#1 来訪者 -a friend comes-
はじめまして、酔勢倒録と申します。
さて、これから始まるは"O.S.T"という名のミニシアターとバーでの出来事を書いた物語でございます。
正直、行き当たりばったりに書いている作品なので、どこへ行くのか作者にも分かりませんがよかったら読んでってくださいなm(._.)m
では、"O.S.Tへようこそ"開幕です。
杵真市、粒羅屋町。
かつて"映画都市"と呼ばれていた地方都市。
その中にあるどこぞの映像制作会社のような名前の町を、男が一人街灯でメモと地図を確認しながら歩いていた。
街灯に照らされた男は、黄色いTシャツとヨレヨレのジーンズに同じようなジーンズの袖なしジャンパーを羽織り、背には古ぼけたリュックサックを背負っている。
髪はボサボサで肩口まで伸ばしており、髭も3センチくらい伸ばしっ放しで胡散臭い風体ではあるが、着ている服だけを見ると意外と小奇麗にしていて髪や髭を整えると結構見られる顔になるであろうことが伺えた。
「え~と、駅からこう歩いてきたから、こっちの方角で合ってるな、と。にしても"バー O.S.T"か、また妙な名前を付けたもんだ」
地図で現在位置と方向を確認すると目指す方へ歩いていく。
それから10分ほど歩くと目的の場所が見えてきた。
時計を見ると午後10時20分、まだバーが閉まるには早い時間だ。そう独り決めし近づいた。
「えっ、ここが"バー O.S.T"? これじゃバーじゃなくて喫茶店じゃないかい」
そう思うのも無理はない、まずドアは格子の木枠に平たい台形状の板ガラスをはめ込んだ、よく喫茶店で使われるタイプ。
窓は高さ1.5m幅2mの窓枠に上方4分の1が透明で下へ行くほど磨りガラスのようになっていくガラスがはめ込まれていて、外側には網状の格子がはめ込まれている。
まさに喫茶店の様相を呈していて、窓やドアから漏れる光が外にいる男を淡く照らしていた。
「しかしまぁ、外から中が見えないように作るだけがバーじゃないわな」
と自分を無理やり納得させ、ドアを開けた。
カウンターにて、店のマスターらしき男が欠伸をしつつグラスを磨いていた。
身長は175cm程度、短髪で痩せ型だがひょろりとした感じではなく、趣味でスポーツでもしているのか肩周りから胸まで意外とがっしりとした体つきをしている。
「あ~、今日もヒマだったなぁ~。こんな時間じゃもう客も来ないだろうし、そろそろ閉めるか……」
男が閉店作業に入ろうとしたとき、ドアベルの音と共にドアが開いた。
「いらっしゃいま、せ……」
カウンターの男は入ってきた客の胡散臭さに思わず語尾は切れ、客向けの笑顔が固まってしまう。
入ってきた方も入ってきた姿勢のまま男の顔を数秒間見つめるが、やがてパッと笑顔になって近づき彼を指差して口を開いた。
「あ~! お前、水瀬、水瀬 一燈だろ? 久しぶりだなぁ。俺だよ、憶えていないか? 高校・大学で一緒だった、火置 映二だよ。それとももう10年も前の事だから忘れたか?」
「火置? 火置 映二……、あ~火置、おまえ火置かぁ、久しぶりだなぁ。そうかぁもうあれから10年経つのかぁ。こんなところまでよく来たな、まぁゆっくりしてってくれ」
最初は名前を聞いても訝しげな顔を崩さなかった水瀬だったが、その名前を口の中で転がすうちに記憶の中に浮かんできたのかだんだん明るい笑顔になり、カウンター越しに握手を交わし、席を勧めた。
「ずっと歩いてきて疲れたろう」
水瀬は火置が止まり木に座ると、グラスに冷水を入れ彼の前に置いた。
「ありがとう」
火置はグラスを受け取るとゴクゴクと水を飲み始めた。そして彼が一息ついたところを見計らい水瀬が声を掛ける。
「ところで火置よこんな時分に何しに来たんだ、まさか旧交を温めるためだけに来たわけじゃあるまい?」
「うんまぁ、実はこの町に用があってな、お前に会いに来たのはそのついでってやつさ。少し前、お前に会いにお前の実家へ行ったら、お前のおっ母さんがここに居ると言って地図まで書いてくれたんでな、それじゃこの町に来たついでにちょっと会っていこうかと思ってよ」
「ふうん。でもまぁ、ついででも来てくれて嬉しいよ」
水瀬は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。しかし火置はそれに気付かず話を続ける。
「それといきなりで悪いが、今夜だけお前ん家に泊めてくれないか? この辺りは全然わからなくてな」
「ああいいよ、どうせ部屋は余っているから。あとで案内するよ。っとその前に」
本当にいきなりな話だったが、水瀬は嫌な顔一つせずに承諾する。それからカウンター下の冷蔵庫から缶ビール(500ml)を2缶取り出し、1缶を火置に渡した。
「やっぱ俺達の間っちゃ~、これでしょ~。 んじゃそういうことで、乾杯!」
「ああ、10年ぶりの再会に乾杯!」
ビールを酌み交わしながら二人は、10年前に戻ったような空気を感じていた。
「家に案内する前に店を閉めるから、ちょっと待っててくれ」
「そうか。んじゃ、俺も手伝おう」
二人が何本かビールを開けた後、水瀬が店の片付けをし始めたので火置も作業を手伝った。
自宅は意外な程近くバーのすぐ裏手にあった。こじんまりとした2階建ての家で、横に建っているホールと合わせて見るとなぜかちょっとした違和感を火置は感じていた。
「ちょっと待っててくれ」
自宅に着くと水瀬は火置を玄関先で待たせ、鍵を開け中に入っていく。
火置が家の方をぼんやり見ていると、玄関から見て左の窓から廊下、土間、外灯の順で明かりが灯ると、最後に水瀬が扉を開けて出てきた。
「ようこそ我が家へ、何もないがどうぞ入ってくれ」
「ああ、おじゃまします」
家に入るとすぐ右が靴箱、廊下に上がってすぐ右側に2階への階段がある。階段の下は物を置くスペースになっていて、ほうきやら掃除機が置かれていた。廊下を突き当たると何かの部屋がありそうだが、廊下の端は暗くてよく見えなかった。
「とりあえず、こっちの部屋に入って適当に座っててくれ」
水瀬に促され廊下の左側にある部屋に入ると、部屋の真ん中に長方形のガラステーブルと長辺を挟み込むように2人掛けのソファーが2つ置かれていて、短辺の方にはソファーと同じ素材の1人用の椅子が両辺に2個ずつ置いてあった。
さすがに今日は火置も疲れていたのか、部屋に入るとすぐに一番近くにあったソファーに座る。
「寝室を準備してくるから、ちょっと待っててくれ。それとも、もう1杯やるかい?」
「いや、今日はもういい。あ、それじゃ水をもらえないか」
「ん、わかった。先に水を入れてくる」
と言いながら水瀬が奥の部屋に入っていく、どうも廊下の左側の端は台所のようだ。
すぐに水瀬が大ぶりのグラスに水を入れて戻ってきて、火置に差し出した。
「ほい、どうぞ」
「ん、ありがとう」
グラスを受け取った火置は一気にグラスの水を飲み干す。
「あ~、なんかスッとしたぜ~」
「そうか、それはよかった。まだ飲みたかったら冷蔵庫に入っているから、自分で入れに行ってくれ」
水瀬は火置に台所の位置を教えると、寝室の準備をするために部屋を出て行った。
水瀬が寝室の準備を終えて居間に戻ってくると、火置がソファーでうとうとしていた。
「寝室の準備ができたからこっちに来てくれ」
水瀬は火置を起こし2階へと連れて行く。
2階に上がるとそこから家の端まで廊下が続いていて、廊下に向いて右手には壁が端まで続き、左手は障子状で下部に高さ20cmほどのガラスがはめ込まれた4枚引き戸になっていた。
右側の壁はよく見ると、中央に柱が入っていてそれを挟むように左右に引き戸が入っていた。右手には部屋が二つあるということらしい。
「お前は手前の方の部屋を使ってくれ、俺は奥の部屋にいるから用があったら来ればいい。ああ、壁を叩いて呼んでくれてもいいぞ、部屋の間の壁は薄いからな。んじゃ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
挨拶をしながら水瀬が奥の扉へ入っていくと、火置も返事をしてあてがわれた部屋に入っていった。
火置が引き戸を開け中に入ると、そこは6畳の和室で入って右の壁側が押入れになっていて、まっすぐ突き当たれば窓になっていた。窓は下から30cmくらいの高さから天井近くまであった、しかし窓にはカーテンがかかっていた為、外がどうなっているかはわからない。
窓の外を覗いてみようかと思ったが、さすがに疲れていたのでまぁあれもこれも明日でいいだろうと思い、持ってきていた寝間着に着替えて敷かれたあった布団に入った。
翌朝、水瀬が起床して下に降りると台所からいい匂いが漂ってきた。匂いに釣られて台所を覗くと、火置が既に起きていて朝食を作っていた。
「おう、起きたか。一宿の恩義ってわけでもないけどな、腹も減ったんで勝手に作らせてもらったよ」
台所のテーブルには目玉焼きが2皿と大根の漬物があり、目玉焼きの横にはキャベツの千切りが一掴みほど乗っていた。
「味噌汁とご飯もあるけど、食べるときに入れるからよ。とりあえず、顔洗ってこいよ」
背中からの声に押されるように洗面所に行く水瀬、洗面所は廊下に出て左へ向いて突き当りにある。ちなみに洗面所の奥は風呂場になっている。
水瀬が顔を洗って台所に戻ると、テーブルにはわかめの味噌汁とご飯が湯気を立てて待っていた。
「お、ちょっとは見られる顔になったな。それじゃ食おうか」
「て、あのなぁ、今のお前にその台詞だけは言われたくないぞ。ま、今回は朝飯を作ってくれたから、これ以上は突っ込まないでおいてやる」
二人は冗談とも本気とも取れるような軽い掛け合いをすると、どちらかともなく『いただきます』と手を合わせ食べ始めた。
「おお、この目玉焼き、黄身の半熟具合が絶妙だな~、塩加減もいいし。キャベツもシャキシャキして旨い」
「黄身を少しつぶしてな、しょうゆかウスターソースをかけてもおいしいぜ。ちなみに黄身には塩はあまりかけてないからな」
「このわかめの味噌汁もなかなか、う~むやっぱ日本の朝は味噌汁とご飯だねぇ。あれ、そういえばウチに味噌やわかめなんてあったっけか」
「ああ、冷蔵庫の中にあったぜ。味噌は消費期限はまだ過ぎてなかったし、わかめは特に臭いもなく使えそうだから使わせてもらったよ。ところで、人ん家の食材勝手に使って言う台詞じゃないけど水瀬よ、お前ちゃんとメシ食ってる?」
「ああ、一応は……」
先程まで上機嫌で食べていたところへ、突然の質問に水瀬は困惑の表情を見せる。
「メシを作るのに冷蔵庫やら戸棚を見せてもらったけど、何にも無いじゃないか。幸い、玉子と出汁いり味噌とかあったから何とかなったけど。あるのは酒と水と肴だけ、それじゃいつか倒れるぞ」
水瀬の食事情にあれこれとツッコミを入れた火置は、さらにとんでもないことを言い出した。
「ん~、よしわかった、しばらくここの食生活は俺が面倒を見る!」
「え~?!」
食卓に水瀬の叫びが響く。もし並びに家屋が隣接していたら、2、3軒先まで届いたかもしれない。
「って火置、まさかお前ってばそのために来たのか!?」
水瀬は困惑の度合いを深めて火置を見た。
「はぁ? あ、ちがうちがう。本当は一晩だけ泊めてもらって、しばらくは安宿を拠点にして仕事と住居を探すつもりだったんだ。この町なら自分のやりたいことが仕事としてできるかと思って」
水瀬の言葉に火置は慌てて手振り首振りでそれを否定する。その様子に水瀬は、火置の事を少し勘繰りすぎたかと反省しつつ話を続ける。
「しかしまぁ、別に仕事を探すだけなら元いた所でも何かしらあるだろうに。で、結局どんな仕事がしたいんだ?」
「映像制作、最終的には映画を撮る事。まぁさすがにいきなり自分で"映画を撮る"なんて無理に決まっているから、まずは映像作りに関わることをしたいんだ。これでも前は番組制作の会社にいたんだぜ、つっても大手の下請けで社員が俺を含めて4人だけの小さいとこだけどな」
「それがまた何でここへ?」
「勤めていた会社が無くなった」
先程までの調子が嘘のようにトーンを落として一言ポツリと言ってから、少し間を空けて元の調子に戻して話しだした。
「実はさ、社長が心臓の発作で倒れてね。まぁ請け負ってた仕事については段取りが分かっているから社員だけで何とかなったけど、それからしばらくしてその社長が亡くなったんだよ」
そう言って火置は少し悲しそうな顔をした。
話が少し止まったところを見計らって、水瀬が椅子から立つ。
「お茶、入れようか?」
「ああ、頼む」
水瀬は冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出すとグラスに注いで火置に渡し、自分の分も入れるとまた椅子に座った。
「それで仕事が無くなった、と。それで給料とかはきちんと貰えたのか?」
「ああ、というのもずいぶん前から社長が自分に保険を掛けていたらしいんだ。その保険金を半分は奥さんに、残りを経費や借金の支払いに、さらに残った金は社員に均等に割り振るという遺言書までつけてね」
「先見の明があるというか、えらく準備がいいというか……」
「いやまぁ、昔から自分で拵えたドッキリのシナリオに俺達を嵌めてからかうのが趣味の人だったからなぁ、社長が死んだって聞いたとき皆いつものドッキリと思ったよ。でもまさかこんなシナリオになるとは、社長自身もそこまで考えてなかったんじゃないかな」
「一瞬、顔は分からないけど、火置たちを嵌めてカラカラと笑う男の姿が脳裏に浮かんだよ……」
水瀬は火置が居た会社の社長の話に、少しげんなりした顔で感想を漏らす。
「あははは、でも映像を撮ることについては真摯な人だったよ。うちの社長って演出も兼ねてたから、たった何秒かの映像でもとことんこだわって、編集の段階で嫌と言うほどほどダメ出しを食らったこともあるよ。でも、そのおかげで"プロの仕事"というものが分かったような気がするし、よりこの仕事が好きになったしね」
そう言った火置の顔はなんとなく誇らしげだった。
「でもそれだけの情熱を持った人だ、もし自分が倒れても会社を存続させたかったんじゃないかな」
「まぁ本当はさ、俺達の内の誰かに後を続けて欲しかったみたいだけどね。でも俺達、撮影機材を振り回すことはできるけど、さすがに会社を切り盛りすることはね……」
水瀬の言葉に火置は、残念さと諦めが一緒くたになった表情で答えた。
「そうか、まぁ確かに現場作業と経営は似ているようで全く違うからなぁ」
水瀬は自分でも思い当たる節があるかのように視線を下に向け考え込むようなしぐさを見せたが、すぐに火置に視線を戻した。
「あ、それから遺言状には続きがあって、もし社員が誰も会社を継がない場合、機材を全て売り払ってそれで得たお金は全て社員で分けろと書かれてあったんだ。だから、さっきの保険金の割り当て分とこれの分を足すと、だいたい1年分の給料を貰ったことになる」
「なるほど、それだけ貰ってれば人の食生活の面倒を見ようって気にもなるものかな」
さっきより幾分吹っ切れた様子で話す火置に、水瀬は半ば呆れた顔で彼を見つめる。
「そ・う・だ・よ~、今のオイラはリッチマンなのさ~」
火置は水瀬の表情など気付かなかったようにおどけた調子で返すが、水瀬には彼が心の奥で泣いているように見えた。
「まぁ、しばらくはウチに泊まればいいよ。どのみち部屋は空いているからね」
水瀬も火置の調子に合わせるかのように軽い感じで告げた。
食事を終え、水瀬は使った食器を洗いながら火置に話しかける。
「それで、今日はどうするんだ?」
「今日はまず散髪かな。それから東邦駅前の職業安定所へ行って、町をぶらついてから食い物の買出しかな。まぁ、夕方には戻ると思うよ」
「そうか、じゃ帰ってくるまでに合鍵を作っておくよ」
「ああ、じゃ行ってくる」
火置を玄関まで見送った後、階段下の物を置くスペースから掃除機を取り出して掃除を始めた。
自宅の掃除を終えた後、水瀬は"O.S.Tホール"へと向う。
ホールには1日1回は必ず行き、入り口周りを掃除したり、中の通路、ホール内と必ずどこかを手入れしていた。
正面には観音開きのガラスドアが2つ、ドアの右端にはブースのようなものが嵌め込まれてあり外側に向かって窓口らしき小窓がある。
入口右側の壁には館名が書かれている金属プレートが付けられていて、左側には上映・上演予定を示すポスター等を貼るスペースがある。今は予定が決まっていないのか何も張られてはいなかったが。
水瀬はここへ来るとまずプレートに撫でるように触る。何故かは自分でも分かっていないが、気が付くといつも必ず触っていた。
プレートには"O.S.Tホール"の文字の下に小さく"One night Stand Theater"と書かれてあった。
実はこのホール、水瀬の祖父が建てたもので当然その人が名前も付けている。
子供のときは何とも思わなかったのだが、今考えると妙な名前だと思う。辞書的な意味は分かるが、常設されているものに対して付ける名前ではないだろう。
しかし名前の由来を聞こうにもその時既に祖父はもうこの世の人ではなくなっていたし、祖父が亡くなる以前にまさかここを自分が継ぐとは夢にも思っていなかったしで結局わからずじまいだった。
そんなことをぼんやりと考えながら入口周りを掃いていると、背後から声が掛かる。
「あの、すみません、こちらのホールの方ですか?」
振り向くと、ショートカットで20代後半くらいのグレーのスーツを着た女性が立っていた。
「はい、そうですが何か」
最近自分より若い女性と話をしていなかったので、緊張して少し声が上ずってしまったのは秘密だ。
「ここを使いたいのですが、利用方法を教えていただけないでしょうか」
「わかりました、どうぞこちらへ」
水瀬は先に立ってガラス戸を開けると、女性についてくるよう促した。
女性がついてくるのをちらりと確認すると、今度は窓口ブース後ろのドアを開け一度中に入るが、中から明かりが漏れるとすぐに出てきた。
「どうぞこちらへお入りください」
すると女性はちょっと訝しげな表情をした。
狭いブースに連れ込んで何か良からぬことをしようと考えていると思われたのだろうか、その表情を見た水瀬は苦笑しつつ中に入って部屋の中から声をかけた。
「どうぞお入りください、中に応接間がありますので話はそちらで聞きます」
女性は先程より緩んだものの、まだまだ硬めな表情をして中に入っていく。中に入った途端、気恥ずかしげな顔をしつつ水瀬の後ろをついていった。
中に入るとブースの部分は間仕切りになっていて、ブースのすぐ奥には事務机が4台と壁には書庫が並んでいた。さらに左側にも部屋が続いていて、そこに応接間があった。
"応接間"といっても事務室との間に間仕切りを立て、その内側に応接セットを置いただけではあるが。
間仕切りの裏には長さ1m・幅30cmのガラステーブルを挟んで、1人用のソファーが2脚と2人掛けのソファーが1脚あるだけのシンプルな構成だった。
「必要な書類を取ってきますので、そこに掛けてしばらくお待ちください」
水瀬は女性に2人掛けの方を勧めると、必要な書類を取るべく書庫へ向かった。
女性がひまつぶしに部屋の中を眺めていると、水瀬が片手に麦茶の入った大振りのグラスが2つ乗った盆、もう片手にA4サイズの書類封筒を持って戻ってきた。
「どうもお待たせいたしました、こちらが利用申請書類になります。あ、よかったらお茶をどうぞ」
と、女性の前に封筒をテーブルの上に置いてから、盆のグラスの一つをまず女性の前に置き、もう一つを自分の前に置いて女性の向かい側に座る。
しかし、封筒を目の前に置かれた女性は何故か少し困った顔をした。
「あの、こちらの建物は個人の所有物で利用申請については口約束程度で済む、と上司から聞かされていたのですが……」
「あぁ、祖父が運営しているときはそうしていたようですね。あ、申し遅れました、私ここの創設者・水瀬 幻燈の孫で現オーナー兼管理人の水瀬 一燈と申します」
初対面の人間に自己紹介もしていなかったことに気付いた水瀬は、少し慌てた様子で事務机の一つから名刺入れを取ってきて中の1枚を彼女に渡す。
「あ、私の方こそ挨拶が遅くなり申し訳ありません、杵真特殊映像の森と申します」
水瀬の様子に女性もろくに挨拶もしていなかったことに気付き、慌ててスーツから名刺ホルダーを出して彼に渡した。
名刺には"株式会社 杵真特殊映像 映像事業部 営業2課 森 美歩"と書いてあった。
水瀬は名刺と森をちらりと見て、快活そうな感じで"歩"くより"走"るほうが似合うのでは、と思ったがさすがに口にしなかった。
「いやぁ実はですね、祖父が亡くなって僕が受け継いだのですが、赤字が大きすぎて僕の手持ちではとても解消できなくてね。それでどうしようかと市に相談したら、市の文化事業支援制度による補助を受けられるようになりまして。そして補助を受ける条件の一つに市へ事業報告書と申請書の写しを月に1回提出しなければいけない、というのがあるですよ」
「なるほど、それでこの申請書ですか」
ホールの事情を少し恥ずかしげに説明する水瀬に、森は納得したように頷く。
「そうなんですよ、あなたが聡明な方で助かります。ということで、説明を始めさせていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい、どうぞ」
森から了解を得た水瀬は、封筒から書類を取り出すと彼女の方に向けて項目の説明をし始めた。
「まず"映画"、"演劇"、"講演"の目的のところを〇で囲んでください。
次は個人か法人の選択ですが法人の場合、申込人の氏名・住所のほかに社名もしくは組織名とその所在地と連絡先、それから担当部署名および担当員の氏名のおよび連絡先の記入が必要です。あとご希望の利用日と利用期間あるいは利用時間も記入してください」
「担当員が申込人と同一の場合は?」
森は頭の回転が早い方なのか、気になった事項には逐一質問を入れてくる。
「その場合は担当員名の記載は不要です。それと個人でもサークル活動で利用される場合では法人と同じ書き方になりますが、この場合はサークル名だけでもオーケーです。しかし責任者と申込人が違う場合は担当員の項の記入が必要です。あぁそれから施設の利用は、まず申請書が到着後に当方で審査およびスケジュールの確認をいたしましてから利用可能日をそちらに通達し、それから利用可能になります。ですので、申請してから利用可能まで早くて1週間後くらいになると思って下さい」
「わかりました」
「んんっ! ……ゲホッ、ゲホッ!」
水瀬が申請書の説明をスラスラと進める中で、いきなり水瀬が急に咳き込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
森がソファーから腰を上げ心配そうな顔をして水瀬の顔を覗き込むが、水瀬は手のひらを立てて相手の方に向けなんでもないという風にアピールする。
「ん、んんっ。どうも一気に喋ったので少し喉が渇いたようです。すみませんが、ちょっと失礼して……。あ、森さんも温くならない内にどうぞ」
水瀬が喉に染み渡らせるようにゆっくりと麦茶を飲み始めたのを見た森は、心配そうな表情をしつつも上げた腰をまたソファーに下ろす。
「はぁ、ではお言葉に甘えていただきます。あ、おいしいです。は~、やっぱりこの時期は麦茶ですねぇ」
一口飲んだ途端、水瀬を心配していた顔がパッと笑顔になり、大振りのグラスにもかかわらずそのまま一気に飲み干した。
「お、いい飲みっぷりですねぇ、おかわりを入れましょうか?」
森の飲みっぷりに気を良くした水瀬は半ば砕けた感じで声を掛ける。
声を掛けられた森は一瞬さっきと同じ笑顔を見せたが、次の瞬間には恥ずかしそうに下を向いた。
「……すみません、いただきます」
しかし彼女の手はグラスを水瀬の方へ押し出し、俯いた顔からは消え入るような声でおかわりを頼む声がした。
「あははは、どうぞどうぞ。お茶はまだたくさんありますから、いくらでも飲んでってください」
おかわりを入れるべく席を立った水瀬の背中を、森は少し恥ずかしげな表情で見ていた。
程なく戻ってきた水瀬からグラスを受け取った森だが、今度は一気飲みせずゆっくり飲む。
その様子をニコニコと見ていた水瀬だが、相手が一息つくのを見計らい残りの説明をするべく声を掛けた。
「それでは、残りの説明をさせていただいてよろしいですか。といってもあと少しですが」
「あ、はい、どうもすみません。始めてください」
「え~と、あとの欄には題名とあらすじ・出演者やスタッフの名前を書いてもらうのですが、これはここのHPでの予告用や表の掲示板に載せるためのものでして、そちらに宣伝用の資料がありましたらそれを添付していただければ書く必要はありません。それと予告の必要がない場合でも記入の必要はありません。以上ですが、他に何か聞きたいことはありますか?」
「音響設備はどうなっていますか?」
「もともと映画がメインなのでその辺のミニシアターには負けないというものは持っていますが、演劇や講演だと思った様に響かないかもしれませんね。その場合スピーカーの切り替えなどで対応いたしますが、それでもと言われるのであればそちらで用意していただく必要があります」
「わかりました、早速社に戻り必要事項を書いて提出します。ああ、私達でやろうとしているのは映画なのでその辺は大丈夫と思いますよ。お茶、ごちそうさまでした」
と言うなり彼女はグラスの麦茶を一気飲みして立ち上がる。それを見た水瀬も慌てて立ち上がり頭を下げる。
「それではよろしくお願いします。あ、そうだ、申請書を持ってこられてた時ここに誰もいなければ隣に"バーO.S.T"という店がありますので、そちらへ持ってきてください」
「わかりました、それでは失礼いたします」
森はそう言って軽く頭を下げると足早に出て行った。
「やっぱり、"歩"じゃなくて"走"だよなぁ」
立ち去る彼女の後姿を見てポツリと呟き、ふと壁の時計を見ると既に午後3時を回っていた。
「おっと、こりゃいかん。合鍵を作りに行く暇がなくなってしまう」
水瀬はそそくさと部屋を片付け、戸締りをして街に向かった。
時間は火置が水瀬の家を出たあたりまで遡る。
火置は水瀬の家を出た後、まずは散髪をすべく近くの商店街へ行く。商店街に入ってすぐあたりに散髪屋の看板を見つけたのでそこでしてもらうことに決め、店のドアを開けた。
看板には"相羽理髪店"と書いてあった。
「いらっしゃい! どうぞこちらへ」
中に入ると店主らしき中年男性がヒマそうにテレビを見ていたが、火置を見た途端シャキッと立って席に案内する。
店主は火置が席に座るとシーツを掛け、散髪する準備をしながらその合間を縫って火置に話しかけてきた。
「お客さん、あんたこの辺で見ない顔だねぇ、仕事かなんかで来たのかい?」
「とういか、仕事を探しに、かな。友達のところへ一晩だけ泊めてもらって、それから安アパートにでも入って仕事を探すつもりだったんだけれど、成り行きでその友達のところへ居候することになったんですよ」
「その友達ってなぁ、近所の人かい?」
「水瀬って、この辺でバーとか小さい映画館とかやってるとこですけど」
「ああ、あんた一ちゃんの友達かい」
「か、一ちゃん? ああ、あいつの名が一燈だからか。はい、彼とは高校からの付き合いなんですよ」
「そうなんだ。俺はあの子のこと、小学生の時分から知っているんだよ。夏休みなんかにこっちで散髪するときはいつでもうちに来てくれてね、『これから、じいちゃんに映画、見せてもらうんだ』とはしゃいでいたこともあったっけ」
「あいつの映画好きはここから始まったわけですか……」
「あれからもう20年以上経つのか……。月日の経つのは早いもんだなぁ、俺の頭にも白いのが混じるわけだ。っと、昔話をしている場合じゃないな、それで兄ちゃんどんな髪型にすればいいのかい?」
髪型を注文すると店主は熟練の動作で散髪を始めたが、その間も水瀬やこの町の話を延々聞かされた。
散髪が終わったあと火置は料金を払おうとしたが、店主が提示した金額が料金よりも安いことに気付き店主に聞いた。
「おじさん、この金額ってちょっと安いんじゃないですか?」
「一ちゃんの友達だしな。まぁ、洗髪代をサービスってとこだな」
店主はどうやら水瀬の友人ということでいくらか値引きしたようだったが、いくらそうとはいえ初対面の人間にそんな事をしてもらうのはさすがに気が引けたのでもう一度聞いてみた。
「本当にいいんですか?」
「ああ、しばらくはこの町に住むんだろ? だったらこれからもウチで散髪してくれりゃ、それでチャラさ」
「どうもすみません、ありがとうございます。では、また寄らせてもらいます」
「おう、いつでも寄ってくれ。それと一ちゃんにもよろしくな」
「はい」
火置は店主の心遣いに頭を下げ、散髪代を払って店を出た。
理髪店を出た火置は、駅への道を町中を眺めながら歩いていく。
この町は杵真市の中では小さい方の町なのに、現在夏休みの最中からなのかそこかしこで上映会が行われていた。
町内会で子供向けにはアニメや特撮などを、大人向けとして昔の洋画・邦画を上映し、企業や学校ではそれぞれが撮影した自主制作映画を一般公開していた。
「さすが、かつては"映画都市"と呼ばれていただけあるなぁ、後で時間作って寄ってみるかな」
火置は街中に点在する上映会場を横目に見つつ、楽しげな足取りで駅へ向かった。
東邦町は粒羅屋町から電車で2駅先にあり、杵真市の官公庁街で職業安定所もこの町にある。
あとこの町には市内で随一の病院もあり、この都市の病院らしく施設の中に患者のためのミニシアター(収容人員150人程度)があり、患者以外でも一定料金を払えば入館できるようになっている(患者は入院証明書を持っていれば無料)。
火置は職業安定所にて仕事を探したが、現在これといって自分のやりたい方面での求人がなかったようでものの一時間も経たずに外に出た。
思いのほか時間が余った火置だったが、職業安定所へ行く途中に見た病院にミニシアターが併設されていることを思い出し、病院に向う。
が、しかし病院に行ってみると、"本日は機械の故障の為、全ての上映を中止いたします"との張り紙が張ってあった。
「え~マジかよ~、でもまぁ機械の故障じゃしゃ~ね~か。そういやあっちでも何か色々やってたなぁ、んじゃあっちへ戻ってから見るか……」
張り紙の前で残念そうに呟いていたが、すぐに気持ちを切り替えて駅に向かって足早に歩いていった。
粒羅屋町に戻ってきた火置であったが、どこで何を上映しているかといったスケジュールを全く把握していなかったため、とりあえず町をぶらついて最初に当たった場所で見ていこうと決めた。
しばらくぶらついていると、学校らしき建物が見えてきた。
火置自身はこの町の出身ではないが、なんとなく校舎の造りが自分が出た高校に似ていたため、懐かしさと親近感を覚えて正門前まで行ってみようと思い立つ。
正門まで行ってみると門柱には"県立杵真西高等学校"と書かれていて、半分閉まった門扉に立て看板が掛かっている。
立て看板にはこの学校の映像研究部・文芸部・演劇部が合同で制作した映画の上映会が行われている旨が書いてあり、スケジュールを確認するとあと15分くらいで次の上映が始まるというのでちょいと覗いてみるかと中に入っていった。
会場になっている体育館へ行くと、入り口の前にテントを張って部員らしき男女がパンフレットを配っていて、思っていたよりも人が集まっていた。
その中には生徒およびその保護者であろう人達以外に、学校とは関係なさそうな一般市民も何人か混じっているようだった。
火置も入場者の列に並びパンフレットを受け取る。
タイトルを見ると「空想科学映画 エンジェルフォース ~天使の猫っかぶり~」と書かれていた。
ページをめくると、
シナリオ:杵真西高校 文芸部
撮影 : 同 映像研究部
出演 : 同 演劇部
特撮協力:㈱ 杵真特殊映像
と書かれてあった。
「お、特撮にあそこが一枚噛んでるのか、こりゃ期待できそうだな。早く始まんねぇかなぁ」
スタッフリストの中に"㈱ 杵真特殊映像"と書いてあるのを見た火置は期待に胸を膨らませていた。
この火置、実は特撮ファンで、いつかは撮りたい映画の一つが特撮を使ったアクションだった。
適当に空いている席を見つけ腰を下ろしパンフレットを眺めていると、体育館内にまもなく上映を開始する旨の放送が流れ館内の照明が消えていく。
オーケストラっぽいBGMが流れ出し、スクリーンいっぱいにタイトルが映った。
一般映画ならスクリーンの右端に"映倫"と出ているところに"杵倫"と出ていたのには思わず笑ってしまった。無論、上映中なので声は出さなかったが。
あらすじは、完全な球形の白い魂を持つ少女を護るため天界から降りてきた一人の天使が、彼女の魂を歪ませる、あるいは完全に反転させることを目的として少女に害を為そうとする者達より人知れず護り戦うというものだ。
いきなり戦闘から始まり、敵を退けるもののほとんど動けないくらいに傷ついた天使が護衛対象の少女に拾われて物語が動き出す。
護衛する天使は現界に下りる際、対象の身近にいる小動物の形をした模造体に心身を移し、対象やその周りの人間達に怪しまれないよう護衛している。
そして猫の姿をした天使は、少女の家で飼い猫として暮らし始める。
最初は労せずして対象を密着護衛できると任務の難易度が下がったことに喜んでいたが、少女やその家族、少女の友人達とふれあう内に、やがて少女の家族の一員として現界に留まりたいと思うようになった。
しかし激化する戦闘により刻々と近づく模造体の稼動限界、少女に正体が露見してしまったことによる天界への帰還命令など様々な葛藤が彼女を苛なんでいく。
あと1、2回の戦闘で稼動限界を迎える模造体、帰還命令を拒否したことによる強制送還へのカウントダウン、そして少女の魂の熟成、様々な葛藤と少女への思い、全てを抱えて天使は最後の戦いに赴く。
「まぁ高校生にしてはうまくできてたんじゃないかな、さすがに特撮はプロが関わっているだけ商業作品に近いクオリティを持っていたけど」
と独りごちつつ会場から出ると、この映画のグッズが販売されていた。Tシャツや本編&メイキングDVDセット、設定資料集は言うに及ばず、キャラクターフィギュアまで出ていたのには驚いたが。
「うわ、最近の高校生はすごいな。こんな物まで出すとは……」
何か買おうかどうしようかと迷ったが、結局あとで水瀬にも見せようと思いDVDセットを買った。1セット1000円だった。
学校を出てふと腕時計を見ると、そろそろ午後5時になろうかというところだった。
「んじゃ、そろそろ晩飯の材料でも買いに行きますかね。さて、なににすっかな~」
今日の晩御飯のメニューを考えながら、商店街へと歩いていった。
火置は商店街にある食品スーパーで、今晩のメニューに必要な食材を買物かごに入れていく。
「そうだなぁ今朝のキャベツもまだ残っていたし、あいつは今日も店を開けるだろうから、トンカツでも揚げとくか」
豚ロース・小麦粉・パン粉、それから玉子、はあるからいいか、あと付け合せにじゃかいもも使おうか、などと一人ぶつぶつ言いながら食材を選んでいった。
買い物を終え、家の鍵を受け取るべく火置は"バー O.S.T"へ向かう。
バーの中では水瀬が黙々とグラスやバックバーの酒瓶を磨いていたが、ドアベルの音がすると一旦手を止めて入り口のほうへ目を向けた。
「ただいま、水瀬、家の鍵貸してくんねぇか? 今日の晩飯はトンカツを揚げておくからよ、店が終わってからでも食ってくれ」
火置は声を掛けても何の反応も起こさないことに眉をひそめて水瀬を見ると、何を言っているんだこいつは? といった目で彼が自分を見ていることに気付く。
そして、水瀬が口を開いた。
「あんた、誰?」
「え?」
いきなりの事に火置は、思わず両手にぶら下げていた買い物袋を落としてしまった。