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第54話~やつあたりではありません~


夜明けまで、あと2刻ほどという時間。

隣で眠るユリーナの頬に軽く口付けると、俺は身を起こして寝台から抜け出た。

衣服を着た後、防具を着けようと胸当てに手を伸ばしたところで、寝台の方から視線を感じた。

振り返ると、寝ていたはずのユリーナがパッチリと目を開いて俺を見ている。

彼女の顔は寝起きだという印象を受けないくらい、しっかりとしたものだった。


「起きてたのか、ユリーナ…」

「うん…。まだ、夜明け前だよ?もう、いっちゃうの?ゼウォン…」

「あぁ…」


余計なことは言わずに短く返事を返すと、ユリーナはゆっくりと体を起こして緩慢な動作で夜着を着始めた。


無理させてしまったか……


昨夜は己を彼女に刻み付けるように激しく抱いてしまった。

いつもは疲れさせないように制御するのだが、昨夜はどうしても歯止めが効かなかったのだ。

彼女もいつも以上に熱く応えてくれたから、想いと欲を存分に注いでしまった。

気だるそうな彼女の動きは、今だに身体中が怠くてなかなか機敏に動けないのだろうと容易に察しがつく。


すまないな、ユリーナ……


心の中で詫びながら、いつも通りに防具を装着していく。


「模造髪と消魔匂の胸飾りは着けないのね…」


夜着を纏ったユリーナが寝台から降りて、問いかけとも確認ともとれるような口調で呟いた。


「里には素の状態で向かった方がいいだろうからな。模造髪はともかく、消魔匂の飾り物は銀狼族に知られたくない物だから」

「そっか…」


防具を着け終わると、立て掛けてあった俺の剣をユリーナが大事そうに両手で抱え上げて差し出してきた。

その仕草がまるで、己の騎士に剣を与える神聖な儀式のように感じて、何やら厳粛な気持ちになる。


何かを懇願するように、瞳に力を込めて俺を見つめるユリーナ。

俺も彼女の藍色サファイアの瞳を見つめ返し、心配するなという思いを込めて無言で頷いた。


差し出された剣を受け取り「行って来る」と一言告げると、ユリーナは黙ったまま静かに頷く。

彼女と離れたくないという思いを無理矢理封じこめ、建屋を出た。



夜明け前の外気は少し湿気を含んでいて、冷たい。

大きく息を吸い、冷えた空気を肺に流し込む。

一歩踏み出した、その時。


「ゼウォンっっ」


愛しい、恋人ツガイの声。

その一声で、今しがた封じた思いはあっさりと霧散した。


目の淵に涙を溜め、それでも泣かないと努力してるかのように固く拳を握り締めている彼女。

昨夜、腫れさせてしまうほどに散々貪った愛らしい唇が、小刻みに震えている。


「……気をつけて、行ってきてね」


彼女の目から、涙が零れ落ちた。

だが、口元は笑みを描いている。

その彼女の泣き笑いが、俺の胸を軋ませた。


気付いたときには自分の腕の中にユリーナを閉じ込め、口付けをしていた。

何度交わしても足りない。重ねあうほどに欲しくなる。

夢中で彼女の舌を吸い、柔らかい体を抱きしめると、俺を狂わせる甘い匂いが香りたつ。

冷たく感じていた外気は、俺の熱を冷ますのには何の役にもたたない。

だが、暴走しそうになった俺を止めたのは、他でもない彼女自身だった。


「どうしても耐え切れなくなったらゼウォンのこと召喚しちゃうかもしれないから、私が我慢できなくなる前に戻ってきてね?」

「善処する」


俺の胸に手をあてて体を離したユリーナは、もう泣いていなかった。


夜が明けきらぬ薄闇の中、彼女に見送られながら、俺は銀狼族の里へと向かったのだった。




*****




「弟、か…」


小さく呟いた声は、誰に聞かれることもなく空気に溶け込んで消えた。

見張り台から白み始めた夜空を眺めていたジウォンは、視線を下げて己の生まれ里を見下ろす。


主神〔土の神〕の大祭から15日が経過していた。

神命が下されたということを公にした為、大祭翌々日から5日間ほど銀狼族の里は混乱に陥っていたが、今はもう表面的には平常と変わらず落ち着いている。


自身に下された神命のことを告げれば確実に騒動になると思ったジウォンは、大祭翌日に予定通りイゥマナとの婚儀の宴を済ませ、それから父母である族長夫妻に話を切り出した。


神命の内容を聞いた父母は、しばらくの間、彫像のように動かなかった。

やがて父が小さく息をつき「生きてくれていたんだな…」と呟くと、その言葉を皮切りに母の目から涙が零れた。


自分には本当に三ツ仔の弟がいるのか?

主神は《集うのを待っていた》と仰せられたから弟達も同じ神殿内にいたと思われるが、イゥマナ以外の同族の匂いはしなかった。

故に神命が下されたとはいえ、弟の存在は俄かに信じ難かったのだ。

だが、父母のこの反応からして弟は実在するのだろう。


落涙止まらぬ母と、その母に寄り添う父を、ジウォンは複雑な気持ちで見ていた。


やがて、父は1通の手紙を持って来てジウォンに渡した。

手紙の差出者は、〔蒼嵐族〕族長セラシーアと記されている。

東の上位精霊からの手紙が何だというのだろうか?

無言で手紙を受け取ったジウォンは、読み進めるに連れて驚きを隠せなくなってしまっていた。


「俺は本当に三ツ仔なのか…ゼウォン、ソウォン…」


3度ほど手紙を読み直したジウォンは、思わず知ったばかりの弟達の名を呟くと、母が静かに口を開いた。


「ゼウォンとソウォンにはね、守護魔法が付与された指輪を贈ったのよ。私達が伴侶となる時に祈りを奉げに行った〔土の神殿〕の露店で見つけて…私達一族の目の色とよく似た色味の魔道具だったから、揃いで買ったものなの…」


涙を拭いながら、母は更に言葉を続ける。


「ゼウォンとソウォンの存在を知られるわけにはいかなかったから…貴方達三ツ仔が誕生したことのお祈りは…ジウォン、貴方の分だけしか祈石を買うことが出来なかった。でも、ゼウォンとソウォンの誕生も祈らずにはいられなかったから、懐に指輪を忍ばせて祈石の代わりにしたの。ただの欺瞞だと、ただの自己満足だと解っていても…それでもあの仔達の為に何かしたかったのよ…あの指輪が、ゼウォンとソウォンを護ってくれるようにと祈りを込めてセラシーア殿に託したの。生涯、会えずとも…生きて、生きてくれてさえいればと…それが、こんな形で生存を知ることになるなんてっ」


再び涙を流し始めた母を優しく宥めていた父は、意を決したようにジウォンに告げた。


「明日、里の者を全員集め、神命が下されたことを話すのだ」




族長嫡男の婚儀から日を置かずして知らされた重大事に、銀狼族は皆一様に驚き戸惑った。


西の地を滅ぼすほどの力を持つ“禍大なる災い”というのは一体どのような存在なのか?

その存在は銀狼族の業であると主神に告げられたそうだが、己の一族はどのような業を犯したというのか?

だが、そのような疑問よりも、族長夫妻の実仔がジウォンだけではなかったという衝撃の方が強かった。

一族皆が畏怖と敬愛を抱いている族長夫妻が、掟破りの大罪を犯していたのだ。

裏切りだと憤怒した者、事実を信じようとしない者、反応は其々であったが、族長が潔く掟破りを認め「一族の長たる自分が掟破りという罪を犯したのだから、破族されても甘んじて受け入れる」とまで言ったことにより、感情的になっていた者達は次第に冷静になった。

里の者達のざわめきが沈静化してきたのを見計らい、ジウォンが進み出た。

朗々とした声で、事実と今後の方針を語り始める。


「此度の事を皆が容認しがたいのは当然だ。しかし、神命は自分を含む三ツ仔全員に下されたのだ。主神が “禍大なる災い”を消滅させる御力を与えてくださったのは、自分だけではない。生存する弟達にも与えられたのだ。しかもその御力は、我等兄弟が力を合わせて初めて顕れるという。今、我らが為すことは“禍大なる災い”の正体を突き止めること。“禍大なる災い”が世に復活する前に我が弟達を探し出すこと。――――神命を、成し遂げることだ」



それから数日間、ジウォンは自ら100年前の出来事を調べたり、里の者達との話し合いの場を何度も設けたり、弟達の情報収集のために蒼嵐族や土の神殿へ使いを出したりと、目まぐるしく活動した。

しかし、残念ながらたいした成果は得られていない。

里一番の長寿の者から聞いた昔話も、代々の族長から残されている石版書にも、“禍大なる災い”に関係していると思われる事は何もなかった。

弟達の行方も、手がかりすら掴めていない。


進展があったことはといえば、ジウォンの両親である族長夫妻のことだけだ。

里の者達とは、掟を破り一族に重大な秘密を隠していた族長夫妻に対しての処遇についても話し合ったのだ。様々な意見が飛び交ったが、結局は「三ツ仔の中仔と末仔は神命を下される身であったのだから、他地へ連れて行ったのは英断だったのではないか」という意見に落ち着いた。

だが、何の罪も無いというのは示しがつかないと、族長夫妻自ら「神命が果たされた暁には里を離れる」と公言したのだ。


朝日に照らされながら、ジウォンは顔を上げて目線を里から森へと移した。


銀狼族の里は、樹海とも言える深い森の中にある。

強力な怪物も生息するこの森は、まさしく自然要塞といえるだろう。

一族の者が外へ出ることはあっても、外部からの侵入は無い。

外へ出るといっても、高値で換金できる森の怪物の部位とか里の周辺で採れる薬草や木の実などを売り、その貨幣で布や書物や魔道具などを買うために、戦力の有る数名の雄が3ヶ月に2度ほど人間の街へ行くだけで、あとは極稀に婚姻や仔が誕生した時に神殿へ行くくらいだ。


「ゼウォンと、ソウォン…」


まだ見ぬ弟達の名を呟く。

自分はこの里で両親に育てられ、一族の仲間達と共に生きてきた。

ツガイであるイゥマナを正式な伴侶とし、族長である父の後を継いで一族と里を守っていくものだと思っていたし、それは今も変わらない。だが弟達は……


視界を更に上げ、森から空を仰ぎ見る。


弟達は神命が下され、どのような気持ちでいるのだろうか?

彼等は共に生き、共に神殿にやってきていたのだろうか?

己の存在が銀狼族の掟に反すると知っているのだろうか?

大祭当日に土の神殿へ来ていたということは、それぞれに家族がいるということなのだろうか?


答えの分からぬ疑問を取り留めもなく思い浮かべ、ジウォンはフッと息を漏らした。

数日前まで存在を知らなかった弟達の生き様を考えても、想像すらつかない。


使いに遣った者達は、未だ弟達の居場所を探している。

だが、ジウォンは予感がしていた。


我等三ツ仔が対面する日は近い、と。




*****




夜明け前の薄闇を切り裂くように、薙刀の刃を振り落とした。

ヒュ、ヒュ、ヒュ ――― 一定のリズムを刻みながら、無心で素振りを繰り返す。

上空ではレギとルーシェが盛大な火炎竜巻を起こして、少し白み始めた空を紅く染めていた。


ゼウォンが旅立ってから5日が過ぎた。


彼を見送った当日は何もする気になれなくて、ずっとベットに蹲っていたけど、レギとルーシェだけでなくメルーロさんやミリーまで心配してくれて、これじゃダメだって気持ちを入れ替えた。

翌日からは早起きして早朝鍛錬を再開。

鍛錬後は借りている建屋で朝食を作って食べたら、正光までは族長さんの館で読書したり、顔見知りの羊緑族さん達とおしゃべりしたり、訓練場で羊緑族の戦士さん達と手合わせしたりして過ごす。

正光後は厨房で料理を開発したり、独自の魔法開発に励んでみたりしてる。


羊緑族は3日に1度シプグリール周辺を巡回して、出没した怪物を討伐するらしいんだけど、それには私も同行させてもらうことにしたので、1日中怪物と戦っていたなんてこともある。

戦いから離れると感覚が鈍りそうだし、私には戦闘経験が必要だから自分のために同行させてもらったんだけど、羊緑族の討伐隊には感謝されてしまい、微妙な気分になっちゃったりして。


こんな風にゼウォンのいない日々を淡々と過ごしているけど、気づけば彼のことを思い、左上腕の召喚印に触れてしまう。

今もまた、召喚印から感じ取った彼の居場所の方角へ体が向いてしまった。

そのまま空を仰ぎ見て、ゼウォンの無事を祈った。




その日の正光3刻前、私は訓練場で第1番隊の副隊長でもあるカハールさんと手合わせしていた。

カハールさんの振るう斧と、私の薙刀が音を立てる。


羊緑族の戦士達は人型をとっている者が多い。

日常生活のみならず、戦闘時においても人型をとる魔物を珍しいらしいんだけど、羊緑族の魔物能力は攻撃向きじゃないので、人型になって武器や魔道具を扱う方のが良いんだって。


羊緑族さん達と模擬戦をする時、私は魔法を使わないようにしている。その方が色々と訓練になるからね。

履物も、アレフさんから貰ったブーツじゃなくて、見習い戦士が履くブーツにしている。


---ガツッ


ブンッと迫ってきた斧を、薙刀の柄で受け流す。

カハールさんの手の動きや振りかぶりで斧の軌道を先読みして攻撃を避けていたけど、少し遅れをとってしまった。

そのまま受け流した反動を利用して足の軸を変え、薙刀を振って攻撃に転じる。

カハールさんは少しよろめきながらも刃をかわした。次手を繰り出すと、今度は斧で受け止められてしまう。

力押しは自分の腕力と体力を無駄に消耗するだけだって解っているので、すぐに数歩後退して構えを変えた。

私が後退した隙に構え直していたカハールさんに、突きラッシュをお見舞いする。

魔法を使っていないのでスピードがイマイチかなって思ったけど、それなりに猛攻できた。


---「参りました」


程なくして、カハールさんが降参した。


「本当にお強くなられましたね、ユリーナ様。もう俺ではお相手は務まりませんよ」


模造斧を部下に預けながら、カハールさんが苦笑する。


「そうですか?でも私は戦闘経験が少なすぎますし、もっと強くなりたいんです」

「ご立派な向上心ですね。では少し休憩を取ってから、複数の敵を想定した訓練をいたしましょう」

「はい!よろしくお願いいたします」


カハールさんの言葉を聞いて、周りにいた新米戦士さん達が悲鳴を上げたみたいだけど、私は聞こえないフリをした。


半刻後。

---ビュッ、ビュッ「うわあぁぁっ」ドスッ、ドスッ「ギエェェッ」


「皆さん、すぐに水魔法で傷を治しますね。その後もう1度お願いします」

「もう勘弁して下さいユリーナ様ぁぁーーっ」

「情けないこと言うな!もっとビシバシしごいてやって下さいユリーナ様」

「カハール副隊長の鬼ーーーっっ」


---ドガッ、ゴガッ「ブベェェッ」ガキッ、ゴキッ「ギャアァァッ」


「あ、そろそろ正光ですね。皆さん、お相手ありがとうございました!明日もよろしくお願いしますね」


体を動かしてスッキリした私は、訓練場をあとにしたのでした。


……

………べ、別にゼウォンに会えないからって新米戦士さん達にヤツアタリしてるワケではないですよ?


「4割訓練、6割ヤツアタリじゃん、アレ」

「弱い者いじめはダメなの~…羊緑族さんが可哀想なの~…」

「んじゃ、ルーシェがユリーナの相手する~?オイラ達相手じゃ魔法も使ってくるんじゃ~ん?」

「……羊緑族の戦士さん、頑張って」

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