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透明な毒

作者: 塀野 実亜

 諸井アンナはガキ大将だった。

 賢く勉強ができ、家は有名な医者、容姿にも恵まれているとなれば、黙っていても目立つ。さらに、そこそこ人望もあったので、自然と人が集まってきた。


 そんなわけで、アンナはいつもクラスの中心人物だった。

 子どもにありがちなように、弱い子、汚い子、幼い子をいじめてしまうような残酷な面もないではなかったが、アンナは見て見ぬふりは決してしなかった。要するに、積極的にいじめるか、はっきりかばうかのどちらかだったのである。そのどちらをするかは、ごく個人的な好意の有無とその場の機嫌の良し悪しに左右されてしまうのは幼さの所以だ。


 それは小学校の前半がもうすぐ終わりの三年生のころだった。ようやく背丈に見合うようになってきたランドセルをロッカーから運び出したとき、アンナは声をかけられた。そこそこ仲はいいが、少し遠いところに住んでいる子だ。


「ねえアンナさん、今日あたしたちのところに遊びに来ない?」


 がらっぱちともいえる公立の小学校では、名前にさん付けをするのはあまり一般的なことではない。

 有名な医者の娘という生まれつきの肩書と雰囲気がそうさせるのか、アンナだけはそう呼ばれていた。

 アンナは別段そのことに不満はなかったのだけれども、最近見たやくざものだかなんだかの映画で、一番の美人で一番強い女性が「アネサン」と呼ばれているのを見てからは、その響きに少しだけあこがれている。もちろん、これは秘密だ。


 いつも一緒にいるグループの子たちではないせいか、彼女は少し肩をこわばらせている。

 アンナは愛想よくほほ笑んだ。


「うん。家帰って着替えたらすぐ行くよ、華ちゃん。他に誰かさそう?」


 ぱっと目を彼女は、華子は輝かせていった。


「もう、さそってあるの。隣の美帆ちゃんと、それから亜紀ちゃん」


「亜紀ちゃんって前同じクラスだった……華ちゃんの家の近くに住んでたの?」


「うん。隣の隣。同じアパートなの」


「へえ、みんな同じ階なんだ」


「そうそう、1階」


 ふうん、とつぶやきながらアンナは自分の机に座った。

 でん、と小さな机にランドセルをのせる。いつも通り、その中に机の中身を取り出して、教科書やノートを入れていく。


 先生が帰りの会をはじめたので、アンナは手を止めた。


 ぼうっとしているうちに終わり、いつも通りランドセルを背負い、学校から家へ向かう。家に帰るときは近所の友達と一緒だ。大した距離でもないので、特にそれは重要なことでもなかったのだが。

 いつも通り、家が一番近い友達と通学路へと踏み出した。

 季節は夏、母に持たされたつばの広い麦わら帽子を目深にかぶった。頭は熱いが、代わりに顔が少しだけすずしくなる。


「今日、遊ぶ?」


「華ちゃんとか亜紀ちゃんと約束しちゃった」


「そっかあ残念」


「千沙子も来たら」


「えー誘われてないし」


「大丈夫だって」


 千沙子は家族と言っていいほど、長い付き合いだった。二学期から遠方に転校することが決まってしまい、少しお互いに感傷的になっていたところがある。


「じゃあ行こうかな。待ち合わせどうする?」


「あたしが行く」


「よろしく」


 ふふ、と軽く笑いあう。千沙子が行っても、きっと、華子や亜紀は嫌な顔なんてしないだろう。


「あ、あのっ、諸井さーん」


 後ろから、小さい声が追っかけてきた。いつもの子、透子だ。駆け寄ったあと、歩幅を縮めてわざとパタパタ音を立てながらすりより、身をかがめて上目使いで見上げてくる。


「あ、あのう……いっしょに帰っても、いいですか?」


 この子のこういうところが、嫌いだ。動きの一つ一つがぎこちなくてわざとらしくて。同い年なのに、自分から線を引いて、ずうっと下から見上げてどうするの。

 アンナがむっとした顔をするので、ますますその子は委縮した。アンナ自身、その顔がどれだけ人を拒絶するものか、残酷なものか知る由はなかった。そんなひどい顔をしている時、相手の瞳の中の自分の姿を知ることなど不可能なのだから。


 それでも、彼女をいじめることはしない。主義に反する。その主義、とやらが何なのかまだ分かってはいないけれども。


「……いいよ。ついてきなよ」


 どれだけ居丈高に聞こえたか。

 千沙子は心配そうにため息をついた。

 それでも、その子は、少し安心したように笑った。まわりに同学年の子がいるのに一人で帰っていると、どうしてもさみしくなるのだ。母親も心配する。お情けであっても、独りよりましだ。


「じゃあ、またあとでね」


 まず、透子と、それから千沙子とも彼女の家の前で手をふってわかれる。


 傾斜の少しきつい坂を上り、アンナは自分の家に着いた。さっとお気に入りのワンピースとサンダルに履き替えて家を出る。伝言のホワイトボードに行先を書くのは、字が書けるようになってからの習慣だ。書いてから、そういえば今日はお母さん準夜勤だから書いても意味がなかったなあと気付く。

 坂を駆け下り、千沙子を迎えて、華子たちの住むアパートへ行った。大きな団地のようになっているので、公園のなかにシーソーや一人で乗るブランコなどがあるのがうらやましい。


「千沙子も呼んじゃったけど、いい?」


 一応、華子たちに遠慮する口ぶり。

 残念なような、安心したような、複雑な顔をおりまぜながら、美帆が答えた。


「いいよ、人数多い方が楽しいしさ。それに」


 目で、近くにいた2年生の男の子たち3人を指した。遊ぼう、と言われたら、あんまり邪険にできないらしい。

 なんだか子供じみているなあ、と子供なのに思いつつ、それでもちゃっかりとおにごっことかくれんぼを楽しんだ。

 子供なのだから、あたりまえだ。


 一区切りついてから、華子が言った。


「そろそろ、あたしたち家で遊ぶから。みんな、またね」


 そういって、華子のアパートに5人で行った。


 こんな人数で遊ぶのは、久しぶりだ。こうして外遊びをするのも新鮮で、さわやかな気分になった。

 アパートに向かって歩く。緑色の風がふわりと頬をかすめた。


 と、少し珍しい物をみた。アパートの階段の入り口で。


「あそこ、なんであんな鍵かけてるの?」


 千沙子がだしぬけに言った。

 アパートの入り口のポスト、その階段から上る部屋の郵便ポストが集まっているところに、二つだけ南京錠がかけてあったのだ。

 そう、1階の住人分だけ。


「あれ、あたしの家と美帆のところなの。最近、よく手紙とかが全部捨てられてるんだ」


 華子が怒って言った。


「えっ」


「4,5回やられて。それも、1階に住んでるあたしたちだけ。誰が何のためにやってるのか全然分からないけど、何度かお父さん宛にきた大事な手紙なんかもそうされて、困ったから鍵をつけたの。美帆のお母さんが近くのお店で買ってきてくれて」


「そうそう。でもよかったよね、昔の友だちが送ってくれた手紙とか、そういうのは来てなかったから」


 確かに、手書きの世界に一通しかない大切な手紙を破られたら、痛いなんてものじゃない。


 華子が家の鍵をあけた。

 階段を5段ほどあがり、おじゃましますといいながら、部屋にかけてあるのれんをくぐる。独特のにおいが鼻をつく。いわゆる他人の家のにおい、だ。


「……うちもされた」


 最後尾でもぞもぞと靴を脱ぎながら口を開いたのは、黙って聞いていた亜紀だった。


「えっ、そんなこと今まで言ってなかったじゃない」


 亜紀は同じアパートではあるのだが、隣の隣なので、違う階段を上るから、ポストの位置も違う。


「まさか、二人もやられてるとは思わなくて。いったい、だれが」


「鍵は、つけた?」


「つけた。1週間くらい前かな。お母さんが買ってきてたから」


 それでもなお、亜紀は不審げな顔をしている。


 亜紀ちゃん、もしかして、2人を疑ってたの?


 アンナはその言葉を飲み込んだ。亜紀はおとなしいタイプなので、活発でわがままなところがある華子や美帆とは、いささか距離をおいていたのかもしれない。

 その代わりに、アンナは言った。


「鍵を付けてからは、まったくやられてないの?」


「いや、たまにある。大きくて郵便受けか手を突っ込んだら出せそうなの」


 答えたのは美帆だった。そうそう、と華子も頷いた。


「なんていうか、執念深いね」

 

 千沙子が同情するみたいに言った。


「大きかったら破るのも大変。なのにご丁寧にちぎって捨ててるの」


 いらいらしながら言う華子に、亜紀はうなづきながら、


「見つかったら大事になるのにさ、なんでそんなことするんだろ」


「わけわかんないね」


 千沙子も調子を合わせる。わらわらと、華子の部屋の畳の上に座り込んだ。ひんやりした感触が心地よい。


「わけがわかるような人ならしないって」


 美帆がむっとした顔をしながら答えた。本当は千沙子が来たことが気に食わないのかもしれない。


「変な人がいるんだね」


 亜紀が、口をとがらせて、腕組みをして言った。いつもあまり感情を表に出さない彼女にしては珍しい。


「絶対そう」


 美帆はまた強く言った。


「もしかしたら、盗む人とちぎる人で分担してるのかも。怪しまれないようにとか見つからないようにとか考えて」


 華子が台所からジュースを持ってきながら言った。コーラとお茶とオレンジジュース、どれにする? と聞かれ、各々が好きなものを頼む。

 アンナと千沙子も持ってきたお菓子を手提げ袋から取り出して、あけた。


「ちょっと、これ! お父さんがビールのみながら食べてるやつ」


 美帆が声をあげて笑った。 


「さきいか、おいしいでしょ。みんな好きよね?」


 お酒のつまみだということなんて、とっくに知っているが、あえてとぼけた顔をして言い放つ。誰も何も言わないので、アンナは続けた。


「もしかして、食べたことない? お酒はさすがに早すぎるけど、別におつまみを食べるのはオッケーでしょ。お酒入ってないし」


 家におかしの買い置きが、特にこういう時に持って行きやすいような手ごろなのがなかったということは伏せておく。

 アンナのその顔は妙に自信たっぷりで、その場の常識を軽く覆した。

 好奇心とも相まって、みんな積極的に手を伸ばす。


「へえ、食べたことなかったけど、おいしいなら」


「あ、ほんとだ、おいしい」


「今度お父さんからもらっちゃお」


 雰囲気に流されたのか、何なのかは分からないが、千沙子が持ってきたパイの実同様さきいかも無くなるのは早かった。

 将来はみんな大酒呑みだな、と大人が見たら言うだろう。

 外には、さっき遊んでいた子たちが勢いよくブランコをこいでいた。人数はさっきとかわらない。

 いや、一人だけ増えていた。年は分からないが、なんとなく自分たちより下のようだ。一人、砂遊びをしている。

 設備が整っていて広い分、たった4人で独占されている公園はやけに寂しく見えた。まだ5時にもなっていないのに。


「ねえ、このアパートに住んでるあたしたちくらいの子ってあの子たちだけなの?」


 千沙子が問うた。


「ええっと……あの子たちとあともう一人だったと思う。けっこうここ前は子どもたくさん住んでたんだけど、最近出ていく人が多くて」


「ちょっと前までは、5年生6年生もいたのに、去年みんな引っ越しちゃったの」


 子どもが大きくなるとアパートでは手狭だから引っ越す。よくある話だ。


「あの、さっきはいなかった子は? おかっぱで、砂遊びしてる子」


「えっと……ああ、咲樹ちゃんだ。去年越してきたの。他の子たちの中に入らないのかな」


「いっしょにあそべばいいのに」


「ブランコ怖くて苦手なのかもね」


 言ったのは、同じくブランコは苦手な亜紀だった。

 ややあって、アンナが口を開く。


「咲樹ちゃんて、ここのアパートの子? それとも隣の団地?」


「アパート。この上の4階に住んでるの」


「だったら、一緒に学校行かないの? みんなあんまり知らなさそうだけど」


 低学年のうちは少しお姉さんたちと一緒に学校に通うのが普通だ。すると、華子が、


「どっちかっていうと、さっき遊んだあの子たちの方が仲良いみたいだし、ちょっと出るの遅いみたいで。お母さんもあたしたちに頼みに来なかったからさ」


 お腹が膨れると、今度は他のことがしたくなる。華子が折り紙を出してくれたので、みんなで折り紙をしつつ、おしゃべりだ。


「亜紀ちゃん何作ってるの?」


「テント」


「それで完成?」


「ううん、まだ」


「写真立て、に似てない?」


「それの改造版。今考えたの」


 折り紙というのは、変幻自在だ。はさみやのりを使わないというルール、といっても厳密なものではないのだが、一般的にはそれだけで実に色々なものが作れる。途中から折り方を変えただけでも、全く違うものになることもある。


「できた」


「おお」


 確かにそれは、テントに見えた。新しい作品の登場に、感動したわけではないのだが、一応みんなで拍手を送った。この中で、一番折り紙が得意なのは、亜紀だっただろうから。


「いつも最初に折る時さ、今度こそは、って思うんだけどなかなかうまくいかないんだよね」


 華子が眼力で紙がちぎれてしまうんじゃないかと言うほど、ぎいいと角を見ながら最初の一折をした。


「そう。最初は完璧に角と角を合わせようってするんだけど」


 千沙子が言った。その後、華子をからかっているような感じになっていることに気付いて、すこしあたふたするが、それに気づいたのはアンナ一人だった。他の3人は全く気にする風でもない。美帆は少し笑って言った。


「そう。だんだんずれてきて、最後はこうなっちゃう」


 自分の折った鶴の羽先を指差しながら言った。


「あんまりしっかり重ねあわせ過ぎても汚くなったりおりにくくなったりするし」


 アンナが最後の一折を終えて、言った。


「アンナさんの鶴、きれい」


 もともと手先が器用なのもあってか、アンナは折り紙が好きでない割に得意だった。ちょうどよく、重ねあわせることができるのだ。

 羽はきれいに伸び、先はとがっている。お手本のようだった。

 褒められてすこし得意になるが、アンナはあえて普通を装った。


「鶴は、よく折るから」


 大方、千羽鶴の手伝いでもしているのかな、と千沙子はあたりを付けた。実際は、アンナはただその時うまく折れたというだけだったのだが。


「こんなに何人もで折り紙するってあんまりないよね。そろそろ別のことしない?」


 華子は、あまり折り紙が好きでないらしい。確かに、彼女なら家の中で折り紙やあやとりをしているより、暑かろうが寒かろうが、外で缶けりの方が似合っている。


「え、ちょっと、あたしまだ二つ目折り中なんだけど」


「あたしも、もう一つおりたいな」


 亜紀と美帆が華子を遠慮なく遮った。不服そうな顔をしたが、仕方なく従った。


「華ちゃん、次何折る?」


 千沙子が次は何を折ろうかなと思案しているときに、華子が新しく折り始めた。


「何折ってるでしょう?」


 赤い折り紙を丁寧に四角くたたんだ。


「鶴?」


「あたり。なんでわかったの?」


「テレパシーかなんかかなー?」


 なんだかアンナに負けたくないみたいに見えたから、とはさすがに言えない。


「山カンでしょ」


 アンナがぬけぬけと言った。本当は華子がアンナに対抗意識めいたものを向けて同じものを作ろうとしていたことくらいお見通しだろうに。

 なんとなく、千沙子も鶴を折りだした。美帆も、レパートリーが少ないのか、真似しており出した。


「あれ、あたしどっかで間違えた……?」


 華子の折り紙を見ると、鶴の手順とは似ても似つかないものにはなっている。


「ちょっと途中まで戻してみて」


「うん」


 亜紀が先生みたいになって言った。ひとつ、ふたつ戻した後、亜紀は残念そうにつぶやいた。


「華ちゃん、これ全然違うよ」


「えっ」


「大丈夫、途中まで戻れば。それとも、違うの作る? 朝顔ならそこからすぐ作れそうだけど」 


「いや、鶴がいい。羽が動くやつ」


「わかった」


 亜紀ちゃん先生に教わって、何とか華子も鶴を全部折ることができた。

 恥ずかしそうで、千沙子は何となくいたたまれなくなる。と、アンナがふわりと笑った。


「羽の先、きれいにとんがったね」


 失敗の仕方が良くて鶴を折る時に折りやすいような折れ目がついていたせいか、亜紀の先生の仕方がよかったのか、確かに華子の鶴は綺麗だった。

 照れて、華子は頬を紅潮させた。

 素直にありがとう、とは言えないらしい。

 

 おしゃべりは、ところどころで途切れながらも、ゆるゆると続く。

 さぼること前提の、夏休みの宿題の分担。

 最近いきなり髪が黒くなった校長先生。

 好きなお菓子を買ってくれないのをどうやったら買ってくれもらえるようになるか。

 最近見たテレビの感想。

 そして。


「よくさ、本とかアニメとかでさ、少年探偵団ってあるじゃん」


 あたらしく話題を切り出したのは華子だった。


「あるある。ほんとは、実際は全然ないのにさ」


見かけほど夢見がちなタイプじゃないんだな、とアンナは亜紀のことを意外に思った。


「……でも、あったらいいのにって思わない?」


 美帆が笑い出した。


「え、あたしたちでするの? 少年探偵団ならぬ少女探偵団、団長は華ちゃん?」


「やってもいいけど、絶対だれもたのみにこないよねー」


 リアリストなことを言ったのはやはり亜紀だった。

仲良し3人組のポジショニングがだんだんと分かってくる。リーダーになりたいのになれない華子、リーダーをするのが得意な美帆、実は一目置かれている亜紀。


「ちがうちがう」


 若干気まずそうな顔をして、華子は頭をふった。


「誰かに、例の、手紙のことを解決してもらえればいいのにって思って」


「犯人さがすってこと? 無理でしょ。このあたりに何人住んでると思ってるの」


 ハナからあきらめているのは美帆だ。


「そうだけどさ、ポストの中身を回収するたびに鍵を付け直すのって面倒くさいじゃん。悪いのは破る人なのに、こっちが対策だけしなきゃいけないのっておかしい。ふごうりだ!」


 確かに、そのとおりだ。犯罪をしておいて、何の罰も受けないのは間違っているし、不合理だ。

 アンナは興味をひかれたが、他はみんなあきらめ半分だ。そのことにはかかわらず、のんびりと、亜紀は言葉の意味を聞いた。


「ふごうりって?」


「んーよくわかんないけどむかつくってこと」


 まったくもって不合理な答え。亜紀は首をかしげた。それには構わず、美帆は笑って言った。


「こういう場合さ、推理物とかだったりしたら、身近なだれかが犯人だよね」


「お話だったらそれこそ、あたしや千沙子になるかもしれないね」


 アンナは軽く茶化した。


「だけど残念ながら、お話じゃないんだよね」


 千沙子が苦笑しながら言った。お話だったら、登場人物にしか犯人が限られないのだがら、一人一人の動きを時系列で丹念に追っておけば犯人が誰かというのは分かることも多いのだ。それでわからなければ、不自然な状況か何かがあって、そこからアリバイ工作を見抜けばいい。

 現実は違う。何にも関係のない人がやったかもしれないし、そうでないかもしれない。偶然だって左右する。とりあえず、自分以外のだれかだということしか分からない。

 と、華子がくすりと笑った。


「お話だったらどうなるかな」


 美帆がきょとんとした。


「良いこと思いつーいた! 別に本当じゃなくてもいいから、面白い理由と犯人を見つけられた人が勝ちっていうゲームをするのはどう? 面白そうじゃない?」


 華子が少々調子に乗って解説した。

 気づいて、美帆はにんまりした。顔を見たところ、どうやら、亜紀もある程度このゲームに乗り気になったようだ。

 いたずらのせいでいたずらにしょぼくれたり怒ったりするよりも、むしろこれを種に思い切り楽しんでしまおう。面白い話を積極的に作ってしまおう。

 なかなか、気の利いた発想だ。


「じゃあ、まずあったことを整理しないとね」


 いくら面白さを追求するとはいえ、辻褄が合わなければ、理由にならない。

 美帆が勝手知ったると言わんばかりに華子の家の広告の裏紙とペンを持ってきた。


「あたしの家と美帆の家が最初にやられたのは同時くらいだったよね」


 華子が主導権を握られるのを嫌がったのか、まず最初に紙に書き込んだ。


   5月 101号と102号室のポストにはいった手紙破られる


「亜紀ちゃんはいつごろが初めてだったの?」


「たぶん、6月の終わりくらいだったと思う」


   6月 104号室のポストの手紙も破られる


 被害にあっているのは、自分たち本人というよりも、自分たちとそれぞれの家族なので、ごく中立的に部屋番号で起こったことは書いていく。


「破られたものの共通点は? 広告みたいなのは破ってないとか。手紙の代わりにごみをいれてあるとか」


 千沙子がパズルでも解くような顔をしながら言った。


「広告でも、何でも破ってる。さすがに、紙一枚で入ってるチラシはやぶってなかったけど。変なものが入れられてることはないよ」


「嫌がらせだね」


「どう考えたってそうでしょ。嫌がらせのためにお金を使ったりはしないみたいだけど」


 美帆が大げさにため息をつきながらいった。

 こほん、ともったいつけて、話をふる。


「じゃあ、犯人はどなただと思いますか華子探偵?」


「ううーん、1階で唯一破られていない103の住人、というのはどうでしょう、皆さん」


 あごをしゃくりながら、華子は芝居がかった声で答えた。


「103の人ってどんな人だったっけ」


「確か、単身赴任の男の人」


 向かいに住む亜紀が答える。もう飽きてしまったようで、亜紀はまだ手元にあった折り紙でまた何かを作り始めた。

 千沙子もそれにならいつつ、疑問を投げかける。


「ちょっとおかしくない? 103の人って、104と同じ階段を上るから、101や102に行くのはちょっと面倒くさいじゃん。破るなら見つからないように家から近い104のポストが真っ先に狙われそうなものだけど」


「104から狙ったら、自分が最初に疑われるって思ったんじゃない?」


 自分の説を否定され、華子は少々むきになった。


「でも、結局104のも破ってるんでしょ? このアパートの1階って101から104までしかないよね? だったら、103の人だけ破られないとなると、103だけ疑ってくださいって言ってるようなものじゃん」


 千沙子もまけじと自説を主張する。


「うるさいのが、原因だったとか」


 華子はなおもくいさがった。


「103の隣は102でしょ? 階段は違うけど、壁一枚で繋がってる。104の亜紀ちゃんの家より、102のあたしの家の方がうるさいでしょ。だから腹いせにあたしのところから、102から破った。101はとばっちり。ついでにあたしと仲いい美帆も目障りだからってやぶったんじゃない? ポストも隣だし」


 なめらかに舌が動いているのを見るに、彼女は何度も何度も考えた末に今これを言っているようだ。

 そこで、じっと黙っていた亜紀が、また一つ二艘船を作り終えて、向きなおった。


「じゃあ、一度でも103の人は華ちゃんのところに文句言いに来たりしたの? 人の手紙を破るくらいなら、普通、うるさいから静かにしてほしいって手紙を入れとかするんじゃないかな。あたし、前にそういうことあったよ。それにさ、ポストは1階から5階まで全部同じところにあるから、ついでなんなら、2階の人にもやりそうじゃない? 腹いせするなら1階にこだわる必要ないよね」


「大体こんなわるいことしてたら、警察につかまっちゃうかもしれないよね」


 千沙子が付け加えた。それに、このアパートに住む3人が震えた。自分たちは、案外けっこうな事件の被害者なのではないかと。いち早く立ち直ったのは、美帆だった。


「とにかく、103の人がもし犯人だとするなら、104から始めただろうし、文句があったなら直接言いにきただろうから、103の人が犯人の確率は低いってことね」


「それに、面白い解決でもないし。ゲームとしても、却下」


 想像でしかないが、103は確かに犯人ではないだろう、という空気ができる。もっとも、華子はまだそれに納得いかないようだが。


「何で、1階なんだろね」


 亜紀が言った。言い終わってから、折り紙で作った風船に息をゆっくりと吹き込む。


「1階のポストが一番外側で、大人でもかがむ必要がないからじゃない?」


 美帆が思いつきを口にした。

 階段下にあるため、ポストは高い階のものであればあるほど、頭を低く落とす必要がある。


「てことは、犯人は背の高い大人で、103以外に住んでる人?」


 うーん、と華子がうなった。


「じゃあ、202の人っていうのはどう?」


 ああ、と美帆が手をたたいた。


「確かに、背が高いよね。あの背丈だと、階段下のポストを覗くたびにかなりかがまないといけなさそう」


 だよねと華子が言った。興奮して美帆が続ける。


「何度も頭ぶつけてたのかも。ポストに大事な手紙が入ってるのを見るたびに。頭にたんこぶいっぱいできて、なんで、2階のポストを使わないといけないんだ、1階の人がいなくなれば1階に引っ越せる、そしたらかがまないで、たんこぶつくらないで済む、嫌がらせして追い出してやれ!って」


「さっきより面白いね。文字通り、頭をぶつけて頭にきた、ってところ」


 アンナも言いながらころころ笑った。


「別に言葉遊びしてるわけじゃ」


「え、まじめに謎解きしてたの?」


 亜紀が笑った。


「しちゃ、いけない?」


「いいけど、色々無理があると思うな。だって、1階って、ポストのところで頭ぶつける以上に嫌なこと多いもん。寒いでしょ、上の音は響くでしょ、外から家の中見えやすいし」


 亜紀は言うときは言うらしい。


「うん。面白いから、さっきのよりはいいと思うけど」


「美帆ちゃんの解決に、30点!」


 華子が高らかに宣言した。


「何点満点?」


 むうと口をとがらせた美帆に華子は、


「んーてきとう」


 えーと美帆は抗議の声を上げたが、周りは笑うばかりだ。せっかくなので、こんっちきしょーと言って、さらに笑いをとった。

 各々が面白い解決を、現実的な解決を考え込む。沈黙が流れる。

 華子が腕組みをした。


「ねえ、亜紀ちゃん。亜紀ちゃん何かないの? さっきからこれも違うあれも違うって言ってるけどさ」


「あたし? 面白いのなら、あるよ」


「教えてよ」


 一応、華子は最後まで聞くつもりのようだ。

 亜紀は、下唇を舐めた。


「犯人は、学校の男の先生」


 一同、あっけにとらえた様子で亜紀を見やった。


「ちょっと、だれよ! 学校の先生ってたくさんいるけど」


 華子は思い切り本気にしたようだ。これには亜紀は少し呆れて、


「面白いのを話してるだけだから」


 興ざめだから、こんなことを途中ではさみたくないのに。

 アンナはがぜん興味をひかれて、うながした。


「で、どうしてそうなるの?」


「小学校の男の先生って割と少数派じゃない? ロリコン多いって知ってる?」


 亜紀が嬉々として話し出した。


「それは、なんか誰かに聞いたことあるかも」


 美帆が半分固まった。千沙子が冷静に言う。


「それが、みんなのポストの中身を破ることと、どう関係があるの?


 待ってました、と亜紀は笑った。


「そう、そうなのよ。それが、キモ。その先生は、あたしたちの誰かを愛していたのよ。先生を辞めさせられることも、惜しくないほどに!」


 亜紀は胸に両手をあて、目をきらめかせ、夜空を見上げるような格好をした。そして、右手をずばっと上にあげた。


「先生は恐れた。あたしたちの誰かが、誰かのものになることを。学校の中では、そんなフラチなヤカラがいれば、阻止でもなんでもできる。でも、校外では、防ぎようがない! こうなれば、せめてラブレターを入れられないようにするしかない!」


 なんというありえない解決だろう。しかし、今までのどれより辻褄だけは合っている。ラブレターを入れようとする人も、手紙が別人に破られる可能性が高いと思えば、その手段はあきらめるだろう。


「恋は盲目。鍵をつけられて、ようやく頭が半分くらい冷えたんだわ……もしかしたら、階段に頭をぶつけたからかもしれないけど……まあ大した違いはないよね。だけど、時々魔が差すから、大きくて外から抜き出せるものは、ポストに鍵がかかっていても破っちゃう。どう?」


「ねえ、どうして特定の家のじゃなくて、三軒ともやったの?」


 千沙子がしばらくして問うた。


「その家しかやらなかったら目立つからよ。その家の子に好意を持っている人がいるんじゃないかって疑われるかもしれない。それに、家が隣同士で仲の良い友達となれば、その友達のところに入れたら本人のところにまず届くでしょ。あたしたちも間違って入った手紙なら、開けたりしないで持ち主に渡してあげようって思うでしょ? 友だちだし」


「そっかあ」


 華子が感じ入って頷いた。それなら、当人の家以外のポストのものを破ったのも納得がいく。この解決、無理はあるが、頭ごなしに否定もできない。


「亜紀ちゃんの解決に、90点!」


「満点は?」


「んーわかんない」


 相変わらず、適当のようだ。


「100点満点でいいんじゃない? 帰り道とかでいくらでも手紙を渡す機会はありそうとか、バレたら恥ずかしいとか、そういうこと考え出すと、どんどん穴が出てくるけど、面白いし」


 まあ、恋という自分たちのような子供にはまだあまり実感のないものを持ち出されては、何がありえて何がありえないのかよく分からないのだ。


「ねえ、じゃあ夢に破れた宇宙飛行士っていうのはどう?」


 美帆も超解決の糸口を見つけたらしい。


「あたしたちみたいにさ、仲良くて頭もよさそうで、目の前には無限の未来がある子たちを見てこう思うわけ。許せない! せめて、その親ともども苦しめてやるわ、をーほっほっほっほほほほほー!」


「小さい! やることが小さい!」


 華子が大笑いしながらつっこみをいれた。ハリセンを取り出さんばかりの勢いで。


「そんなんだから、夢破れるんだよ」


 亜紀も思いっきり乗る。


「なんで、宇宙飛行士?」


 千沙子はそれならばと理屈でせめる。


「スケールが大きい方が面白いじゃん。夢がでかい人って感情の量も多いっていうしさ。思い込んだら一直線ってわけ。ああいうのストイックに目指してた人って、頭のよさと友達を両立してる人のことねたんでたりするしさーでも元が小物どころじゃない小物だから、こんなちっちゃいことしかできないんだよ。ねえ何点?」


「ギャグ100点」「理屈10点」


 華子の点数にすかさず亜紀が付け加える。


「合計110点で首位につけました、美帆ちゃん!」


 美帆が自分で高らかに宣言した。……もう、何もつっこむまい。


「じゃー今度はあたしね」


 妙に華子は神妙な顔をしていた。これは、いける?

 アンナもたった今ステージの上にのった華子を見つめた。


「犯人は、だあれ?」


 亜紀がまた芝居がかった感じで言った。

 一瞬口角の筋肉が上に動いたあと、すぐさま横一文字に引かれた。


「犯人は、魔法使い!」


 人指し指で天井を指差し、華子は高らかに宣言した。


「ま、魔法使いー?」


 違う意味で気になる。この超適当な犯人像に、どんな屁理屈をこねることやら、と。


「考えてみてよ。魔法使いだって、最初っからうまく魔法が使えるわけないでしょ。だから、簡単なのから始める」


 ほうほう、ととりあえずうなづいてみる。


「その人には、巨大な計画があった。世界の構造を根本的に変えてしまおうっていう! だから練習をしなきゃいけないし、その計画は地道にしないといけなかった! それでこんなみみっちい真似したの!」


 魔法なんてものが存在する時点で、世界の構造が根本的に変わってしまっていることは無視せねばならないらしい。


「たとえば、どんなふうに?」


「それを、みんなで今から考えるのよ!!」


 どうやら、人任せだったらしい。

 亜紀はまじめに考え込もうとしているが、


「もー華ちゃんてばちゃんと考えてから言ってよ」


 美帆のほうは中々に厳しいのである。


「あるにはあるよ。手始めに、手紙とかそういうのは魔法を使うのがめんどくさいから、みんながそういうの使いたがらないようにするっていうの」


「どういうこと?」


 千沙子が思わず聞いた。


「だってさ、手紙ってメールやパソコンとかケータイで見るのとはちがって、外からデータをいじれないじゃん。一々中身を開けるのも手間だし。それって、世界を魔法で牛耳ってやろうって考えてる人からすると、すごく邪魔じゃない? 中身だけ抜き取るっていうのも書き換えるっていうのも難しいし。言うじゃん、ペンは剣より強いだっけ」


「世界を支配するには、まず情報から、ってわけね」

 

 アンナが補足した。これも、なかなか見どころがある理屈である。

 なるほど、と美帆は膝を打った。


「魔法使いだから、人に姿を見られる心配がないから、こんな人がたくさん通るアパートのポストの中から簡単に手紙を盗って、そとのごみ捨て場にちぎり捨てることもできたの。普通見られるって、ここ50人は人が住んでるんだから」


 中々に、魅力的な解決だ。

 亜紀が興味深そうに笑って言った。


「どうしてあたしたちのところだったの?」

 

 この説にある重要な抜け穴を指摘した。うんうんと美帆は口をとがらせて頭を動かした。


「何もかもに理由があるなんて思わない方がいいと思うな。ランダムに選んで、それがたまたまあたしたちのところだったのかも」


「なら、こんな風にあたしたちが話題にしないように、他のアパートの人にしかけたりするんじゃないかな」



「もちろん、してるのよ。やられたのはきっとあたしたちだけじゃない。さっき言ったとおり、魔法使いはまだまだ下手ってわけ。本当はこんなふうに偏らせるつもりなんかなかったんだけど、失敗してこうなっちゃった」


 千沙子が笑って言った。


「じゃあ、きっと今頃困ってるね。華ちゃんが魔法の存在に感付いちゃったから」


 ふふん、と華子は鼻を鳴らした。


「そう、あたし、救世主なのよ! わるーい魔法使いの陰謀から地球を守るの!!」


「月にかわってお仕置きよーって?」 


 美帆がなぜかあった昔のアニメのポーズを真似しながら言った。


「そう! そんなかんじ!」


 華も笑う。最初から、リアリティなど無視しているのだから。


「さあて、華ちゃんの解決は何点でしょう?」


 美帆が笑いをこらえながら言った。


「ファンタジー100点」


「理屈75点」


「ギャグ10点!」


 100点をアンナからつけられて、華子はとびあがった。亜紀の75点も、一応辻褄があった話を作ったということで妥当なところだ。


「合計185点! あたしすごいっ!」


「ギャグではあたしの勝ちだもんっ」


 ふたりは完全にふざけている。


「ね、ちょっとそろそろまじめにいかない? 現実、どうするの」


 亜紀がまた新しく折り紙を折り始めて行った。


「うーん」


 また、考え込むモードになる。すると、折り紙の消費量は増えても、アイディアはなかなか出てこない。

 風船、鶴、朝顔、花、騙し船、二艘船……。

 あまりにも、誰も何も言わないので、千沙子が唇を開いた。


「破った人は、どんな風にやってるのかな」


 さっき作った風船を指で転がしながら続ける。


「思ったんだけど、まだやった人が大人か子供か、女の人か男の人か、そういうのもわかんないんだよね」


「じゃあ、そっちからあててみようよ。犯人は一体誰なのか」


 華子がうすく笑った。さっきのおふざけモードはどこへやら。


「……ちょっと待って。最初にごみ置き場に手紙が破って捨てられるって言ってたよね? ごみ置き場って、どこなの? 特に箱とかそういうの見つからなかったけど」

 

 千沙子はここに入ってきたときのことを思い出した。どこにも、ごみを入れる金網や箱などはなかった。

 華子がすっくと立ち上がり、台所の方へ歩いていく。


「何もないけど、そこよ。うちの前。ごみ収集の日になると、下の倉庫から網をだして、ごみ袋にかぶせるようにするの。カラスに荒らされないように」


 そして、台所からまた戻ってきた。ふとここに来て最初のやり取りを千沙子は思い出した。はっとして顔を上げる。


――もしかしたら、盗む人とちぎる人で分担してるのかも。


 なんで、あの流れでそんなことを言ったのだろう? 今思えば、明らかに浮いている。まるで、自分一人が犯人じゃないと主張したみたいじゃないか。


 まさか、すべて華子ちゃんが仕組んだこと? 今日、今やっている推理ゲームのために?

 そういえば、華子は前からアンナと話したがってた。美帆がここに引っ越してきて以来、前みたいに周りを思うようにできなくなっていて、だからアンナみたいな付き合いがあることそのものがステータスになるような人に近づきたかったんじゃないか。


 辻褄は、あっている。ファンタジーでもない。


「千沙子ちゃん、何かあった?」


 青ざめていると、亜紀が心配してのぞき込んでいた。作りかけの鶴を足元に置いて。対して千沙子の幼馴染のアンナはというと、こちらには見向きもせず、もくもくと再び折り紙を折り始めていた。

 色々と気を利かせる亜紀を少しは見習え、と千沙子は思いつつ、話を切り出した。


「これは、ゲームだったよね? みんなで実際起きたことを推理しあうゲーム。一番もっともらしいことを言えた人が勝ち」


「そうだけど」


 美帆が当惑しながら答えた。


 大丈夫、所詮あたしは最初から外野なんだから、と緊張でかわく唇を千沙子は軽くなめた。


「犯人は華ちゃん。 ……だったら、面白いと思うんだけど」


 えっ、とびっくりしたあと、華子はとたんに笑い出した。

 やっぱり、と千沙子は確信する。


「このゲームをするために、前々からじっくりしこんでおいたんでしょ? まず、自分のところにきた手紙を破る。もちろん、本当に必要で大切な手紙じゃないことを確認してからね。そして、美帆ちゃんところのも破る。こちらも、そんなに大切じゃないのを確認してから」


 華子は笑いながら言った。


「どうして、大切な手紙じゃないってわかるの?」


「どうしても何も、さっき言ってたでしょ。手書きの本当に大事な手紙はきてなかったから破られなかったって」


「いや、お父さんあてのは破られたってあたし言ったでしょ」


 美帆がすかさず華子をかばう。ぐ、と詰まるが、千沙子にはちゃんと用意した反論があった。 

 

「だって、お父さんあてに来てた手紙って、たいがいどこかの会社からのじゃん。こっちが何も返さなかったら多分向こうがまた送ってくるし、こっちが頼んで送ってもらったのならいつまでも来てなかったら、電話でも何でもしてまた送ってもらうんじゃないかなって。だから、本当に困るだいじな手紙は全然破ってないわけ。破ってあっても、どこから誰に来たのかくらい何枚か見ればわかるし」


 それが心当たりのあるものであれば尚更だ。

 情報伝達という最低限の手紙の使命は破られても果たされるのだ。


「少しエスカレートしたら、お母さんたちきっと鍵くらい買ってくる。そしたら、亜紀ちゃんとこにも同じことする。何のためかっていうと、もし今日何かの流れで亜紀ちゃんところに行くことになって、華ちゃんところに来なかったら、せっかく仕込んだゲームのとっかかりを使えないから」


 きっと、華子は、自分が仕掛けたゲームでみんながあたふたしているところを見たかったのだろう。

 まさか、自分を犯人だとは思わないだろうから。

 

「鍵を付けさせたのも、ちょうどよかったのよ。鍵が1階のだけついてたら、目立つもん。そしたら、当然、何かあったのってアンナが聞く流れになる。そしたらみんなで考える流れができる。完璧じゃない?」


 我ながら名推理じゃないか、と千沙子は思いつつも、周りの顔色を窺った。てんで的外れなことは言ってないつもりだ。

 大体、アンナを特に誰かのお誕生日パーティーとかそういうわけでもないのに、ごく当たり前の友だちみたいに誘うなんて、おかしい。最初からあたしとセットで誘わないのも変だ。

 このゲームのため、というのなら納得がいく。

 解けなかったら解けなかったで、親近感がわくかもしれない。

 解けたら解けたで、やっぱりアンナさんってすごいって笑えるかもしれない。

 何より、ガキ大将でいつの間にか常に人をひっぱっていくリーダー格の彼女を、一度くらいひっぱって翻弄してみたい。


 こうして動機も十分考えられる。

 華子は、本来人をひっぱりたい方だろうから。その実力がないだけで。


 ごめんなさい、と心のなかで千沙子は華子に謝った。招かれざる客だったのに、こんなにでしゃばって、華子をガッカリさせちゃったと。


 あはははは、とそこで華子が大笑いし始めた。


「千沙子ちゃん、ちょっとそれ、すごいよ。あたし、その発想はなかった。これが推理小説だったら、それで完璧だった、絶対。面白さならパーフェクト」


「うん、千沙子ちゃん1000点! もちろん満点よ」


 アンナがちゃちゃを入れる。

 違うんだ、と千沙子は真っ青になった。


「え! 今のはただのゲームだから! 想像だからね! あたし、本気でそんなこと思ってないよ!」


「とりあえず、しょうめいしとく。あたし、お母さんたちにバレたらって考えたらそんなことできないし、美帆ちゃんや亜紀ちゃんと絶交したりしたくないし。大体、こんなゲームを仕組むだけだったら、お母さんを言いくるめて鍵買ってもらうかお年玉で買うかするよ。理由は適当につけてさ。それに、手書きの手紙なんて、ほんとにめーったにこないんだからね。年賀状以外なら一年に2,3回しか」


「うちもそんなもんだなあ」


 聞こえない、聞こえない! それどころじゃないもん。

 あんな超推理、本気でかましていたなんて、お願いだから、バレないで!

 千沙子は今度は真っ赤になった。

 アンナがぽんぽんと小さい子をあやすみたいに千沙子の頭を撫でた。


 ああ、もうこいつはもう! 最初からこの推理はあたってないって確信してやがったな、くそう!


 帰り道ぶっ飛ばしてやる、と決心した千沙子の横で、アンナは静かに言った。


「……ねえ、そんなことして、どうするの?」


 アンナはこれ以上ないほど感情をこめずに言った。


「そんなことって?」


「誰が手紙を破ったかをみんなの知恵をしぼって決めること。本当に100パーセント面白さを追求するゲームみたいには見えないんだけど」


 当てる、ではなく、決める。


 確かに、そのとおりだろう。状況からこの人だとこちらとしては当てたつもりでも、もし違えばそれは決めつけたことに他ならない。


「決まってる。もしわかったら、一度怒りに行く。お母さんたちに言いつけてやる」


 美帆が言った。


「千沙子が言ってたことは半分の半分くらいは当たってたでしょ。3人だけで考えるより、あたしも巻き込んだ方がきっといいアイディアが出るからあたしを呼んだっていうの」


 こんなことをこの年で言い放ってしまうあたりが、アンナの成長が異様に早いと言われてしまう理由だろう。

 何も言わないのは肯定とみなす。


「ねえ、こういうのもうやめよう。もし、小さい子だったらどういう具合に怒ればいいかわかんないし……さっき一緒に遊んだ子たちとかだったら、どうするの」


 はっとアンナ以外の全員が息をのんだ。その可能性は考えていなかった。


「アンナさんは、あの子たちだと思うの?」


 一瞬固まった華子が、何とかそれから抜け出そうと口だけ開いた。


「そこまで言ってない。どっちかっていうと違うって思いたい。でも、こんなようちないたずら、大人がするわけないじゃない。知られたらやばい内容の手紙が破られてたとかそういうのだったら大人がやりそうだけど、特に内容には気を使わずに破ってるんでしょ? こんな嫌がらせやったのは、小さくて、頭の弱い子よ。かわいそうだからほっといてあげたら? 鍵つけてたらできないみたいだし、ここからすぐに出ていく人は多いんでしょ? その子もすぐに出てくんじゃないかなあ」


 千沙子はその言い方からピンときた。

 アンナは犯人が誰かわかっている。そして、その子に情けをかけて見逃してやろうとしているのだ。

 これくらいがちょうどいいのだろう、3人にも適度に情報をあげて納得させて安心させて、なおかつやった子のことも責めない。


「何にしてもさ、低学年の子や幼稚園の子たちには優しくしてあげようよ。あたしたちのほうが『おとな』なんだから」


 さりげなく、3人を持ち上げた。『おとな』という言葉は、子どもには絶大な効果を発揮する。

 アンナは自らの勝利を確信した笑みを浮かべた。

 華子たち3人はけむに巻かれたような気がして、各々考え込んだ。


「……確かに、そうだね。今日は、アンナさんたちもいたから下の子たちによくしてあげたところもあったんだけど、いつもは子どもっぽいからとか言ってあまり優しくしてなかったかも」


 まず言ったのは亜紀だった。あとの二人もうなづいた。


「たぶん、アパートにいるみんなが3人のこと大好きになったら、こんなこと起こらないんじゃないかな。みんなに優しい良いお姉さんになれば」

 

 アンナが締めくくる。根本的な解決は自分たちで出来る、と知ったせいか、華子も美帆も亜紀も、晴れ晴れとして見えた。

 と、美帆が言った。


「……ちょっと、お手洗い借りてもいい?」 


「うん、あ、タオルかけてなかったかも。そうだ、お茶も冷たいの持ってくるね」


 美帆と華子が席を立った。お手洗いは玄関のそばにあるらしい。


「おとなしい組が残っちゃったね」


 亜紀が苦笑しながら言った。


「あたし、実は自分のところの手紙とか破ってたのは、もしかしたら華ちゃんか美帆ちゃんだったりしないかなって思ってた」


 やっぱり、とアンナは薄く笑った。


「千沙子ちゃん、ありがと。二人のことまた信じさせてくれて」


「いいえ」


 やわらかな沈黙が降りた。華子はタオルを替えるだけでなく、他のこともしているらしい。


「亜紀ちゃん、秘密にして」


 アンナが声を潜めた。千沙子が耳をとがらせる。やっぱり、アンナは誰が何のためにしたのか目星がついている。


「さっきのをやった子なんだけどね、親切にしてほしいの」


「アンナさん、犯人が誰かわかったの?」


 アンナは躊躇った。亜紀なら自慢したい思いに駆られて言いふらしたり、自分が犯人が分かったと得意げにふるまったりすることもないと思っていたのだが。


「この子じゃないかな、っていうのなら。もし違ったらごめんなんだけど」


「誰だと思うの?」


 2秒、沈黙が降りた。


「4階に住んでる、咲樹ちゃん」


「えっ」


 千沙子もはっと息をのどに詰めた。


「念のために聞くけど、他にこのアパートに、この棟に、華ちゃん美帆ちゃん亜紀ちゃんのほかには咲樹ちゃんしか小学生はいないよね?」

 

 アンナは腕組みをしていった。


「そうだけど、それとこれがどう関係があるの?」


 亜紀はやはり、それだけで咲樹がやったと思うほど軽率な人間ではないらしい。


「これ、美帆ちゃんと華ちゃんが最初言ったみたいに、一見みんなが狙われたのは1階に住んでいるから、あの場所に住んでるのが原因だったみたいに見えるけど、それは一番重要なポイントじゃないの。あの子が、友だちいないのが原因だと思う」


 淡々と語るアンナには、何の表情も浮かんでいない。対して、亜紀はびくりと肩を震わせ、目を泳がせた。


「この事件を起こすには、3つ条件があるわ。ひとつ――このアパートに出入りしても怪しまれないこと」


 千沙子もうなづいた。


「人目についたらバレるしできないし――それこそ魔法使いでも持ってこなきゃいけなくなる」

 

 亜紀がさっきの会話を思い出して笑った。だから、ロリコン男教師は自分で言いながらありえないと思ったのだ。良い大人が人目につくことを何度も繰り返すはずがない。


「そう。それからふたつめ――さっきも言ったけど、頭の弱い、あたしたちより幼い子どもなこと。大人なら、もっと悪いことを、バレる隙なんてないようにやるでしょ」


 亜紀は苦しそうだった。自分たちが嫌な目にあっていたはずなのに。そう言われると、子どもをいじめていたみたいじゃないか。


「みっつめ――いたずらしたくなるくらい、亜紀ちゃんたちに対していらいらしてること」


 いくら子どもでも、いや子供だからこそか、動機のない意地悪はまずしない。それも、こういう細かい嫌がらせなど。


「念のために聞くけど、あの子みたいに周りから浮いてる子、他にいる? はっきりとした友達がいない子」


「いないと思う……」


 亜紀は同情的だった。アンナが彼女に話したのは正解だった。立ち上がり窓越しに外を眺めた。まだ、咲樹は一人砂遊びをしている。一瞬、こちらを彼女が見たので、目があった。


「なんか、かわいそうだね」


「うん」


 千沙子と亜紀も外を眺めた。確かにこうしてみると、さみしそうに見える。


「だからさ、たぶんあの子に優しくして仲間にいれてあげたらこんなのもなくなると思うな」


 お姉さんみたいにアンナはにっこり笑った。千沙子は、なんとなくそれが会心の笑みのようにみえた。それが何となく気に入らなくて、付け加えた。


「わかんないよ。魔法使いの実験かもよ」


「だったら、夢いっぱいなのにね」


 温かい笑顔の輪が広がった。


「うん、とにかくあの子に優しくするようにするよ」


 亜紀はすっかり納得がいった様子で、もう一度座り直した。


 その時だった。


ピンポーン。


 ダッと駆け出す音が聞こえた。もちろんその呼び鈴に応えるために華子が出たのだろうが、それにしては勢いもつきすぎだし、走る数も一人ではなかったという気がする。


「捕まえた!」


 美帆の声が階段で響いた。

 ああ、ピンポンダッシュか、と千沙子が眉をひそめる横で、アンナはというと、一瞬しまった、と酷く残念そうな顔をした。が、すぐに妙に厳しい表情になった。


「あたしたちも行こう」


 有無をいわせない声で宣言した。千沙子も亜紀もそれに従う。

 ドアに鍵をかけなくていいのだろうか、と最後尾にいた千沙子は思うのだが、誰も気にしないのでアンナと亜紀にしたがった。


 階段を上がる。2階――3階――4階。


 4階までは上がる必要はなかった。3階の踊り場に、美帆と、もう一人がいたからである。おかっぱ頭の、小さな子ども。


「ごめんなさい」


 彼女は、嵐がすぎるのをひたすら待つように、身を低くしてうつむいていた。否、耐えていた。たかだかピンポンダッシュで、そんなことまでしなくていいのに、と美帆は少し首をかしげた。

 千沙子のさらに後ろから、華子が駆け上がってくる。まだ2階なのだろうか、音が少し響いている。かすかどころじゃなくはしゃいだ声が後ろから追っかけてくる。


「なに、はんにん分かったのー?」


 そのとき、ようやく顔が下の階段からのぞいた。走ったせいか、かすかに頬が上気している。


「家、もどろう」


 アンナが言った。美帆ははじかれたようにアンナを見た。どうして、と不満げだ。構わず、アンナは続ける。これ以上なく、断定的に。


「一緒にお茶飲んでゆっくり話そう。ここじゃ迷惑だし――ね、咲樹ちゃん」


 一番下にいる華子が自然みんなを誘導する格好になる。アンナは咲樹の手をやわらかく握った。美帆は心なしか、奥歯をかみしめていた。

 華子はしかたなく、咲樹の分のお茶も出す。冷たいお茶、冷たい氷、冷たい沈黙。


「ご、ごめんなさい……」


 お茶に手を付ける前に、まず咲樹は泣きだした。

 華子が少々得意そうな声で言った。


「アンナさん、もしかしなくても、あたしたちの手紙やぶってたのもこいつ?」


 さっき、美帆と華子にもやったのは子供だと知らせたことを心底後悔した。あのまま変な大人だと思わせておけばよかった。


「違うわ!」


 とっさにアンナは嘘をついた。

 咲樹は目を見開いてアンナを見つめた。

 さあ、これからが大変だ。アンナは何も準備していない。しかも、これはゲームじゃない。皆が納得してくれる、つじつまが合うだけでなくリアリティがある話を構築しなければ。


「さっき、あたし一回もゲームに参加しなかったよね。それは、真実を何もかも分かってたからなの。それで、こうして、おあつらえ向きの舞台ができるのを待ってたのよ」


 アンナは舞台女優さながらにもったいつけた。さっきの亜紀のように。

 そうすることで時間を稼ぎながら、頭をフル稼働させる。幸いなことに、こういうことにはよく使える頭だ。


「さっき、子どもがやったってことを言ったのは、さっき、みんながあんまりにも咲樹ちゃんに対してお姉ちゃんらしくないなって思ったから。咲樹ちゃん、本当はみんなに構ってほしかったんでしょ? だから、今のピンポンダッシュだって、たくさん友達がいるときにやった。違う?」


 これで、さっきアンナが『嘘の推理をした理由』ははっきりさせた。

 本当はどうしてやったのか、なんて咲樹自身にも分かってないのかもしれない。咲樹は困惑しながらも、否定はしなかった。構ってほしかったから、というところは真実だったのかもしれない。

 咲樹が黙っているのをいいことに、アンナはそのまま続けた。


「手紙を破る。それは、とてもリスクの高いことよ。もしバレたら、信用にかかわるし、ここって確か仕事が同じ人たちが多いよね? もしここで知られたら、会社とかにもきっとバレる。そうしたら、クビになるかもしれないし、そうでなくても冷たい目で見られて、大変なことになるでしょ」


「だから、やったのはようちな子ども、っていってたんじゃないの?」


 すかさず、美帆が言った。


「うん。でもさ、そのどっちにもならない人がいるの。冷たい目でみられたとしても、あんまり変わらない人。ここに度胸だめし、ただのいたずら心で来れて、ああいうことをやっちゃえる人」


 華子が身を乗り出した。


「だれ?」


「近くの団地に住んでる偉い人。もう冷たい目で見られてたりするから、これ以上ひどくなっても、少々のことじゃ変わりはないのよ!」


 さっきの魔法使いなみに適当な回答なのだが、これにはなんとか理屈をつけなければならない


「偉い人っていうのはね、下の人にけっこう嫌な目に遭わされてるもんらしいよ。お母さんがいってた。たまに、何もかも捨てて出ていきたくなるって。やっぱり、ねたまれるし」


 そうだよな、とみんなうなづいた。ただ一人、咲樹だけは狐につまれたような顔をしている。


「そうするとね、どうにか人ってバランスを取ろうとするでしょ。ストレス解消の手段を探すわけ」


「それが、うちの手紙を破ることなの? ようちだから大人じゃないって言ってたじゃん」


 華子の当然の疑問には、ゆったりと返す。


「そう。それが狙ったところだったのよ。あたしたちはともかく、周りの大人はきっと、大人なだけに大人がやったって思わないでしょう? その人は頭が良いから、あえて子どもしかやらないようなことをしたの。疑われないために。やったところを見られさえしなければいいんだから。見られたって、偉いから頼めばきっとみんな見なかったことに


 理屈なんて、後付でどうとでもつけられる。裏の裏をかけば表になるように。


「でも、普通人の手紙を破ってストレス解消とか、そんなこと思いつく?」


 美帆が言った。

 いい質問だ。アンナもそこには頭を回していなかった。


「そうねえ」


 やるな、と思いながら相変わらずゆったりと、お姉さんを気取って言った。今までのふざけたアイディアから、使えるものはないだろうか。


「それこそ、最初は美帆ちゃんが言ったとおりだったのよ。背の高い大人っていうの」


 首の皮一枚で繋がった。その論理の糸を必死で手繰り寄せる。


「この近くに住む人。この三人のお父さんお母さんの誰かの上司で偉い人。偉い人って大体男じゃない? その人も例にもれず男。で、手紙を出しに来たの。誰にも分からないように」


 手紙の内容までは考える暇がないので、ばっさり省く。


「で、その時頭をうったの。階段の下でね。確かに1階のポストの天井は割と高いけど、その人はもしかしたら1階のポストと5階のポストを最初間違えるか何かしたかもしれない。手紙を入れたはいいけど、腹がたって我慢できなかった。あたりに人がいないことだけ注意して、手紙をいれた相手のポストの手紙か、その隣の家の手紙を腹立ちまぎれにちぎったのよ」


 その話を聞いて、華子はふと、新年の祝いか何かでお皿をたくさん割る習慣がある島のことを思い出した。片づけは大変でも、物をこわすという原始的なストレス解消は効果的だ。


「それが、くせになっちゃったのね。ちなみにだけど、ごみ捨て場に捨ててあったのは、家に持って帰ったら自分のした悪いことを家に持ち帰るようで気持ちが悪かったから」


 千沙子は半分あきれながら、また半分は感動しながら、隣で説明しているアンナを見やった。よくそんな嘘八百を、やった張本人の前でべらべらと。


「何度もやるうち、鍵をつけられた。反省したけど、何度かつい来てしまって、どうにかごまかしながらそれを続けられないか考えたのよ。それで、亜紀ちゃんのところも破られたわけ。ポストの表札で、亜紀ちゃんのところは子供がいるってことはわかるからね」


 あれを表札というのかどうかは分からないが、確かに各世帯用のポストには名前を書いた紙を入れるのが普通だ。家によって、名字だけのものと家族の構成員全員の名前を書いたものとあったが、このアパートでは後者が多かった。


「つまり、子どもが子どもにいたずらしてるように見せたかったってわけ」


 美帆が感心してつぶやいた。アンナはにんまりした。一人で言うより、他の人が口を挟んで、補強してくれた方が信頼性は高まる。


「そういうこと。それにさ、やっぱり将来有望な子どもがいる家ってそれだけでうらやましかったと思うな。とくに、小さく会社員って人生でまとまっちゃったような人はさ」


 期せずして、さっきの宇宙飛行士挫折説まで取り込んでしまった。

 アンナは思わず笑った。どんな珍説だって、料理のしかたによってはいくらでも使えるのだ。

 華子もそう言われると、悪い気はしないらしい。


「あたしたち、期待されてるのかなあ」

「だからって、手紙破らなくてもいいのに」


 亜紀も空気を読んでか、会話に参加する。思った通りに事が運んでいるので、気合を入れ直して、アンナは最後の仕上げをした。


「それで、亜紀ちゃんところにも鍵を付けられて、そろそろ潮時だって判断したのよ。これ以上はやめとこうって。もしかしたら、新しいストレス解消を発見したのかも。なんにしても、それでやめたのよ」


 証明終了。アンナはそれと分からないように、ゆっくりと息を吐いた。何とか、二人をごまかすことができたようだ。


「ちょっと待って! でも、咲樹ちゃんところだけは手紙破られてもないし、鍵つけてないよ!」


 華子が叫んだ。アンナを含め、全員がはっとした。咲樹が口を開いた。それよりさきに、アンナは唇をひらいた。余計なことを言われたらかなわない。


「それが、やった人の思う壺なの。子どもが子どもにいたずらしてるようにみせるには、だれか子どもを疑ってくれなきゃいけない。咲樹ちゃんはむしろ被害者」


 アンナは、自分の言ったことにびっくりした。考えるよりも先に、口が動いていた。

 この分なら大丈夫と判断したのか、千沙子はのんびりと疑問を口にした。


「でもさあ、会社の人なら、普通会社で手紙渡さないかなあ」


 待ってましたとばかりに、アンナは笑っていった。


「普通な状況じゃなかったからそうしたに決まってる。もしかしたら、亜紀ちゃんが言ってたみたいにさ、恋愛がらみかも」


 小学生とて、この手の話題に敏い子は敏い。


「先生が、誰かのお母さんに片思いしてたって展開もありうるってこと?」


 美帆がいち早く察した。彼女の母親は昼ドラや火サスが好きなのだろうか。


「ひゃーっ」


「まさしく、真実は珍説より変なりってやつじゃないー?」


 意味はあっているが、ちょこちょこ言葉が違っている。


「すごーい」


 美帆はあらんかぎりの感嘆をこめて、言った。


「さすが、アンナさん」


 華子もあまりのことに、ほーっとした顔をしている。


 ご都合主義と空想に満ちたアンナの推理ショーは終わった。アンナ自身も一仕事終えた、と晴れやかな顔をしていた。とりあえず、華子も美帆も騙されてくれた、と。

 その中でひとり、爆弾を抱えている子がいることから、目を一瞬だけそむけてしまった。

 ひとしきり笑いの渦が広がり、それがまた消えた時に、2秒ほど空白ができた。


 ただ一人、にこりともしなかった咲樹に否応なく視線が集まる。


「違う、全部違う!」


 咲樹が言った。顔が真っ赤になっていた。対してアンナは真っ青になった。この子が自白したら、かばおうとしたアンナのしたことは全て無意味になる。

 あんな卑怯なことをする子なら、絶対にしないと思っていたのに。後から、咲樹には手紙を破らないようきちんと言って、三人も咲樹と仲良くするように言えば完璧だったのだが。

 この子がやったとはっきりさせたら、きっと美帆と華子はますます咲樹を疎んじるだろう。そうなれば悪循環だ。


「あたしがやったの! ごめんなさい!」


 あまりのことに、華子や美帆は固まった。一体何が、起こっているのと。

 先に平静を取り戻したのは美帆の方だった。


「えっ、アンナさんが言ったことは全部違ってたってこと!?」


 咲樹ではなく、アンナに言った。アンナ自身、これからの展開が予想できなくて、とっさに無表情を装うことしかできない。


「そう。あたしみんなの家のポストに入ってたの、破った。ごめんなさい」


 こうなれば、洗いざらい全て言わせて、思い切り喧嘩して仲直りさせるしかない。アンナは決めた。ちょっとだけ嫌なお姉さんになろう、と。


「わかった。じゃあ、咲樹ちゃん。質問に答えて。難しいなら、ここから答えて。人のポストに入ってるものを破るのがいけないってことやピンポンダッシュが迷惑ってことは、わかってたよね?」


 華子は思った。まちがっても、この子に、アンナに、こんな目で見られたくないと。

 一瞬その目をまともに受けた咲樹は、うつむいて、その場に留まっているのがやっとの様子だった。 


「わ、わかってました、ごめんなさい」

「ごめんはもういらない」


 静かなのに語調が強く、元々アンナがもつ迫力とも相まって、咲樹はまたびくっとした。


「アンナ、やりすぎだって」


 千沙子も雰囲気にのまれそうだったが、何とか持ちこたえた。が、アンナは自分がどの程度やりすぎなのかが分からなかった。それでも、表情だけは和らげた。


「ねえ、どうしてやったの?」


 質問は続く。咲樹は必死で頭を抱え込んで、アンナの顔を見ないようにしていた。それがますます事態を悪化させた。実際は、ひとつ質問に答えてくれたので、もうそこまで鬼の形相をしていたわけではなかったのに。


 咲樹の心の中では、まだアンナがそういう顔をしていることになってしまっていたのだから、いくらアンナが普通の顔をしていても、意味がない。妄想はときに現実よりも重大だ。


 少し時間がたったせいか、はたまた千沙子が肩をぽんぽんとたたいたせいか、アンナはようやく話し方もゆるめるという選択肢に思い至った。


「おねえちゃんたちが、何か気に食わなかったの? 何かしてほしいことがあるなら、今がチャンスじゃん。こうしてほしい、っていうのは何にもわるいことじゃないし」


 なおも顔を上げない咲樹。


「ねえ、顔あげて? あたしたち、咲樹ちゃんのことをいじめてるわけじゃない。いじめたいわけでもない。ただ、咲樹ちゃんがしたことに対して怒っていて、どうしてしたのかを聞いているだけなの」


 怒っている、ということにまた咲樹は縮こまる。


「あたしたちはやったことに対して怒ってるの。咲樹ちゃんのことを嫌ってるわけじゃない」


 その論法はまだ小学2年生の咲樹には難しすぎた。それでも、一番重要なことは伝わった。


 咲樹ちゃんのことを嫌ってるわけじゃない。


 ようやく顔を上げた。仏頂面の4人と、意図的な笑みを浮かべた1人。


「ごめんなさい、もう絶対しません、許してください!」


 ふう、とアンナはため息を吐いた。もうごめんはいらないから、あたしと話をしろ! と一喝したいのが本音だが、こらえる。


「ねえ、お姉ちゃんたちに言いたいこと、あるんじゃないの? 何か言えない理由があって、あんなことしたんじゃないの? 何回謝っても、それを聞かないとあたしここから帰せないよ」

 

 3秒、沈黙。のち、咲樹はぎゅっとこぶしを作って言った。否、叫んだ。


「わ、わたし、おねえちゃんたちがきらいなんよ!!」


 あっけにとらえた三人。

 よく言った、とにんまりするアンナ。


「他の、前からいる子たちとは普通に仲良くしてあげてるんに、わたしのこといっつも仲間外れにして! いっつも3人で固まってて! だいっきらい!」


 火をつけたみたいに咲樹は泣きだした。思わず動揺する。


「でも、咲樹ちゃんいつも家出るの遅いじゃん」


 美帆が冷静に指摘した。出る時間帯が違う人と一緒には行けない。


「だって、仲間外れにする人たちと一緒に行きたくないやん」


「あたしたち、そんなこと、してない!」


「した! そうやなかったら、とっくにわたし、みんなと仲良くなっとるもん……前は、前の学校いるときは、こんなさみしくなんか、なかったもん……」


 咲樹は、咲樹でさみしかったのだ。兄弟姉妹もなく、一人きりで転校してきて、わずかな言葉の違いや関係性から、ここではうまく話すことができなかった。そのせいで、異物扱いされ続ける。仲良くなりたいのに、なれない。一人は、さみしい。

 そんな思いが、こういういたずらへと駆り立てていたのだ。   


 理不尽そうな顔をしている華子たちに、アンナは小さく息を吐いて言った。


「やっぱりさ、小さい子たちには親切にしてあげないと」


 気まずそうにした3人に、アンナは一言。

 しばらく全員が押し黙った。 

 何秒かたって、口火を切ったのは華子だった。


「あたしたち、このことはお母さんたちに言う。最初からそのつもりだったもん。それから、咲樹ちゃんのお母さんにも言うから」


 咲樹は、顔面蒼白になった。助けを求めるように、アンナや千沙子にすがるが、二人は無視した。仲良くしたい、ということすら言えなかったのは、咲樹自身の弱さだ。いじけていれば構ってもらえるというのは、甘えだ。


 ここに住む人たちは転勤族が多い。どこかから引っ越してきて、2年とたたずに引っ越していく人なんてざらだし、その上でうまくやるように子供なりにでもしているのだ。現に、今までこんなトラブルは全くなかった。


「だけど、それをしたらもうこのことは二度と言わない。ぜったいに。あたしたちと仲良くしたいなら、したらいいじゃん。学校だって一緒に行こう。同じ2年生とだって仲良くなれるよ。みんな男子だけど」


「そうそう、最初っから、そう言えばよかったのに」


 あまりにも、華子も美帆もあっさりとしているので、逆に咲樹はあっけにとらえていた。あんなに怖がっていたのは、あんなにきらっていたのは、なんだったのだろう。


 亜紀はというと、華子や美帆に少し苦々しく吐息した。本当に、最初から咲樹がいっしょに学校に行きたいと言っていたら、いっしょに学校に行って、なおかつ咲樹にさみしさを感じさせず仲良くするなんて芸当はできていただろうか。咲樹は言葉もなんだか変だし、却っていじめていたかもしれないじゃないか。

 あの1個下の男の子たちにだって、もっと上のお姉さんたちがいなかったら、ちゃんと親切にできていたか怪しい。

 もしこっちが積極的にいじめていたなら、立場はすべて逆転する。全面的にわるかったのは亜紀含め小3の3人組、ということになる。

 

 その横で、アンナは一安心した。これなら、何とか明日から仲良くできるだろう。咲樹もみんなも、仲良くできますように。


 時計を見ると、もう6時がせまっていた。


「あたしたち、そろそろ帰らないと」


「わたしも」


 咲樹もゆっくりと立ち上がった。ようやく気持ちに余裕ができたのか、咲樹は深呼吸した。そのとき、あるものに目が留まった。さっきみんなが大量に作って、それからほおっておいた折り紙。


 折り目が無駄に多い、鶴。


 咲樹は手を伸ばした。まっすぐ伸びたとは言えないが、はっきりとがった羽の先にふれる。


「もっときれいなのあるけど」


 アンナが折った折り目が驚くほど正確なものを折り紙の山から華子が出した。


「ううん、これが好き。持って帰ってもいい?」


「どうして、そっちのほうがいいの?」


 思わず聞いたのはアンナだった。無駄なく綺麗に折れたと自分でも感心していたのに。


「この折り目の付き方がいいなって思って」


 無駄な折り目がある方が、美しい。失敗してから、作り直した方が。


 そうかもしれない。案外、そんなものかもしれない。

 アンナが最初にベストだと思ったものより、はるかに良いきっかけを作ることになったではないか。


 6時を知らせる近所のお寺の鐘が響いた。


 近所のアパートに住む子たちより一足早く華子の家を、アパートを後にする。まだポストの南京錠はかかったままだが、外れるのはそう遠くないことだろう。


「明日は、咲樹ちゃん7時半には外出ててよ」


「はーい」


 美帆が念を押した声がアンナと千沙子の後ろから聞こえてきた。



***


 帰途、千沙子と別れてからアンナは一人家まで歩いた。空がほんの少し、暗くなっている。100メートルとない道のりを、のんびりと歩いた。急がなくても大丈夫、どうせ家は無人だ。


 だいぶ、涼しくなってきたな。

 

 みんなと遊んだ時間が名残惜しい。


 アンナは家の近くのブランコを一人こいだ。この時間帯なら、誰もいない。きいい、と懐かしい感じの音がする。


 少しこいだら気が済んで、家に今度こそ向かう。手持無沙汰に、手をぶらぶらさせながら。と、一人の少女と目があった。透子だ。


 こんな時間にどうして庭になんか出ているんだろう。

 自分がついさっきまでぼんやりブランコをこいでいたことは棚に上げて、疑問に思った。


 千沙子がいなくなったら、あの子と毎日二人きりで行きかえりしないといけなくなるのだろうか。想像するとげんなりして、アンナは頭をかかえた。

 透子は何を言うでもなく、心配そうにアンナを見つめた。仕方なく手を振ると、彼女はぱっと目を輝かせた。

 家に入り、鍵を下す。


 虫の声だけが、やけに耳に響く。風がないせいか、窓辺の風鈴の音は全くしない。


 これだから、子どもって生きものは。


 こういうさみしさのようなものを感じる時、早く大人になりたいといらだつ。大人になれば、仕事をして、時々遊んで、といつも忙しくできているだろう。こんなふうに取り残されることはない。きっと、さみしいなんて幼稚な感情を持つことはないだろう、と。


 母が作り置きしてくれた夕飯をレンジで温め、ぼんやりと食べてから、さっさと寝るしたくを整える。宿題もして、習慣にしている日記も付けた。楽しかったので、今日は長い。


 彼女はまだ確信してない。

 すべての運命には伏線がある、ということを。

 

 彼女はまだ考えつきもしない。

 ささいな行動の積み重ねが取り返しのつかない結果を引き起こし、運命までも変えてしまうということを。


 その一か月後、彼女にまとわりついていたあの子が彼女のために命を落としてしまう、ということも、まだ知らないのだ。


 それはまた、別のおはなしなのだが。


前作10IntervYOUsの諸井アンナの小学3年生の夏の話でした。が、読まなくても独立したはなしとして読めるようにもなってます。


この事件は、細かいところはいろいろ変えてますが、大筋ではわたしも被害にあった事件を元にしてます。あの子が犯人とわたし自身気づきつつ、証拠がなくて悶々とした記憶があります。

手紙が無事届くことって、すごいこととも思いました。


こうなればいいな、こういう友達がいれば、などなどの思いが形になったのがこの話です。


推理ものと銘打ってながら、謎解きがあまりにもあっさりしていて、そういう意味でびっくりされた(ブーイングなさった?)方もいると思います。これは、前作で書いたとおり、諸井アンナが昔ながらの探偵小説が嫌いなせいです。わたしは好きなのですが、あれはなかなかあれをやるに足る舞台を作るのが中々大変ですし、そんなに大仰な謎でもないので、この形にした次第です。


アンナを大きくかえる事件の話もいつか書く機会があればかけたらいいなと思ってます。


では、この話でお楽しみいただけたことを祈りつつ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。 桜 夏姫といいます。 とても面白かったです。誰が犯人なんだろうと考えていたら、作者の用意した罠に見事にハマって騙されちゃいました。世界観がわかりやすく内容も読みやすかったです。…
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