月光
午後十時、多摩川を眺めながら横に並ぶ少年と少女。
十六歳の二人は、眠そうな顔で、真っ黒にしか見えない川面を眺めていた。
二人の座る、雑草がひしめく緩やかな傾斜の近くには、人気はまるでない。この日が平日だからなのか、彼等の傍を通り過ぎるのは、後方の国道を走る車とバイクのみ。少しその場を移動すれば、人々が賑わっている≪駅≫があるにもかかわらず、世界が二人を避けているかのように、少年少女の周囲には、人が寄りつかない。
「魚の名前言ってこっか」
不意に、少年が真横に座る少女に提案した。すると、少女は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「アユ」
「サケ」
「マグロ」
「メダカ」
「えっと、タイ」
「ウナギ」
「ナマズ」
「ドジョウ」
「キツツキ」
「それは鳥の名前だよ」
少女が得意気に答えるのを見聞きして、少年は『ふふふ』と笑う。
キツツキって魚じゃなかったんだ……。
少女はふざけた訳ではなかったので、好意を抱いている少年に笑われて、恥ずかしくなった。が、いつもとは違い、人に笑われても決して不快な気持にはならなかった。
「え、そうなの?じゃあ、メバチ!」
「オイカワ」
「追川!?千秋、それ人の名前だよ」
今度は少年が間違えたのだと思い、少女はにこにこしながら、隣に座る彼の脇腹を人差指で小突く。
少年は少女からの不意打ちを受けると、一瞬幼子のようにきょとんとした後、彼女に笑みを向けた。
「人の名前でもあるけど、そういう名前の魚もいるんだよ」
「へぇ」
「ふふ。みゆきさんって、面白い人だよね」
「そうかな?」
「そうだよ。みゆきさんは……」
少年は空を見上げる。
「僕の夜の太陽だ」
「千秋にそう言われると、何か照れるなぁ」
少女は紅葉を散らして俯く。
「ううん、私が太陽なら、千秋は私にとっての月だね」
「月……か」
「あのさぁ、千秋。私、ずっと千秋に言いたかったことがあるんだ」
「ん?何?」
「私、千秋の…………」
少女が喋り始めたと同時に、二人の近くをバイクがけたたましい音を立てて通り過ぎた。
「ごめん。もう一度言ってくれる?」
騒音好きの運転手の所為で、少女の声は誰にも届かなかったようだ。
思い切って告げた胸中の思いは、雑音を振り撒くバイクと共に、どこかに消えてしまった。
「私、千秋には、名前を呼び捨てにしてほしいな……」
少女は初め伝えようと思った言葉を変更して、少年に言葉を投げかけた。暗闇の中、相手の表情もはっきり捉えることもできない中、そのことに、少年が気付くことができる訳もなく……。
「あ、うん。解った」
少年は嬉しそうに頷いた。心底幸せそうだった。しかし、少女は笑うことができなかった。どうして私の気持に気付いてくれないんだと、彼の鈍さに苛立った。
「私そろそろ帰るね」
「みゆき、駅まで送るよ」
少女が溜息を吐き、つと立ち上がると、少年は早速彼女のことを名前で呼んだ。
「ありがとう、千秋……」
邪気のない純粋な笑みを浮かべる少年を見ていると、少女は笑顔を作らずにはいられなかった。
しかし、少女の作った笑みは、少年とは違い、どこかぎこちなく、そして、弱々しかった。