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#2 常連客 -encounter regular customers-

「あんた、誰?」

「え?」

 あまりの衝撃に火置は、両手にぶら下げていた買い物袋を落としてしまった。

「おい! 昨日の今日でもう忘れたのかよ!」

 水瀬に掴みかからん勢いで大声を張り上げる火置であったが、水瀬は火置から背を向けて開店作業をし続ける。

 しかし数瞬後、水瀬がいきなり肩を震わせて笑いながら振り向いた。

「ぷっ、あはははは! いやぁ、悪い悪い、まさかここまでマジギレするとは思わなかったよ」

「おい水瀬くぅん? これはどういうことなのかなぁ。説明してくれると助かるんだがねぇ」

 一瞬呆気に取られた火置だったが、すぐに地の底で唸るような声で水瀬に問うた。

 返答しだいでは一発殴ることも考慮に入れて。

 

「いやまぁドアから入ってきたお前の姿が朝別れた時と全然違っていたから、一瞬誰だか分からなくてね。火置だってのはすぐに分かったけど、不意にちょっとしたイタズラを思いついたってわけだ」

「それでこんなことをしたと……」

 先程と同じ口調で話す火置に水瀬は、相手の怒りをさらりと受け流すような普段と変わらぬ口調で再び謝罪の言葉を口にした。

「まぁさすがにちょっとやりすぎたかな、とは思っているんだよ。いやほんとにすまなかった。お詫びといっちゃなんだがよかったら後で店まで来てくれ、当店特製のカクテルをおごるから」

 

 火置としては、いくらいたずらでもやりすぎではないかと腹も立てたが、相手が相手だし謝ってもいることでまぁいいかと溜飲を下げた。

「まぁいい、でも今後こういうのは無しにしてくれ。それと特製のカクテルとやらも忘れるなよ」

「ああ、わかった、すまなかったよ。それからウチの特製カクテルはぶっ飛んでるぜ、まぁ楽しみにしててくれ。ところで、今日のおかずは何だったっけ?」

 もう飯の話かこいつは、と火置は水瀬の切り替えの早さに内心苦笑しつつ答えた。

「今日はシンプルにトンカツだよ、付け合せは千切りキャベツと粉吹き芋。あと今朝の味噌汁とご飯がまだ残っているからそれも出して、だな」

「おお、それはいいなぁ。俺は店が終わってから食うから、火置、悪いが先に食っててくれ。食べたあとの食器は洗い桶に突っ込んでおいてくれたら、あとはこっちでやっとくから」

「ん、わかった。とりあえず飯の用意をしたら、一度顔を出すよ」

「ああ。おおそうだ、これを忘れるとこだった。ほい、合鍵」

 水瀬が鍵を放り投げると、火置が左手でキャッチした。

「ありがとう、それじゃ家に戻って準備してくるわ」




 

 火置は家に戻ると買ってきた食材を台所のテーブルに置き、今日使う分以外をそれぞれの場所に直していく。直し終わると流し台の上の棚からトレー3枚とボウルと揚げ物を置くバットを取り出し、冷蔵庫からキャベツと玉子を取り出した。

「朝も思ったけど、ここの台所ってすげぇ使いやすいんだよなぁ。きちんと整頓されてて、ほしい道具が流しの前から動かなくても大体出せる。昨日の冷蔵庫を見た限りじゃ、料理なんてしそうに見ないんだけどなぁ。まぁ職業柄なんだろうな」

 何気に水瀬に失礼なことを呟きつつも、手馴れた動きで準備を続ける火置だった。


 買ってきたじゃがいもを袋から取り出し皮を剥き、一口大に切ったあと軽く水にさらし、水を張った片手鍋に入れ火に掛ける。じゃがいもが茹で上がる前にキャベツを千切りにし、ボウルに水を入れその中にキャベツを入れる。キャベツは5分ほどしたら水を切っておく。

 

 先程取り出したトレーに小麦粉、溶き玉子、パン粉をそれぞれ入れ、バットの底にキッチンタオルを敷きその上に油きりの網を置く。

 

 豚ロースを取り出してまな板の上に置き、肉の両面の赤身と脂身との境の筋に直角に包丁の先を入れて、数ヵ所切る。

 次に肉の両面を包丁の背(刃ではない方)と側面で外側に伸ばすように軽くたたき、1cmくらいの厚さになるように整え、両面に塩・こしょうを振る。

 肉に下味を付けたら、トレーに用意した小麦粉・溶き玉子・パン粉の順で付けていく。

 その際、小麦粉はしっかりとまぶし余分な粉は手で軽く叩いて落とす。溶き玉子とパン粉はムラなくまんべんに付けていく。

 

 カツを揚げに入る前にジャガイモの様子を見る。

 爪楊枝で刺して茹で具合を確かめ、十分やわらかくなったことを確認できたら、鍋の湯を捨てまた火に掛ける。

 鍋をゆすりながら水分を飛ばし、粉っぽくなってきたら塩を振って皿に取っておく。人によっては茹で上がったジャガイモに塩だけでなく胡椒も振る事もあるが、今回は塩だけにした。

 

 フライパンに油が2~3cmの深さになるように入れたら強めの中火にかけ、170℃まで熱する。

 温度の目安は、水にさらし、水分を軽くふき取った菜箸の先をフライパンに入れ、箸先全体から細かい泡が上がったら オーケー。

 肉を1枚ずつ静かに入れ1~2分そのまま揚げて、下側がきつね色になったら裏返す。

 カツ全体がきつね色になり、浮いて、表面がカリッとなり、泡が小さくなるまで4分ほど揚げる。揚げ音がチリチリという高い音になったら揚げ上がり。

 揚げあがったカツを油きり用のバットに置き、食器棚から大皿を2枚出して付け合せのキャベツと粉吹きいもを皿に置く。

 最後に油きりのできたカツを2cmくらいの等間隔で切り、皿にのせて出来上がり。


「ん、ま、こんなもんかな」 

 火置は水瀬の分にラップを掛け自分は食べようと思ったが、やはりご飯は誰かと食べた方がおいしいだろうと思い直し味の確認のため一切れだけ食べ、あとはラップを掛けてバーへと向かった。





 バーを窓から見ると中に2・3人客が入っているようだった。

「よく考えたら、俺って殆どバーなんて入ったことないんだよなぁ……」

 ドアの前でちょっと気後れしてしまった火置だったが、水瀬が呼んでくれているのだからと思い切ってドアを開ける。

 中に入るとカウンターに3人座っていて、全員がお仲間らしく3人でしゃべっていた。

 水瀬はそれから少し離れた位置で聞くとも聞かずともいえない風に立っていて、時々洗い物などしながらいつ注文が来てもいいように目を配っていた。

 ドアベルの音に水瀬が入ってきた火置を見つけ、声を掛ける。

 

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

 と自分が立っている前の席を勧めたので、素直に示された席に着いた。3人組の客から2つ離れた席だった。

「やあ、来てくれたのか。んで何飲む? 例のヤツいくかい?」

「いや、最初はビールをいただこうか」

 水瀬が注文を聞いてきたのでどうしようかと思ったが、最初の一杯はいつもビールなので今回もビールを頼んだ。

 水瀬と話すことはあるけれどそこはやはり客商売、自分とだけ話すわけにいかず、向こうの客と話したり注文を受けたりと結構忙しそうだった。

 火置は2杯目から注文するとき以外はあまり話しかけず、独りちびちびと飲んでいた。

「お~、そこにいるのは昼間に来てくれた兄ちゃんじゃないか、こっちで一緒に飲まんか」

 すると3人組のうち、右端の人物が火置に声を掛けてくる。火置がそちらを見ると、昼間散髪に行った"相羽理髪店"の店主だった。

 

「あ、こんばんは」

 火置は、あ、と言う顔をして挨拶を返し、水瀬は声を掛けた相羽に、おや、という顔を向けた。

「ああ、そうか。火置、お前相羽さんとこで散髪してきたのか。相羽さん、こちら私の同級生だった、火置 映二です」

 水瀬がああなるほどという顔をして、改めて相羽に火置を紹介した。

「どうも、火置です」

 知った顔であるだけにどんな挨拶をしたものやらと思ったが、結局締まらないものになってしまった。

 

「まぁいいから、こっちに来て一緒に飲もうぜ。それに、これからこの町に居るんならこいつらとも顔を合わせといた方がいいんじゃないか?」

 先程の締まらない挨拶などおかまいなしに相羽が再び声を掛けた。

「はぁ、それじゃお言葉に甘えさせていただきます」

 と火置は相羽の隣に席を移った。

「それじゃ紹介するぜ、俺の隣にいるのが"東森電気商会"店主の東森 凛人(りんと)。端にいるのが、"スーパー杵真"社長の高橋 孝輔だ」

 東森は身長が180cmはあるだろうか、端正な顔立ちで髪は見事なシルバーグレイ、目は細く目じりには深い皺がよっていて年齢を感じさせたが、引き締まった全身から立ち上る気が"自分はまだ現役だ"と言っているようだった。

 一方、その隣の高橋だが、身長は170cmあるかのところで歳も東森と同じくらいか。

 見た目丸みのある四角い顔や縦と横の比率が近いが良く締まっている体が"社長"というよりは八百屋の店主(おやじ)という感じで、こちらも東森や相羽と同じく"まだまだ現役"だと背中で語っている気がした。

「火置 映二です、よろしくお願いします」

 なんとなく人生の先輩である彼らに敬意が湧いてきたのか、火置は椅子から降りて改めて3人に頭を下げた。

「よろしく、火置君」

「火置君、そう堅くなんないで楽しくやろうよ」

 東森、高橋の二人はわざわざ椅子から降りなかったが、振り返り挨拶を返したその顔には親しみがこもっていた。

 相羽は相羽でにこにこしながら、うんうんと頷いていた。


 それから1時間後。

 

 4人は前からの知己のように飲んでいた。

「それでは、火置君はここへ仕事を探しに……」

「映像関連の企業が多い杵真市なら仕事があるかなぁ、と思いまして」

「そうかぁ、昔は映画都市と呼ばれるくらいそういった企業がたくさんあったけど、最近は聖林市にずっと押され続けているからなぁ。そういう仕事ならあっちへ行ったほうがいいかもしれないな」

「まぁ、水瀬のところでしばらく居候させてもらうので、なるべくここで探そうかな、と」

「そうかい、まぁがんばんな。もしどこも仕事先がなかったらウチで雇ってもいいよ。一燈( かずと)君の友達だし、見た目も真面目そうだしな」

「ありがとうございます、そのときはよろしくお願いします」

 東森、相羽、高橋からの話を逐一真面目に返す火置を見て、変わらないなぁと思う水瀬だった。


「そういやぁ一ちゃん、最近ホールでの上映予定はないのかい?」

 水瀬は4人の話の輪から外れていたので、いきなり相羽から話を振られ少し驚いた顔をした。

「う~ん、そうですねぇ、いつになるかは正式に決まってないのですが……」

 驚いてしどろもどろになりかける水瀬を東森がせっつく。

「ということは、近々あるということだね」

「まぁ一応依頼はあったのですが、まだ申請書が届いていないものでいつとは言えないし、どんなジャンルの映画が上映されるかもわからないですから」

「そうか、んじゃ私らがそれを見られるという保証もないわけか……」 

「そうですね、もしこれが企業相手のプロモーションなら一般公開は基本的にしませんしね。でもまぁ、それが面白いかどうかもわからないわけですが……」

 がっかりして呟く高橋に、フォローか追い討ちかわからないことを言う水瀬だった。

 

 からんころん、とドアのベルが鳴る音がした。

 その瞬間、それまで次の上映について水瀬にやいのやいのと言っていた声がぴたりと止んだ。と同時に全員の目がドアの方向に向けられた。

 そこにはグレーのスーツを着た、ショートカットの女性が書類封筒を持って立っていた。

 

「いらっしゃいませ。……えっと、昼間ホールの利用申請に来られた方ですね? ああ、どうぞこちらへお掛けください」

 ちょっとつまりながらも、水瀬は女性を入り口に近い右端の席に座るよう勧めた。

 実は水瀬は初対面の人物の顔を覚えるのが苦手で、入ってきた人物を見て一瞬、この人だれだっけ、と思ってしまったのは秘密である。

「はい、昼間はどうもありがとうございました、杵真特殊映像の森です。夜分に失礼とは思いましたが、あちらに居ない時はバーに居るとのことで、夜でもいいかなぁなんて思いまして。あぁ、こちらが申請書類です」

「申請書、たしかに受け取りました、スケジュールを確認してからまたご連絡します。しかしこんな時間に来るということは仕事も終わりでしょう、よかったら一杯飲んでいかれますか?」

「そうですねぇ、ではビールをいただけますか?」

「はい、少々お待ちください」

 そう言うと水瀬は、パイントグラス(容量:約570ml)にビールを入れて森の前に置いた。

 

「ありがとうございます、では、いただきます」

 グラスの前で小さく手を合わせた森は、グラスを手に持つとゴクゴクッと一気に飲んだ。

「あ~、やっぱりこの時期はビールですよねぇ~♪ あれ? どうしたんですか、皆さん」

 森のあまりの飲みっぷりに左側に座っていた客が皆、驚きに目を見開いていた。一方の森も4人が何故そんな顔をするのか分からず、焦りに目が泳いでいた。

 ただ、水瀬は昼間の麦茶の飲みっぷりを見ていたためか、他の客と違い苦笑するにとどまっていたが。

 

「ねえさん、いい飲みっぷりだねぇ。ここで会ったも何かの縁だ、ここへ来て一緒に飲まねぇか?」

 最初に気を取り直した相羽が森に声を掛けた。

「え、いいんですか? ではちょっとだけお邪魔させてもらおうかな」

「悪いが映ちゃん、席を一つずらしてくんねぇか?」

 森から承諾の返事がくると、隣の火置に席をずらすよう頼んだ。

「(え、映ちゃん? ま、いいか)わかりました」

 会ったその日にそこまで気安く呼ばれるとは思わなかった火置は少々面食らったが、すぐに承諾し席を移る。

「え、いや、私は端っこでいいんですけど……」

 相羽の誘いに乗ったものの、まさか真ん中に招待されるとは思わなかったので少々戸惑う森だった。

「いいって、いいって。いつもむさいジジィ共と飲んでんだ、たまには若い子と飲みたいってものさ」

 と言いながら、相羽は背中越しに親指で後ろの二人を指す。

「"むさい"って誰のことかな? それにジジィはお前も同じだろうが。とはいえ、若い子と飲むのはこちらも大歓迎だ。お嬢さん、よかったこちらへどうぞ」

 東森は相羽の言葉に反発しつつも森と飲むこと自体は賛成のようで、森の方を向いて空けた席を勧めた。

「そうですか、それではお言葉に甘えましてお邪魔します」

 森が席に座るとき緊張していたのかちょっと変な言い回しだったが、皆が酔っ払っている所為かそれには誰も気に留めなかった。

 

『それでは改めて、かんぱ~い』

 5人はビールで乾杯すると、思い思いに話し始めた。しかし、若い女性が中に入るとどうしても話題がそちらに集中するため結局4人が森に話しかけるという感じになった。

「こんな野郎ばっかりに囲まれて気分悪くなんない?」

 と先程からあまりしゃべらなかった、高橋が聞いた。

「いやぁ正月なんかで実家に帰ると、たいてい父や祖父と兄とで一緒に飲んでいたのでそういうことは気にならないですねぇ」

 言葉通りに彼女はまったくそういうことを気にしていないようだった。

 

 今度は東森が森に話しかけた。

「そういえば、ここへ申請書とかいうものを持ってきたましたね、あれはあそこのホールの利用申請書ですか?」

「はい、今度わが社のプロモーションとして、俳優など一部を除いて全て当社で制作した映画を取引先を招待して上映することになりまして」

「それはどのような映画ですか、それと私達もそれを見ることはできますか?」

「そうですねぇ、私も予告しか見ていないのではっきりした話はできませんが、中世ヨーロッパ風のスパイアクションっぽいものですね」

 森はここで一旦話を止め、ビールを一口飲むと先程の続きを話しはじめた。

「それと今回は取引先へのプロモーションということなので、関係者以外は入場禁止ということになっています。ただまぁ映画の内容が内容だけに家族を連れて見に行くといった取引先もあるようなので、それについては上司に聞いてみます。ですが、あまり期待はしないでくださいね」

「そうですか、まぁ期待せずに待つとしましょう」

 と残念そうに東森が言うと、横で聞いていた相羽や高橋もとても残念そうな顔をしていた。




 

 5人での酒宴がたけなわになった頃、相羽が口を開いた。

「それじゃ、そろそろいつものアレを飲んでお開きと致しますか」

「そうですな」

「さて、今日は何が見れますかな」

 相羽の提案に東森、高橋の両人も賛同したが、水瀬は少し困った顔をしていた。

「相羽さん、今日はミントさんが来てないんでいつもの味は出せないかもしれませんよ、それでもよろしければ作りますが……」

「一ちゃんだって、作れるのは作れるのだろ? だったら今日はそれで頼むよ」

 水瀬が先程の顔で相羽に告げるが、誰が作ってもアレが飲めるなら構わないといった感じで返されては水瀬も諦めて作る他なかった。

「はぁ、わかりました。火置も森さんも飲む? もっとも火置には飲ませてやるとは言ったけど」

「そうだな、んじゃ俺も一杯もらおうか」

「私も飲んでみたいです」

「しょうがない、やるか」

 水瀬はポツリと呟き、シェーカーを2つ出した。どうもこのカクテルは2種類のカクテルをさらに混ぜて作るようだ。


 先程まで冷凍庫で冷やしていたグラスにシェーカーの中身を入れる、どうもこのカクテルはプースカフェスタイル(2種類以上の酒をそれぞれが層になるように入れるやり方)で入れるものらしく、下が濃いピンク色、上がミントグリーンの2層になっている。

「それじゃ、まず高橋さんから」

 水瀬が出来上がったカクテルを左端の高橋に渡すと、次を作るべく材料をシェーカーに入れた。

「ああそうだ、火置も森さんもこれを飲むのは初めてだろうから言っておくけど、飲んだ人がどんな状態になろうと慌てないようにね。遅くても3分以内には元に戻るから」

 火置は水瀬からのひと言に何やらうすら寒いものを感じたが、飲むといった手前やはり飲まないとは言えず自分の分が出来上がるのを待った。

 

「それじゃお先に、いただきます」

 と高橋が一口飲んだその瞬間、高橋が飲んだ姿勢のまま硬直(・・)した。

「え……何?」

 森が小さく驚きの声を上げたが、水瀬はそれを無視して東森、相羽の順にカクテルを作って渡す。

 そしてカクテルを飲んだ東森と相羽も高橋と同じ様に硬直した。

「とまぁこんな感じになるんだけど、どうします?」

 驚愕の光景を見てしまった森だが、飲んだ人が何を見るのかという好奇心が先に立ち迷わず答えた。

「もちろん、いただきます」

「火置はどうするよ?」

「もちろん、飲むに決まっているじゃないか。好奇心は俺たちみたいな人種にゃ必須条件だぜ」

「わかった、ちょっと待っててくれ」

 そういうと、水瀬はカクテルを作るべくシェーカーを振りはじめた。

 

 高橋が飲んでちょうど3分後、硬直が解けた。その高橋に水瀬が声を掛ける。

「ジャスト3分、いい夢見れましたか?」

「いつもながら何を見たのか殆ど覚えていないが、今まで見たこともないような光景を見たような気がする」

「そうですか、それは良かった」

 水瀬と高橋が他愛のない会話をしていると、他の人たちも次々と硬直が解けていった。

「いつもながら衝撃的ですな、しかし目が覚めると何を見ていたのかわからなくなるのが残念です」

「でもあれだね、まだまだミント女史の方がもう少し刺激があるね」

 硬直が解けた東森と相羽が飲んだ感想を思い思いに述べていた。

「だから言ったじゃないですか相羽さん、ミントさんのとは違いますよ、って」

「そうだよ、水瀬君に作れと言ったのはお前さんでしょうが」

「わははは、まぁそう言うなって。一ちゃんの作ったヤツが不味いって言ってるわけじゃないんだからよ」

「今のは相羽さんが悪い。味が違うのは分かっているのだからそれについて言うべきじゃない」

 水瀬と東森の抗議の声も相羽は笑ってごまかし、それに高橋が冷静に突っ込んだ。


 そうこうしているうちに火置と森も硬直が解けた。

「なるほど、たしかにぶっ飛んでるなぁ。あの世の風景でも見た気がするぜ」

「私は、死んだはずのおばあちゃんに会ったのですが、少し離れていたので近付こうとすると『こっちはおまえにゃまだ早い、でもここでなら話すこともできるからまたおいで』と追い返されてしまいました」

 なぜか森だけが、硬直した状態で何を見たか克明に覚えていた。

「何と、こんなことは初めて聞いたよ」

「やはり、男と女では効果が違うということなのか……」

「むう、今度ウチのやつにも飲ませてみるか。でもウチのやつ飲めないんだよなぁ」

 相羽・東森・高橋の3人はカクテルの効果について議論をし始めた。

 

 3人がまだ議論を続ける中、壁の時計をちらと見た森はあっ、という顔をして帰り支度を始める。

「あの、すみませんが、お勘定お願いします」

 それを聞いた水瀬が時計を見ると、すでに午後11時を過ぎていた。森の声に時計を見た商店街の面々も同様に帰り支度を始めていた。

「一ちゃん、俺達も帰るから勘定たのむわ。ああ、このねえさんの分は俺達が払うから」

「え、いいんですか? 今日ここで初めて会ったばかりなのに……」

「ああ、いいって事よ。またここで会うことがあったら、その時は一杯おごってくれ」

 森はその言葉にどうしようかと相羽の並びの席へ目を向けると、そちらの2人もうんうんと頷いていた。

「わかりました、今日はごちそうになります。どうもありがとうございました。では、失礼します」

 椅子から降りて3人それぞれに頭を下げ、ドアへ向かおうとしたが、思い出したように水瀬の方へ向いた。

「水瀬さん、スケジュールが決まりましたら連絡くださいね」

「わかりました、おそらく明日か明後日までには連絡できると思います。本日はどうもありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」

「よろしくお願いします」

 森は水瀬からの返事を聞くと、一つ頭を下げ、ドアから出て行った。

 

「なかなか可愛い()だったなぁ、また来るかな?」

「さぁどうでしょうかね、あのカクテルは気に入ってもらえたようですけどね。まぁ、また来るんじゃないですか。相羽さんの『今度会ったら一杯おごってくれ』というの、本気にしているようですし」

「俺達よりも一ちゃんの方が来てほしいと思っているんじゃないのか」

「そりゃそうですよ。こんなご時世でただでさえお客さんが減ってきているのに、これ以上減らされてたまるもんですか。それとまぁせっかく縁があってここへ飲みにきたんだから、これからもずっと来てほしいと思うのが人情ってものでしょう」

「いや、そういうことを言いたかったわけじゃないんだが……。ま、いいか、これ勘定ね」

 微妙に落胆した表情で勘定を渡す相羽、なにが相羽をそんな表情にしたのか分からずにうろたえ気味に勘定を受け取る水瀬。

 そのやり取りを見ていたあとの3人は、今の相羽と水瀬の間にとてつもなく深くて長い溝が横たわっているのを見たような気がして知らず知らずのうちに深いため息をついていた。





「ありがとうございました」

「どうも、ごちそうさまでした」

 水瀬と火置の挨拶を背に常連達が帰っていった。

 店にいるのが火置だけになると、水瀬がハーフパイントグラスにビールを入れて火置の前に置く。ふと火置が水瀬の方を見ると、同じサイズのグラスに自分の分のビールを入れていた。

「どうもお疲れさん、まだ軽く一杯くらいなら飲めるだろ」

「ああ、ありがとう。んじゃ、お疲れ様」

 2人はグラスを打ち合わせた。


 それからしばらく2人はカウンター越しにしゃべっていた。

「あの常連さん達って多少馴れ馴れしかったり、お節介だったりするけど、3人ともいい人ばかりだよ」

「そうだな、会ったばかりの人間に職を世話しようと言ってくれたり、結局飲み代も俺の分まで出してくれたようだしな」

 水瀬と火置がここの常連たちについて喋っていると、水瀬が思い付いたように話題を変える。

「ところで、今日来た森さんってどうだい、彼女って火置の好みのタイプじゃないか?」

「ああいった感じの()って嫌いじゃないけど……って、ああ! 水瀬お前、相羽さんの話分かっててはぐらかしたなぁ!」

 水瀬の言葉に彼が相羽の言葉の意味を正しく理解していたことを感じた火置は、半ば呆れた顔で水瀬に食って掛かる。

「そんなことないよ、あの時言った言葉も本心には違いないしね。それに、さすがに今日会ったばかりの人を好きになれるほど惚れっぽくもないよ。まぁ、明るくて元気な()とは思ったけどね。でもそれだけさ」

 水瀬は相羽の言葉を理解していたと暗に仄めかしつつ、森について特に思うことは無いと主張した。

「そ~かぁ~?」

「まぁそんな話はいいじゃないか、もう1杯飲むか」

 まだ疑いの眼を見せる火置に水瀬は、話題を変えるべくお代わりを勧めた。

「おい、俺がそんなモノでごまかされると思ってんのか……。ってまぁ、くれるってんなら貰うけどよ」

 火置の返事を聞くが早いか水瀬は、ビールをグラスに注いで彼の前に置き自分のグラスを掲げる。

「是非そうしてくれ。では乾杯」  

「乾杯」

 水瀬が掲げるグラスに、火置は苦笑しつつもグラスを合わせた。


 そんなこんなで話が弾み、"バーO.S.T"の夜は更けていく。



 

 

 一週間後の午後、"O.S.Tホール"に一通の封書が届いた。

 送り主は"杵真特殊映像"となっていて水瀬が封を開けると、手紙が一通とチケットらしき紙片が何枚か入っていた。


 手紙を開くとこう書かれていた。


"先日はどうもありがとうございました。入場の件なのですが、上司に聞いたところ「建前上は取引企業の社員のみとなっているけど、社員以外の人を連れてくる取引先もあるようだから、君の持分があればそれを回せばいいんじゃないの。席もまだ余裕がありそうだし」ということでした。

 ですので、私の持分が5枚ありますからそれを送ります。申し訳ありませんが、水瀬さんの方からあの御三方にお渡してくださいませ。

 それと、もしよろしければ水瀬さんと火置さんにも見に来ていただけたら、と思います。

 それでは、また"


 手紙を読み終えた水瀬は、封筒からチケットを取り出して見た。

 そこには"㈱杵真特殊映像 特別上映会 「サイレントスニーカー」 日時:〇〇月△△日(日) 午後5時開場"と書かれていた。

2017/4/3 行間の調整と水瀬の店での自称を"僕"から"私"に変更。

     高橋の水瀬に対する呼称を"(かず)ちゃん"から"一燈(かずと)君"に変更。

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