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完璧  作者: 今井 祐一
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第一回

 背景の説明がほとんどです。つまらないと思ったら飛ばして、第二回へ進んでください。

 とある街の、とある駅前。儒服を着た、年配の男性が旗の下で何やら語りを聞かせている。

 その隣りにのぼりが立っている。大書された文字はたった二文字。

 「完璧」と。



「みなさん、完璧のへきは何故、かべでないか不思議に思ったことはございませんか?昨今は漢字にしたってケータイやらパソコンで変換すれば何でも出てきますんで、もう長い間漢字なんか書いたこと無いって人も中にはいらっしゃるかもしれませんがいかがでしょうか。ちょっと気になりませんか。気になる?ありがとうございます。それでは、ここでその理由を少々お聞かせしたいと思います。



 そもそも漢字には一つ一つ意味がございますから、始めて見る言葉も知っている漢字の組み合わせであればなんとなく意味が分かるものです。完璧という言葉を見てきますとまず、完という字があります。これは皆さんご存知かと思います。欠けているところの無いさまであります。完全、といった風にも使われますね。

 では、璧のほうはどうでございましょうか。こちらはあまり目にしたことが無いかもしれません。最近では北京オリンピックのメダルの裏側に玉璧がはめ込まれているというのを聞いた方があるかもしれません。あれは古代の龍紋玉璧をイメージして作ったんだそうですが、ではそもそもこの璧とは一体何なのかと言いますと、一言でいうならば宝石であります。もう少し丁寧に説明しますと、翡翠ひすいやガラスなんかを平らなドーナツ状に作ったものなんです。

 さて、こうして漢字を一つずつ見てまいりますと少しずつ完璧の意味が見えてきたのではないでしょうか。簡単にいてしまえばきずの無い玉といったところでしょうか。そこからでも欠点が無くすばらしいという意味も想像できますが、実はこの二文字にはもっと深いドラマが隠されているのであります。

 実はこの言葉はある文章の中から抜き出してきたものでして、原文はこのようになっております。城不入臣請完璧帰趙、と。これでは何のことか分かりにくいですから書き下し文に直しますと、城入らずんば、臣請う璧をまっとうして趙に帰らん、とこうなります。訳しますと、城が手に入らなければ、璧は持ち帰って見せます、ということになります。 よけいわかりにくくなった?これは失礼。では事の顛末を最初から順を追ってお話しすることに致しましょう。


 時は今よりさかのぼることおよそ二千三百年、しんという大帝国が中華を統一するよりも少し前のこと。いわゆる中国の戦国時代のことでございます。この頃は既に秦がほかの国より抜きん出て強く、その他の国は自らを守るために秦と結んだり、他国と手を結んで秦に敵対したりして闘争を繰り返しておりました。

 その中に、ちょう、という国がございます。趙は秦と境を接しており、それゆえ秦の脅威をまともに受ける位置にあるということはご記憶願いたいと思います。国の規模はさほどに小さいわけではありません。秦に比べれば多分に見劣りするものの、その他の国の中では強大といってよいでしょう。

 趙はある時‘和氏かしの璧’なるものを手に入れました。結論から言えばこれが璧の正体であります。‘和氏の璧’はもともと南方の、という国の国宝なのですがどうしてこれが趙にやってきたのかというのはどうもはっきりしません。史記には一言、趙の恵文王けいぶんおうの時、楚の和氏の壁を得たり、とあるのみです。が、まあとにかく趙は天下に二つとない宝を手に入れたのです。 これを秦が聞きつけました。この時の秦王は始皇帝の曽祖父にあたる人で、昭襄王(しょうじょうおう)といいます。単に昭王とされるときもあります。昭襄王は趙が和氏の壁を手に入れたと聞いて、何を思ったか和氏の壁をくれ、と趙に申し入れました。くれというのは言い過ぎかもしれません。正確に事実を述べますと、趙に使者を送ってこう伝えさせました。和氏の壁を十五の城と交換してほしい、と。

 これを聞くとなんだか昭襄王はただの宝石マニアのように聞こえます。それはそうでしょう。何しろ宝石を城、つまりは領土と交換しようとしているのですから。しかもこの時代、一つの城を落とすのに一年かかるとさえいわれていたのです。こういってしまうとより彼の異常さが際立ってしまうのですが、価値感覚についてはこの当時はこんなもんだったと理解してもらうことにしましょう。で、じゃあ昭襄王が和氏の壁を欲しがったのは彼が宝石マニアだったからかといえば別にそういうことではありません。これには秦の外交上の思惑というものが絡んできます。

 秦と趙とはこのとき同盟を結んでいます。形の上では対等ですが、実際のところは秦が趙を組み敷いているといってもいいでしょう。その仲で趙に和氏の璧の交換を持ちかけるというのは、その同盟関係の確認であり、また逆らえばどうなるか分かっているだろうな、という無言の恫喝をも含んでいます。きつい言い方をすれば、趙の秦に対する忠誠心を確かめようとしているという言い方になりましょうか。

 もう一つの読み方があります。これはある作家さんの推測ですが、和氏の壁は楚から趙へ送られたものではないかという前提で話が進みます。確かに国宝が何の理由も無く、一人で趙に歩いていったというのは考えられませんから、妥当な推論といえましょう。

 さてここからさらに先へ話を進めるに当たっては、秦と楚との外交上の関係にも言及しなければなりません。

 この時の楚王は頃襄王けいじょうおうといいます。彼は秦を憎んでおりました。彼の父、懐王(かいおう)は秦に殺されたからです。実際には非は懐王の方にあるのですが、こういうときは決まって‘秦に’殺されたという一事が重きをなします。とにかく秦が憎い。なんとか秦をぎゃふんと言わせてやりたい、父の仇を取りたいと頃襄王は思いました。ところが楚一国では秦にかないません。かなわないどころか、逆に滅ぼされてしまうかもしれません。そこで目をつけたのが趙です。趙に国宝を送って密約を結び、共に秦を倒そうというわけです。

 一方の秦はこの頃、軍事よりも外交のほうを重視して各国を手なずけようとしておりました。その過程で楚とも同盟を結んでおります。結んでおりますどころか、昭襄王が趙に楚から和氏の壁が渡ったとの報せが届いたのは同盟締結の直後なのです。璧が趙に渡ったというのはとりもなおさず密約の成立を意味します。それを知った昭襄王は怒りました。すぐに楚を攻めようとしました。しかし、側近が楚を攻めるのはその裏切りの証拠を天下に示してからだというので思いとどまり、秦は趙と楚の密約を知っているのだぞ、という脅しも込めて趙へ使者を送ったというわけです。

 趙は、困りました。密約を知られてしまったということもあります。が、もしこのことが無かったにしても趙としては苦しい立場に置かれているのです。

 何のことは無い。たかが宝石一つで領土が手に入るのならば宝石などくれてやればいいではないか、とお思いになるかも知れません。それはそうなのですが、趙と秦とを比べてみると秦の方が強いのです。壁を渡した後で、城のことなど知らんと突っぱねられてしまえばそれで終わりです。趙は泣き寝入りです。また、秦の属国になったようで聞こえも悪い。かといって渡さないといえば国交の断絶と戦争を招いてしまいます。それも避けたい。恵文王は大臣たちと議論を重ねましたが、いっこうに良案は浮かびません。この間、秦の使者は待たせてあるのですがいつまでたっても返事をしないでいると璧を渡さないという意思表示になってしまうのでそれもまずい。どうしようもない、という段になって繆賢びゅうけんという者が言を揚げました。

「私の家臣で藺相如(りんしょうじょ)というものがおります。この者ならば使者として適任かと存じます」

 この繆賢という者は趙の宦者令という職にありました。宦者令とは宦官かんがんの長です。宦官とは主に後宮で君主に仕える去勢された男子です。後に自ら志願して宦官となり、政権を握ろうとする者も現れてきますが、この時代においては宦官といえば必ず犯罪者であり非常に軽蔑されておりました。しかし君主の身のまわりの世話をする彼らはそれだけ君主に近付く機会も多く、時には奥向きのことだけでなく政治一般についても相談を受けていました。繆賢もそのような宦官の一人で、大臣たちの会議には出席していなかったものの、恵文王から相談を持ちかけられたか、あるいは王が悩み苦しんでいるのを見かねたということでしょう。

 さて、新たな解決策を提示された恵文王ですが、じゃあそれにしようと軽々しく決められるわけも無く当然その訳を尋ねます。何しろ一国の命運がかかっているのですし、この任務は困難を極めるものです。滅多な者では務まりません。 繆賢は昔話を始めました。


 昔、私は罪を犯し、ひそかに(えん)へ亡命しようとしたことがございました。ところがその時藺相如はわたしを止めようとしました。

「君(繆賢)よ、燕王とはどういったお知り合いなのですか」

 わたしは王に従って国境のあたりで燕王にお目にかかり、そのときに燕王はわたしの手を握って、交わりを結びたいと仰せになった。そうして知り合ったので燕王の元へ行こうと思うのだが、と言いました。すると彼はこういいます。

「それは趙が強くて燕は弱く、その上君は王の寵臣(ちょうしん)です。だから燕王は君と付き合いをもちたいと思ったのです。もしも今、君が燕へ亡命すれば、燕は趙を恐れているので罪人をかくまって趙に咎められるのを恐れ、当然のことながら君の滞在を認めず、拘束して趙に送り返すでしょう。それよりも、自ら肌脱ぎになって斧質ふしつに伏し罰を受けたいといえば、死罪を免れることができるやも知れません」

 そこでわたしがそのようにしたところ、幸いにも王はわたしをおゆるしくださいました。ですから私は彼が勇士であり、智謀をも備えていると思うのです。彼ならば使者にふさわしいのではないでしょうか。


 肌脱ぎになり上体をあらわすということは服従や、降伏、謝罪などの意思表示で、斧質は斧と処刑台で処刑をあらわしますから、肌脱ぎになって斧質に伏し、というのは自ら罰を請うかたちといったところでしょうか。平たく言えば自首して謝れ、ということと言えましょう。

 これを聞いた恵文王は他に良策があるわけでもないので、とにかく藺相如を引見することにしました。そして秦が和氏の璧と十五城の交換を申し込んできた、どのように対処すればいいだろうか、と問いかけました。藺相如は言います。

「秦は強く、趙は弱いのですから璧を渡すしかないでしょう」

 彼が考えるに、初めから渡さないという選択肢は無いのであって、それならば最初からためらわずに璧を渡してしまえばよかったのです。そうすれば、たとえ城を得ることは出来ずとも秦に攻められるという憂き目は見ずに済んだだろうと思っています。国の威厳を損なうという意見に対しても彼は否定的です。生きるか死ぬかの瀬と際に、恥も外聞もあったもんじゃないというのが彼の真情ではなかったでしょうか。

 じつは藺相如は貴族の血を引いています。彼が生まれたときにはすっかり没落してしまっておりましたが。その生活はおそらくとても貧しいものであったに違いありません。あるいはその日の食べ物も無い、というところまでいったかもしれません。そこで彼は、先ほどお話しましたように宦官という非常に卑しい者の臣下となったのではないでしょうか。彼は落ちぶれたとはいえ、貴族としての自覚もあったでしょうし、顕揚欲もありましたから、それには大きな覚悟が必要だったに違いありません。宦官の家臣になるというかとは自ら出世の道を閉ざしてしまうことであったでしょうから。そんな彼にとっては青ざめた顔をしてああでもない、こうでもないという大臣たちが滑稽に映っていたことでしょう。

 が、そのことは心の内だけのことでして、まだ王の問いは続いております。

「もし秦に趙の璧を与え、秦から十五城を得られなかったらどうする」

 恵文王にとってはこのことが悩みの種なのです。

「秦が交換を持ちかけているのに趙がこれを断れば非は趙にあります。一方、趙が璧を渡したのに秦が城を譲らないならば非は秦にあります。この二つを比べてみますと、秦の要求を呑み、秦に非を負わせるのがよいかと存じます」

 当然のことでしょう。藺相如も誰にでも分かることではないですか、と言いたかったかも知れませんが、そこは大臣たちの面子もありますので黙っておりました。

「使者は誰がよいか」

「王に心当たりがないのであれば、わたくしが璧を奉じて秦へ行き、城が手に入れば璧を秦に残し、城が手に入らなければ、璧は持ち帰って見せます」

 そう、ここが先ほど引用いたしました「城不入臣請完璧帰趙」という部分でございます。

 かくして藺相如は使者として秦へ赴くこととなりました。趙王の陪臣ばいしんでは使者として不適格なのでおそらくこの時点で彼は趙王の直臣じきしんとなったのでしょう。しかし喜んでもいられません。この任務、生きて帰れる公算は無きに等しいのですから。



 さて、ここで今日は時間とあいなりました。この後、秦へ使いした藺相如の命運やいかに?また次週、同じ時、同じ場所でお目にかかりましょう。では皆さんごきげんよう。次回をお楽しみに」

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