……」

 水瀬は穏やかな調子を崩さず男の方に近づくと、カウンター越しに左手を伸ばし銃のシリンダー部をグッと掴む。


 男は水瀬の行動に驚き、銃を発砲しようとするが撃てなかった。

「てめぇ! 何してんだ、放しやがれ! くそっ! 引き金が引けねぇ、何でだ!?」

「ああ、この手の銃って引き金を引くだけで弾が出るんですけど、ハンマーを起こしていない状態だとシリンダーを押さえつけるだけで撃てなくなるんですよ。それともう一つ……」

 水瀬は銃を掴んだ手を自分の方へ引っ張って背を向け、その際に右脇に男の腕を挟むとその手首を反時計回りに捻る。

「痛ぇっ! 何しやがる、放せ! 放せよ!!」

 男は手首の痛みから逃れようともがくが、捻られた手首はびくともしなかった。

「ね、人の手が届く範囲で正面から銃を突きつけると、こういうこともあるんですよ。ということで、いいかげん銃から手を放しませんか?」

「だ、誰が放すもんか、手が(ほど)けたら真っ先にてめぇを殺してやる!」

 水瀬が穏やかな口調を崩さないことから見下されていると感じた男は、わき腹の痛みと相まって今にも倒れそうな痛みに襲われていたが意地になって耐えていた。


 実のところ水瀬も緊張で心臓がバクバクいっていたのだが、ああいった態度を取り続けられたのは高校・大学の部活で俳優のマネ事をしていたのと、死んだ祖父から習っていた護身術のおかげだった。

「仕方ありませんね、できればここまでしたくなかったのですが……」

 水瀬は少し困った顔で言うなり、さらに手首を逆手に捻り上げた。

「うぎゃあああああああ……!」

 店内に男の絶叫が響く、それが5秒あるいはもっと短かったかもしれないが、いつしか声がしなくなっていた。


 振り向くと男は痛みで気絶していた。




 水瀬は男から銃を取り上げ、カウンターと下の冷蔵庫との間に入れ込むと、奥へ救急箱を取りに行く。

 奥から水瀬が戻ってきても男は気絶した姿勢のまま一向に動く気配も無く、これ幸いと応急処置を始めようとしたが、さすがにやり難かったので一旦椅子に座リ直させた。


 まず傷を見ようと、男のジャンパーと中に着ているシャツをめくり上げる。すると弾は貫通したのか、わき腹の腹側と背中側に丸い穴が開いていた。

 しかしその割には出血もそれほどなかったようなので、おそらく内臓からはうまく逸れたのだろう。

 穴を見て塞いだ方がいいとは思ったが、さすがに外科医でもないので傷口を縫う事はできなかった。

 とりあえず前後の傷口を消毒液で丹念に拭き、化膿止めの薬を塗ったガーゼを貼り付け、それが外れないよう包帯で何重にも巻く。

 水瀬は男の処置を終えると窓にカーテンを降ろし、外の看板を中にしまい込んで閉店状態にした。 


 それから1時間ほどして男が目を覚ます。


 男は目覚めた瞬間意識がはっきりしていないのか、ここが何処か分からないかのように周りを見回し始めた。

 そして次第に意識がはっきりしてきたのか、手の中に銃がない事に気付き水瀬に突っかかる。

「おい、てめぇ! 俺の銃を何処へやった!! あれがないと俺は……」

 先程のように勢い込んで詰め寄るが、銃が手元にない事で心細くなったのか語尾が急にしぼんできた。

「お客様、ご心配なく。銃はこちらで保管しておりますので、お帰りの際にはきちんとお返しいたします。あぁそれから、お客様を探しに来た方々はすでにお帰りになりましたので、しばらくは大丈夫だと思いますよ」

 男の態度にも動ずることなく水瀬が告げると、自分を探しに来たであろう者達が既にここへ来た事に驚き目を見開く。

「え? 奴らが来たのか? じゃなんで俺はここにいるんだ?」

「実を言えば、警察の方はお客様が来られる前に来たのですよ。それから暴力団の方は少々強引でしたが、なんとか誤魔化せました。でも、どうやったかは企業秘密です」

 何がなんだか分からないという顔をする男に、水瀬は右人差し指を唇の前に立てていたずらっぽく笑って答えた。




「それでは、今からお作りしますので少々お待ちください」

 そう言うと水瀬はシェーカーを2つとトールグラスを取り出し、2つのシェーカーそれぞれの中に材料を入れ交互にシェイクする。

 男は水瀬がカクテルを作っているのを見ながら、さっきから気になっている事を聞いた。

「なぁ、ちょっと聞いていいか? 何で俺を助けた」

 シェーカーを振りながら、少し困った顔をして水瀬が答える。

「う~ん、そうですねぇ、特に深い理由は無いんですけど、しいて言えばここが"バー"で私が"バーテンダー"だからですかね……」

「なんだそりゃ、もし俺が何十人も殺してきた殺人犯でも同じ事をしたのか?」

 水瀬の答えにさらに分からなくなったような顔をして、男は再び問いかける。実のところ、この男が人を撃ったのは今回が初めてではあるが……。

「そりゃこの店にいる誰かを殺しに来たとなれば話は別ですが、ここへ"酒を飲みに来た"、この一点に関しては金持ち、貧乏人、善人、悪人など関係無いと思っています。ですからお客様がどんな人であろうと、ここへお酒を飲みに来た限りはたとえ一時でも楽しく飲んでもらおう、結局のところはそれだけなんですけどね」

「……ふうん、そんなもんなのかな」

 男はまだ訝しげな顔をしていたが一応納得はしたらしく、先程よりは幾分表情が(やわ)らいでいた。


 水瀬はあらかじめ用意していたグラスに、下にミントグリーン、上にショッキングピンクの層になるようにシェーカーの中身を注いでいく。

「どうもお待たせいたしました、当店オリジナルの"ミントカクテル"です」

 男の前にコースターを置きその上にカクテルを、次いでその脇にマドラーを置いた。

「おい、マスターよぉ、これはどうやって飲めばいいんだ?」

 あまりこういった物を飲みつけていないのだろう、男が水瀬にカクテルの飲み方を聞く。

「う~ん、特に飲み方というのはありませんが、上と下と1層づつ呑む方もおられますし、そこのマドラーで一気にかき混ぜて呑まれる方もおられますので、その辺はお客様が自由にしていただければよいかと」


 男はとりあえず上のピンクを少し飲んでみる。

「これは、なんだかアルコール入りの苺ミルクってな感じがするなぁ。んじゃ下の方は……」

 次にマドラーを上と下が混じらない程度にゆっくりと下ろし、同じ感じで上げる。すると不思議な事に、マドラーの先にはミントグリーンの液体のみが付着していた。

「ふむ、これは見た目通りミントが使われているな。ということは下はグラスホッパーっぽいなぁ」

 上と下をちびちび飲みながら一人ぶつぶつと批評する男を、水瀬はグラス磨きなどをしながら嬉しそうに見ていた。

 今度はマドラーでグラスの中をかき混ぜるが、完全には混じらずにミントグリーンとショッキングピンクがマーブル模様になっていて、男はそれを一口飲んだ。


「へぇ、バラバラに飲むより混ぜた方がうまいなぁ」

「ありがとうございます。お客様のお口に合いましたようで何よりです」

 男の賛辞に、先程よりさらに嬉しさを増した表情で礼を述べる水瀬。

 そんな水瀬の表情に自分も嬉しくなったのか、おいしそうな表情で残りを一気に飲んでグラスをカウンターに置いた。

「いやぁ、うまかったぜ。ここにはまだいろんな酒があるんだろ? オススメがあったらそれも飲ませ……う、……て、てめぇ……お、おれ……に、も、盛りやがった……な」

 男は先程飲んだカクテルがおいしかった所為か上機嫌で次を注文するが、いきなり呂律が回らなくなってきてカウンターに突っ伏した。

「いえいえこのカクテルには毒なぞ入ってはいませんよ、ただこれを飲んだ方は何かしらの夢を見るそうです。それでは、良い夢を……」

 水瀬はカウンターに突っ伏して動かなくなった男を見下ろし、口元に微笑みを浮かべ呟いた。







 男が目を覚ますと外はもう朝になっていたようで、窓にかかったカーテンの隙間から陽光が差し込んでいた。

「あれ、俺は何でこんなとこで寝てたんだ? 昨日は確か……。あ! あいつに銃を取り上げられたまんまだった! そういやぁ、あいつはどこ行ったんだ?」

 男は店内を見渡すが客どころか水瀬すら見当たらなくて、店の奥やカウンターの中に入ってみたが誰も見つからず、銃も探したがどこにも無かった。

 しかしこのままここにいてもいずれは警察か暴力団に捕まるだけなので、ここを出て最初の思惑通り港へ向かうことを決め、カーテンの隙間から外を覗く。

 店の表に人通りが無いことを確認した男は、意を決して店から出た。


 男が店に入る前と出た時では周りの雰囲気が違っている気がしたが、ここへ来たのは夜でしかもわき腹の痛みに耐えながらだったので、そんなものかとそれ以上深く考えなかった。

 男は港へ行こうとその方へ向いたその時、その表情が驚愕の色に染まる。

 今出てきたはずのバーとその隣の建物が消え、どこにでもありそうな住宅街へと変わっていた。

「一体、何が起こったってんだ?」

 普通ではあり得ない光景に男は何が何だか分からなくなっていたが、とにかく港へ行こうと街の中を歩いていく。


 予め襲撃のために地図で粒羅屋町を調べていた男は、あのバーから小1時間も歩けば港に着くと思っていたが、2時間以上歩いても港へ着かないばかりかさらに街中へ進まされている気がしていた。

 その道中では、なぜか人どころか犬や猫や鳥などの動物にすら遭遇しなかった。

「この街はどうなってんだ? 人どころか雀一羽すらいやしねぇ。でもまぁその代わりといっちゃあ何だが、俺を追いかける奴らも見当たらないし。その点についてだけは少し気が楽になるな」

 街に誰もいないことで男の表情から追いかけられるもの特有の切羽詰った表情が少しだけ緩み、それと同時に何故かこの街に既視感を覚えた。

 そして街の中を進めば進むほど既視感は強くなり、ついには自分が育った場所によく似ている事に気付く。

 また、これだけ歩いても誰にも会わないことから、男は得体の知れない不安を感じていた。

「そんなばかな、ここは俺が育った街から歩いていけるほど近くないはずなのに……。それにこの街には人がいないのか? いくら平日の昼間とはいえ一人の人間にすら会わないなんて、本当にどうなっているんだ!?」

 男が愕然とした様子で独り()ちるが、それに答える者はどこにもいなかった。


 それからさらに1時間ほど歩いただろうか、男は公園に行き当たる。

 その公園は街中にある割には規模が大きく、幅・奥行きともに50mはある敷地の中心に直径20mの池、その周りを幅10mの遊歩道で囲み、残りの敷地を林が囲っていた。

「やっぱりここにも人はいないか、でもこの公園には前に来たことがある気がするな……」

 普通なら平日の昼間でも近所の老人が散歩していたり、授業が早く終わる小学生達が走り回っていたりするのだが、やはりこの公園にも人影が全く無かった。

「って、まさかあの建物は……!」

 ここまで来ても人に出くわさないことに肩を落とす男であったが、公園の向こうにある建物が目に入った途端そこを目指して猛然と駆け出す。


 公園を抜けてすぐ、道路を挟んで向かいにその建物はあった。

 20m四方の敷地の周りを高さ1.5mの塀で囲み、真ん中辺りに幅2mくらいのスライド式門扉が嵌まっていて、門の脇の高さ2m・幅30cmの門柱には"児童養護施設 しらとり愛児園"と書かれた看板が掛かっている。

 そして塀の中には幼稚園児から小学生が使うような遊具が塀に沿って配置され、中央の運動場の奥に3階建てで小学校の校舎を小さくしたような建物が建っていた。

 しかし運動場を覗いてみても人っ子一人おらず、建物の中にも人影は確認できなかった。

「"しらとり愛児園"ってなんだよ、本当にここは俺が育った場所なのか? だったら何で誰もいないんだよぉっ!? 涼子っ、園長先生っ、みんなぁっ! 誰でもいい、誰でもいいから返事してくれよぉっ……」

 門扉に取りすがりあらん限りの声で叫ぶが、やはりどこからも返事は来ず、気力を使い果たしたのかその場でくずおれる。

「でもまぁ、ここや涼子を捨てたのは俺だからな。いまさら頼ろうってのもムシが良すぎるってなもんかもな……」

 男は門柱に背を預けてそのまま座りこみ、昔の事を思い出していた。



 この男、実は孤児で赤子の時この施設の前に捨てられていて、18歳になるまでここで暮らしてきた。涼子は男より2歳下で、彼女もこの赤子のとき施設前に捨てられていたという経歴を持つ。

 男が6歳くらいの時この園には彼らを含め20人近い子供がいたが、殆どが1~2歳児でしかも常駐しているのが園長と職員が一人だけだったのでとても男や涼子まで世話が回らず、男が涼子の面倒を見るようになっていた。

 こうして兄妹のように育ってきた彼らだったが、いつしか2人は"兄妹"から"男女"の関係になっていき、将来2人でこの園を支えていこうと誓い合っていた。


 しかし、運命は2人にハッピーエンドを用意しなかった。


 男が18歳になってもう少しで卒園という時、事件は起こった。

 買い物帰りの涼子が公園を通ったとき、そこにたむろしていた3人組の不良少年に林へ連れ込まれ暴行されたのだ。

 たまたま公園内を歩いていた男(実は涼子を迎えに来ていた)がそれに気付き、助けようと林に入る。

 不良たちは涼子を押し倒したもののまだ行為にまでは至っていなかったようで、3人の内2人はそれぞれ涼子の上半身と下半身を押さえ服を脱がそうとし、あとの1人がその様子を傍に立ってニヤニヤと見ていた。

 その現場に着いた途端、男は立っている不良に飛び蹴りをかまし、いきなりの事に呆然としているあとの2人の顎を続けざまに蹴り上げる。

 不良たちが全員のびたのを見た男は彼女を起こそうと背を向けたその瞬間、彼らの1人が頭を振りながら起き上がり、折りたたみナイフをポケットから取り出し襲い掛かる。

「死ねやぁ、オラァ!」

「お兄ちゃん、うしろ!」

 男はハッと振り返り、ナイフを刺そうと突っ込んできた不良をなんとか回避した、と思ったが、服の脇がスッパリと切れていて切り口に少し血がにじんでいた。

 そのことに逆上した男は、相手がナイフを持っているにもかかわらず掴みかかりもみ合いになる。


「うっ!」

 もみ合いになってどれくらい経っただろうか、1分か5分か、それとも30秒か、不良が呻き声を上げひざを落として仰向けに倒れる。その腹には不良が持っていたナイフが根元まで刺さっていた。

 突然の光景に呆然とする男、その背中に恐る恐るといった感じで涼子が声を掛ける。

「どうしよう、お兄ちゃん……」

 涼子の声に我に返った男は、振り向くと涼子の両肩を持って優しく言った。

「お前は何も悪くないよ。お前は被害者なんだから、何も気にする必要は無い。悪いけど今すぐ園に戻って救急車と警察を呼んできてくれ」

「何で警察まで? お兄ちゃんは私を助けてくれたのに……」

「はずみとはいえ人を刺しちまったんだ、罰は受けなきゃなんないよ。ほら早く呼んでこないとこいつが死んでしまうよ、それとも涼子は俺を殺人犯にしたいのか?」

「そんなのイヤだよ……。わかった、行ってくるよ」


 男は涼子の肩から押し出すように手を離すと、彼女に背を向け倒れた不良のそばにしゃがみこんだ。胸が上下しているからまだ息はあるようだが、意識は戻っていなかった。

 しばらくすると他の2人も気が付いて倒れている仲間に近付いてきたが、パトカーのサイレンの音が近付いてくると脱兎のごとく逃げ出した。

「なんでぇ、こいつと友達じゃねぇのかよ、ったく……。おい、しっかりしろ。いま救急車が来るからな」

 男は逃げ出した不良たちに悪態をつきつつ倒れた不良に声を掛け、救急車が来るのを待った。

 やがて着いた救急車に不良が乗せられるのを見届けた後、男は同時に来たパトカーに乗せられ最寄の警察署へ連れて行かれた。

 連れられていく男の背中に涼子の呼ぶ声が響くが、男は一度も振り返らなかった。


 その後、搬送された病院で不良が死亡した事を受けて男は傷害致死で逮捕され、裁判において懲役3年の実刑判決を受ける。

 服役中に男は涼子や園長が面会に来たり手紙が来たりしたがそれらを一切断り、刑期満了後も施設の方には戻らずそのまま行方知れずになった。



「あれからもう15年かぁ……。殺人犯になった俺がどの面下げて帰れるかってんで、なるべくここから遠いところへ行こうとフラフラした挙句がヤクザの鉄砲玉たぁねぇ……。まぁ、これも自分で選んじまった道だからどうしようもないけどよ……」

 男が昔の事を思い出しながら自嘲気味に呟いていると、公園の方から悲鳴が響く。

「きゃあぁぁぁ、だれかぁ!」

 悲鳴がした方に目を向けると、そこには15年前と同じ光景が繰り返されようとしていた。


 男は走る。これが15年前と同じだとすればもしかしたら、との思いで。

 果たして、その時と同じように3人組の不良少年に高校生らしき少女が公園の林に連れ込まれ、また彼女を助けようと同じ年くらいの少年が駆けつける。

 "間に合ってくれ!"男は必死に走る。

 途中傷が開いたのか、男は顔をしかめて手でわき腹を押さえるが、それでもスピードを落とさずに走った。

 現場では、少年が次々と不良たちを蹴り飛ばしていく。

 そしてまた不良の一人が起き出し、少年を刺そうと折りたたみナイフをポケットから取り出した。


「死ねやぁ、オラァ!」

「お兄ちゃん、うしろ!」

 ナイフを持って襲い掛かる不良、それを何とか回避しようとする少年、その間に男が割って入った。

 不良は割って入った男に驚いて止まろうとするが勢いは衰えず、そのまま持ったナイフが男の腹に突き刺さる。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 人を刺した事で我に返り悲鳴を上げて逃げ出す不良、その悲鳴で目が覚めたのか倒れていた不良たちも起きだし、逃げた不良を追うように逃げ去った。


 それから男は近くの木に背中からもたれ掛かるようにくずおれた。

「お、おじさん、大丈夫かい?」

「おいおい、これを見て大丈夫といえる奴なんているのかい? 悪いけどよ、その子を連れ帰るついでに救急車を呼んでくれねぇか?」

 くずおれた男と腹に刺さったナイフを交互に見ながら、オロオロした態度で声を掛ける少年に苦笑しつつ男は救急車を呼ぶよう頼んだ。

「うん、わかった。おい、だいじょうぶか? 立てるか?」

 少年は男に承諾の返事をすると、少女の傍にしゃがんで助け起こす。

「うん、だいじょうぶ。ごめんね、お兄ちゃん。それと、ありがとう」

「なに、いいってことさ。それよりも急いで園に戻るぞ」

「うん、わかった」

 少年は少女に肩を貸すと、少し早足で園に戻っていった。少女の方もたいした怪我もしていなかったのか、意外に足取りはしっかりしていて少年に遅れず付いて行く。


「あいつらはもうだいじょうぶだろうなぁ。ああ、なんだか目の前が暗くなってきたよ。俺も次の世では涼子と……」

 園に戻る2人を見ながら安心したように呟き、男は目を閉じた。

 それから3分後、少年が先程の場所へ戻ってきた時にはなぜかその場から男の姿が消えていた。

 少年は公園中や付近を走り回って探すが、ついに男を見つける事はできなかった。







 粒羅屋町、バーO.S.T、午後11時30分。


「おい、良太、良太ってばよ。いつまで寝てるんだ? いいかげん起きねぇかい!」

「あ、社長、おはようございます。あれ、ここは?」

「おい、まだ寝ぼけてやがるな。ここはバーで、お前は酔いつぶれて寝てたんだよ」

「あ、そうか。一杯飲みにここへ来たら社長がいて、一緒に飲んでいるうちに寝てしまったんですね。どうもすみませんでした、社長」

 バーの常連の高橋が隣に座っている男を起こしている。彼の名は三浦 良太、高橋の経営する食料品店"スーパー杵真"の社員である。


「そういえば社長、先程不思議な夢を見ましたよ。ああ社長は俺が孤児で、児童養護施設で育ったことはご存知ですよね?」

「ああ、知っているよ」

「実は、就職が決まりあと何ヶ月かで高校も卒業という時に、その時まだ高校生だった妻の涼子が施設の傍にある公園で不良たちに暴行されかかった事がありまして」

 高橋は今度は返事を返さず、目で続きを促す。カウンター内の水瀬もグラスを磨きながら耳を傾けていた。

「危ないところで助ける事はできたのですが、その不良の1人がナイフで俺を刺そうとしたんですよ。でもあと少しで刺される、というところで知らない男の人が間に入ってくれて、結局その人が刺されてしまったのですが……。俺はその人から涼子を連れ帰ったとき、ついでに救急車を呼んでくれと頼まれて施設に帰りました。園に着いたら園長先生に涼子を預けてついでにそれも頼んで、俺はさっきの男の人を見に行ったんです。そしたらその人は既にそこからいなくなっていました」


「でも、ナイフで刺された傷があるんだから、そう遠くへは行けないんじゃないのか?」

 高橋が話を聞きながら、疑問に感じた事を口にする。

「ええ、俺もそう思ったんで近くを探しました。それこそ公園の清掃用具入れから猫ぐらいしか通らないような路地とか、隠れられそうな場所は徹底的といっていいぐらい探したんですけど、結局は見つかりませんでしたよ」

「それで、さっきお前が見た夢とどう関係があるんだ?」

「はい、夢では俺がその男の人になっていたんですよ」

「すると何か? お前が夢の世界から昔のお前を助けてきたとでも言うのか? それなら刺された後お前はどうなったんだ?」

 元来こういった話が好きな高橋がそれからどうなったかを勢い込んで聞いてきたのを、良太は少し引いた顔で答えた。

「う~ん、まぁ刺された後2人を施設に帰してから傷の痛みで立ってられなくて、近くの木に寄りかかって座り込んじゃったんですよねぇ。それから座り込んでいるうちに意識が遠のいてきて、そこからどうなったかというのはわからないですね」

 良太は一通り話しきると、まだグラスに残っていたビールをグイと飲み干した。


「そうか、ならしょうがないな……。あ、そういやお前、涼子ちゃんは今日明日あたりが出産予定日じゃなかったか? そんな時にこんなとこで何してんだ」

 良太の妻である涼子は現在、臨月に入っているため産婦人科の病院に入院している。

「いや、あの、酒でも飲んでこいと言ったのは涼子の方でして……。俺は涼子のことが心配で心配で、今にも死にそうな顔をしていたのでしょうか『そんな辛気臭い顔されたんじゃ、生まれてくるものも生まれてこなくなるわよ! 酒でも飲んで顔を洗ってきなさい!』って言われて病室から追い出されたんですよ……」

「へぇ、あの()がねぇ。前に会った時はお前の後ろから出てこなかったからなぁ、ちょっと意外だ。まぁそんな娘でも子供ができると変わるもんだな」

「そうですねぇ、子供ができたとわかった時から、何となく強くなったような気がしますよ」

 高橋と良太が子供ができることについてあれこれと話していると、どこからか携帯電話の呼び出し音が響く。


 どうやら呼び出し音は良太の携帯電話からだったようで、高橋の方に軽く頭を下げつつ電話を取る。

「あ、俺のみたいです、ちょっと失礼します。……もしもし三浦ですが、はい、はい、わかりました。すぐに行きます」

 電話を切った瞬間、高橋に向いた良太の顔は喜びで一杯になっていた。

「しゃ、社長、生まれました! 俺の子が生まれたんですよぉっ!!」

「おお、生まれたのか! よかった、よかったなぁ!!」

「はいっ!!」

 高橋は話を聞いた途端、良太と同じ顔をして彼の肩を思いきり叩くが、叩かれた当人はそんなことは気にせず感激した様子で頷いた。


「よし行け、今行け、涼子ちゃんと子供の下へ今すぐ行け!!」

「はいっ! あ、マスター、勘定お願いします」

 良太は産院へ行く前に勘定を済ますべく水瀬を呼ぶが、彼が反応するより早く高橋が声を上げる。

「良太っ、何やってる! ここは俺が出すから早く行け!」

「はいっ、ありがとうございます! では、行ってきます!!」

 子供が生まれたと分かってからずっとハイテンションな高橋に頭を下げ脱兎の如く店から出て行く良太、その後姿を高橋が父親のような顔で見送っていた。


「よかったですね、高橋さん」

 水瀬がシェイカーを振りながら高橋に話しかける。

「ああ、アイツは一燈(かずと)君も聞いた通り孤児でな。ウチに来るまではいろいろあったらしいが、一つもひねたところが無くて仕事ぶりも真面目だし、ホントいい奴なんだよ。ウチにも息子はいるが、彼はもう1人の息子みたいなもんだよ」

「そうですか。ああ、これは私からのご祝儀です、よかったらどうぞ。三浦さんには今度来られたときにお出ししますので」

 そういって水瀬は、シェーカーの中身をカクテルグラスに入れて高橋の前に置いた。

 それは半透明な白色をしていて、ほんのりとレモンの香りがした。


「一燈君、これは何て名前だい?」

「このカクテルは"フォールン・エンジェル"といいます。本来は"堕ちた天使"という意味なのですが、この場はあえて誤訳で"降りてきた天使"ということで。あまり甘くなくてスッキリした飲み口ですね」

 水瀬は高橋の質問に答えつつ、自分のグラスにビールを注ぐ。

「"降りてきた天使"か、ちょっとベタだがそれもまたいいか。それじゃ良太の"天使"に乾杯」

「乾杯」


 2人は互いに嬉しそうな顔で、グラスを打ち合わせた。

 次回より#2にて話が出ました、"サイレントスニーカー"を投稿します。

 よかったら読んでみてくださいな。


 16/3/24 "左わき腹が痛いのか"の部分を"左わき腹に怪我でもしているのか"に変更

 17/5/5  地の文を一部変更。ただし話の筋は変えていません。

 17/9/30 誤字ではないが、表現の統一のため一部修正。あと、最後の一文に加筆しました。

 18/1/30 本文中の句読点の位置を調整。本文中の語句を一部修正。

 18/5/24 本文中のセリフを一部変更。地の文を一部修正。

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