第55話~対面①~
“北西の樹海”と呼ばれる深き森の中で、ゼウォンは風を巻き起こしながら双剣を振るった。
今まさに襲い掛かろうと突進体勢をとった鹿型の怪物は、ゼウォンとの距離を縮めることなく体躯を切断され絶命する。
無表情で怪物を仕留めたゼウォンは、その表情を全く変えることなく双剣を鞘に収め、亜空間から短刀を取り出して怪物の解体に取り掛かった。
ギルドで換金できる部位をあらかた回収し終わると、地面に土の魔力を込めて怪物を埋める。
埋葬ではなく、隠滅だ。
ふと、戦闘前よりも若干だが木洩れ日が強くなっている気がした。
上空に向けて風の魔力を放ち、空を覆い隠している枝葉を払う。
空を見上げて主光と副光の位置を確認すると、案の定、二つの光は重なり合っていた。
「もう正光か…ったく、いつになったら里に着くんだ?」
思わず、といった感じで口から愚痴がこぼれ出す。
銀狼族の里があるという“北西の樹海”に足を踏み入れてから5日が経過していたが、ゼウォンは未だ里へは到達できずにいた。
人間ならば方向感覚が狂いそうなほど深い森ではあるが、銀狼族であるゼウォンは帰巣本能のような感覚が働いているため、目的地への方向がわかっている。里に着けないのは迷っているわけではない。森の規模が広大すぎるのだ。
ゼウォンは今、消魔匂の首飾りを身につけていない状態なので、銀狼族の縄張りである樹海に入れば直ぐに自分の匂いを感じ取った同族が接触してくるだろうと思っていた。
だが、予想に反して何の反応も無く、少々肩透かしをくってしまったのだが―――
まぁ別にいいか。2,3日歩けば里に着くだろう…
そう気を取り直して歩を進めたゼウォンだったが、わずか10分足らずでその考えを改めた。
樹海の中は非常に歩きづらい上に、3ツ星以上の高ランクな怪物が頻繁に出現するのだ。
人型ではなく魔物型になれば少しは歩きやすくなるだろうけど、ゼウォンはあえて人型のままでいた。
魔物型のまま同族に会った場合、中途半端な能力しか使えない自分は圧倒的に不利な上、手の内が丸分かりだろうからだ。
人型でいれば魔道具や薬も使えるし、今までずっと人間として生きてきた自分は、己の牙や爪よりも剣を使うほうが戦いやすい。同族を相手にするなら、魔物型よりも人型の方が適している。
歩行速度は落ちるが、焦って里に行くこともない。
草木を掻き分け、巨大な倒木を迂回し、時には回避し切れなかった高ランクの怪物を倒し、黙々と進み続けた。
もうじき黄昏時になるという頃。
息切れすることなく無言無表情で森を歩いていたゼウォンは、ふと立ち止まると微かに眉を顰めた。
進行方向から怪物の匂いがする。
ちっ。またかよ…
内心で舌打ちすると、風の魔力を放って前方の気配を探った。
そこそこ強そうな怪物の気配がするが、まだこちらには気づいてなさそうだ。
迂回するのは面倒だが双剣の霊力は温存しておきたいと思ったゼウォンは、前方を避けるべく足の向きを変えた。
ん?待てよ。怪物とは違う気配もするな……
わずかに感じた怪物とは異なる気配に、ゼウォンは魔力を更に強めて意識を集中させた。
…っ、これは、まさか銀狼族か?!だが、怪物よりも力が弱そうに感じるが…未成魔か?
未成魔であろうと成魔であろうと、同族ならば接触すれば何かしらの情報は得られるだろうし、里への近道なども聞けるかもしれない。
万一この同族と戦闘になっても、この程度の力量ならば充分に勝てそうだ。
そう考えたゼウォンは迂回することを止め、出来る限り物音を立てないように注意し前へと進むと、木々が拓けた草地に出た。そこには―――
小柄な体の銀狼に向かって勢いよく棍棒を振り落とそうとしている、額から角を生やした豚面の大きな怪物がいた。
ゴブオークかっ、確か4ツ星ランクの怪物だったな。この樹海は高ランク怪物の宝庫だな、ったく。
ゼウォンは双剣を振り、50m以上離れている怪物に向けて旋風を放った。
その気配に気づいたのか、ゴブオークは棍棒の向きを変え、銀狼ではなく旋風を振り払おうとする素振りを見せる。が、スパッと棍棒が切断された。
ゴブオークが切れた棍棒を凝視した一瞬の隙にゼウォンは距離を詰める。
直接攻撃範囲内に到達すると、そのまま低く身構えて右手の一刀で怪物の足を切りつけた。
怪物が体勢を崩して体躯を傾けたところを、更に左の一刀で攻撃する。
「ブギャオォォッッ!!」
右足と首元を切られたゴブオークは、声をあげてゼウォンに殴りかかるもヒラリとかわされる。
怪物の攻撃を至近距離で避けながら剣を振るうゼウォンと、傷つけられ血まみれになりながらも倒れることなく打撃を繰り出すゴブオーク。
持久戦になるかと思われた戦いだったが、突如ゴブオークが動きを止めた。
ゼウォンの剣によって傷を負っていた怪物の足に、銀の仔魔狼が牙を立てて噛み付いていたのだ。
ゼウォンは一瞬意表をつかれたものの、すぐに状況を理解し、サッと身を引いた。
腰を落として構えをとる。気合を入れ、風の双霊剣を水平に振り払った。
一閃。続けざまに、もう一閃。
鋭利な鎌状となった2つの風の刃は、太く強靭なゴブオークの首を刎ね飛ばす。
ズドーンっと音を響かせて、豚面の怪物は地面に倒れた。
森に静寂が戻る。
ゼウォンは静かにゴブオークへと向かい、完全にこと切れているのを確認すると、仔魔狼へと歩み寄った。
「怪我は無いか?」
そう尋ねると、銀の仔狼は喜色を浮かべて大きく頷き、元気な声で答える。
「はいっ、大丈夫です!ありがとうございました、ジウォン様!」
―――ゼウォンの動きが、止まった。
「ちょこっと自主戦闘訓練するつもりだったのに…まさか、あんな強力な怪物が里の近くに現れるなんて思わなくて…ジウォン様が来てくださらなかったらどうなっていたか…本当にありがとうございました!」
尚も動けずにいるゼウォンの様子に気づくことなく、仔狼は更に言葉を続ける。
「ジウォン様、今日は土の神殿に赴かれる日でしたよね?同じ神命を受けられた弟様とのお話し合いはどうだったんですか?」
チョコンとお座りしたままの仔狼は、黙りこくるゼウォンを無垢な瞳でジッと見つめている。
「……ジウォン様?どうかしたんですか?」
いつまでたっても動かない同族を不思議に思った仔狼が、腰をあげて近づこうとした時。
「ジウォン様?というのは、誰だ?」
「……え?」
その問いに、仔狼はひどく混乱した。
人型になっている目の前の同族は、匂いも容姿も声すらも、族長の嫡男そのものだ。
一体、どうしたというのだろうか…
戸惑う仔狼に、無機質な声が告げる。
「俺の名はゼウォンだ。ジウォンとやらでは、ない」
今度は、仔狼が固まった。
紫の目を大きく見開き、ゼウォンの顔を凝視する。
やがてその視線は下へと移動し、装備している胸当てや双剣を見つめ、それからジックリと頭から爪先まで3往復ほどしたところでハッとした表情になった。
「あのっ、貴方様はもしや、ジウォン様が土の神殿でお会いになるといっていた弟様なのですか?それでジウォン様達と一緒にこちらに転移されてきたとか…」
語尾が徐々に尻すぼみになり、萎縮し出した小さい銀狼を上から眺めながら、ゼウォンは思いがけず得られた情報を心中で考察していた。
この仔狼の口ぶりからすると、銀狼族の間では神命は既に周知されているようだ。
何の疑いも無く俺と間違えられたジウォンとやらは兄のことだろうな。三ツ仔なのだから酷似していて当然か…。
弟様、と呼んだことから察するに、三ツ仔の中仔と末仔に対して敵対意識はなさそうだが…もっと情報が欲しい。
しかし、こんな所で話し込んだりしていると、いつまた高ランクの怪物が襲ってくるかも分からんからサッサと離れた方がいいな。
わずか数秒でここまで思考したゼウォンは、仔狼を怖がらせないように膝をついて目線を合わせた。
出来る限り穏やかな口調を心がけ、口を開く。
「ジウォン様という者が族長の実仔であるならば、確かに俺は彼の弟ということになる。同じ神命を受けた兄弟に会うため、銀狼族の里を目指して5日前からこの樹海にいたんだ。神殿で会うとかいう弟は俺のことではないが、この身も神命を受けている。…里に案内してもらえるか?」
「……はい!もちろんです!!お探ししていた弟様が自ら来てくださるなんてっ、しかもボクがご案内っ。皆に自慢しちゃおうっっ」
急に興奮しだした仔狼に、呆気に取られるゼウォン。
「あっと、弟様」
「…ゼウォンでいい」
「はいっ、ではゼウォン様、ここは里から近い場所なので半刻足らずで着きます。日が暮れる前に行きましょう。ささ、こちらです!」
「……(様付けも止めてもらいたいんだが)わかった。よろしく頼む」
何だか妙に歓迎されてないか?敵意を向けられるよりは遥かに良いが、こうも前向きに受け入れられるとは思わなかった…些か拍子抜けだ。
だが、真誓たてさせるまでは油断できないな。
意気揚々と進み始めた仔狼の後に続きながら、ゼウォンは気持ちを引き締めた。
あっ。ゴブオークの換金部位、とり忘れちまった。…別にいいか。
冒険者としての習慣から、倒した怪物の部位を回収するのは当然になっていたゼウォンは、そんなことを思いながら仔狼の左右に揺れる尻尾を追ったのだった。
*****
土の神殿内の一角にある貴賓室へと通じる外回廊を渡りながら、ジウォンはこれから対面することになる弟について思いを巡らせていた。
神殿に遣っていた使いの同族から連絡が来たのは2日前のこと。
土の神殿の最高権力者である神官長バロージャのもとに、土の神の神命を受けたという者から、銀狼族に連絡をつけて欲しいと要請があったというのだ。
その者は銀髪紫目の男性で、燃えるような紅緋色の髪と瞳をした女性を伴って神殿にやって来た。
バロージャに慇懃な態度でヘアグ式の礼をとった銀髪の男は、自身の名をソウォンと告げ、それから隣に立つ女を紹介した。
「この者は南の地の上位精霊〔紅蓮族〕の姫精霊、名はファラフレア。我が伴侶です。種族としての僕自身は〔紅蓮族〕と異なりますが、一族の者だと認めてもらっています。―――土の神の大祭にて下された神命について、〔紅蓮族〕のソウォンとして〔銀狼族〕と話し合いの場を設けたく、神命を承知されているバロージャ様にお執り成しをお願いしたいと思い、南の地よりこちらの神殿にまかり越しました」
丁寧で穏やかな物言いながらも、揺ぎ無い意志を感じさせるソウォンに対し、バロージャは静かに頷くことで了承の意を示した。
そして、日数を置かずに話し合いの席が設けられることとなったのだ。
ジウォンは無言で歩を進めながら、〔青嵐族〕族長セラシーアから父に宛てられた手紙の内容を反芻する。
ソウォンというのは、末弟の方だったな…
土の神殿を介して接触してきたこと、神命を受けたにも係わらず自身は〔銀狼族〕ではなく〔紅蓮族〕なのだと主張してきたことなどから、あの掟のことは知っているとみて間違いない。こちらに対して警戒しているだろう。さて、どうするか…
「既にお待ちのようですわね」
思考の波に漂っていたジウォンに、イゥマナが声をかける。
ジウォンと共に対談の場となる貴賓室に向かっているのはイゥマナと、神殿に留まらせておいた情報収集係のムトヴァ(希少な転移魔法の使い手だ)だけだ。
程なくして、先導していた若々しい侍従神官が重厚な扉の前で足を止めた。
「こちらになります」
侍従神官は扉越しに中の者に声をかけ、それから扉を開いてジウォン達に入室を促す。
ジウォン、イゥマナ、ムトヴァが室内に入ると、静かに扉が閉まった。
銀狼族3人は、そのまま流れるような動作で腕を交差し頭を下げると、先に腰掛けていた者達も静かに立ち上がり、同じようにヘアグ式の返礼をする。
互いが胸の前で交差させていた腕をとき、ゆっくりと顔をあげた。
!!!
イゥマナは相手方の顔を見た瞬間、思わず息を呑んでしまった。
ジウォン様と同じお姿だわ…
同じ匂いとは感じたけれども、人型の容姿までもが同じだなんて…
ジウォンの伴侶であるイゥマナが、隣にいる男と正面にいる男を間違えることなど本能的に有り得ないのだが、それでもこの兄弟は絶句するほど酷似している。
そしてまた、ソウォンの隣に立つファラフレアもイゥマナと同様に動揺していた。
三ツ仔だとは聞いていたけど、こんなにもそっくりだなんて…
でも、やっぱりソウォンとは違う。私のソウォンはもっと柔らかい瞳をしているもの…
この銀狼族達はソウォンをどう思っているのかしら?神命を受けた彼に対して変な態度はとらないと思うけど、それでも掟どおりに排除しようとか考えているのかしら?ソウォンに手出しするならば、私はもちろん我が一族全員が黙ってないんだからっ
緊張した空気が場を包んでいたが、ファラフレアは気後れすることなく少々強めの口調で口火を切る。
「お初にお目にかかります、銀狼族の方々。私はファラフレアと申します。すでに聞き及んでいるかとは思いますが、南の地〔紅蓮族〕の姫精霊であり、このソウォンの伴侶です。ソウォンの出自も此度の神命ももちろん存じてますが、彼はすでに我が一族の者。このことを念頭において下さい」
牽制とも威嚇とも受け取れるファラフレアの言葉に、ジウォンは微かに片眉を動かすだけに止めた。
そのままソウォン達の対面に腰掛け、隣に座ったイゥマナと斜め後ろに起立するムトヴァを紹介した後、大祭から今に至るまでの銀狼族の里で起こった事を端的に話した。
「……そうですか。銀狼族の皆さんは、僕と、もう一人の兄の存在を既に承知済みなんですね」
一通り話を聞き終わったソウォンは、ポツリと呟くと軽く目を閉じる。
だが、瞑った目は直ぐに開かれ、穏やかながらも如才ない眼差しをジウォンに向けてきた。
「そちらの状況はわかりました。僕としましても主神からの神命を遂げるのは最重要使命と認識しておりますので……“禍大なる災い”が現れたと連絡下されば、紅蓮族の里よりすぐに西の地へ駆けつけます」
「いや、それでは困る。神命を完遂するまでは俺と共に行動してもらいたい」
容姿も声も同じ者たちが、互いを探るように見つめあう。
ソウォンの隣に座っていたファラフレアは、攻め立てるようにジウォンを睨み。
ジウォンの隣に座っていたイゥマナは、困ったように眉根を寄せた。
「主神は、我等三ツ仔が一体化して初めて御力が顕れると仰せられた。主神が危惧するほどの存在である“禍大なる災い”に付け焼刃の攻撃が効くとは思えない。俺達は共に戦闘訓練をすべきだ。それに、いつ“禍大なる災い”が復活するか判らない今、他地に居るというのは賛同しかねる」
己の主張を補足するように言葉を続けたジウォンに対し、ソウォンは微かに口元をあげた。
「そちらの立場からすれば、そう述べるのは当然でしょうね。ですが僕としましては、銀狼族と共にいるということは、常に命の危険に晒されているといっても過言ではない状況だと思っています。理由は、お解かりですよね?」
「……あぁ。掟、だな?」
「そうです」
「先程話したとおり、里の者達は皆、我等が三ツ仔だということを承認しているが?」
「ですが、それは銀狼族の里において僕の身の安全を完全に保証すると言えますか?…確かに神命を受けた者に手をかけることは無いでしょうが、神命を成し遂げた後は?“禍大なる災い”を相手取るのは命がけだと思われるのに、更に別の憂事があるのは「保証しよう」……え?」
懸念を語るソウォンの言葉を遮り、ジウォンはキッパリと言い放った。
その言葉を受け、ソウォンは真意を探るかのようにジウォンを見据えていたが、若干試すような提案を発する。
「……保証すると言うならば、僕と紅蓮族の命を狙うことは無いと、真誓をたててくれますか?」
「いいだろう」
すぐさま肯定の意を示したジウォンに、イゥマナとムトヴァが驚いた表情を向けた。
「ジウォン様…貴方様は神命が完遂された暁には族長となられる御身であり、貴方様のご決定は一族の意思と同等。独断でお決めになるには真誓は余りにも重過ぎるかと…」
今まで口を開かなかったムトヴァが背後から躊躇いがちに進言するも、ジウォンは「構わん」と一蹴した。
「我が一族であんな掟ができたのは、覇権争いが過激化したことに起因する。だが異種族である精霊を伴侶とし、その一族となっているソウォンが銀狼族の族長になどなるわけがないから、命を奪う必要性は無い。しかし、万一と言うことも考えられるから、そちらにも銀狼族を害することは一切無いと真誓をたててもらおう。そうすれば里の者達も納得するはずだ。それに…」
そこで言葉を切ったジウォンは、どこか痛々しい表情になる。
「生まれた順番が違っていたら、逆の立場だったかもしれないんだ。命運を共にする弟に、出来る限りの誠意はみせたい」
生まれた順番が違っていたら―――
その一言に、ハッと身を震わせたムトヴァは頭を垂れ「要らぬ事を申しまして失礼致しました」と再び後ろに下がった。
ソウォンの表情は変わらなかったが、ファラフレアは伴侶の紫の瞳が少し揺らめいたことに気付いていた。
貴賓室に沈黙が流れたのは、わずか数秒。
「承知しました。僕も真誓を立てましょう」
自分と同じ姿をした兄の瞳を見ながら、ソウォンは迷いの無い口調で告げた。
両者が真誓を立てあうことにより、対面して以降どことなく張り詰めていた貴賓室の雰囲気が緩和したのだった。