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美奈子ちゃんの憂鬱

美奈子ちゃんの憂鬱 猫とパンツと告白と

作者: 綿屋 伊織

 10年前

 冬

 東宮御所


「殿下ぁっ!」

 突然の女官の悲鳴に皇太子妃は窓の外を見るなり、深いため息をついた。

 血相を変えた女官達が何かを追いかけ回している。

 その正体が、自分の娘であることに気づいたからだ。

「もう……」

 暖炉の側では長女の麗菜がお人形遊びに熱中している。末娘の春菜は自分の膝枕で夢の国だ。

 それなのに―――


「殿下!コートをお召し下さいませ!」

「そんな格好で走り回られてはお体に触りますっ!」

 女官達の声はもう涙混じりだ。

 皇太子妃が膝で眠る娘を起こさないよう、そっと動いた時。


「元気だな」

 いつの間にいたのだろう。

 皇太子が窓際に立って窓の外を見つめいていた。

 叱られるか。と覚悟する皇太子妃に、皇太子は優しい声で言った。


「子供は風の子というが、あの子はまさにその通りかも知れないね」

「そんなに嬉しそうに言わないでくださいませ」

 皇太子妃は口元を少しだけ尖らせ、夫に文句を言った。

「あの子は女の子なんですよ?」

「でも子供だよ」

 皇太子の目の前で女官達に追いかけられる娘は、片手にオモチャの刀を持って、木登りに挑戦しようとしていた。

「ああ……九条のお出ましだ」

 副女官長の凛とした怒鳴り声が室内にまで響き渡り、春菜がびっくりして飛び起きた。

「おお……逃げ出した逃げ出した」

 皇太子は楽しげに微笑んでいる。

 寝起きのせいでぐずりだした春菜をあやしながら、皇太子妃は娘と一緒に泣きたかった。

「あの子は女の子なんですよ?それが、好きなものはチャンバラに木登りだなんて―――まるで男の子です」

「元気な証拠だよ」

「本当―――あの子の将来が心配です」

 春菜を抱きかかえた皇太子妃は皇太子の横に立った。

「あの子……お婿さんのなり手があるのかしら?」

 深いため息の向こう。

 九条副女官長にお尻を叩かれ続ける日菜子の泣き顔がそこにはあった。




 現代

 宮城


「タマ?」

 政務を終え、ようやく自由な時間を得た日菜子は、猫の缶詰を持ったまま奥宮殿をうろうろしていた。

「もう……どこに行っちゃったのかしら?」

 せっかく一緒に遊ぼうと思ったのに。

 日菜子が残念そうに私室に戻ろうとした時だ。


 タッタッタッ


 日菜子の視線の先、廊下を小走りに走り抜けたのはタマだ。


「いたっ!」

 日菜子はタマに声をかけようとして息を飲んだ。

 それは、タマが口にくわえていたものを見たからだ。

 茶色のリボン。

 それは日菜子にとってかけがえのない大切なリボンだった。

「タマッ!」

 日菜子は血相を変えてタマを追いかけ始めた。


 タマは空いているドアをすり抜けて外に出た。

 幸い、タマの白い毛並みは、緑多い宮城の中ではかなり目立つ。

 日菜子はそれを追いかけて、藪の中へと飛び込んでいった。


 ナメないでくださいよ!?


 藪を払いのけながら日菜子は思った。


 私、宮城に関しては、中より外の方が詳しいんですから!


 タマのスピードは思ったより速い。

 四つ足の獣の方が、こういう場合、二本足の人間より有利なのかもしれない。


 藪を抜け、芝生を抜け、タマはずんずんと進んでいく。


「ねぇ日菜子ぉ」

 松林に入る直前、突然耳元で聞こえた声に、日菜子は驚いて立ち止まった。

「真由!」

 振り返ると、親友である北村真由が宙に浮いていた。

「何やってるの?」

「いいところに来ました!」

 グイッ!

 真由の首に手を回し、日菜子は言った。

「タマを捕まえてくださいっ!」

「タマさんを?」

「タマが加えているリボンを取り返すんです!」

「ふぅん?」

「なんですか!?その乗る気じゃないって返事は!?」

「タマさん、もうどっか行っちゃったよ?」

「いけない!」

 走り出す日菜子を見送った真由は、しばらく考えた後、どこかへと姿を消した。


 日菜子はタマを探してあちこちをかけずり回り、そしてようやく見つけたのは、宮城外壁の側だった。

 タマではない、別の猫の鳴声がそのきっかけだった。

 茂みの向こう。

 一匹の虎猫が横たわっていた。

 タマはその猫の後ろ足を懸命に舐めている。

 日菜子が近づいても気づく気配すらない。

「?」

 そっとのぞき込んで、日菜子はタマの意図を理解した。

 車にはねられたのか、犬にでも襲われたのか。

 虎猫は傷ついていた。

 タマがどうしてこの猫を知ったのかはわからない。

 だが、タマは何とかこの猫を助けようとしている。

 リボンを包帯代わりにしようとしているのだと、日菜子はそう思った。

「タマ?」

 日菜子の声にようやく気づいたのか、タマは驚いたような、困ったような複雑な目を自分の新たなる主人に向けた。


 この子を助けて。


 その目は、そう訴えていた。


 そっ。


 タマの目の前に差し出されたのは、真っ白なハンカチ。


「リボンより、こっちの方がいいですよ?」

 日菜子は虎猫の後ろ足を刺激しないようにそっとハンカチで包もうとした。

「ふふっ。タマは優しいんですね?」


 ニ、ニャーッ


 照れているのか、それとも純粋に感謝しているのか。

 タマは鳴いた。


 傷はかなり深い。

 化膿の恐れがあることは明白だ。

 すぐに医師の診断がいる。

 日菜子がハンカチでどう傷口を押さえるか躊躇している間に、


 トントン


 誰かが日菜子の肩を叩いた。


「えっ?」


 ぷにっ


 振り向いた日菜子の頬を何かが突いた。


「?」


 それが人の指で、しかもその指の持ち主が誰かを知ったから。


「み、水瀬っ!?」

 悪戯っぽい顔で微笑んでいるのは、確かに水瀬だった。

「ど、どうして?」

「真由さんから連絡受けて駆けつけました。お召し物を持ってすぐに橘さん達も来ます」

「橘が来るんですか!?」

「当たり前です」

 水瀬は虎猫の脇に座り、傷口をあらためながら言った。

「皇女殿下がそんな格好にさせたなんて、女官として許されません―――この傷、野良犬かな?ああ。動かない動かないの」

「……」

 髪にはいくつも葉っぱや木の枝がひっかかり、服も土や草木の汁で汚れている。

 日菜子は顔が炎上したかと思うくらい赤くなった。

 もう子供じゃない。

 こんなはしたない姿を許される年ではないんだ。

 特に、一番好きな男の子に見られたい格好では決して―――


「し、失礼いたしましたっ!」

 日菜子は慌てて水瀬に詫びた。

「は、はしたない振る舞いを!」

「クスッ。僕は森村先生じゃないですよ?殿下?」

「水瀬……」

「九条総女官長ならどうなるかは知りませんけど?」

「ひ、ヒドイ喩えですけど……あの、水瀬?」

「はい?」

 水瀬は虎猫に治癒魔法をかけながら日菜子の話を聞き流しているのは明白だ。

 だから、それが逆に日菜子の怒りというか、心配に触れた。

「それって、私が」

「殿下が?」

「どうでもいいって……そういう意味じゃないですよね?」

「?」

 水瀬はきょとんとした顔をした。

 背後でバイクのエンジン音がした。橘達が到着したんだろう。

「どうでも……とは?」

「で、ですから!」


 なんでこんなこと言わなくちゃならないのかしら?


 日菜子は好きになった相手の鈍感さに泣きたくなった。


「わ、私がどんな格好をしていてもいいって!そういうことかと聞いたんです!」

「別に気にしませんが?」

「っ!!」


 ひどいっ!


 カッとなった日菜子はその場に勢いよく立ち上がった。

 何故か、水瀬どころかタマまでが目を丸くしている中、日菜子は怒鳴った。


「わ、私がこんな格好をしていても、それでもいいって、そう言うんですか!?水瀬は!」


 返事はすぐには来なかった。

 食い入るように自分を見つめる視線が、なんだか女の子として辛い。

 どう言い訳しようか?

 水瀬はタマと顔を見合ってまでいる。


 情けない。


 ぐすっ。

 日菜子は涙を止められなかった。


 自分はどういう目で水瀬に見られていたんだろう。

 本当に、どうでもいいと見られていたんだろうか?

 それなら―――ひどすぎる。


「あ、あの」

 水瀬は視線を泳がせた後、ようやく言った。

「それはそれで、かなりマズイ……かな……と」

「そ、そうでしょう!?」

「その……」

 水瀬はようやく視線を日菜子から外した。

「その格好は……人としてさすがに」

「言葉が極端すぎる気はしますけど……わかってくれましたか?」

「はい……殿下も女性なのですから」

「そうでしょう!?」

 日菜子は嬉しそうに言った。

「ですけどね?私だってこんなはしたない格好をいつもしているわけじゃないんですっ!」

「そ、そうですよね」

「やっぱり―――嫌いになりましたか?こんなはしたない格好」

「い……いえ」

 水瀬は何故か、タマの目を手で塞ぎ、日菜子をちらちら見ては慌てて視線を逸らす。

「で、殿下は……カワイイですし」

 赤面する水瀬が言った。

「……す、好き……ですけど……」

「本当ですか!?」

「は、はい」


 かわいい。

 好き。 


 水瀬の口から出たその言葉に、日菜子は舞い上がった。

「う、嬉しいですっ!」

 感極まった日菜子が水瀬に抱きついた。

「わ、私……っ!」

「で、でも殿下?」

「はいっ!」


 日菜子は、次に出た水瀬の言葉に凍り付いた。








「スカート、履かれた方がよろしいか……と」






「……」


 そっ。


 恐る恐るお尻回した手に、スカートの感触はなかった。


「……」


 怖々後ろを向くと、さっきまで立っていた辺りにスカートらしい布が落ちている。


「……」


 何かに引っかかってスカートが脱げた。


 日菜子はそれは理解できたのだが……。


 さらにその向こう。


 鬼より怖い九条総女官長の引きつった笑顔は、もっと見たくはなかった。




 翌日。


「惚れた男の前でパンツ丸出しって―――日菜子、変わったシュミしていたのね」

 あきれ顔の麗菜の前で、日菜子が潰れていた。

「で?九条から何時間?」

「午後4時から始まって今朝の6時まで」

「……14時間は最高記録ねぇ」

「も、もう疲れました」


「それにしても。スカート脱げたこと、どうして気づかなかったの?パンツまで半脱ぎ状態だったって聞いたわよ?」

「な、なんだか下がすーすーするとは思ったんですけど……」

 スカートが脱げ、パンツも半分脱げかかった状態で男の子の前で仁王立ち。

 どうして気づかなかったのか。

 思い出すだけで死にたくなる。

「まぁ」

 麗菜は日菜子の頭を優しく撫でながら言った。

「水瀬の奥手に感謝なさい?」

「えっ?」

「大事な所見えたまま。ふたりっきり。茂みの中。それで何もしないって、奥手以外の何でもないわ?」

「ううっ……そうストレートに言われると」

「そんなのでよく水瀬もあなたを好きになったわよ」

「……」

「それで」

「はい?」

「本当にナニもなかったの?」

「姉様っ!」


 姉妹の間に時間だけが流れていく。


「日菜子?」


 何分たった後だろう。

 麗菜が腰を上げた。


「はい?」


「いい夢をみなさいよ?」


 意味がわからない。


 前にも言われた。


 夢?


 その意味がわからない。


 問いかけようとする前に、麗菜は言った。


「これから、水瀬助けにいかなくちゃいけないのよ」

「水瀬を?」

「噂がヘンに流れちゃって」

 麗菜は言いづらそうな顔になった。

「水瀬がね?あなたを藪の中に連れ込んで悪戯しようとしたって」

「はぁっ!?」

「それ、否定してあげないと―――心優しい姉様に感謝なさい?」

 噂を流したのが麗菜だと直感でわかった日菜子は、感謝すべきかどうか、本気で迷ったという。

 その足下をすり抜けていくのはタマ。

 あの虎猫に会いにいくらしい。

 普段より毛並みを整えておしゃれをしているのがわかる。

「タマ」

「にゃ?」

「……何でもないです」

 その日。

 日菜子は、次に会うとき、水瀬の前でどんな顔をすればいいか。

 そればかりを考えて一日を過ごしたという。


 

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