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#4-1 道化者・前編 -a man betrayed by his famiry. first part-

 今まで読んでいただけた方、どうもお久しぶりでございます。

 今回が初めてという方、どうもはじめまして。酔勢 倒録と申します。


 今回は最初はいつもと同じ3人称ですが、破線(------)以降はゲストの1人称となりますので、ご理解の上お読みくださりますようよろしくお願いいたします。

 また後編では前編とは逆に始めが1人称、破線以降が3人称となっていますのでそれも併せてよろしくお願いいたします。

 バーO.S.T、午後11時。


 その日は春も半ばなのに季節外れの寒風が吹いていて、外の気温は10度を下回っていた。

 そのせいか常連客達も早く帰ってしまっていて、いつもならこの時間はまだ1人2人は客がいるものだったが、今のカウンター前には誰も座っていなかった。

「何か今日は誰も来ないなぁ……。ちょっと早いけど、今日は片付けるかな……」

 水瀬は一つため息をつき、閉店作業ををするためカウンターを出ようとする。

 そのために水瀬がドアの方に背を向けた瞬間、ドアベルの音が響いた。

「おや、今日はもう仕舞いかね。よかったら一杯飲ませて欲しいのだが……」

 音のした方へ振り向くとそこには初老の男性が一人立っていて、水瀬へにこやかに声を掛けてきた。

「ああ、いらっしゃいませ。はい、まだ大丈夫ですよ!」

 水瀬は先程まで凹んでいた気持ちを無理やり持ち上げ、精一杯の笑顔で客を招き入れた。


「どうぞ、こちらへ」

 水瀬が手でカウンターの真ん中あたりを指し、男は一つ頷き彼の指す場所へ座る。

「さて、何をお出ししましょうか?」

 男がスツールに座ると水瀬はお絞りを渡し、彼が一息つくのを待ってその日のメニューを渡した。

「そうだな……。ああ、そうだ。ここで夢を見られるカクテルが飲めると聞いたのだが、それをもらえないかな?」

 男が注文した途端水瀬は顔をこわばらせ、そんな彼の様子に男は怪訝な表情で問いかける。

「おや? そのカクテルはこんな一見の客には出してもらえないのかな? それとも、中に危険な物でも入っているとか?」

 男のどこか非難めいた雰囲気に、水瀬はこわばった顔を無理やり笑顔に戻して頭を下げた。

「いえ、どうも申し訳ございません。私が作ることができるものであれば否応は申しませんし、それには飲んでいけない材料は一切使用しておりません。ですが、失礼ながら一つお聞かせ願えませんか? お客様はどなたからそのカクテルの事を?」

 水瀬の返答に男は先程からの表情を変えずに彼へ目を向けるが、そこから滲み出る雰囲気は"非難"から"何故?"という風に変わっていた。


「ああ、そのカクテルの事は、昼間立ち寄った理髪店の店主から聞いたんだ。話の流れで最後の一杯を飲むのにいい酒場はないかと訪ねたら、こことそのカクテルのことを教えてくれたんだよ」

 男からの答えに、水瀬はホッとした表情で頷いた。

「なるほど、相羽さんからでしたか。分かりました。ではこれから作らせていただきますが、いくつか注意点がございます……」

 酒を飲むだけなのに"注意点がある"と言われた事に男の目が丸くなるが、とりあえず話を最後まで聞くことにしたのか何も言わず目で先を促す。

「まあ、注意点と申しましても、大した事ではございません。まず飲んで少しすると勝手に意識が落ちますが、そのカクテルの効果なので異常ではありません。その場合ほぼ3分で意識は回復しますし、後遺症もありませんのでご安心ください。……それと、最後にこれだけは覚えておいてください。"夢を見られる"といっても、お客様にとって良い夢を見る事ができるとは限らないということを」

「……わかった、よろしく頼む」

 水瀬の話を最後まで聞いた男は、何故か覚悟を決めたような顔で頷いた。


 器具や材料を用意したりとせかせか動いている水瀬を男は黙って見ていたが、不意に何かを思いついたように水瀬に話しかける。

「忙しいところすまないが、一つ聞かせてくれないか。先程は何故あんな態度を取ったのかね?」

 男からの問いに水瀬は一旦動きを止めバツの悪そうな顔をするが、すぐに真顔になり頭を下げた。

「先程はどうも申し訳ありませんでした。この話をするには、お客様の知らないお客様の事も出てくるので、この後できればご内密にお願いします……。あと申し訳ありませんが、このカクテルは少々時間がかかるので、作りながらお話しさせていただきます」


 男が頷くのを見て、水瀬は作業を再開しつつ話し始める。

「少し前の話になります。ここに来られたことがないお客様でしたが、どこで知ったのか席に着くなりそのカクテルを注文されました。その時は私もそれまで常連の方々に何度か出していたこともあり、何も考えず受けてお出ししました。飲んでいる最中は何もなかったのですが、効果が切れて意識が戻られた途端お怒りになられまして。一応注文を受ける際に注意点はお話したのですが……。ですがお怒りは収まらず、"いい夢が見れなかった"だの"あまりの不味さに意識が飛んだ"やら、散々怒鳴り散らすわ警察や保健所を呼ぶわでもう大変でした。まぁさすがに時間外でしたので保健所は来ませんでしたけど……」


 そこで水瀬は一旦口を閉じ男の方を見るが、男が先を促すように頷いたので再度口を開いた。

「まあ警察の方は、材料をカウンターに並べてから実際に目の前で作って飲ませたら、さすがにビックリはされましたけど何とか納得していただきました。その翌日には保健所がきましたけど、さすがに面倒くさくなって前日まで使っていた材料やら器具やらまとめて押し付けましたよ。あと店の中も調べられましたが、何日かして店も材料も異常はないという連絡がきましたけどね。それ以来、顔見知り以外でソレを頼むお客様が来ると、何となく引くようになってしまいまして……。どうも申し訳ありませんでした」

「ああ、なるほど。そういうことか。いや、マスター、先程はつまらないことで突っ掛かってしまって申し訳なかった」

「いえ別に隠すことではございませんが、態々(わざわざ)言って回ることでもございませんので……。お待たせしました、ご注文の"ミントカクテル"でございます」

 水瀬が話し終えるとほぼ同時に、男の前にカクテルを置いた。


「ほう、これがそうか。しかし、これはどうやって飲めばいいのかね?」

「そうですね、特に決まった飲み方はございませんが、すぐに効果を望まれるのでしたらマドラーでかき混ぜてから飲むといいですよ」

「分かった」

 男はきっちり2層に分かれているミントグリーンとピンクを前に戸惑うが、水瀬のアドバイスに従いマドラーでクルクルと混ぜて一口飲んだ。

「へえ、これはまた、甘ったるいようなさっぱりするような変わった味だね。でも美味しいよ。何の効果も無くとも、ここでこの味に会えただけでも来てよかったよ」

「お褒めいただき、ありがとうございます。そういえば、お客様は"最後の一杯"を飲める酒場を探してとの事ですが、これから何処かへ行かれるのですか? そう、例えば日本から出るとか……。ああ、あまりに不躾な質問でした。どうも申し訳ありません」

 水瀬は男がどういった経緯でこの店を訪ねたかをふと思い出し、何の気なしにそれを口にしてしまう。

 しかし男はそれに腹を立てた様子もなく、むしろそれに感心したような顔を見せ口を開いた。


「はは、バーテンダーという人達は割と聡い者が多いと聞くが、君もその一人なのかな? そうその通り、コレを飲んだら私はこの国を出る。おそらく一生戻らないだろうね。理由は色々あるが、態々聞かせるほど大した事じゃない。まぁ、君がそんなことを聞きたがる人間ではないことは、君と話して分かっているつもりだがね」

「先程は申し訳ありませんでした。そう言っていただけると、恐縮です。……ああ、どうぞ、温ぬるくならないうちにお飲みください。冷たいものでも温かいものでも、出された時の温度が一番美味しい温度ですので」

 男は水瀬の謝罪に表情を緩めて頷くと、彼の勧めに従ったのか今度はゴクゴクっと一気に飲んだ。

「ふむ、こうやって一気にいくと、また先程とは違った味わ、い、が…………」

 男がグラスの中身を飲み干してコースターに置いた瞬間、彼の体が硬直する。

「……おや、始まりましたか。良い夢が見られるといいですね……」

 水瀬は男が硬直したのを見て取ると、どこか心配そうな顔でポツリと呟き空のグラスを取り上げた。





------------------------------------


「……んあ? どこだここ……」

 目を覚ますと私はさっきまでバーのスツールに座っていたはずが、どこかで見たようなソファーの上で寝ていた。

 バーで飲んでいたはずがいつの間にかソファーで寝ていたことに、私は何が何やら訳が分からなくなり半身を起こしてキョロキョロと周りを見る。

 しかしそこはどう見てもバーの中ではなく、一般家屋のリビングのようだった。

 私はさらに訳が分からなくなり軽くパニックを起こしていると、背後から女性の声が降ってくる。

「あら、目が覚めたのね、あなた。でも自分の家が分からなくなるなんて、今日は珍しくたくさん飲んでらしたようですね。ウフフ」

 声のした方へ体を向けると、妻の恵理子がこちらを向いて微笑んでいた。ただしその目には、いたずらをした子供を嗜めるような光が宿っていたが。

 妻がいる事で多少なりと落ち着いた私が改めて周りを見てみると、なるほど見たことがあるわけである。

 そこは自宅のリビングで、私はいつの間にか戻ってきて寝室に行かずにソファーで寝ていたらしかった。


「そういや麻衣はどうした? もう寝たのか?」

「はい、あの子はもうとっくに夢の国ですわよ。あなた、まだ寝惚けてらっしゃるのですか? まだ5歳の子がこんな時間まで起きているわけないじゃないですか。というか、私が寝かしますけどね」

 私はばつが悪いのをごまかすために娘の事を口にしたのだが、(かえ)って逆効果になってしまったらしく妻の目に怒りの色がジワリと滲んできた。

 そんな妻の視線から逃れるように自分の視線をずらすと、壁にかかっていた時計が目に入りその針は午前1時を過ぎていた。

「ありゃ、もうそんな時間だったか……。悪いけど、水を一杯入れてきてもらえないか」

「はいはい。水を入れてきたら私はもう寝ますから、あなたも早くベッドで寝てくださいね。明日もお仕事でしょ?」

 私はそう言いながら台所へと去っていく妻の背中を何の気なしに見つめていると、不意に私達が出会った頃のことが脳裏に浮かんだ。





 妻とは私が所属している企業の同業他社が主催する懇親会で出会った。

 その時妻は主催した企業で事務をしていて、当日は会場の受付に座っていた。

 私はというと当時は入社してまだ1年目のペーペーで、会を楽しむというどころではなく自分と同じ職務の者を見つけては名刺を渡すなど人脈作りのため会場を奔走していた。

 私は会場を一通り回った辺りで挨拶回りを切り上げ、ロビーのような場所にいくつか設置してあるボックススツールの一つに腰掛け息を吐く。元々私はパーティーや人ごみなど人がごった返す場所が苦手だったため、中を一回りするだけでも相当に精神力を消耗していた。

 それからしばらく燃え尽きたボクサーのようにうな垂れていると、いきなり頬に冷たさを感じびっくりして顔を上げる。するとそこには受付に座っていた女性が立っていて、私と目が合うとニッと笑って両手に持った緑茶のペットボトルの1本をこちらに差し出してきた。

「どうも、お疲れ様です」

「あ、ありがとうございます」

 私は彼女からペットボトルを受け取ると、ほとんど無意識と言っていいくらいの速さでふたを開け中身を一気に飲み干した。


「ふぃ~、何か生き返った気分ですよ、本当にありがとうございました」

「あ、いえ。実は受付の方から会場を見ていたのですが、何だか分からないけど中で必死にあっちこっちと挨拶回りしている人が見えたのですよね。でも人付き合いが苦手なのか、誰かに話しかけていく度に顔は笑っていても目は疲れたようになっていって。正直、見ている方がハラハラしましたよ。だから、ここに来たのを幸いちょっとでも落ち着いてもらおうと思った次第です」

「え? ああ、そうなのですか。え~と、何か気を遣わせたみたいで、どうもすみませんでした……」

 正直、自分がそこまでテンパっていたとは気付かず、またそれを見られていた事で更にテンパってしまうが何とか礼を言う事は出来た。

 しかし、それは後でやり直したくなるほどグダグダなものではあったが……。

「いえいえ、どういたしまして」

 そんな私の返事を受けた彼女は、今まで付き合った女性では見たことがないほどの笑顔を見せてくれた。

 それからしばらく彼女と他愛のない話をしていたが、その時間は懇親会の事などどうでもよくなるくらい楽しかった。

 そしてそんな彼女を私は、いつの間にか好きになっていた。

 しかしその場は連絡先の交換をして別れた。まだ会場では懇親会が続いていたからだ。


 かくしてその後、私達は付き合うようになった。


 付き合うようになって、しばらくは2人がお互いの事を知るための時間に費やされた。

 2人共就職する頃には既に両親が他界していて、お互い一人っ子である事。

 親戚もいるにはいるがかなり遠くに住んでいる上、20年以上も前から行き来がなく今では存在しているかすら分からなくなっている事など、私達の境遇は驚くほど似ていることが分かった。

 その後私達は2年ほど付き合って結婚、その1年後には娘の麻衣も生まれた。妻は出産と同時に退職、専業主婦となった。

 その時の私は妻と娘、愛する家族に囲まれ幸せの中にいた。





 それから10年の月日が経ち、娘は小学4年生になっていた。

 ある時、子供にあまり手が掛からなくなったためか、いきなり妻が元の会社で働きたいと言い出す。

 そこで一番のベテラン事務員が急な病気で休職したために残りの者達では業務が滞り気味になり、急遽元事務員の妻に声がかかったということらしい。

 私一人の稼ぎでも一家3人なんとか暮らしていけていたのだが、これから娘の出費もかさんでいくという妻の意見からパートならと就業を許した。

 妻が働き始めて3カ月ほど経ち、いつの間にか正社員として再雇用されフルタイムで働き始めていた。

 当時私の会社が繁忙期に入ったため家に帰るのが午後9時を過ぎることが多くなり、その頃には彼女も帰宅していたため気付くのが遅れてしまっていた。

 さすがに気付いてからは自分の会社が取引相手ということを利用し、妻の会社に残業させないよう掛け合い、相手からも定時で帰らせているし今後も残業はさせないとの回答を得た。

 念のため娘に聞いてみても、定時の終業時間から夕食の買い物をする時間程度で帰ってきているということなのでさすがにちょっと気にしすぎたかと頭を掻いた。


 それからしばらく何事もなく暮らしていた。

 ある日の事仕事が終わり自宅の前まで来ると、屋内の照明は点いていたが外灯は点いていなかった。

 その事に言い知れぬ不安を感じた私だったが、何とか平静を装って家に入る。

 玄関に入ると、屋内の照明は点いているはずなのに、どこか暗さを感じた。

 例えるなら、大きいホールなどで何十もある照明の一つが切れている、そんな感じだった。

 ホール全体を照らす光量そのものは気になるほど変わらないはずなのに、その一点の暗さだけが気に掛かると言えば分かりやすいだろうか。

 私の中に家を前にした時の不安がさらに膨れ上がり、靴を脱ぐのももどかしく早足でリビングへと向かう。

 リビングに着くと、娘の麻衣がポツンとソファーに何するでもなく座っていた。

 麻衣は私が帰ってきたことに気付くとこちらを振り向くが、その顔ははぐれた子供がやっと親を見つけた、そんな感じのものだった。

 そんな表情も束の間、すぐに泣きそうな顔になった娘はポツリととんでもないことを告げる。

「お母さん、帰ってこない……」

 そんな娘の一言に、先程玄関で感じた暗さの理由に思い当たった。

 いつもなら私が帰ると帰宅が深夜にでもならない限り、妻が玄関まで迎えに来てくれていたのだ。

 その衝撃に私は卒倒しかけたが、娘の前ということもあり何とか気を取り直して娘に顔を向ける。

「お母さんから何の連絡もなかったのか? 置手紙とかもなかったか? ああ、ご飯はもう食べたのか?……」

 自分では気を取り直したつもりだったが全然そんなことはなかったようで、聞かずとも分かり切っている事ばかり娘に尋ねていた。

 娘の方も先程の一言以外は何一つ話さず、大粒の涙をボロボロとこぼしながら首を横に振るだけだった。


 まさか残業かと思い恵理子の会社に電話を入れてみるが、向こうからの回答は”定時に退社した”ということだった。

 私はこのまま待つべきかどうか迷ったが、ふと目に入った時計が午後10時過ぎを指していたので、ひとまず麻衣を連れて近くのファミリーレストランへ行くことにした。

 私の残業やらで娘と一緒に夕飯を食べるのは久しぶりで、妻に悪いと思いながらも楽しみに思ってしまったのは秘密である。

 娘との楽しい一時を過ごした後、もしかしたらと思い足早に帰宅するが、やはり外灯と廊下以外の明かりは点いていなかった。

「むぅ、まだ帰ってなかったか……。麻衣、父さん今から警察に行ってお母さんを探してくれるよう頼んでくる。お前はもう遅いし明日も学校だから早く寝なさい。戸締りはお父さんがやっておくから」

「嫌! 私も行く! 誰もいない家に居たくないし、もしお父さんまで帰ってこなかったら……」

 さっきまでニコニコしていた娘がまた涙をこぼし始めるのを見た私は、どうしようかと頭を抱えるが誰もいない家に一人で置くよりはいいかと了承の返事の代わりに彼女の頭に手をポンと乗せ、それから手を引いて最寄りの警察署に向かう。

 警察署に行って捜索願を出すと、前日まで兆候がなかった事や退勤後に行方不明になった事から"特異家出人"として受理してもらえたので私はほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、それから1ヶ月過ぎても警察からは何の連絡もなかった。

 たまに状況を聞こうとするも全く教えてくれず、焦りが募っていた私は興信所を使うことを決めた。

 妻がいなくなって1ヶ月といささか遅きに失した感もあったが、警察が"特異家出人"として扱ってくれたことで安心してしまっていたのだ。

 しかし興信所に頼むとしても、2・3日程度ならどうというものでもなかったが1ヶ月、1年となるととても手持ちの資金ではとても賄われなくなる事は必至だった。

 蓄えもあるにはあるが、それは子供の将来のためやいずれはマイホームとそのために貯めていたものだったので崩すつもりはなく、会社に頼み込んで残業を減らすのと本業と被らない業種での副業も始めさせてもらった。

 捜索の間も一応家事は私がしていたものの娘が学校に行っている間は本業で働き、帰って娘の食事を用意してから副業に出るためろくに話もできず、学校行事の参加はおろか誕生日を祝ってやることもできない状態が続いていた。

 まぁでも、誕生日プレゼントは毎年用意していたが。

 ただ誕生日については、妻がいなくなった辺りから誕生日の近い友達がその家で一緒に祝ってくれるとのことで、その友達の一家に悪いと思いつつもその事だけはホッと胸を撫で下ろしていた。

 その事を知って以降、その家にお邪魔する際にはお土産を持たせたり、娘に金を渡してそこで食べるお菓子や飲み物を買っていかせるようにした。


 それから1年が経過するが結局は妻の行方は分からず、また警察からも何の連絡もなかった。

 娘の方も失踪した当初は母親の事を言い出しては泣いていたが、最近ではこちらから話を持ち出さない限り彼女の事を口にすることはなかった。

 私はこのまま続けても金が掛かるだけで効果がないかと思い、そこで興信所による捜索を中断する。

 しかし妻の捜索を中断した後も副業は止めず、娘にも悪いとは思ったがしばらく続けることにした。

 もし自分が娘の独り立ちを前に倒れた時の事を考え、自分がまだ元気で稼げる間に準備しておこうと思ったからだった。

 そしてある程度の金額が貯まると今までの蓄えの中から子供のための分を残し、今までの副業で貯めた分を合わせてすべて投資信託に回すことにした。

 あと、どこに運用を任せようかと悩んでいたところ、街でばったり出会った学生時代の同級生がトレーダーをしているというので運用は全て彼に任せた。

 それから私は副業を辞め、本業でもなるべく残業をせず、飲み会なども極力断って早く帰宅するようにしてなるべく娘と触れ合う機会を作るようにしていた。

 しかしその頃には娘も中学生になり、クラブ活動や友人達との付き合いで遅く帰ることがあるため、思った程コミュニケーションが取れなくなっていた。

 まぁ娘の方も少しは気にしてくれていたのか、一緒になる時間があれば積極的に話し掛けてきたり、洗い物などの家事を一緒にしたりと自分から家族の時間を作ろうとしてくれてはいたが。





 それから更に10年が経過した。

 いまだに妻は戻ってきておらず、もう帰ってくることはないなと殆ど諦めの境地に至っていた。

 それと失踪してから7年以上経過しているため、周りから失踪宣告をして先の事を考えておいた方がいいのではという事も言われるようになっていた。

 しかし何となく彼女がどこかで生きているような気がして、とてもそうする気にはなれなかった。


 娘の麻衣は2年前に大学を卒業し、地元の企業に就職していた。

 成績は割と良かったらしく、望めば大都市の大手企業でも狙える程というものだったのだが、私を一人にしてはとあえて地元企業を選んだらしい。

 そんな娘がある休日の前日、リビングでくつろいでいる私にいやに緊張した様子で話しかけてきた。

「あの、お父さん……、明日は一日家にいる?」

「ええと、明日はっと……。ああ、午前中に来客があるが、午後からなら空いているぞ」

 娘が告げた言葉に対して私はついにこの時が来たとかなり動揺したが、何とかそれを押さえ込み平静を保つことに成功する。

 娘は私の動揺を知ってか知らずか返事を聞くなりパッと笑顔になるが、次の瞬間何故か恥ずかしそうな顔になりもじもじし始めた。

「いや、あのね。実はさ……、お父さんに会ってほしい人がいるんだよ……」

「……!?」

 娘の話を予想していたにもかかわらず、私は彼女の言葉が耳に入った瞬間辛うじて保っていた心の平静をあっさり崩してしまった。


 翌日の午後、私は昨日の動揺が納まらずリビングでウロウロしていた。

 娘はそんな私の姿をチラリと見るが、クスリと笑っただけで何も言わずにキッチンへと去っていく。

 そして時計の針が1時すぎたあたりで、インターフォンが鳴り来客が来たことを伝えてきた。

 インターフォンが鳴った瞬間娘がキッチンから勢いよく飛び出し、私が取るよりも早く付属の受話器を取り上げる。

 その相手こそ私に会わせたい人物だったのだろう、相手に二言三言話すと娘はさっきの勢いさながらにその人物を迎えるため部屋を出ていった。

 私たちが住んでいるマンションはそれほど新しいものではないが一応オートロックが付いていて、部屋からエントランスを開ける事ができるはずなのだが、その人物が来てくれてよほど嬉しかったのだろう。

 それから5分も経たずにドアノブを回す音がしたので、私もその人物を迎えるべく玄関に移動した。

 私が玄関に着くとちょうど娘がドアを開けたところで、その後ろには娘と同じくらいの年頃の青年が緊張した面持ちで立っていた。

「さあ、ここが私の家よ。どうぞ入ってちょうだい。あ、お父さん。この人が会ってほしいって言った人で、会社の同僚の……」

 娘が簡潔に青年を紹介しようとすると、青年は緊張の度合いをさらに深めて彼女の言葉を遮るように一歩前に出て口を開く。

「お初にお目にかかります、僕は麻衣さんと同じ会社に勤めている……!」

「おいおい。玄関先でそんな大声を出すと近所迷惑になってしまうよ。まぁ取り敢えずお入りなさい、挨拶は中で聞かせてもらうよ」

 青年は私に対して自己紹介をし始めるが、その声のあまりの大きさに慌てて身振り手振りで彼を止め中に入るよう促した。


 あの後娘はお茶の準備するためにキッチンへ行き、私は彼をリビングへ連れていった。

 リビングに入ると青年を3人掛けのソファーへ座らせ、自分はテーブルを挟んだ向かいの2つ並んだ1人掛けのソファーに座る。

「先程は失礼しました……」

「いやいや、別に気にようなすることではないよ。同僚の家とはいえ、初めて訪ねる家では誰だって緊張するものさ。ましてやその同僚が異性で、且つその親にも会おうってものだからねぇ」

 彼は私が腰を下ろすと、徐に口を開き先程の謝罪と自己紹介を始めた。その時には緊張感はかなり和らいでいたようで、先程よりはずっと落ち着いた感じになっていた。

 それからしばらく2人で雑談に興じていたが、彼は本来の目的であろう事には一切触れなかった。おそらく娘がここに来たら話すつもりなのだろう。

 2人の会話が途切れるかの辺りのタイミングで娘が人数分のコーヒーとお茶菓子を持ってきて、カップとお菓子をそれぞれの前に置くと青年の横に座った。

 しかしその途端、直前まで落ち着いていた青年がいよいよ本題へ入ることに緊張してきたのか、顔が段々と強張ってきた。

 そんな彼の様子を見ていた私は、一先ず場を和ませるためコーヒーのカップを取り上げて口を開いた。

「ほらほら、君たちも冷めないうちに飲みなさい。せっかくのコーヒーが不味くなってしまうよ」

「はぁ、すみません。ではいただきます」

 私の言葉の意味を理解したのか、青年は軽く頭を下げカップを手に取った。


 それからしばらく、リビングにはコーヒーを(すす)る音とカップが皿に落ちる音が響いていた。

 さすがにそんな状況が続いて苛ついてきたのか、娘が笑顔のまま額に青筋を浮かべ青年の脇をつつく。

 つつかれた彼は"何するんだよう"という表情で娘の方に顔を向けるが、その瞬間すまなさそうな表情で彼女に軽く頭を下げると急にまじめな表情で私の方へ顔を向けた。

「実は麻衣さんとは、大学生の時からお付き合いさせていただいておりまして、今回は彼女との結婚の承諾を得るために参りました! 僕は彼女を一人にするようなことはしないし、必ず幸せにします! ですから彼女を僕の嫁に下さい!!」

 青年は先程よりは小さいがそれでも大きい声で一息に喋ると、立ち上がってテーブルに頭がつくかつかないくらいに頭を下げた。

 彼が何のために訪れたかは何となく分かっていたが、声に出されたことで一瞬頭の中が真っ白になる。

 しかしそんな中で娘が目に涙をいっぱいに溜め、感激した様子で彼を見上げていたの見て私は心を決めた。


「言いたい事はわかった。まぁ、とりあえず座りなさい。立ったままじゃ話もできんだろう」

「はあ、すみません……」

 私の言葉に青年は、どこか意気消沈した様子でソファーに座る。どうも私が自分の事を認めないとでも思ったのかもしれない。

 そんな彼に内心苦笑しつつ、今度は彼の頭を真っ白にするべく口を開く。

「じゃ無駄に長引かせるのも何だから、結論から言おう……」

 私は決心したことを告げるだけで一旦口を閉じた。実のところパッと言えばよかったのだが、何となく彼等をからかってみたかったのだ。

 しかしこの場でするにはいささか度が過ぎたようで、私が口を閉じた瞬間彼等はこの世の終わりが来たような表情で見合わせていた。

 そんな彼等の様子に呆れつつも、気を取り直して再度口を開く。

「おいおい、何2人して愁嘆場を演じているんだ? まだ私は賛成も反対とも言っていないのだがなぁ……。で、さっき言おうとしていた結論だが、私はお前たち2人の付き合いを認めます」

 次の瞬間、目論見が成功したことを確信した。しかしそれが彼だけでなく、娘にまで波及してしまっていたのは予想外だったが。


 私の言葉が耳に入るなり、2人とも信じられないものを見たような顔をこちらへ向け、そのまま硬直した。

 そんな2人の様子には思わず噴出しそうになったが、何とか胸のうちに押さえ込み少し厳しい顔を作って彼らに向かい口を開く。

「……お前たち、何をそんなに呆けているんだ? まさか、私の話を聞いていなかったのか? それとも信じられなかったか? それとも、話を撤回して欲しかったのか?」

 さすがに"撤回"という言葉には引っ掛かったのか、2人の顔が驚いた顔で揃って身振り手振りで違うことを示すと今度は両手を握り合って互いの顔を見つめた。

 その時の娘の顔は、今まで見たことがないくらい幸せそうだった。


 その日の夜、一人で酒を飲みながら2つの事を思って泣いた。妻の写真を前にして。

 1つは苦労して育てた娘に苦楽を共にする伴侶ができたことの嬉しさに、もう1つはその喜びを分かち合うべき妻が傍にいなかったことの悲しさに。


 それから話はとんとん拍子に進んだ。

 とはいえ私が仕事で多忙だったため顔合わせを除き関われた事は殆どなく、殆ど娘たちか相手側のご両親が手配したのだが。

 それと招待客のリストには、私の方の親戚縁者は入れなかった。

 両親との折り合いが悪かったのか今まで接触もない上にこちらから行くことも無かったので、そんな親族を呼んでも意味がないと思ったからだ。

 それ故に娘たちや相手側両親には、自分が天涯孤独であると伝えていた。

 結局、挙式は新婚旅行で行った先で行う事にして、披露宴はホテルのホールを借りての立食パーティという形で行われることとなった。

 これは新婦の縁者が自分だけというのを、新郎側が考慮した結果でもあった。


 披露宴の前日の夜遅く、なかなか寝付けずにリビングで一人で酒を飲んでいた。

 しばらく娘が生まれてから今までの事を思い出しながらちびちびとやっていると、何かリビングの入口の方で物音がする。

「ん?」

 音のした方へ目を向けると、まだ寝巻にも着替えていない娘が何か言いたそうにして立っていた。

「おいどうした? お前も眠れないのか? んじゃ久しぶりに親子で飲むか。お前が嫁に行ったら、これが最後になるかもしれんしな」

 そう声を掛けると娘は無言で頷いて廊下の向こうへと消え、それからすぐに手にグラスを持って私の前のソファに腰を下ろした。

「ロックでいいか?」

 頷く娘に彼女が持ってきたグラスに傍らのアイスペールから氷を数個入れ、酒をグラスの3分の2くらいまで入れて渡す。

 娘はグラスを受け取ると、何も言わずちびちびと舐めるように飲み始める。しかし彼女の目は、何かを訴えかけるように私と手のグラスとを往復していた。

 私は娘の態度に軽い苛立ちを覚えたが、何度か自分のグラスに酒を注ぎながら彼女が口を開くのを待つ。

 やがて娘の手のグラスから氷が溶け切る頃、意を決したようにパッと顔を上げ私の目を見詰めた。


「……あのね、お父さん。あのね、実は……」

 一度は決然とした態度で顔を上げた娘だったが、一言二言口にしただけでまた先程の態度に戻る。

「麻衣、何か言いたいことがあるならはっきり言いなさい。もし言わないとか言えないというなら、早く寝なさい。披露宴当日に、新婦が寝不足で居眠りなんて洒落にもならん」

 娘の煮え切らない態度に、先程からあった苛立ちが急に大きくなり思わずぶつけてしまった。

「ああ、ごめんなさいお父さん。……ちゃんと、ちゃんと話すから、ちょっと待って……」

 さっきの態度とは違い手のグラスに視線を落としていたが、それでもポツリポツリでも口を開き始めた。

「あのね、お父さん。実は……。実は……」

 2回目の「実は」の後何秒かまた娘が沈黙したため"これはもう徹夜か明日だな"と思った瞬間、いきなりバッと顔を上げまくし立てるように話し始めた。

「実はね、お父さん……。実は私、お母さんに会っていたの!!」

「え?」

 娘の告白に私は、余りの衝撃に間抜けな一言を返すしかできなかった。

2018/ 5/ 3 本文中の一部のセリフに語句を追加。

2020/ 3/29 後半部分より本文を一部移設。

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